(著者は語る)
人生の大きな区切り ひとへの感動と自分の励み
田村正勝
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退職後丁度二年、ご多分に漏れず、永年仕事一筋に家庭を顧みることなく会
社人間で過ごしてきた定年自由人です。皆から良い時期に退職を迎えたといわ
れ「サンデー毎日」「在宅勤無」の身ながら、何とか毎日を悠々閑々と楽しく
やっております。
ことの始まりは退職した最初の冬でした、人生の大きな区切りに際し何かを
総括したい気分になり思案した末、自分の行き方を見直すためにも今自分史が
ブームということを知りました。倉庫の古いダンボールの中から随分長いこと
忘れていた私が受け取った手紙と、気の向いた時に書きとどめた自分の大学ノ
ートを見つけ、これらを時系列につなぎ合わせ三十歳までの半生記を書いたの
ですが、これがなんと自分史というより実にリアルな家族史になったのです。
私の大好きな故郷に毎年春が来て、夏になり、秋の獲り入れが終わり、深い
雪の冬を迎える。盆には帰ってきなさい、正月帰って来るのを楽しみに待って
いる、と云う昔から変らぬ自然の営みの繰り返しの中で、人が生まれ、成長し、
いろいろの出来事に遭遇し、そしてまた希望をもって明日に向かって生きて行
く姿を実感しました。
これを書いて強く思うことは、両親、兄姉をはじめ故郷の皆がいかに私に戒
めと励まし、心からの指導をしてくれたかということ、そこには本音があり心
がこもっており今更ながら頭の下がる思いでした。
手作りで限定四冊を作り兄弟に贈ったところ、甥や姪たちも読んでくれて
「感動した」「涙が出た」との書評を貰いましたが、姉からも「十五日は父母
の命日ですからこの書を仏壇に上げ、御加護と愛情と勇気を与えてくれた両親
にお礼を申し上げました」と手紙を貰いました。
この時私は心から思いました、本というものはこれ程までも人に感動を与え
ることが出来るのだと。私も今まで何度も本から感動を貰っていますが、大胆
にも自分の書いた物でも人に感動を与えることができるという喜びを経験して
しまったのです。
これがきっかけとなり昨冬の十一月から二月にショーンコネリーを目指して
髭を伸ばし、水割りを机上に用意し、パソコンに向かっているうちに段々その
気になり出来上がったのが今回の本(『僕の出張』)です。最初は手作りで数
冊の世界を想定しスタートした筈でしたが、書いている途中で完成したら誰か
に見て貰いたい、書評を貰いたいという気分が強くなりネットサーフィンをし
ている内に、このメールマガジンを見つけ、大変興味深く読ませてもらい、い
ろいろ勉強になったり勇気付けられました。
永い現役時代を振り返ると、もちろん仕事はいろいろ大変でした、また仕事
を通じて会社の業績に貢献できた時は実に充実感に浸ったものです。しかし、
それにもまして思うことは国内外の出張で、知らない土地、景色、文化、風習、
人々に出会うことの楽しみとすばらしさです。特に多くの人との出会いの中で
感じることは、誠意、礼儀、共存、順応、感謝の心などの言葉であり、これは
不思議なほど国内でも海外でも全く同じでありました。やはり地球人は基本的
には同じ人間なんだという思いです。
こんな経緯で海外で体験したこと感じたことなどを書いたものです。ご尽力
を得て世に出る私の初めての本になったという訳であります。更にこの上に、
できれば多くの方々に読んでいただければ、それはそれは私の今後の励みにな
りありがたき幸せであります。
【編集者:注】
田村さんは、松下通信工業のSEとして長い間、海外でシステム構築・技術指
導などにあたってこられ、このたびその経験をもとにした『僕の出張』を出版
しました。この本のなかでは、上記に加え、さらに具体的に執筆時の思いを書
いています。「あとがき」から紹介します。
「二五年前の少し昔にさかのぼり、いつ頃どこに行き、どんな事があったかを
思い出すのにやはり相当苦労したが、パスポートの入出国日付を手掛かりにし
根気強く記憶をたどる内に、ひとつ思い出すとそれに前後した形で当時のこと
が点から線へとよみがえってきた。それを簡単なメモにし時系列に並べたまで
は良かったが、文章をどのように書き始め、思い出したことをどのように挿入
し組み立てたらよいのかイメージがまとまらず、腕組みをしたまま時には一〜
二時間もパソコンの前で苛立った事もあった」
「書き出すと不思議と木の枝が伸びるように自然に当時の思い出がよみがえり、
その時は何ともいえない快い気分になったものである。書いている時より、む
しろ書き出す前が実に苦しいことが分かった。パソコンの前で自分の才能に自
問自答しながら、翌日書いたものを読み返し全く面白くない時はがっくりした
ものであるが、どうせ頑張っても自分なりのものしか書けないのであるからと
開き直って書いている内に、何とかページ数が増えてくる事に一抹の満足感を
覚え、徐々に書くことが楽しくなって来たような気がする」
「高校時代から山が好きでよく登っていたが、ある時春の雪山に登りその美し
さに魅了されてしまい、それ以来結婚するまでは自称山男として、夏の尾根道
では物足りず、沢登り、岩登り、冬山というように山の厳しさ、苦しさ、楽し
さを謳歌した。今回本書を書きながら気付いたことであるが、物を書くという
ことは山登りに通じた所があると感じる。書いている時の苦しさと楽しさ、自
問自答しながら書き進め、最後に書き終わった時の達成感は、いろいろ思いを
巡らしながら歯を食いしばり山を登り、頂上での達成感、下山する時は登りの
苦しみが既に消えうせて、また登ろうと思ったりしている姿に似ていると思っ
たのである」
「ただ山登りは頂上を極めた達成感で全てであるが、本を書くことは書き終わ
った達成感の後に、できれば少しでも大勢の読者の目にとまり、読んでもらい、
何らかの書評をもらえるという極上の楽しみが控えている。プロの作家が小説
を書きベストセラーになった時の達成感、満足感は計り知れないものがあるに
違いないと想像する」