夜中に手ブロ描いてたら、唐突にモッサンとニゾさんの子供の頃の話が浮かんで、その1シーンを1時間ほどで描いてみた。曹牙、1時間かけてもこんなもんだから。手ブロの人たちホントみんな神だと思う。
史実によると、坂本と岡田は同じ土佐の出で、子供の頃から親交があったらしい。片や裕福な家のボンボン、片や侍とは名ばかりの、荒れた家庭の悪ガキ。普通に考えたら仲良くなれるわけワケがない。
そんな二人が『友達』になれたのは、小説や漫画特有の誇張表現もあろうが、やはり坂本の既存の枠組みにとらわれない柔軟さ、奔放さ、無邪気さ故ではなかろうか?
そして、彼らは方向性は違えど、二人とも所謂『はみ出し者』だったのである。
貧しさから荒み、素行の悪さ暴力性が目立った岡田。彼にはまともな親も金も学もない。学校(藩校・寺子屋など)にまともに通ったことがないため、文字の読み書きすら怪しかったらしい
後に人斬りとして歴史に名を残すほどの剣術に関しても、武市につれられて土佐の外に出るまで道場で正式な剣術を学んだことがない。(彼の得意技である突きをメインとした足狙いBy『おーい竜馬』、まともな道場では間違っても教えない。『士道にもとる醜い戦い』だから。
しかし、この時代異端・下品とされた岡田のファイトスタイルは、実は戦国時代では珍しくなかった。漫画『センゴク』によると、カイシャ(漢字忘れた)剣法といって、甲冑を着けた者同士で効果を発揮するとされる確立されたスタイルだった。
これがもし事実だったら、岡田すごくないか?
戦国時代が幕を閉じていい加減たった徳川の御世に、独学で戦場の剣に辿りつき、独学で磨きあげ、歴史にに残るほど人斬ったわけで。まさに本能。獣の本能。高杉よりそういう意味じゃ獣かもしれないよ、史実岡田。
性格は粗く、酒色を好むと残ってるし。いいじゃないか、雄のニオイがするよ。
では坂本は何がはみだしていたのか?
まぁいろいろあるのだが、まずは家柄。彼の家はもともとの武家じゃない。潤沢な資産にものを言わせて士分を買った町人郷士。細かいことは省くが、とにかくイレギュラーな形での武士といえよう。
金で侍になった家のボンボン。
もう、それだけで苛められる匂いがしないだろうか?
土佐は明るく楽しい大らかで豪快な土地であると同時に、非常に身分制度の厳しい藩だったとも聞く。下級武士は日傘をさすな、下駄はくな、上級武士やその家族と路であったら土下座して先方が立ち去るのを待つべしだの・・・・
そういう土地で裕福な町人郷士ってだけでもやりづらいだろうに、彼の場合容姿も変わってた。銀タマでもおなじみのクセ毛。別に髪の毛くらいどーでもいいべ?と思いがちだが、髷を結ってキッチリしてるのが武士の美徳とされる世の中ではしんどいだろう。どうやってもキチンとしないから。
チビで泣き虫でクセ髪のボンボン。
はい、苛められっ子確定!そんな感じだ。
銀タマでの二人の幼少期を妄想してみる。
以前にも似蔵のことは書いたが、彼の幼少期は少年期・青年期同様暗く荒れていたと思われる。もう、根本的な土台の部分で人を頼ったり信じたりすることが出来ないように作られてしまっている。
強いということにしか価値を見出せなくなっている。何故なら、弱いと暴力を日常的に振るう親や、徒党を組んで絡んでくる上士のクソガキどもから身を守れないから。
いつも腹を空かして、餓えた獣の目に昏い情念を滓のように淀ませた、子供らしくない子供。それでもどこかで諦めきれないのは、彼の中にすでに人斬りとしての才能というか、生きる力が宿っていたから。(彼の場合、人斬りと生きることは同義であったろう)
浮浪児同然に神社の境内やら川原で過ごし、腹が減れば魚をとり畑に偲び、ときには店先からかっぱらう。そんな毎日。
辰馬は子供の頃から能天気で朗らかな半面、感受性が強く怒り以外の感情が非常に豊か。喜ぶときは飛び跳ねて喜び、悲しむときは大声で泣き、楽しいときは周りまで笑顔になるほどの陽の気を発する子供。
両親と姉に溺愛され、親は子供を愛し、子は親を慕うのが当たり前だと自然に考えている子供。
けれど、そのちょっとズレた感性とモジャモジャ頭と、裕福さへのやっかみから苛められて孤立することも多く、時々川原で泣きベソ(つーか号泣)してる。
なわけで、うちの似蔵と辰馬の出会いは川原で決定。今決めた。