あちこちに大きな血の染みが滲んだシーツ。鮮血で染め上げられた血なまぐさいバスタオル。そのベッド横たわる全裸の男。

(世間じゃこういうのを『猟奇』とかって言うんだろうが・・・)
凄惨な現場を前に、ホル・ホースはおもむろに煙草を咥え火をつけた。

(美味ぇ)
ハバナ産の最高級葉巻にも勝る至福の煙が肺を満たす。
疲労・達成感・安堵。
ない混ぜになったそれらの要素が、ホル・ホースに脱力系の多幸感を与えていた。

「済んだのか?」
ホル・ホースと目を合わせぬまま、確認するようにデーボは尋ねた。その身体には今やきっちりと包帯が巻かれていたが、既に所々血が滲み出しているのが痛々しい。

「ああ。終わった。ゆっくり休め」
「休め、だ?馬鹿言ってんじゃねぇよ」
全身の痛みに顔を歪めながら、デーボは身体を起こしてホル・ホースに抗議した。

「手当てが終わったんなら長居は無用だ」
「おいっ!無茶すんなっっ!」
ベッドから降りようとするデーボをホル・ホースは慌てて止めた。洗浄・消毒後にガーゼを当てて包帯を巻くだけの極めて簡単な応急処置だ。無理に動き回れば傷が開く・・・ことは彼の場合ないやもしれぬが、おかしな具合に歪んだ状態で癒着してしまう可能性はすこぶる高いだろう。

「まだ動くんじゃぁない。寝てろ」
「もう動ける」
「動けても動くな。これから熱が出て塞がるんだろうが?だったら塞がってから動け。つーか、熱が出るってわかってんならますます寝てねぇと駄目だろうが普通」
「車なら問題ねぇよ」
「そりゃぁ・・・・」
デーボの言うことには一理ある。どうせ解熱剤も鎮痛剤も効かぬ身体だ。ベッドの上で発熱しようが車のシートにもたれて発熱しようが大差ないのかもしれない。
だが、

「駄目だ」
あの乗り心地最悪な車の座り心地最低なシートの上で発熱などしたら、苦しさも嘔吐感も倍増するに決まっている。

「熱が下がって傷口が安定するまではここで『休憩』だ」
「とんだお節介野郎だ」
「ああそうさ。お節介ついでだ、髪と身体拭いてやるからじっとしてろ」
「いらねぇ世話焼いてんじゃねぇよ」
「血と汗の臭いプンプンさせやがって、俺のが酔いそうだ」
憎まれ口を叩きながら、ホル・ホースは手際よく蒸しタオルを用意する。口八丁手八丁とは彼のような男のことを言うのだろう。

「熱くねぇな?」
返事を期待することもなく尋ね、これまた手際よく大雑把に褐色の肌にこびりついた血と薄っすら滲んだままの汗を拭き取ってやる。

(温けぇ)
強がってはみたものの、疲れきった身体に宛がわれる蒸しタオルはどうにも心地よく、デーボは強く抗えなかった

(・・・・っ)
ホル・ホースの手が性器に触れた刹那、瞬デーボは腰を引きかけたがすぐにまた力を抜いた。
不思議なほど嫌悪感も警戒心も湧かなかった。
ぞんざいと言える手つきで身体を清めていくホル・ホースの手には性的ないやらしさがまるでなく、純粋に心地良い。そうかと思えば

「デケェな。負けたぜ。ま、技と場数じゃ絶対ぇ負けてねぇから悔しかねぇーけどよ」
そんな軽薄な台詞をスルリと口にする。

「タラシが人のナニ見て楽しいか?」
「本当の勝負はデカくした時のサイズだぜ」
「聞いてねぇな・・・」
デーボは諦めたように呟き目を閉じた。
動こうと思えば動けぬこともない。だがホル・ホースを押し切って行動するだけ気力・体力が湧いてこないのもまた事実だ。
身体が重い。ダルイ。熱い。

