人は、何のために生きるのか

これは、我が哲学に於いても最大級の謎であり、最も意義が有る研究テーマである。

まず、これに関しては、人間全体に限定せず、生物全体で共通の理由がある
と考えるのが自然だろうと思う。
つまり、「動物は、なぜ生きるのか」である。
そしてまた、この考え方が、この謎を解くのに多大なヒントを与えてくれる。

人間が、物事を考えるのは、本能の働きで知的欲求を持つからである。
有る意味、この働きは、ワンパターンであり、柔軟性があるものではない。
また、人間は、自分を基準に自分が持つ知識の範囲で答えを出そうとするので
想定外のことは、なかなか思いつかないものである。
それが、このテーマを解決しにくくしている大きな要因である。

例えば、人間はまず、「地動説」を考えつき、その後長い時間を経て
「天動説」という正しい考え方に到達した。
このように、自己中心的に考える発想では、正しいものが見えてこない
ということが言えると思う。

そこで、私は、人間や生き物が元々幽霊のような存在であると仮定してみた。
現在の科学では、天国とか霊魂というものは、迷信の1つのように考えられ、
証明することが出来ないために、科学としてはまるで相手にされない領域だが
私の一生の中では、気配のようなテレパシーのような離れて働く作用が、
生き物の中にあるような気がしている。
「初めの初め、天国に霊魂あり」これを出発点として考えてみることにした。

なぜこのような発想に至ったかというと、多くの民衆に受けている、
映画や物語を見てみると、何となくそんな感じがするのだ。
霊が肉体に宿って生活するというのは、モビルスーツに人が乗って
操り巨大なそれを動かしているのに似ている。
この他、映画ではマトリックスやアバターの世界観が正に
そういったイメージなのだ。
私の考えでは、いくら技術が発達しても「意思」や「自己認識」や「苦痛」は、
コンピューターを駆使しても、見せかけだけのものしか
創れないような気がしている。
だから、このような創れないものが、元々根源的に存在していて
この物質世界に投影されているだけではないか、と思うようになったのだ。

あと、物語で受けがいいものに、記憶喪失ものが有る。
霊魂そのものに記憶する働きがあるとしても、生き物の脳を使った
記憶とは比べられないくらい小さく希薄なものだと思う。
生き物は、生まれてから生きるために必要な情報を脳に蓄えて生き、
死んでしまうとその記憶を失うことになる。
記憶を失っているが、大切な記憶は何となく持っているというイメージなのだ。
そこに共感を得てしまうのではないかと思う。

私の考えでは、ビッグバンが起こるずっと前?、いやビッグバン以前に
時間の概念が有るかどうかは知らないが、生き物の意識は、その前から
存在していると考えてみた。
そうすると、その存在は、混沌とか幽霊とかかなり希薄な存在に思える。

あるのだかないのだか分からない、時間的順序もない、何となく存在するが
ハッキリこうだと言えるものが無く、常に変化して決まった形というものがない。
何ともやりにくい世界だ。
私は、無から何かが生まれるとしたら、そういった漠然としたものから
始まるのではないかと思う。
おそらく、生まれて間もなくは、自分の存在にすら気付いていないだろう。
それが自分の存在に気付き、次第にハッキリしたものが欲しいと望むようになる。
だから、ビッグバンによって生まれたこの世界は、時系列で一定の秩序持ち、
漠然としたものを確かな形あるものとして具現化するために創られたのではないか
と思うに至った。

そう考えると、この世界に、生き物として生まれることは、極めて具体的で
確実な存在となることであり、何か存在するだけで素晴らしく思えてくる。
折角生まれてきたのだから、しっかり自分を見つめて、他とコミュニケーションを
取ったり、物質に働きかけて、何か記念になるものを残してみようとか
そういう気持ちになる。

人は何のために生まれて来たのか

理由は必要ないと思う。

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