「なぁ・・・ダービー・・・」
「何だい?ホル・ホース」
物問いたげな視線を至近距離から投げかけてくるホル・ホースに、ダニエルは動じることなく板チョコをポリポリと齧りながら答える。

「さっきのことなんだが、ありゃぁちぃとばかしテレンスが可哀想じゃぁねぇか?」
最初に断っておくが、ホル・ホースはテレンスに何ら特別な感情を持っているわけではまったくもってない。テレンスなど彼にしてみれば、いつもいつもいいところでギャンギャンと喚き散らし邪魔をしてくる厄介なおガキ様に過ぎないのだ。
しかし、それでも先のダニエルのやり様は些か酷に過ぎるように思える。自分を唯ひたすらに慕ってくる(その慕い方は物凄く異常だが)実弟の心を弄ぶその様は、まるで手練手管に長けた商売女のようではないか。

「ほぉ?おまえがテレンスに気があるとは知らなかったな。私ならば構わん。大いに弟との恋を楽しむといい」
「いや、俺そういう趣味ねぇから」
優雅にグラスを傾けながらとんでもなく恐ろしいことをサラリと口にするダニエルに、ホル・ホースは本気で拒否の意を示した。テレンスはからかう分にはたいへん面白い男だが、恋のお相手としては甚だ不適切である。あの細長い若造が、夜毎自分を象った人形に跨って腰を振っているところを想像するのはゾッとしない。
そもそもホル・ホースは竹を割ったようなわかりやすい女好きであり、女性からも大層モテるのだ。何が楽しくてゴツゴツとした体臭のきつい男など抱かねばならんのか。

(・・・まぁ、あいつならギリギリいーかもしんねぇけど)
ホル・ホースの脳裏をふと盲目の青年の涼しげな面影が過ぎった。

「ふむ、だが気味は随分とンドゥールにご執心のようではないかね?」
「ぶぅっっ」
心を読まれたとしか思えぬタイミングで核心を突かれ、ホル・ホースはバーボンを盛大に吹いた。

「なっ?!何だよ!そんなんじゃねぇって!!ただ俺はアイツが・・・・」
「彼がどうだと言うのだね?」
「あぁ〜アイツがだな・・・・」
話せば話すほどドツボにはまっていく気がするのは何故だろう?

「アイツがだっ!気になるんだよっ!なんつーか、危なっかしくて放っておけねぇってアレでよぉ・・・・」
語尾が小さくなるのは、ンドゥールの操る『ゲブ神』の恐ろしさを知っているからだ。『ゲブ神』は強い。はっきり言って、サシの勝負で勝てる気がしない相手の一人だ。
だが、今ここでホル・ホースが口にした『危なっかしさ』というのは、そういった意味合いのことではなく、もっと人として根本的な日常レベルでのことだ。盲目故の不自由も多少あるだろうが、彼の持つ妥協のない -できない- 純粋さこそが危ういとホル・ホースは踏んでいる。
いつかその純粋さゆえに追い詰められ雁字搦めになってしまうのではないか?そしてそんなになってなお助けを求めることが出来ず、失血死するまで血を流し続けるのではないか?
何故赤の他人である自分が、あの盲目のスタンド使いにそこまで思いを馳せてしまうのか、それはホル・ホース自身にもわからなかったが、ダニエルに言わせると『他人に特別な好意を持つということは、つまりそういうことさ』ということになるらしい。

「その気持ち、私もわからなくはないよ。年下の危うい子供というのは愛しいものだ」
「あぁ、あんたの弟は飛びっきりにアブねぇもんな」
「テレンスもンドゥールも私から見れば可愛いよ」
しれっと弟馬鹿発言をかまし、ダニエルはコニャックを舌の上で転がした。芳醇な香りが鼻に抜ける感覚が心地良い。

「その可愛い可愛い弟気味にアノ仕打たぁ、どSかアンタ?」
「私も若干心が痛んだが、もう一人の”愛しい者”の頼みとあらば仕方あるまい?」
「あ?」
誰だよそれ?とホル・ホースが言葉を続けようとしたその時、静かに扉が開いた。