「少し眠る」
「その前に水だけでも飲んどけ」
嘔吐と発熱で脱水症状でもおこされてはかなわぬと、ホル・ホースは半ば骨董品となりつつある冷蔵庫から峰ラリうウォーターのボトルを一本取り出し、キャップを外してデーボに手渡した。

「・・・・あぁ」
デーボは少しの間手にしたボトルを見つめていたが、拒む素振りは見せず素直に水を口にした。

(美味ぇ)
最初の一口がデーボに強烈な喉の渇きを自覚させた。銘柄も賞味期限も怪しいそれを、デーボは軽くむせながら喉を鳴らして飲み干した。

「寝れそうか?」
「寝る」
簡潔に宣言したデーボの腹に、ホル・ホースは二本目の煙草を咥えながらシーツをかけてやった。
これで暫くはデーボも自分も休めるだろう。

「ふぁ・・・」
煙草をくゆらせたホル・ホースの口から小さな欠伸が漏れた。






「う・・・・ヴぁぁ・・・・あ・・・・っっ・・・・っあぁ・がぁぁぁぁっ・・・・っっ」
知らぬ間にまどろんでいたホル・ホースの意識は押し殺されたデーボの悲鳴によって破られた。

「どうした?」
眠気覚めやらぬ目を擦りながらデーボを見やれば、うつ伏せの状態で瞳を閉ざしたまま呻き声を上げ続けている。

「デーボ?」
悪夢にうなされてでもいるのかと、無傷の肩にそっと手を触れれば。

「マジかよ」
人の身体とは思えぬ熱さに思わず手を引いた。
確かに発熱するとは聞いていたが、こうも凄まじい高熱を発するとは予想外だった。

「ちょいと熱出してすぐ治るみてぇな言い方しやがって」
罵りながらデーボの額に掌を当てる。

「40度超えてんなこりゃぁ」
無理にでも解熱剤を飲ませておくべきだったと後悔する。ほとんど効かなくとも、気休め以下であっても、何もしないよりは良いに決まっている。

「・・・・・・ん・・・」
額に触れる掌の冷たさに誘われるように、デーボは薄く目を開いた。

「デーボ、わかるか?俺だ」
「・・・・・・はっ・・・・・・うぅ・・・っ」
「おいっ!?」
焦点を結ぶことなく再び閉じられた瞳にホル・ホースは焦った。

「しっかりしろっ!!目ぇ開けろ!こんなトコで死ぬんじゃねぇぇぇ!!」
相手が怪我人であることも忘れ、ホル・ホースは無我夢中でデーボの身体を揺すぶった。

「・・・・・っ・・・・痛ぇ・・・っ・・・・・」
「デーボっ!」
「・・・う・・・・っ・・・・せぇ・・・・・・バカ・・・・・・」
デーボは生理的な涙で潤んだ瞳にぼんやりとホル・ホースの姿を映し、途切れがちな意識の中でそれでも懸命に悪態を吐いた。こうなるともう単に口が悪いという話ではなく、虚勢を張ることが本能レベルで刷り込まれているとしか思えない。

「てめぇ・・・こんなんなるなんて聞いてねぇぞ俺は。とにかく薬飲んどけ」
「・・・く・・すり・・・?」
「そうだ。効かなくてもマジナイくらいにはなるだろうさ」
ホル・ホースは冷蔵庫から二本目のミネラル・ウォーターのボトルを取り出し、有無を言わさずデーボの口をこじ開け解熱剤を含ませた。。

「飲め・・・・って、おい!」
大分温くなってしまったミネラル・ウォーターのボトルをデーボの唇に宛がい傾けてやったが、注がれた水は飲み下されることなく深い創傷を刻む唇の端を伝って枕に染みを作るだけだった。

