うだるような暑さ。
誰が最初に日本の夏をそう表現したのかなど、学のない似蔵にはとんとわからぬが、それでもその言い回しが言いえて妙であることだけは良く分かる。
もともと南国は土佐の生まれである似蔵は暑さには強い。実際、少し前までは暑さにへばり気味な他の連中をだらしがないと鼻で笑っていたほどだ。
しかし、紅桜に蝕まれた身体にこの酷暑は流石に堪える。医者の話によると自律神経だか何だかに支障を来たしているために、発汗や体温調節が正常に行われないらしい。
(つまり、俺の身体は暑さ寒さも満足にわからなくなっちまうほどオシャカってコトさぁね)
ここまで生き永らえておいて今更自刃する気もないが、まったく万斉という男は何とも面倒なことをしてくれると、幾らか恨めしく思わぬでもない。
「似蔵どの」
「何か用かい?」
声を掛けられるでもなく、万斉が近付いてくることはニオイで分かっていた。決して体臭がきついわけではないのだが、万斉の持つ香りは酷く男臭く個性的だ。
シャンプー、ボディソープ、ローション、整髪料、そして微かに漂う男性用トワレ。全てが嫌味なほど完璧に調和して、万斉という若い男の香りを完成させていた。
「おはよう、でござる」
「もう昼過ぎだよ?」
朝寝坊が習慣となりつつあるいい若い者に嫌味を一つくれてやるが、無論万斉には通じない。
「拙者今起きた故、おはようでござる」
「相変わらず身勝手だねぇ」
万斉の自己中心的な性格を身を持って理解させられた似蔵は、やれやれと首を振る。この男に世間一般の価値観は通じない。常識的な人斬というのもおかしなものだが、ここまで電波的に逸脱した男も珍しい。しかも彼の場合、表の顔である『つんぽ』をソツなく演じる理性があるからますますもってわけがわからない。
「似蔵殿」
「・・・・っ」
顎を掬われ、接吻される。
「ん・・・っ・・・・っ」
起用に動く舌で口内を蹂躙される感覚に背筋が震えた。
こうして万斉に唇を奪われるのは初めてではない。唇どころか既に秘所までも奪われているのだ。それも一度や二度ではない。若く健康な青年である万斉は、似蔵の体調さえ許せば週に一度は似蔵の身体を貪欲に求めた。
「・・・起き抜けから何するんだい?」
どうせ万斉のことだ、深い理由などあるはずもない。淫らに糸を引く唇を忌々しげに拭いながら、それでみお一応聞いてみる。
「おはようのキスでござるよ似蔵殿」
何度も教えたでござろうにと、耳元に息を吹きかけるように囁かれた言葉に似蔵の顔が複雑に歪む。
何故、この男はこうも恥ずかしいことを昼日中から堂々と口にできるのか。永遠の謎である。
「そういうことはアンタに惚れてる娘っこにでもしてやるんだねぃ」
心底そうして欲しいと思う。万斉は少しばかり本性を隠せば煩わしい程にモテる男なのだから、自分のようなあちこち欠けた中年を相手にするよりも、若く美しい女達との遊行に耽るのが正しい在り方に違いない。
「拙者が惚れているのは、ステレオタイプの女などではなく、似蔵殿でござるよ」
チュっと羞恥を煽る音をわざと立て、万斉は似蔵の頬にキスをした。
似蔵殿は、自分の魅力に疎すぎる。
そこがまた奥ゆかしくて可愛らしくもあるのだが、時としてそれは万斉を焦らしもした。
何故この可愛い人は、こうも鈍いのか。何故拙者の思いが通じないのか。いずれ全て暴く謎である。
「で、お忙しい『つんぽ』さんが、俺なんかに何の用さぁね?」
「似蔵殿の支度ができているか、ちと心配になって見に来たでござるよ」
「何の話だい?」
万斉と出かける約束などした覚えはない。藪から棒に支度の何のと言われても、何のことやらである。
「今日は晋介の誕生日でござろう?何か気の効いた贈り物の一つも用意したでござるか?」
「あ・・・・」
言われて似蔵は言葉を失くす。
自分の誕生日も他人の誕生日もどうでも良い人生を送ってきた。けれども高杉の『あの人』の誕生日ともなれば、どうでも良いではすまされない。
