同和問題について

はじめに

 1990年頃、自分はある娘に恋をした。
 話にには聞いていたが、同和問題というのはこんなにも根強いものなのかと思い知った。
 学校の同和教育では、同和地区に生まれた者の不幸だけがクローズアップされているが、
 同和でない人が同和の人と結婚を望んだ場合にも同様の苦しみがある。
 弱者だから同和地区の人間が差別されてかわいそう、と思うかもしれないが、
 その境界を超えようとした者は、その境界のどちらに居る者でも苦しむ。
 その辺りのことについて書いてみようと思う。

恐い人

 小学校の頃、確かにこう言われたことがある。
 「あの辺りに住む人は、恐い人だから遊びに行ってはいけません。」
 実際に自分がそこに行ってみると、親切なやさしい人だった。
 「恐い人」というのには別の理由があるのだと思った。

差別問題ではなく、派閥問題である

 これは、その問題に直面して思ったことである。
 もしも、同和教育で言われている様に同和地区に生まれた人が、そのために結婚出来ない
 と苦しむのであれば、結婚してやれば済むことだということになる。
 ところが、実際にこれを経験してみると、同和の人達の大半がそれを望まないのだ。
 同和の人達とそうでない人達は、お互い永年接触がある度に憎しみあう関係にあり、
 それぞれ利害関係が異なる共同体に属するということがその理由だ。
 近年、義務教育などの助けもあり、国も豊かになり、虐げられていた人達の
 中から成功者がどんどん現れて、生活水準の格差はかなりなくなったと言える。
   とはいえ、永年続いた生活習慣を改めないと個人各々は豊かになれないわけであり
   今でも昔ながらの貧しい生活を変えられず、貧しいままの人はいるだろう。
 そう考えると、これは差別問題というより派閥問題と考える方が妥当だと思う。
 商売仇のような派閥がある場合、当然、敵の派閥の娘さんを嫁に取るなんてのは
 政略結婚以外はあり得ず、非難されるだろうからそれに近い。
 だから、私はこの問題を考える場合、派閥問題として考えるのが自然だと思う。
 また、一言で同和といっても、その中にも派閥があり好意的な一派もあれば、
 そうでない派閥もある。結婚が成功しても「あいつらだけ」と恨んだりする
 一派も出て来る様だ。

潜伏的差別問題

 黒人差別の問題は、明白である。
 誰が見ても黒人は黒人であり、それを偽ることはできない。
 ところが、同和問題は違う。
 だれが同和かというのは、非常に分かりにくい。
 自分は、同和だと名乗り出て差別問題に抗議するのが得か、泣き寝入るのが得か、
 周囲に与える影響を考えると後者を選ぶ方が賢い選択の様だ。
 一般には差別する手がかりを隠し、自然消滅させるのが得策と考えられている様だ。
 結婚と就職さえ慎重に行えば、普段の生活には影響しない。
 下手に事を荒立たせると普段の平穏な生活すら危うくなる。
 私の親も、自然消滅するだろうと考えているようだった。
 しかし、経験してみるととんでもない話。
 表に出るのは氷山の一角であり、潜伏しているものは、表面的なものより厄介だ。

派閥問題における4つの立場

 敵対する派閥Aと派閥Bの間で、愛する男女が結婚を願ったとする。
 このとき、この問題に関係する人は4つに分かれる。
 何事においても、賛成する人と反対する人が居るものだが、派閥問題でも同様で
 2つの派閥にそれぞれ賛成者と反対者があるので、立場は4つに別れる。
 結婚を願う男女とその2人に近い2人を祝福する者は、賛成者となる。
 また、派閥問題を解消したいという願いも持ち、自分には、直接利害関係が
 及ばない人達は、無責任に賛成者になる。
 それ以外は、恐らく反対者になるだろう。自分に直接利害が及ばなくとも、
 ちょっとした言動で自分が不利益を被るリスクがあるのだ。
 基本的に、賛成者は少なく反対者が多い結果となる。
 集団の中で、多数決が正しいとするなら個人の結婚問題は少派の問題となり、
 集団全体の中では無視されることになるだろう。