「やべぇだろ」
飲まないのではなく飲めないのだ。薬はともかくとして、この状態で水分を摂取させずに放置するのは危険である。

「仕方ねぇ」
ホル・ホースはデーボの身体を仰向けに抱え直し、水を一口含んで覆い被さった。

「・・・・・・・・ぁ・・・ふぅ・・・っ・・・」
喘ぎの形に開いたデーボの唇に自らのそれを押し付け、噎せぬようゆっくりと水を流し込む。
ゴクリ。
デーボの喉がゆっくりと上下に動いた。

「よし、いいぜ」
再び水を口に含み、深く接吻るようにしてデーボの体内に水分を送り込む。
コクン。

「んぁ・・・・・」・
一度目よりも大分スムーズに水を受け入れると、デーボは半ば無意識に唇を開いて『もっと』と強請った。

(コレが美女だったら色っぽいのによぉ)
ホル・ホースの不埒な思惑をよそに、デーボの唇は水を求めて微かな開閉を繰り返す。

「焦って咽んなよ」
これならば大丈夫だろうと、ホル・ホースは先よりも大目に水を含み接吻けた。

「・・・んっ・・・・・ん・・・・」
(おいおい餌付けされる雛かよ)
三度目の口移しに、デーボは恋人からの接吻を待ちわびていた女のように自ら吸い付き、潤いを求めて舌を差し出した。

(参ったなこりゃ)
異様な熱を帯びた熱い舌を咥内に受け入れながら、ホル・ホースは凶悪な人相の大男の見せる幼い仕草と、それを少しだけいじらしく可愛いと思ってしまった自分に苦笑する。

(こいつ、幾つくらいなんだろうな)
デーボを元通りうつ伏せに寝かせてやりながら、この男は存外若いのかもしれぬと思う。

「うぁ・・・ぁ・・・・・はぁ・・っ」
苦痛に身を捩る姿が酷く哀れに見えた。
仕事と能力の性質上やむをえぬことであり、彼自身の所業を思えば同情など的外れも良いところだが、仕事のたびにこうして一人痛みに呻いてきたのかと思うと何故か息苦しい。

「痛むか?」
「・・・・・・・・・・痛・・・ぇ・・・・・」
高熱による思考の麻痺が、デーボをいくらか素直にしていた。

「俺ぁ何をしたらいい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
無言のままホル・ホースを見つめ、デーボはわからないというように微かに首を左右に振った。まともに看病された記憶などほとんどないデーボにはそうするしかなかった。

「あぁ・・・じゃぁとりあえず頭冷やすか。水飲みたくなったら言えよ」
「っ・・・」
どのようにして水を与えられたか思い出し、デーボは顔をしかめた。わかりにくいがそれは嫌悪ではなく彼なりの照れであった。

「氷もらってくるから大人しく寝てろよ」
「待・・・・て」
デーボの手が立ち上がりかけたホル・ホースのズボンを掴んでいた。

「どうした?」
「・・・・・・・っ・・・・」
怪訝そうなホル・ホースに顔を覗き込まれ、デーボは唇を噛んだ。

(俺は・・・・俺・・・は・・・)
何を言うつもりだったのか。何が言いたかったのか。
ともすれば手放しそうになる曖昧な意識と、既に思考力の蕩けた頭で考えたところで答えなど出るはずもない。

「すぐ戻る」
母に置いて行かれる幼子のようなデーボの不安を汲み取り、ホル・ホースはメッシュ・グローブをしたままの右手を一度強く握ってやった。グローブ越しにもケロイド状に酷く爛れた皮膚の感触がはっきりと伝わってきた。

「ここまで付き合ったんだ。置いてきゃしねぇから心配すんな」
そう言って笑うホル・ホースの顔には、女たちを惹き付けてやまぬ独特の表情が浮かんでいた。

(変な・・・・野郎)
何故この男はこうも自分に構うのか?
途切れ乱れる思考の中で、デーボはぼんやりとお節介な同業者のことを考える。

ブツブツ言いながらも、なるべく痛みが無いようにと気遣いながら傷の手当をした男。
自分はこの程度の痛みなどすっかり慣れっこだというのに。

死ぬだのなんだのと大騒ぎしながら、よりにもよって口移しで水を飲ませた男。
これしきの傷で死ぬわけもないというのに。

そして商売女ですら極力触れたがらない、皮膚どころか肉までも崩れた手を普通に握っている男。
意味がわからない。
意味が分からないのに、そうされていると酷く安心する。