「あの人の誕生日・・・考えたこともなかったねぇ」
高杉をないがしろにしているわけではなく、ただ似蔵には誰かの誕生日を祝うという習慣がなかったのだ。
「ふむ・・・それはいかんでござるよ」
「駄目、かねぇ?」
ことが高杉に関わることだけに似蔵は強く出られない。
「似蔵殿は晋介が好きなのでござろう?」
「な・・・ッ・・お俺は別にそういうアレじゃぁなくて・・・ただ、あ、あの人は、たった一つの光で・・・つまりそのあぁぁアレで・・っっ・・」
情けないほど噛みながら、似蔵は自分でも何を言っているのか分からない言い訳を口走る。ここに親八がいれば、怒涛のツッコミを決めるところだが、生憎万斉の性質の悪さは新八ごときが百年かかっても届かぬ領域に達している。
「嫌いでござったか?」
おや、これは意外と言わんばかりに、わざとらしく聞き返す。
「違うよっ!」
似蔵は速攻で否定した。
好きか嫌いかで言えば、当然高杉を好いている。
しかし、その『好き』はどこか崇拝めいていて、所謂色恋沙汰とは違う気がする。というか、同じにしてはいけない気がする。
「好きでも嫌いでもない?ああ、つまり愛しているのでござるな」
「な・・・ななななななな何言ってるんだよアンタぁ?!」
似蔵は悲鳴のような声を上げた。
好きだの何だのと正面切って口にする負だけで尻がこそばゆいというのに、愛しているなどとどの面下げて言えというのか。
「何と申されても、愛しているは愛しているでござる。異国語で言うならばLoveでござるな。ちなみに、拙者は似蔵殿を愛しているでござる」
「いらないよぉっっ!!!」
自分が口にするのも抵抗があるが、相手から、それもよりにもよって一回りも年下のクソ生意気な同業者 ―何よりも同性― から告げられるのは最悪であった。
「まぁ、今は拙者と似蔵殿の濃厚な愛はおいておいて、でござる」
アタフタと無意味に手をバタ付かせる似蔵とは対照的に、万斉は冷静そのものである。
「晋介への贈り物、拙者と今から買いに行くでござるよ」
「あ・・・あぁ・・・そうだねぇ・・・・あの人の誕生日だ、無視するわけにはいかないさね」
昼日中から大柄な男同士で買い物に出かけるなど、普段ならば全力で拒絶するところだが、今回ばかりは万斉のお節介も有難い。異常発達した嗅覚と、そこまでではないがやはり人並み以上に鋭敏な聴覚・触覚のおかげ似蔵は杖をつくことなしに往来を歩くことが出来る。しかし、生来の性分もあってかどうにも人混みというやつが苦手なのである。
雑多な臭い。猥雑な音。余りにも無造作に触れてくる人の身体。それら全てが似蔵の神経をすり減らし苛立たせるのだ。認めたくはないが、紅桜によって一度破壊された身体は以前と比べ酷く疲れやすくなっていた。
「ささ、お支度召されよ」
「支度っていってもねぇ、女じゃあるまいし何をするわけでもないさね」
やれやれと立ち上がり、似蔵は着物の袂に財布を入れる。鬼兵隊に身寄せるよになってからは、幾分身なりに気を遣うようにもなったが、基本的に似蔵は着飾るということをしない。盲目故というよりも、これまた生まれ育ちによる処が大きい。
「あぁ似蔵殿、着物が乱れておる」
着崩れた似蔵の襟元を、万斉がかいがいしく整えてやる。
「アンタぁ、ホントにお節介だねぇ」
面倒見の良い人斬など聞いたこともない。
「晋介は着崩しておるから構わぬが、似蔵殿は着崩れているだけ故、キチンとしないとだらしがないでござるよ」
「何が違うんだい?」
万斉の仕掛けてくる言葉遊びは、似蔵が理解するには難しいものばかりだ。
着崩す。着崩れる。意識的かそうでないかの差で、傍目にはさして変わるはずもなかろうにと首を傾げたくなる。
「もちろんあの人はおキレイに違いないがね」
つまるところは着物を身に着ける人間の差なのだと、似蔵は納得した。