「やぁ、ンドゥール。君も飲むかね?」
気障にグラスを掲げて声を掛けるダニエルに、ンドゥールは短く『結構』とだけ答えた。常に感覚を研ぎ澄ませていなければならぬ彼は、日頃からあまり酒を好まない。それを知るダニエルもそれ以上しつこく勧めるような無粋な真似はしない。ダニエル・J・ダービーは凄腕の博打打であると同時に洗練された優雅な大人なのだ。

「何だよ?バーに昼間から入ってきて酒飲まねぇでどーすんだっつーの?それても何か?ボーヤはガムシロたっぷりのアイスミルクが欲しいってかぁ?」
洗練されていない駄目中年がここぞとばかりにンドゥールの肩を抱き、聞き様によっては微妙に下ネタな絡み方をする。
ダニエルとホル・ホース。これだけ対極のタイプでありながら、同じ程女性にモテるのだから、この世は科学では説明のつかない不思議に満ちている。

「それも結構だ」
対するンドゥールは素っ気無い。この程度のからかいに一々声を荒げていては、この館では生活できないのだ。

「では、アイス・ティーはどうかな?確か君はアール・グレィのストレートが好きだったと思うが・・・・たまには趣向を変えてライムでも添えようか?」
「それはいいな。頂こう」
コツコツと杖をつきながら、ンドゥールはカウンター・シートの一番端に腰掛けた。

「おいおい何だよぉ〜?ダービーの紅茶は飲めて俺様のミルクは飲めねぇってかぁ〜??」
聞き様によらず下ネタだ。

「酔っているのか?ホル・ホース?」
宴席で弾けすぎた係長のような絡み方をしてくるホル・ホースを、ンドゥールは心底うっとうしそうに追い払う。ラバーソールやダンのおかげで、この程度の下ネタは、もはやンドゥールの心に僅かな波紋すら起こさない。

「上手くいったようだな」
ダニエルから受け取ったアイス・ティーを一口含み、ンドゥールは質問ではなく確認のための言葉を口にした。

「ああ。思った以上に簡単だったよ。ここに来る途中テレンスに会ったのかね?」
「・・・・全速力で走りながらスキップしていたぞ。おまえの弟は器用な男だな」
「いや、それ浮かれすぎだろ」
たかだか兄貴にお使い(しかもどう考えてもイジメとしか思えない)頼まれて、底までハイになれる21歳。ホル・ホースは何だかとても可哀想な気持ちになった。

「では、早速だが明日にでも約束を果たしてもらおうか?」
「・・・・・・・・仕方あるまい。約束だからな」
楽しそうに笑うダニエルに、言葉通り仕方ないといった風情でンドゥールは頷いた。

「なぁ・・・おめーらさっきから『上手くいった』だの『簡単だった』だの『約束』だのって、何の話してんだよ?俺ぁ話が全然見えてねーんだけどよ」
一人蚊帳の外にされたホル・ホースが面白くなさそうに声を上げた。基本的に賑やかなことの好きな彼は、仲間外れにされるのが大嫌いだ。この館で一番親しい友人のダニエルと、今一番気になる相手のンドゥールに目の前でそれをやられるのは、非常に気に食わない。

「私と彼はちょっとした賭けをしたのだよ。そしていつもどおり私が勝った。それだけのことさ」
「って、それでわかるわけねぇーだろ!俺は超能力者じゃねぇーんだからよ」
「では君にも理解できるように噛み砕いて説明するとしようか」
「アンタら兄弟友達少ねぇーだろ?」
マジムカツクと、ホル・ホースはバーボンをグイと煽った。

「テレンスを一週間以上彼から隔離すれば私の勝ち。彼は私とディナーを共にする。もし万が一私がテレンスを追い出せなければ私の負け。私は一週間彼に近づけない。当然勝ったのは私だがね」
事情は飲み込めたが、どちらにどう転んでも随分とンドゥールに分のいい賭けである。