(胸糞悪ぃ)
わけのわからない男も。
そんな男にわけもわからないまま縋っている自分も。
耐えられぬ痛みではない。耐えられぬ痛みなどない。
悲鳴を上げ血反吐を吐き涙を流しながら、ずっと一人で耐えてきたのだ。
なのに―

「冷やしゃちっとは楽になるぜ?」
離れようとする手を反射的に握っていた。

「大丈夫だ」
耳元で囁かれる声。額に落とされたキス。
デーボの手から力が抜けた。






目を開けると、そこには知り合ってまだ日の浅い男のハンサムな顔があった。
色素の薄い金髪。血色の良い肌。その閉じられた瞳が深みのある青であることをデーボは知っている。

「冷てぇ・・・」
額だけでなく脇下と鼠径部にも当てられた即席の氷嚢の中身は既にあらかた溶けていたが、熱で火照った肌には充分心地良い。
ここに運び込まれてからどのくらいの時間だ経っているのか正確にはわからなかったが、傷の回復具合からいって5時間かそこいらだろうと見当をつける。

「痛っ・・・」
試しに身体を動かしてみれば、節々が軋んだが動けぬほどではない。むしろいつもより随分と回復が早いように思えた。

(こいつのおかげってワケか)
自分の横たわるベッドに突っ伏して惰眠を貪る緊張感のない同業者を横目で見る。面倒見の良いこの男は実に細々とデーボの世話を焼いた。女に対してマメであることは短く薄い付き合いの中で何となく知っていたが、それが同業の男にまで及んだことにデーボは些か驚きと戸惑いを感じていた。

(にしてもこの野郎は・・・)
握られたままの右手にデーボはらしくもなく顔を赤らめた。
朦朧とする意識の中で、何かに必死で縋りついた記憶は遺憾ながら確かに残っている。その『何か』がホル・ホースの手であったことも、正直覚えていないわけではない。
だからといって、

(手ぇ繋いで寝るこたぁねぇだろうが)
いい年をした男二人が安モーテルで何をしているのかと問いただしたい。この気恥ずかしさに比べれば、今現在自分が丸裸であることなど取るに足りないことだ。

(起きんじゃねぇぞ。絶対ぇ起きんじゃねぇからな)
細心の注意を払ってホル・ホースと自分の手を離しにかかる。この状態のままホル・ホースが目覚めることだけは是が非でも避けたい。

「・・・・目ぇ醒めたのか」
「ああ・・・(間に合った)」
デーボが手を離し何事もなかったかのようにシーツを被り直して数分。寝起き特有の少し掠れた声でホル・ホースはデーボにお早うと些か間の抜けた挨拶をした。

「気分、どうだ?」
「悪くねぇ」
軽い吐き気と鈍い頭痛がしたが、問題というほどではない。

「まだ痛ぇだろ?」
「もう動ける」
今身体に残っているのは痛みの名残に過ぎない。幸い骨に異常はないから4日もすればほぼ元通りになるだろう。

「だから無理して動こうとすんな。『休憩』は止めだ。『宿泊』に変更な」
「勝手に決めてんじゃねぇ。俺の服よこしやがれ」
「洗濯中だ」
「な・・・・」
「あんな血塗れの服着てたら悪目立ちすんだろうが。ま、露出狂の真似して猥褻物陳列罪でしょっぴかれたくなきゃぁ服が乾くまで大人しく待つこった」
「てめぇは・・・っ」
フフンと笑う確信犯に、デーボは己の身体の状態も忘れて掴みかかった。