高杉は美しい男だ。見えずとも似蔵にはそれが分かる。美しく聡明で、人から崇拝されることに慣れきった人間だけが持てる空気を彼は持っているのだ。顔の造作まではわからぬが、回りの人間の言葉を総合すると『鬼兵隊の総督殿は大変な色香の持ち主』であり、その美貌は傾城と呼ぶに相応しいものだという。
「確かに晋介は美人さんでござるが、似蔵殿は似蔵殿で可愛いでござるよ?」
「・・・・嬉しくないねぇ」
女子供にするような、微妙過ぎるフォローを素で入れる万斉は、つくづくどこかがズレている。
「晋介が廓の花魁なれば、似蔵どのは農村のオボコ娘のようで、素朴な味があって良いでござる。いずれ二人まとめてお相手仕りたい所存でござる。似蔵殿も大好きな晋介と枕を並べて啼き濡れるは本望でござろう?」
「死ね」
うっとりとロクでもない未来予想図を語る万斉を、似蔵は心の底から殺したくなった。
「夢の3pは後日にとっておくとして、今はまず晋介へのプレゼントを買いに行くでござるよ」
万斉は似蔵の滾る殺意を華麗にスルーした。
※
「高杉・・・さん?」
我ながらオドオドとしたみっともない声で嫌になるが、実際似蔵はどうしようもないほどオドオドとしているのだから、気持ちが声に出るのは仕方がない。
『プレゼントは手渡しが一番。夕餉の前にでも渡してくるが良かろう』
と、万斉に背中を押されるようにしてここまで来たは良かったが、はてさて誕生日の贈り物とは、一体どんな顔をして渡すものなのか。経験のないことだけに分からない。自分の誕生日に万斉が押しかけてきたことはある。万斉の誕生日だからと、強制的にプレゼントをせびられもした。が、あれらは恐らく一般的ではない。
「あん?似蔵か?」
「はい・・・・あの・・・・・・」
「俺に何か用か?」
「用ってほどのことじゃぁ・・・」
プレゼントを渡しに来たのだが、改めて何か用かと問われると困る。
「面倒臭ぇ奴だな。さっさと入って来いや」
高杉のぞんざいな物言いにすら、似蔵の胸は早鐘を打つ。万斉に田舎のオボコ娘と揶揄される所以である。
「無駄にデカイ図体しやがって、人の部屋の前で行ったり来たりしてんじゃねぇよ鬱陶しい」
「ごめんよぉ・・・」
高杉に不機嫌そうな声で言われては、もはやプレゼントを渡すどころの話ではない。
「おい、てめぇ何隠してやがんだ?」
「高杉さん・・・えっと・・・・」
「出せよ」
「あの・・・」
「いいからさっさと寄越しやがれ」
「あ、はい」
脳内演習とまったく異なる形で、『何か違うよねぇ・・・これ』と思いつつ、似蔵は高杉にプレゼントを手渡した。
「ふーん、いい酒じゃねぇか。てめぇいつもこんなの飲んでんのか?」
「それは・・・その、高杉さんに飲んでもらおうと思って・・・」
顔が火照るのを感じながら、似蔵は懸命に言葉を選ぶ。どうしようもなく不慣れなだけで、似蔵とて高杉の誕生日を祝いたいのだ。
万斉がかつて似蔵の誕生日に語ったように、『重ねた年月を祝うのではなく、その人が生まれてきたことそのものを歓び、出会えた幸運に感謝し、共に過ごせた時を記念して祝う』ことあ誕生日の意義であるならば、高杉との出会いは似蔵のロクでもない人生における最大の僥倖なのだ。
「俺にだぁ?」
「えっと、だってその・・・今日は、高杉さんの誕生日なんだろぉ?」
「あ?俺の誕生日は明日だぜ」
何を寝惚けてやがると呆れられ、似蔵はポカンと口を開ける。
「だって・・・万斉が高杉さんの誕生日だから、買い物に行こうって・・・・・」
「あぁ、おめぇそりゃハメられたな」
似蔵の口から出た万斉の何、高杉は大よその合点がいった。
誕生日の贈り物だの何だのと、似蔵がらしくもない気障な真似をしたのも。贈り物の趣味がやけに良いのも。裏で糸を引いていたのが万斉なれば当然である。
「野郎のことだ。大方おめぇに前夜祭をやらせて、日付が変わる時分に真打登場とでも洒落込むつもりなんだろうぜ。馬鹿だからな、アレは」
