ノクト・ニッコールについて


はじめに

ノクト・ニッコールは、既に製造中止となっているレンズだが、このレンズには、苦い思い出がある。
このレンズを使う様になって、その描写に満足が行かなくて、製造不良ではないかという疑念を
抱く様になってしまったのだ。
この手の不満に火がつくともう誰にも止められなくなる。
疑いはじめると、それを裏づけるような事象が粗探しの中で出て来るというのも困ったもので、
本人は思い込みのさなか冷静さを失っている訳だしメーカーの営業に掛け合うと、事態を
収めることしか頭にない。
当然、言い掛かりをつける客にはまともに対応しない傾向もあり、客がなぜ感情的になっているかも
理解出来ないということに・・・
何とか自分を納得させられる理論的説明をメーカにしてもらえないかと頭を捻ったものだ。
では、なぜそういうことになったか振り返ることにしよう。

ノクト・ニッコールを購入した頃

このレンズを買ったのは、1994年9月で、NewFM2と共に発注した。
その直後に、泥棒が入って、父から譲り受けたカメラは、ほとんどが盗まれた。
新品のカメラとノクト・ニッコールを手にしたのは、その盗難からしばらくして、
それを慰めるかのように自分の元に届いた。
が、NewFM2もすんなりと自分のものになったのではなくて、フィルムの
巻き上げレバーの調子がおかしく初期不良で買ってすぐに見てもらっている。
それまでは、ニコマートFTと50mmF1.4、105mmF2.0のレンズを使っていた。
盗難に遭う少し前には、ニコマートFTをスポンジ張り替えのオーバーホールに
出したのだが、修理不能で戻り、開けてみるとレンズのフィルターが割られていた経緯もある。
 オーバーホールについては、以前どこに出したのかは分からないが、
 故郷のカメラ店で修理に出したことがある旨と、もう修理出来ない機種ではないか
 と思っているとことを告げた上でカメラ店の店主と相談したのだが、まだ受け付けている
 かもしれないので出すだけ出してみましょうか、ということを言われたのでメーカーに出したのだ。
 修理出来なかったという連絡が入り、引き取りに行った時、メーカ以外でオーバーホールを
 受け付けている会社があることを店主から聞いたが、最初から知っていたのではないかと思う。
 ちゃんとメーカーに電話確認してもらっていれば、フィルターが割られるようなことはなかったかも。
 (状況から判断して故意に割られたのだと思うが、誰がやったかは未だ不明)
 古いカメラは、メーカーの代わりに修理を専門に受け付けている会社があるというから
 世の中の仕組みはわからないものだと思った。
いやあ、カメラ業界の裏は、どろどろした恐ろしいものだと思った。

ノクト・ニッコール購入の動機

父から譲り受けたカメラもいいが、やはり自分の金で買いたいと思ったこと、それから
最近のレンズを使ってみたいということで、新しく買おうと思ったのだ。
ノクト・ニッコールを選んだ理由は、明るいレンズであることと、当時、天体写真を中心に夜景などの
撮影に凝っていたのでそれは自然な流れだった。
一般の写真レンズは、F1.4の明るいレンズともなると開放では、画面周辺の点像が鳥が翼を
広げた様に変形するといった収差による像の歪みが生じる。



ノクト・ニッコールは、非球面レンズの採用で、コマ収差、非点収差などが補正されて、
F1.2の開放でも周辺像が点に写るという優れものだということなのだ。
また、天文雑誌の投稿写真には、ほとんどノクト・ニッコールで撮った写真が出ていなかったので
自分で試したいと思ったというのも強い動機となった。

不満の発端と

通常の撮影では、なかなか良好で最初のうちは、特に不満もなかった。
ところが、夜景の写真を撮るうちに、ナイスショット(エボリューション 1994年3月1日発行 第4版)
という冊子に出ていた開放で撮影されたとされる写真と比較して描写力がかなり落ちると思う様になった。
そこから、風景写真を中心に撮影を繰り返して、やはり納得が行かないというところに落ち着く。
当時は、漠然と開放絞りでの解像力が劣るという認識でしかなかったのだが、
問題にしたのは、風景など、無限遠にピントを合わせた時の開放時の描写力だ。
まず、このレンズが夕景夜景の撮影を目的に設計されたものであることから、無限遠で使うことが
多いことは想定していると思っていた。また、うす暗くなった夕景夜景の撮影で開放時のコマ収差などの
補正がなされているということから、開放時の描写が良くない筈がないと思った。
もしも絞って良くなるのであれば、開放F値1.2は、何のためにあるのか・・・ということになる。
それから自分は、F1.4の同社のレンズを今まで使って来て、開放での使用を含めて不満に思ったことは
なかった訳で、そういったことから疑い始めたのだ。
不良品をつかまされたのではないかという被害意識は、カメラの盗難にあったり、フィルターを割られた
といったことに、恐らく結びついてそう思い込む様になったのだ。
そんな中、レンズをルーペで覗くと光を散乱させているような無数の点がレンズについていたのが見えた。
しかも、レンズの外周に多く中央部にはあまり見られなかった。
下の写真は、ビデオカメラで接写したノクト・ニッコールの内部である。
実家にあって、盗難を逃れた50mmF1.4のレンズも同様に覗いてみたが、これには全く
そういう点は見られなかった。(恐らくこれを見なければそんなに騒がなかっただろう)