「ぐっ・・・・っ」
途端、腰に走った鋭い痛みに顔が歪んだ。

「あ〜だから言わんこっちゃねぇってんだ。悪いこたぁ言わねぇから寝てろ。水、飲ませてやろうか?」
意地悪く付け加えられた言葉に、デーボの顔が更に歪む。

「てめぇで飲める」
「そりゃ残念」
どこまで本気でどこから冗談なのか。デーボには分からなかった。

「おめぇ、幾つだ?」
「あ?」
「年齢だ年齢」
「・・・・てめぇに関係ねぇだろ」
「関係ねぇけどただの興味だ。これだけ貸しがあんだからよ、年齢くれぇ聞かせろや」
貸しという言葉にデーボは嫌そうに顔をしかめた。貸しだの借りだの、そういったことはすべからく面倒くさいと彼は考える性質の人間なのだ。

「・・・・・・25だ」
「こいつぁ意外だ。10も年下とは思わなかったぜ。女の年は大体当てられんだけどな」
「てめぇ結構爺だったんだな。若作りしやがって」
「口の減らねぇガキだ。そーゆー悪ガキにゃオシオキだ」
ホル・ホースはデーボの手首を掴み、そのままベッドに押し倒した。

「何の真似だてめぇ?」
「何だろうなぁ?」
「てめぇは女としかできねぇお行儀のいい男なんじゃねぇのかよ?」
「できねんじゃねぇ。やらねぇんだ」
「モテねぇ野郎は皆そう言うぜ」
「人の手握って眠るようなガキが生意気な口きいてんじゃねぇってんだ」
「あれはっ!てめぇが勝手に握ってきたからだろうが!」
「顔が赤いぜ」
「・・・っせぇインポジジイ!」
「誰がインポだ?!俺はすげぇぜ?!!てめぇの身体で試してやろうか、あぁ!!??」
「上等だこの野郎」
「へっ、処女穴突っ込まれてヒィヒィ泣いても知らねぇからな」
「誰が泣くかよ」

売り言葉に買い言葉の見本のようなやりとりが始まりの合図となった。
・・・・・・合図となってしまった。
ほんの些細な軽口から互いに啖呵を切るに至り引っ込みがつかなくなったものの、正直彼らは二人して途方に暮れていた。
従軍経験者であるにも関わらず、生粋の女好きであるが故に同性と身体を繋いだ経験の無いホル・ホース。むろん知識としてナニをどうするかは知っているが、こんな形でいきなり実践しろと言われれば大いに戸惑う。

(突っ込む穴が違うだけで、基本女と一緒だ。・・・・一緒じゃ駄目なのか?)
軍隊時代、ホル・ホースの周りには数組の同性愛者がいた。プライバシーの遵守が難しい環境の中で、彼は幾度かそうした連中が行為に耽っている現場に出くわしたが、何故か決まってそれは既に挿入を果たして腰を振っている最中だった。
排泄用の狭い穴に、とうやって標準以上の一物を納めるべきか。思い出したくもない暑苦しい記憶を紐解くも、肝心の部分がわからない。

(ノリでおかしなことになっちまったが・・・)
デーボにとって男とのセックスは彼の人生における最悪の時期を想起させる。
彼がまだ小さく弱かった時、彼の幼い身体は大人たちの欲望に供せられていた。大人たちは生きた玩具を思う様に嬲り、支配の証とてかつては滑らかであった彼の肉体に消えない傷を刻んでいった。彼らは『呪いのデーボ』に『恨む』ことを骨の髄まで叩き込んだ最初の教師であった。

(かといって今更引けねぇし)
今更世間並みの倫理観などこれっぽちも残ってはいなかったが、10年以上も離れていた ―そして二度とすることもないと思っていた― 行為を、自他共に認める女好きと血塗れのシーツの上で行うなど、デキの悪い冗談としか思えない。

(またアレをするのか?できるのか?したいのか?)
こめかみがズキリと痛んだ。

「デーボ・・・とりあえず咥えろや」
「・・・・・・」
躊躇いがちに晒されたホル・ホースの萎えたままの一物を、デーボは押し黙ったまま口内に納めた。彼が眠っている間にシャワーでも浴びたのか、思っていたほど臭いはない。