「・・・そんなっ!」
こんなに緊張したのに。
そして、こんなに楽しみにしていたのに。
「酷いよ・・・・」
泣きたくなった。
「情けねぇツラしてんじゃねぇよ人斬り似蔵」
顎を掴まれ、俯いた顔を無理矢理上げさせられた。
「てめぇは俺の誕生日を祝いたかったんだろうが?」
「うん・・・そうだけど・・・・でも」
一日早い誕生日など、間抜け以外の何物でもない。
「それはてめぇの意思か?それとも万斉の野郎にけしかけられたからか?」
「ば・・・万斉なんか関係ないよ!俺が祝いたかったんだよっ!万斉から聞くまで知らなかったのは悪かったけど!・・・でも、祝いたいと思ったのは俺だよぉ」
万斉から聞かされるまで、高杉の誕生日を知らなかったのは事実だ。しかし、聞いた瞬間祝いたいと思ったのもまた似蔵の真実だ。
「だったらいいじゃねぇか」
「え?」
「一日早ぇとか遅ぇとか、そんなモンてぇしたことじゃぁあるめぇよ。大体俺ぁもう誕生日だの何だのと騒ぐ年でもねぇよ」
高杉は似蔵から渡された酒瓶を指先でツと撫でる。ツンと鼻に抜ける香りと、スッキリとした飲み口、そして微かにほろ苦い後味の清酒。決して値の張る高級酒ではないが、隠れた銘酒だと高杉は思っている。
(気障な野郎だ・・・)
敢えて9日の夕餉前に、似蔵にこれを持たせる万斉の計算高さに唇を歪める。
高杉は万斉と似蔵の関係を知っている。詮索するまでもなく、万斉に隠す気がまるでないのだから嫌でもそれと知れるというものだ。
知ったところで、高杉はそれを良いとも悪いとも思わなかった。そもそも色事など、善悪正邪で語るものではないのだ。
『晋介は悋気の一つもしてくれなんだか?』
ふやけた睦言をほざく男を蹴飛ばしてやったのはいつであったか。
「こいつぁイイ酒だ。おめぇに似てるな」
「え・・・?」
「気にすんな、独り言だ」
らしくもない台詞を吐いた己に、高杉は独特の歪んだ嗤いを煙管を咥えた唇のひらめかせる。似蔵を見ていると、高杉は懐かしさと同時に苦々しい思いを禁じえないのだ。
盲目的に己を信じ、崇拝し、挙句は高杉のために死にたいなどと本気の目でほざく輩。
そうしたタイプの人間を配下に持つのは、初めてではない。むしろかつて攘夷戦争を共にした旧鬼兵隊の男達は、程度の差こそあれ皆が年若い少年総督に傾倒していた。
『貴方はいつの日か、たくさんの人に慕われることでしょう。時にそれが重荷となるやもしれませぬが、それが貴方の、力を持って生まれた人間の宿命です』
かつて誰よりも敬愛した師が語った。そして師の預言は見事に的中した。高杉は多くの人間に慕われ崇められ、彼らを失くして雁字搦めになったのだから。
『人を惹き付けずにはおられぬ力。それはおまえの強みだ』
そう力強く説いた長い髪の幼馴染。
(てめぇこそ、誰からも慕われてやがったくせによぉ)
彼は今も大勢の部下や仲間に囲まれ、時に激しく脱線しながらも日々を精力的に生きている。
『晋ちゃんも大変だよねぇ、いろいろとさ』
やる気のない顔で、同情しているとも小馬鹿にしているとも取れる声で言った銀髪の幼馴染。
(そういうてめぇが今も面倒背負い込んで生きてやがるくせによぉ)
重荷は二度と背負いたくねぇなどと嘯きながら、今も彼の周りは『大事なモノ』『守りたいモノ』で満ち溢れている。
『なぁ晋坊。晋坊はしんどくないがか?辛ぅないがか?無理ばかりしちょったらいかんぜよ』
大きな身体で高杉を後ろから抱きしめ、自分の方が苦しそうな声で囁いた黒モジャの男。
(いつも無理して、泣きてぇ時にも馬鹿笑いしてたのはてめぇだろうが)
人に無理をするなと言いながら、自分はどんな時も笑っていた男は、今も広い宇宙のど真ん中で大きな口を開けて笑っている。
「死に急いだって、イイコトなんか何ンもねぇぜ?」
「高杉さん?」
