このお話は、作者の純粋な楽しみのために書かれたものであり、 作中の登場人物や設定は、実際のものとは全く関係ありません。 また、彼らにまつわる著作権やプライバシーを侵害するために作ったものでもありません。 爪痕 abp ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 第五章 救済 ジリアンに二度目の拒絶をされてから、 僕はもう本当に、何もかもが どうでも良くなってしまった。 もう女性と逢瀬を重ねることすらしなくなった。 その空しさにようやく、気がついた。 あの次の日、僕は複雑な思いで仕事場に行ったけれど 彼女は何も無かったかのような顔で現われた。 おはよう、デビッド。 そう笑顔で言う彼女には、昨日の面影は微塵もなかった。 僕のことなど、心の隅にも留めていないんだな。 そう感じて、僕は心の扉をまた、閉ざした。 仕事場と家の単純な往復、味気のない生活。 愛を求めても、応えてはくれない。 一生もう誰も愛せないのではないかと思っていた。 そんな時だった。 ティアに出会ったのは。 ティアは勝ち気で明るく、それでいてどこか一緒にいると 落ち着くような女性だった。 僕は彼女に初めから惹かれていたわけではなかった。 しかし何かの機会で、ゆっくりと話すことができた。 その時、ティアは僕にこう言ったのだ。 「どうして心を閉ざしているの?」 僕は驚いて彼女の顔を見た。 ティアは少し笑って続けた。 「あなた、なんだか自棄になっているように見えるわ。 自分を追いつめちゃいそうな顔」 その一言を、僕はずっと待っていたのかもしれない。 自分を理解し、癒してくれる存在を、 ずっと求めていたのかもしれない。 それがジリアンなら、良かったのだけれど。 彼女は僕の愛を受け止めてはくれない。 ティアは、僕を分かってくれる。 僕がティアと結婚したのは、至極当然の成り行きに思えた。 僕はそのことを、ジリアンには言わなかった。 正直、ジリアンと差し向かいで話をして 自分の気持ちが揺らがない自信はなかったし、 彼女を想うあまり傷ついた心を、ティアに癒してもらっているなんて そんなこと、死んでも知られたくなかった。 ジリアンにもティアにも、失礼なこととは解っていながら、 僕はティアに、逃げたのだ。 「結婚したんですって?」 ある日、ジリアンが僕のトレイラーを訪ねて、そう言った。 突然のことに僕は驚いたが、すぐに笑顔を取り戻した。 「ああ、君に何も言わなくてごめん」 「・・・別に私に言わなきゃならない理由もないものね。 おめでとう、デビッド。おめでとう」 彼女の瞳が少し翳って見えたのは、気のせいだろうか? 僕はそんな思いを振り切って、彼女に礼を言った。 彼女はお幸せに、と言った。 君なしの幸せなんて、存在するのかい? そう言える強さは、僕にはなかった。 忘れろ、デビッド。おまえは新しい道をもう歩いてる。 撮影がLAに移り、僕は自宅から仕事場に通えることになった。 ジリアンを忘れよう。 そう心に決めた日から、僕は少しづつ、準備をしていったのだった。 バンクーバーからLAに撮影を移して欲しいと頼んだのも、 そのひとつだった。 クリスは僕の我侭に、しぶしぶながらも承諾してくれた。 結婚したんだから、妻とずっと一緒にいたい。 と、もっともな主張をした僕の本心を、誰が知るだろうか。 早くティアを、愛してしまいたい。 ジリアンのことを想う暇なんてないくらいに、ティアを愛したい。 今はまだ僕の心をこんなにも大きく占めているジリアンを、 ティアが追い出してくれたら・・・ 相変わらずの他力本願な、僕だったから。 左手の薬指に光る指輪は、甘い束縛。 撮影中にジリアンの横顔に思わず手を伸ばしそうになる僕を 台本にもないのに彼女にキスをせがんでしまいそうになる僕を いっそのこと彼女を押し倒して想いを遂げたいと思ってしまう僕を 現実へと引き戻してくれる、たった一つの手綱。 ティアの明るい笑みに救われるように、僕はジリアンへの想いを 少しずつだけれど、消してゆくことができたように思った。 前なら、何を見ても何を聞いても、最後は必ず思考はまっすぐに ジリアンへと結びついていってしまっていた。 でも今は、3回に1回は、そうならなくて済むようになったから。 僕は時々立ち止まって、自分がちゃんとティアを愛せているかを確かめる。 目をつぶってまず浮かぶのが、ティアであるかを確かめる。 最初のうちは、目をつぶるとジリアンばかりが浮かんだ。 でも、最近になってやっと、ティアの顔が浮かぶようになった。 そう、僕はティアを、愛している。 きっと。 いつものように家でティアとくつろいでいた時、彼女は言った。 「ねえ、デビッド。素敵なニュースがあるんだけど」 「なあに?」 「当ててみて」 僕はティアの肩に手を回した。 「なんだろうな。新しい映画が決まったとか」 「違うわ」 「じゃあ、宝くじが当たった?」 「もっと現実的なことよ」 「うーん、なにかいい物でも買ったの?」 「いいものね、近いかも。いいものを手に入れたわ」 「なあに?車、宝石、ドレス?セクシーな下着?」 「もっと柔らかくて美しくて、愛しいものよ」 「??分からないよ」 「ヒントをあげる。私とあなたが二人で手に入れたもの」 「僕と君が・・・?」 「分かったでしょう?」 「子供が・・・できたのか」 「そうよ、今日病院に行ってきたわ、12週間ですって」 「そうか・・・僕らの子供か、ティア・・・すごいよ、 ありがとう、ティア、嬉しいよ。でも・・・」 「でも?」 「僕に父親の資格はあるんだろうか・・・」 そう言った僕の頬を両手で挟んで、ティアは言った。 「デビッド。出会った頃に言ったわよね、あなたは自分で自分を 貶めているって。あなたはそんなに小さな人間じゃないわ。 もしそうなのなら、私はあなたを愛したりはしなかった。 自信を持って。きっと素敵な、あまーいパパになるわよ」 「ティア・・・」 ティアから、僕は幸せと自信をもらった。 そして、新しい命さえも。 穏やかな幸せとは、こういうことを言うのだろうか。 ジリアンのことを想っていた時は、ただただ切なかった。 愛しくて愛しくて、胸が張り裂けそうだった。 けれどティアを想うと、静かな気持ちだけが流れる。 穏やかな愛しさを感じる。 これでいいんだ。 これが、正しい道なんだ。 To be continued