「舌動かせって」
咥えたまま固まってしまったデーボに間の悪さを覚え、ホル・ホースはことさらぞんざいな口調で命じた。

「やり方わかんねぇとか言うなよ?フェラくらいしてもらったことあんんだろ?それとも童貞か?」
揶揄する言葉を頭上に聞きながら、デーボは古い記憶をたどたどしく辿りながら長い舌を動かす。
根元から先端に向けて舐め上げる。張り出た部分を舌先でなぞる。水音を立てて窄めた唇で先端を吸い上げる。

(こんな、だったか?)
かつて昼夜分かたず強いられてきた行為は、かくも退屈で無感動な動きの組み合わせからなっていたのだろうか?
考えれば考えるほどデーボはわからなくなっていく。

「おめぇ・・・・メチャクチャ下手だな」
ホル・ホースの失礼な評論は、おそらく非常に的を得ているのだろう。技術以前にまったく気が入っていないのだから当然だ。
しかしそれならば何故―

(デカくなってきてんじゃねぇか)
と目顔で反論すれば、帰ってくるのは溜息交じりの答え。

「そらぁ下手でもなんでも狭くて暖っけぇ穴に挿れれば男は勃つに決まってんだろうが」
身も蓋もないがこれまた正論だとデーボは納得した。

「そのまま続けてろ。問題は俺よりおめぇだからよぉ」
問題は自分。
改めて指摘されデーボの舌は強張った。
この口の中で膨らんでゆくものが、極近い未来体内に侵入してくるのだ。苦痛に対する恐怖はさほどない。生身の肉体を斬られ、裂かれ、抉られ、焼かれ、折られる苦痛に比すれば、排泄器官を外部から拡張される痛みなどタカが知れている。
それでも、デーボは舌先が慄き震えるのを止められなかった。
恐ろしくはない。酷い嫌悪感があるわけでもない。ただ身体の中が熱くうねるのを止められない。

「・・・・っ」
窄まりを繰り返し愛撫されながら性器を扱かれ、デーボの身体がビクリと震えた。

「痛かったら言えよ?」
愛撫する指に軽く力を込め、ホル・ホースは後孔の周囲を少し不器用に揉み解す。それは経験がないなりにデーボの身を労わる彼なりの優しさの表れだった。

「うぜぇ」
「あ?!人の親切をてめぇは!いきなり突っ込んで泣かすぞコラ!」
やれよ。
声には出さずデーボは呟く。
いっそ自分勝手な興味本位だけで抱けば良い。
こんなふうに優しく労わられながら抱かれたことなどない。どうして良いかわからない。

「ん・・・っぁ・・・」
いつの間にか二本目の指を滑り込まされ、デーボは掠れた喘ぎ声をあげる。

「おめぇ、フェラど下なくせに声はやけに色っぽいのな」
満足そうに頬にキスなどしてくるホル・ホースにデーボは思い切り顔をしかめた。そういう虫唾が走るような甘ったるいことは女にだけしてやれば良い。

「はっ・・・・ぁっ・っっ」
前立腺を内側からモロに刺激されデーボの腰が浮いた。

「あぁ、確かゲイの連中はここが好きだって言ってたな。気持いいか?」
「うっ・・・・せぇっ・・・・聞く・・・・な・・・・・クソっ」
半端に優しいくせにデリカシーの欠片もない物言いをするホル・ホースにデーボは一瞬本気の殺意を覚えたが、次の瞬間には相手にそんなものを求めている自分を呪い殺したくなった。

(俺ぁホントは男が好きだったのか?いや、まさかだろ。ありえねぇ)
からかい半分で始めた行為に、ホル・ホースは気がつけば本気になっていた。
経験の浅い若い女を扱うように優しく丁寧に扱い。その身体の見せる変化を楽しみ。唇から漏れる掠れた喘ぎに艶を感じ。
もし今デーボ怖気づいて拒んでも、自分はこの血塗れの大男を強姦してしまうのではないか。
そんな危惧すら感じてしまうほどに、デーボの中に入りたいという雄の欲が昂ぶっていた。