高杉の思考に置いてきぼりにされた似蔵が戸惑う。こんな時側にいるのが万斉であれば、全てを察し『今晋介の隣にいるのは拙者でござる』と接吻の一つも落とすところだが、似蔵には一生無理な芸当である。
「どうしたんだい?高杉さん?」
ただただ不安そうに、捨てられた子犬のように見えぬ目で高杉の様子を伺う事しか出来ない。
「何でもねぇよ。それより酒だ。せっかくだ、てめぇも付き合えや」
「俺でいいのかい?」
高杉と二人きり、差し向かいで飲める機会などそうそうない。嬉しくないなどとは口が裂けても言えぬのだが、似蔵の頭にはあの性質の悪い青年の匂いが渦巻いている。
「ったく、てめぇは誰に遠慮してやがる?」
「・・・河上・・さん」
「馬鹿かてめぇ」
似蔵は高杉と万斉の関係に遠慮し、高杉の前では万斉を『河上さん』と呼ぶ。その辺りからして高杉には失笑ものなのだ。
「馬鹿・・・だよねぇ・・・やっぱり河上さん呼んだほうが・・・・・」
「そういう意味じゃねぇよ阿呆。だいたい野郎ならわざわざ呼びつけなくても、時間になりゃぁ勝手に出てきて好き勝手すんだから放っとけ」
そう言い放ち、高杉は用意した猪口に直接酒瓶から酒を注ぎ、一つを自分の前に、もう一つを似蔵の前に置いた。
「飲め」
「あ・・はい」
置かれた猪口を手探ることなしに取る。仄かに漂う香りも、似蔵にとっては間違いようのない存在の印なのだ。
「美味いか?」
「はい・・・」
含んだ酒は、なるほど高杉のお気に入りだと万斉が請け負っただけあって、洗練された旨味があった。似蔵が好んで飲むドロ臭い芋焼酎とは違う。やはり生まれ育ちからして、自分のような野良犬とは雲泥の差なのだと思い知る。
「おまえ、確か土佐のうまれだったなぁ。あそこの芋焼酎はクセは強ぇがなかなかイケる」
「え?高杉さんがあんなモンを?」
「おいおう、何驚いてやがる?俺が芋焼酎やら濁酒飲んだらいけねぇか?」
「い、いや、どんないけないなんてこたぁ・・・ただ、高杉さんらしくないねぇと――」
「俺らしい?おめぇは俺を宮中のお姫さんかなんかと思ってんのか?」
揶揄されて似蔵は言葉に詰まる。姫君とは流石に思わぬが、彼が高貴な空気を纏っていることは確かなのだ。
「安酒も喰らえば男とも寝る。俺ぁそういう男だぜぇ?」
だから、馬鹿げた夢みて捧げるだぁなんだぁ言ってんじゃねぇ。んなもん嬉しくもなんともねぇ。重てぇだけなんだよ。
言葉にせずにそう付け加えた。
「高杉さん・・・・そのコトなんだけどねぇ」
万斉との関係を仄めかす高杉に、似蔵はいつかは言わねばと思っていたことを伝えるべく、覚悟を決めて口を開いた。
「ごめんよ高杉さん、本当にごめんよぉ」
猪口を置き、畳みに額を擦り付けて詫びた。
「あぁ?てめ、いきなり何だよ?意味わかんねぇよ」
唐突な似蔵の行動に、珍しくも高杉が動揺した。
基本的に似蔵の言動は先が読みやすく、その扱いは万斉などに比べれば幼子をあやすかのように容易いのだが、この謝罪の意味は図りかねる。
「その・・・万、いや河上さんのコト・・・・」
「万斉のコト?」
そう言われてもまだ高杉にはわからない。自分は何か謝られるようなことをされただろうか?
「俺はその・・・俺が、河上さんと・・・・そういう関係になっちまって・・・・だから」
「何でおめぇが謝ンだ?」
「だって、河上さんは高杉さんの・・・・じゃぁないか」
「万斉が俺の何だって?」
煮えきらぬ似蔵の物言いに、元来気の短い高杉の目が剣呑に眇められる。
「いやあの・・・高杉さんの『いい人』じゃぁ――」
「ああぁぁぁっっん?!」
「ひ――!」
高杉に襟首を締め上げられた似蔵が情けない声をあげた。
「誰が誰の『いい人』だこら?!」
「え・・・河上さんと高杉さんは・・・そういうアレじゃぁ・・・・」
「野郎が何をほざいてるか知らねぇがなぁ、俺と野郎は時々寝てるだけの付き合いだ。それ以上でもそれ以下でもねぇ!」
世間一般では、それを『いい人』と呼ぶのではなかろうか?
