お風呂に入ろう
「ドクター・テンマ。お風呂に入りませんか?」
「・・・・一人で入れるだろう」
「一緒に入りましょう」
「一人で入りなさい」
紆余曲折あって、ヨハンの主治医兼保護観察者状態で暮らしているテンマには、最近一つ大きな悩みがあった。
警戒心が強く、誰にも心を許さず、普通の人間が当たり前に持っている『感情』の多くを欠損しているような青年との二人暮らし。それはテンマが想像していた以上に難しかった。
それでも、テンマの粘り強い誠意が通じたものか、最近のヨハンはテンマにすっかり懐いている。
そう、懐いてしまったのだ。
「ドクター・テンマ。僕を一人にしても良いのですか?もしかしたら、僕はお風呂の窓から逃げ出してまた人を殺すかもしれませんよ?」
「ヨハン!言って良いことと悪いことを弁えなさい!」
こんな脅しめいたことまで口にする始末だ。
正直テンマはヨハンの逃亡に関しては危惧していない。その気になれば彼は今までに幾らでも逃げることができた。そもそも、彼がテンマと共に暮らしているのは『強制』された結果ではなく彼が『選択』した結果なのだ。むろん、そこにはテンマの義務感にも似た感情も大きく作用していたのだが。
自分が救ったあまりにも特異で世界に対する影響の大きい生命への責任。
一連の事件に関わった責任。
救えなかった生命と心への贖罪。
そして幼かった少年が、大きく見開いた碧い瞳から流した涙を拭いてやれなかった後悔。
しかし、あの可愛らしかった少年が、こうも性悪な青年に育っているとは想定の範囲外だった。危険な『怪物』から『性悪』へのメタモルフォーゼ。それは世間にとっては良いコトなのだろうが、テンマ個人にしてみれば手放しで喜べる話ではない。
「ごめんなさい」
「うん、わかれば良いんだよ」
しおらしい表情で素直に非を求めるヨハンにテンマは優しい笑顔を向けた。
愛されることを知らずに生きてきた子供には、叱ることよりも褒めることこそ肝要なのだ。
「ところで、お風呂は?」
「いや・・・だから」
しかし、最初の問題は見事に進展していなかった。
「僕は、ドクター.と入りたいです。ドクターは嫌ですか?嫌なのですか?」
「ヨハン・・・落ち着きなさい」
ヨハンの人形のような顔の中で、瞳孔が急速に収縮するのを見て、テンマは慌ててヨハンの肩を強く掴んだ。どうにもヨハンには他人に必要以上の圧迫感を与える悪癖があっていけない。
「やっぱり、ドクターは僕を赦してはいないのですね」
「違う!それは違うぞヨハン」
切れ長な目を悲しげに伏せるヨハンにテンマは慌てて否定する。過去を受け入れ赦してやらねば何も始まらないのだ。たとえ彼がテンマの大事な人をどれほど殺し傷つけていたとしてもだ。
「口では何ともでも言えますから」
冷たい。こういう時のヨハンは正に氷壁。取り付く島もない。
しかし、ここででへばりついてでも取り付かないことには、何をしでかすかわからないのもまたヨハンなのだ。
「人を殺すのが駄目なら、自分を殺しましょうか?」
「や、やめなさい!お風呂くらいでそんな!!」
「でも、ドクターはそのお風呂くらいを頑なに拒否している」
上手い。流石は元・怪物。このアタリの駆け引きは上手い。というか、テンマが下手過ぎる。よくこんなんでヨハンとやりあっていたと思う。
「わかった、私の負けだ。一緒に入ろう」
いつからどんな勝負になっていたのかはわからないが、テンマが折れた。
「はい、ドクター」
嬉しそうに笑うヨハンの顔は、卑怯なほどに眩しくて。故にテンマは逆らえない。ヨハンの持つカリスマは、彼が息絶え土に還るまで消えることはないだろう。
(はぁ・・・・・・また私はこの子の言いナリだ)
一日の終わりのリラックスタイムだというのに、テンマはまったく気が休まらない。
(参ったなぁ・・・)
テンマはとても鬱な気分になる。
何がそんなに嫌かというと。
こんな綺麗な顔と肢体を持つ青年の持ち物が、テンマの息子さんよりもご立派なのだ!
それを見るたびテンマは『欧米人はフニャチンだ!私の方が堅い!』と叫びたくなり、強烈な自己嫌悪に陥るのだった。
「先生?何をしてるんですか?ほら、早く」
「ん・・・あぁ」
既に全て服を脱ぎ捨て生まれたままの姿になったヨハンに迫られ、テンマは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
せめて・・・・せめてその股間のモノを沈静化させてくれと心の中で願いながら。