「悪ぃな・・・」
先に一言侘び、ホル・ホースは両手でしっかりとデーボの腰を支えながら本能と戦うようにしてゆっくりと進入を果たした。

「ふっぁ・・・・ぁ・・・っ」
下腹部を圧迫される感覚にデーボは大きく息を吐いて耐える。
苦しい。けれども予想していたような引き裂かれる痛みはなかった。
自身に経験があること。ホル・ホースが色事慣れしていること。充分に慣らされ互いの先走りで潤っていたこと。それらを考慮しても、こうも苦痛を伴わない男とのセックスは初めてだった。

「動いても平気か?」
女のそれとはまるで違う強烈な締め付けに、ホル・ホースはすぐにも達しそうになる自身を懸命に抑えていた。
もっと深く長くこの身体を味わいたい。
この身体の最奥に今すぐにでも熱い迸りを叩きつけたい。
相反する欲求が、ホル・ホースの一物をより一層硬くしていく。

「さっさとイキやがれ」
「加減・・・・できねぇかもしんねぇ」
「気持悪ぃこと言ってんじゃねぇ。俺は女じゃねぇんだよ」

(早く動いてくれ)
そう叫びたい衝動をデーボもまた懸命に堪える。

(グチャグチャに掻き回してぶっ壊してくれ)
欲望を孕んだ下腹部がはち切れそうだ。

「行くぜ」
ホル・ホースの一物が最高の角度でデーボの中を抉った。

「あっはぁぁっっ」
デーボは抑えることなく嬌声を上げる。もともと物事に対する禁忌の少ない彼には、男同士のセックスで快楽を求めることに罪悪感はなく、そしてまた過去のトラウマによって現在の快楽を拒絶するような細い神経も持ち合わせていなかった。

幾度となく腰を打ち付けられ、そのたびにあられもなく啼いた。
『好き』も『愛してる』もなく、ただ獣のようにまぐわった。
互いに果てて横たわった時、二人の身体はどちらのものともつかぬ精液でベタベタになっていた。




「デーボ・・・大丈夫か?」
「あ?今更何言ってやがる?」
「まぁ今更っちゃぁ今更なんだが・・・・身体しんどい時に」
「悪かったとか言うんじゃねぇぞ。言ったら殺す」
「怖ぇこと言うなよ『呪いの』デーボ」
怖いねぇと言いながら、肩を竦めるホル・ホースの顔は軽薄そうにヘラヘラと笑っている。

「このまんまじゃ生臭くて寝らんねぇからまずはシャワーだ。それからシーツをランドリーにぶっ込んで・・・いや血で酷く汚したっつって弁償したほうが早ぇか。後はシーツと包帯とっかえて朝まで眠る。OK?」
「好きにしろ」」
反対する理由も気力もデーボにはなかった。とにかく今は何も考えず死んだように眠りたい。

「デーボ、その何だ・・・早く身体治せよ」
「お節介な野郎だ」
面と向かって労わりの言葉なんぞを吐かれると、先ほどまで男を咥えこんでいた尻がこそばゆい。

「今度はもっと思いっきり抱きてぇからよ」
「今度っててめぇ」
そんなもんねぇよ。そう続けようとして不意に言葉に詰まる。体内に残されたホル・ホースの残滓が一滴内股を伝って流れ落ちた。

「嫌か?」
「別にかまわねぇよ」
嫌だ二度と御免だと突っぱねるべきなのだろう。いい年をした殺し屋二人で乳繰り合うなど非生産的ここに極まっている。

「愛してるぜ『呪いのデーボ』」
「死んじまえ馬鹿野郎」
デーボは短く吐き捨てて目を閉じた。

                                                               END