後にその粒は、光学特性にほとんど影響を及ぼさないホコリが拡大されたものだと確認出来た。
しかし、当時の自分は、精研磨がされていない砂目の残った研磨途中のレンズではないかと疑っていた。
まあ、これはホコリだったりだが、50mmF1.4には一切ホコリはついていなかったことから、
メーカーにとってみれば、性能に影響のないちょっとしたレンズの汚れで詰まらぬ言い掛かりを
受けてしまったということになる。
しかしながら、レンズ拭きも馬鹿には出来ないらしい。拭き3年という言葉があるほどに、
レンズを綺麗に拭き取るのは難しい技術を要するのだ。

結局のところの原因

要するに、レンズの設計がそういうものだったというのが結論である。
一眼レフ用の標準レンズは、無限遠、開放での撮影には向かないということだ。
ノクト・ニッコールもそういう他の標準レンズと同じ傾向の設計がされていた訳だ。
当然、昔から使い込んで来たプロやハイ・アマチュアがノクト・ニッコールを手にしても
文句を言わないはずだし、問題視していたのは、世界中で自分だけに違いない。
メーカーを問わず、少なくとも一眼レフのレンズは、ポートレート撮影で最高の性能が出る様に
設計されていて、これくらいの距離だと開放でも鋭いピントを結ぶ。ところが無限遠に関しては
そこまでの配慮は成されていないらしい。昔ながらのカメラ愛好者からは「風景撮影は絞れ」と
いうことをよく聞かされていたが、なぜ絞らなければならないか疑問だった。
ナイスショットという冊子に出ていたノクト・ニッコールの作例は、電飾を美しく撮っており、
この写真と比べると自分のレンズは明らかに解像力が劣ると考えていたのだが、これに対する今の
見解はこうだ。
 画面中央の建物の角がシャープに出ているが、ほぼ間違いなくこの写真は開放で撮影されたものだと思う。
 シャープに写った建物のエッジは、画面中最も近い位置にあり無限遠ではなく5mくらいの距離に
 あったためここまでシャープに写ったのではないかと思う。
 レンズの特性を知った上で、建物のエッジまでシャープに撮影したプロの技との差ということだ。
絞った方が解像力が上がるということは、カメラを持つ者の常識だとしても、無限遠・開放で解像力が
劣るというのはあまり知られていないと思う。開放であることと無限遠ということが重ならないと
そういう撮影をすることがない訳だし、被写界深度によるボケを必要としない風景撮影では、
日中F1.4では明るすぎて、常識的にF5.6くらいで撮ることになる。
また、被写界深度を使用する開放での撮影も目標がはっきり写せる3〜5mより近い距離でがほとんど。
F1.4を使いこなしていると自負していても、ほとんど使わない領域のことは知らなかったということだ。

ノクト・ニッコールの描写特性

天体撮影をすると、色収差なのか、天体撮影以外では分からない程度のマゼンタ系のにじみが出る。
このにじみがこのレンズの名の由来となった「ノクターン」的描写を奏でるようでもある。
それでいて、像には芯があり、星の像は周辺でもきちんと丸く写って崩れない。
にじみを含めたこの傾向は、最近のF2.8の同社のズームレンズでも同じ傾向が出ていて周辺の星像も乱れない。
ノクト・ニッコールは、夜景だけでなく、天体撮影、こと星野撮影に良いかと思ったが、カブリ防止の為
あまり開放は使わないことと、F1.2ともなると周辺減光により、画角の周囲の光量が不足して暗くなるため
天文雑誌に作例が出てこないのもうなづける。
使い方次第で、天体の星野撮影にも威力を発揮するが、無条件に良い結果が得られる訳ではない。
夜景でも、フィルムの相反則不軌に引っ掛からない限り、絞って長時間露光すれば同じ結果が得られるので
露出時間をかけられる被写体の場合には、三脚でしっかり固定して絞って撮影している。
ポートレートなどに使用した場合、開放でもかなりシャープだが、ボケ味は他のレンズと異なり独特だ。
ピント位置から外れると、放物線状に急激にボケる感じがする。
下の写真は、接写リングをつけてかなり近接撮影したものだが、ボケの傾向はよく出ていると思う。




工業製品とユーザーと

カメラなど、感覚に直結するような製品は、使いこなすとまるで自分の体の一部のように扱える。
当然性能が良いものが作られれば絶賛され、神話すら生まれ、メーカーには、マニアという信者もつく。
カメラメーカーにとってみれば、有り難い面と、迷惑な面があるに違いない。
しかしながら、メーカーとユーザーとは製品という物を通してコミュニケーションしている訳で
良くも悪くもそれは避けて通れない部分なのだ。
メーカーは、カタログに良い面だけを掲載したがると思うし、レンズなのどのスペックもメーカーは公開しない。
そのため、自分の不満を解決する手がかりが得られず、随分と悩んだ。
優れた製品を作ると、次はそれ以上を期待されたりするものだが、ノクト・ニッコールに関して、自分は
多くを期待し過ぎたと思う。不良品なのか製品仕様なのか・・・製品コンセプトの誇大解釈だった。
不満に感じる多くは、技術が絡んだ深い部分にある、特定しにくい漠然としたものなのだ。
何がどう不満なのかをハッキリさせられないのでは、コミュニケーションは成立しない。
そこが難しいところだ。

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