「・・・・なるほど。それでわざわざ日本までチョコ買いに行かせたってぇわけかい・・・・しかも塩味のチョコって、あるのかそんなもん?」
「さぁ」
「鬼だな、アンタ」
気になる同性と一夜のディナーを楽しむために、ありもしない幻のチョコを実弟に海を越えて買いに行かせる兄。確かに鬼兄だ。

「アレのことだ。メーカーの製菓責任者の身内を人形に閉じ込めて脅迫するくらいのことはするかもしれんな。あるいは意地になって自分で作るか・・・・・まぁいずれにせよ一週間どころか二週間くらいは帰って来んだろう。どうだね?これで満足したかい、ンドゥール?」
凶悪なコトを世間話のようにツラツラと並べ立て、自信たっぷりな笑顔をンドゥールに向けるダニエルに、ホル・ホースは溜息を吐いた。
このチョビ髭の皮肉屋が女にモテる理由が彼にはとても良くわかる。『誠実で優しい男が好き』と言いながら、その舌の根も乾かぬうちにアブナイ空気といかがわしい色気を持つ男に子宮を疼かせるのが女という生き物なのだ。

「とりあえずは礼を言う」
複雑な表情をしながらも、ンドゥールはダニエルに向かって小さく頭を下げた。余程テレンスのしつこさと異常さと気色悪い変態っぷりに閉口していたのだろう。

「で、ダービー。夕飯はどこに食いに行くんだ?タイ着用か?」
「私は君を招待した覚えはないのだが?」
同伴する気満々のホル・ホースにダニエルは冷たい視線を投げつけた。可愛い弟を犠牲にしてまで手に入れたンドゥールと二人きりのディナーを、この頭の軽い種馬に邪魔されるのはごめんだった。

「だってなぁ?ンドゥールもこのオッサンと密室で2人きりなんてオッカねぇだろ?」
「密室?何の話だ?」
唐突に話を振られたンドゥールが首を傾げる。ダニエルと2人きりのディナーなど気が重いことこの上もないが、それは何も相手がダニエルだからではない。盲目のハンデをあらかた乗り越えて日常生活を営んでいる彼だが、やはりフォーマルな席でのディナーは荷が重い。粗相を仕出かさないように、見苦しくならないようにと気を遣い、終わってみれば何を食べたかもロクに覚えていないと言った有様なのだ。もっとも、仮に目が見えていたとしても、手掴みのパンを齧り薄いスープを啜って育った彼にとってテーブル・マナーは苦手分野であったに違いない。

「この助平オヤジのこった。可愛い弟ダシにしてまでゲットしたおまえさんとのディナー、リザーブ個室くらいの気合は入れてくんに決まってんだろーが?」
「そうなのか?」
「前半部分は否定させてもらうが、後半に関してはYESだ。君はその方が落ち着いて食事を楽しめるだろう?」
「あぁ・・・そうだな」
不特定多数の人間の前で、皿の上の料理をナイフとフォークで探りながら食べる無様な姿を晒すのは不快だった。

「おい、おまえさんホントにわかってんのか?個室ってことは2人きりなんだぜ?キャンドルかなんかで無駄にムード出したデカイ鏡とかあるエロっぽい部屋で、そのオッサンと密室で密着なんだぜ?良く考えろ?いろいろヤベェだろ??」
「君はレストランの個室を何か勘違いしているんじゃぁないか?」
「だって、俺が普段女と行く”個室”ってそんなんだぜ?」
「君と同じにしないでもらおう。大丈夫、何も心配しなくてもいい。服装もいつものままでかまわない。気楽な店を選ぶから安心してくれたまえ」
紳士的に話しかけながら、ダニエルはンドゥールの肩にさり気なく触れる。ホル・ホースも感心するほどこの辺りは上手い。

「・・・・わかった。細かいことはおまえに任せる。俺は約束を果たすだけだ」
「GOOD」
「チェ」
不安と憮然を無表情の下に押し隠したンドゥールと、満足の笑みに頬を緩めたダービー。そして不貞腐れたようにそっぽを向いて手酌でバーボンを煽るホル・ホース。三者三様の表情でこの賭けは一先ず幕を下ろした。