「別に、野郎が特別なワケじゃねぇよ・・・俺ぁ気が向きゃぁおめぇとだって寝るぜ、似蔵?」
「!!!!!?!??!?」
驚きのあまり、声すらも出ない似蔵に、高杉はほとほと呆れ返る。身体を重ねただけで『いい人』だの『特別な関係』だのと、冗談ごとではない。
「お・・・・俺とって・・・・・っっ」
「おめぇはどっちがしたいんだ?俺を掘りてぇのか?それとも俺に掘られてぇのか?」
「ち・・・違う・・・・俺はそんな」
「へぇ?万斉が悦すぎて俺の身体なんざ魅力がねぇってかい?」
ヘタヘタと腰を抜かしている似蔵を、高杉は面白半分に嬲り始める。
「違う・・・俺ぁ河上さんがどうこうなんてこれっぽっちも・・・・」
「へぇ?つまりおめぇは野郎に泣く泣く手篭めにされちまったてぇわけかい?その図体で情けねぇ野郎だ」
「それは・・・」
図星過ぎて返す言葉もなかった。傷んだ身体で万斉に手向かうことあたわぬとしても、陵辱されるくらいならば死を選ぶことはできたはずだ。それをすることもなく、助けられ世話になっている義理があるからと、諦観から来る無抵抗で相手を受け入れているのは他ならぬ己なのだ。
「万斉が好きなら好きでかまわねぇ。ヤりたい時にヤりゃぁいい。女子供じゃあるめぇし、男がそんな下らねぇコトでゴタスタ抜かすかってんだ。それとも何か?俺の男を寝取って申し訳なぇなんざ殊勝そうなこと抜かしやがって、本当は俺が万斉と寝るのが気にくわねぇってか?」
「高杉さん・・・・・っ」
再び図星をつかれ、似蔵は見えぬ目を見開いた。高杉は勘が良い。良過ぎるのだ。他人になぞ無関心だという風を装いながら、人の内側を底の底まで見透かす能力に長けている。かつて彼のその眼力の前で裸にされた伊藤鴨太郎などは、高い矜持も相まって顔面蒼白の体を晒したものだ。
「・・・高杉さんがどこの誰と何をしても、俺に四の五の言う権利なんかないさね」
万斉が高杉を抱くことを、無論似蔵は快く思ってはいない。高杉はそうした俗な対象であってはならぬのだ。
「あーもうぅめんどうくせぇな、おめぇは」
「痛っ」
高杉は似蔵の整えられた前髪を無造作に鷲掴んだ。
「権利とかどーとか関係ねぇだろうが。嫌なもんは嫌だって言やぁいいじゃねぇか。通るかどーかは別として、言うだきゃぁタダなんだからよ」
酷く乱暴だが、高杉の言っていることは間違ってはいない。
「何が嫌なのか、はっきり言ってみやがれ」
「・・・・・・・・・高杉さんが、河上さんに抱かれるのは、嫌だよ」
「何が気喰わねぇ?」
「・・・・・・・高杉さんが・・・・汚れちまうから」
「へ、汚れるたぁ傑作だな?人斬りが生娘みてぇなこと言いやがって。で、万斉にとってかわって、おめぇが俺を抱きてぇのか?抱かれてぇって選択肢も、特別に許可してやらぁ」
「・・・・わかんないよ」
「わかんねぇだぁ?てめぇのコトがてめぇでわかんねぇってなどういうこった?」
「・・・・・・・・・・ごめんよぉ・・・本当にわかんないんだよ」
責められても締め上げられても、真実分からないものはどうしようもなく、また似蔵にとってそれは適当な嘘で誤魔化して良い問題ではなかった。
高杉をどうしたいのか。
高杉にどうされたいのか。
高杉とどうなりたいのか。
似蔵にはさっぱり分からない。
彼にわかることはただ一つ。
「でも、俺は高杉さんの役に立ちたいんだ。高杉さんのために生きて、高杉さんのために死にたいんだ」
「・・・・・・・どうしようもねぇ犬っコロだよ、おめぇは」
似蔵を締め上げていた高杉の手から力が抜けた。
『俺ら総督の命令ならなんだってやります!』『お役に立ちたいんです総督!』『俺らに死ねって言ってください!』
若々しい声が、記憶の中で口々に叫ぶ。それは呪詛だ。純粋で穢れなき思いで高杉の魂に刻印された、死ぬまで消えぬ呪印だ。
「似蔵、命令だ。今日は俺とココで飯を食ってけ」
「いんですかい?俺ぁ――」
「命令だと言った」
似蔵の遠慮を高杉は一刀両断にしてのけた。盲目な上、あちこち欠けて傷んだ似蔵がお行儀の良くキレイに食べられぬことなど、言われなくとも分かっている。
「それから、万斉の野郎がノコノコ面ぁ出しゃあがったら、取りあえず一発ケツに蹴り入れてやれや。俺が許す」
「喜んでっ!!」
似蔵の返事はとてつもなく早く、歯切れが良かった。