食わず嫌いも必要です


私の肌は何ゆえこうも冷たく青白いのだろう?
姉上の肌は、金色の光帯びる緋桜を内に宿した白。
スサの肌は豊穣の大地が如く赤銅。

何ゆえ、何ゆえ同じ親から産まれた身がこうも異なるのか?
姉上とスサは肉を好んで食すというに、この私は植物しか口にできぬ。
肉など食したいと思ったこともない。
生臭い臭い。肉を焼くおぞましい臭い。思い出すだけで吐き気がする。


「肉を食さぬ故か?」
私は鏡に映る冴え々と青白い、肉の薄い我が身を見詰め考える。
私も肉を食せば、あるいは姉上の弟らしい肌色を持つことが叶うであろうか?


馬鹿馬鹿しい子供じみた、それこそスサのような考えだと我ながら思いつつも、私は気がつけば翁に命じ肉を用意させ、三切れほどを削ぎ落とし火で炙っていた。

「・・・うっ・・・・」
立ち上る臭いに、私は早くもえづきそうになった。
臭い。
間近で嗅ぐ獣肉の焼ける臭いは想像以上で、これからこれを口にするかと思うと気が遠くなりそうだ。
だが、私は何としてもこれを食さねばならない。
食したとて、姉上と同じ肌になれるはずもないが、少なくとも姉上と同じ食卓につくことだけはできよう。
同じ卓につき、同じものを食し、他愛のない会話を交わす。
それだけでいい。否、それはどれほど贅沢な時であることか。

「月読み様・・・・・やはりおやめになったほうが・・・・・・・・・・・」
「いや、もう決めたことだ」
私の身を案じる翁に決然と言ってのけ、覚悟を決めて一切れの肉片を口にした。

「ぐっ・・・・・・・・ぅ」

吐き出したかった。
しかし、ここで吐き出すわけにはゆかない。何としてでも飲み込み腹に収めねばならない。私は口中に広がり鼻腔を覆いつくす不快な臭いに手で口を覆って堪えた。
気力を振り絞って肉を奥歯で噛んでみた。

「うぐぇ・・・・・・っ・・・・」
刹那、気持ちの悪い油が肉から滲み出て、不快感が一挙に膨れ上がった。
これは、無理だ。
私はそう判断し、肉を噛む事は諦めそのまま飲み下すことにした。が、 薄切りとはいえ一枚肉は飲み込みづらく、私はそれを処理するのにかなりの時間を要した。

「月読み様・・・どうか、どうかもうおやめくださいまし」
「いや・・・まだまだ」
私は半分意地になっていたのかもしれない。
何故かここで食べるのを辞めることは逃げること、逃げるとは即ち敗北を認めることだという気分になっていた。
そして今日の私は負けるわけにはいかない。絶対に勝たねばならない。何故ならば、私と姉上の明るく幸せな食卓が掛かっているのだ。たかだか動物の死肉に負けている場合ではない。
息をせずに噛まずに飲み込んでしまえば何とかならないこともない・・・・・気がする。
そうだ、細かく刻めばよい。細切れにすれば飲み込みやすかろう。

「私は負けぬ」
肉を睨みつけ私は宣戦布告した。



「ウ・・・・・・ぇ・・っ・・・・・・・っ・・っ・・・・」

私は床に伏せってえづいていた。
無理に肉を口に押し込み飲み下したは良いが、その後私は地獄の苦しみを味わっていた。吐いても吐いても吐き気が収まらずえづきつづける。もう私の胃の中には肉はおろか何物も入っていないというのに。それでも私の身体は不快感の塊を吐き出そうともがく。

「・・・・・・・がはっ・・!」
「月読み様・・・・!医師を、医師を呼んでまいりましょう」
盥に吐き出したものの中に血が混じるのを見た翁が顔色を変えた。

「よ・・・・せ・・・・・・・・・・・誰も・・・・・・呼ぶ・・・・な・・・・・・・・・・・・おま・・・・・・え・・も・・出てい・・・・・け」
医師など呼ばれて堪るものか。かような失態が姉上やスサの耳に入るなど、私には堪えられぬ恥辱だ。

「月読み様、御無理をなさいますな」
「やめ・・ろ・・・・・」
頼むから放っておいてくれ。これ以上私を惨めにしないでくれ。

「では、医師を呼ぶのはやめに致しましょう。ですが、私めを追い払うことだけはお許しくださいまし。このような状態のあなた様をお一人にするなど、この爺にはできませぬ。せめてお側でお世話をさせてくださいませ」
「・・・・・・すまぬ・・ッン・・・・・・・・・・っく・・・っ」
私は再び込み上げて来た吐き気に身体を折って喘いだ。


あれから数日がたって、私はようやく激しい吐き気から解放されものの、熱を帯びた身体には一向に力が入らず水以外のものを口にすることができずにいた

「ん・・・・・・・」
えづき続け血まで吐いた喉はひりつくように痛み、私の声は醜く潰れていた。
あぁ、これでまた私は姉上に厭われることだろう。
姉上は美しく完璧なものしか愛でず許さぬお方だ。野放図で未熟な不完全さを姉上の前で許される唯一の例外はスサだけなのだ。


「月読み様、少しは何か口になされませ」
「いらぬ」
翁が心配するのもわからぬではない。元々食が細く肉の薄い私の身体は、ここ数日でめっきり痩せ衰え無様に骨が浮き出ていた。

「月読み様・・・どうか果物だけでも・・・このままではお体がもちませぬ」
翁があまりにうるさく言うから、私は皿の上の果物に目を向けてみた。
甘く柔らかな、それでいて鼻につかぬ爽やかな香りが心地良かった。「

それは・・・?」

「蛇神さまからのお見舞いの品です」
「・・・・・・・・・私の病のことをもらしたのか?」
あれほど誰にも言うなと申し付けたはずなのに。

「申し訳ございません・・・・月読みさまがあまりにお苦しみで、その上何も召し上がらず痩せ衰えてゆくのをただ見ていること忍びず、蛇神様にご相談申し上げました・・・私めはいかような罰もお受けいたしますが、蛇神様はこうしたことを他言なさるお方ではございませぬ。この果物も、滋養のあるものを手ずからお選びくださいいました」
・・・このように言われては、何も言えぬではないか。
実際、蛇神は良い男だ。温和で誰にでも分け隔てなく優しく、どこまでも謙虚で誠実。スサとは何から何まで正反対だ。おそらく彼のことだから、私の病のことを聞いて我ことのように心痛めたに違いない。あれは、孤独の何たるかを誰よりも知る男なのだ。

「そうだな・・・・あれはそういう男だ・・・・その見舞いの果実、少しならば食せそうだ」
きっとあの果物ならば、不快な肉の味も私の心に巣食った惨めさも溶かしてくれよう。この忌々しい身体が癒えたならば、あの者の里を訪ねよう。
友と呼べるただ一人の顔を思い浮かべると、不思議なほど私の心は静かに凪いで言った。