自分の身の回りで起きたこと

 同和問題で、非差別者の男性が、被差別者の女性と結婚を望んだ場合の実例として。
 さて、事の始まりは、周囲から嫌がらせを受けることから始まる。
 恋愛、結婚を望むことが原因だとは最初は分からない。
 それも、単純に恋愛程度のつきあいなら何も問題なく、結婚を意識した途端にそれは始まる。
 どんな嫌がらせを受けるかというと、自分の失敗や、自分の身の回りの人間しか知らない
 ようなことを、それと似た様な別の人の話として電車の中で話しているのを聞かされたり、
 自分や彼女の服装の人を街で多く見かける様になったりということがまず一番。
 自分のために多くの人が動いているとか、ある種プライバシーが侵されている感じがして
 陰鬱な気分になる。しかし、この程度なら善意に捉えることもまだ可能だ。
 ちょっと悪質になると、自分が買い物や観光などを楽しもうとした時に妨害されることだ。
 集団の結束力があれば、人を集めて待ち行列で妨害するなんてことはた易い。
 ある時、ほとんど付き合いがなくなっているある友人から、珍しく電話があった。
 どうもそれは、自分から帰省スケジュールを聞き出すのが目的だったらしい。
 当時の自分は、既にかなりの嫌がらせを受けていたのでこれも不自然に思い警戒ていたところ、
 帰省途中で、混雑する列車の待ち列のことで嘘をつかれたり、空いていない席に、
 「ここ空いてますよ」と嘘をつかれるなどの手口で嫌がらせを受けた。
 列車の待ち列は、自分だけでなく20〜30人が巻き添えを食った。幸い、全部疑って
 いたから、違うと分かってからの行動は早くそんなに嫌な思いはしなくて済んだ。
 何度も帰省しているし、その後も、こんなことはそのときだけだった。
 その他、嫌がらせの手口としては、店などで失敗を装ったものが多い。
 店も信用を失うわけに行かないので、下手なことは出来ないので工夫する。
 飲食店などで余計に待たされたり、注文を間違えたり、味には影響しないが
 スープに普通は取り除くグロテスクな素材が入っていたりというようなことだ。
 こういうのは、文句をつけるのも勇気がいる。そういうものだと開き直られても困る。
 客は孤立していて、隣が何を注文したか失礼だから見ないのが普通だから、
 そういうのを利用することもあったと思う。
 小さな完全犯罪的嫌がらせの数々。
 とにかく、こんなことが重なって行くと、段々と耐えられなくなって来るものだ。
 当然自分の周囲では、結婚を諦めさせるために色々な嫌がらせが起きるが、
 他方、問題なのは自分と関係ない親戚にも影響が及んだことは、自分にとっては意外だった。
 仮に、縁を切ったとしても、血縁という事実関係は切れようがない。
 そうなると、自分のわがままのために関係ない人を苦しめることになる。
 それに気付くと、意地でも・・・と思っていたものが、やり切れなくなって来た。
 派閥問題では、かつて利害関係で確執があったところで、それを思い出す様に
 不和が再燃することがある。それは、相手が敵対する派閥の者だからというよりも
 具体的にこんな酷いことをされたという恨みから来るものなのだ。
 また、派閥関係は、その境界が明確でないことも多いので、とばっちりが
 関係ない人にまで過剰に及ぶことも多いのだ。

何が正しいのかが分からない

 人は、同和問題なんて世の中にあるとは知らないで生まれてくる。
 同和問題なんかあったら、おちおち恋もしていらいれない。
 好きになる前に相手の身元を調べるなんて・・・
 調べることで恋も冷めてしまう。
 同和教育では、身元調査など調べる行為事体を悪いこととしている。
 しかし、派閥の境界を超えようとする結婚は、それ事体不幸なのだ。
 逆の考え方として、好きになってはいけない相手を誰でも簡単に調べられる
 ようになっている方がどれだけ気楽か。
 聞き分けが良い子供なら、そうすることで苦しむことを未然に防げるというもの。
 結婚は色々とある。身分の違いに苦しむ恋もあるだろう。
 普通の家庭で自由な生活を送る娘が、由緒正しい家柄の長男に惚れて嫁ぐにも、
 その家の堅苦しいしきたりを守らなければならないなら、恋はしても結婚は
 諦めるかもしれない。
 その辺りが、恋と結婚の違いだと考えていい。
 派閥を超えた結婚は、同じ派閥内の者に迷惑をかけることになるのである。
 これは、差別ではなく、派閥の理(ことわり)であるとするなら、周囲の者に
 迷惑をかけないで円満に結婚するには、相手のことをきちんと調べて
 結婚することが賢い方法だ。それに対して、自分の力でそのことに対し
 責任を持てるなら仮に周囲に迷惑をかけても好きな様にしろと・・・
 何か、同和教育も、ヒステリックな一部の人達を納得させるための最少限の
 対策でしかなく本当にどうすればいいのか、真剣に掘り下げて考えていないような
 気もする。

結婚というもの

 恋愛結婚が理想とされるところだが、結婚は、結局のところ本人の自由にはならない。
 それは、人間として社会に属して生きているのだから。
 恋愛結婚が成立するのは、たまたま社会の枠組みの中に収まっているからだ。
 だから、恋愛と結婚とは区別すべきものなのかもれない。
 それが大人の恋であり、結婚であると。
 若い頃にこんな経験をすると、何か周囲の力の方が強すぎて、自分の結婚が自分の
 ものでないような気がした。自分のためでなく周囲のためにするのが結婚かと。
 案外、それは気のせいではなく、隠された事実なのかもしれない。

派閥

 派閥内で助け合うから、派閥を超えた憎しみがある。
 「あんな奴に手を貸したくない」という気持ちがあると、
 もう同じ派閥の中では居られない。
 親子の絆、親戚間の助け合いがあり、生活がかかっているからこそ。
 すべて、愛情の裏返しのような副産物として。

まとめ

 最初私は、同和問題をただの差別問題だと考え、同和でない側の人が一方的に悪く、
 自分の側だけ配慮すれば良い方向に向かうだろうと思っていた。
 差別を受ける側が不幸なのであり、悪いのは、差別する方だと。
 ところが、同和問題は、差別問題ではないのだ。
 長い間憎しみあった集団対集団の問題、つまり派閥問題である。
 どちらの側も、異なる集団が混じりあうことを忌み嫌っているのだから。
 個々の事例だけを取り上げて、「差別だ」などと言っているのは馬鹿馬鹿しい。
 最も考え易いそれに近い例が、商売敵だろう。
 期待されるのは自然消滅だが、これも職業との結びつきがあるため根が深い。
 どうも、呪術などを使う者が居るらしく下手なことは出来ない。

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