チェルシーはレジスタンス討伐の為、公司の支配力がぎりぎり届くか届かないかの辺境に赴いていた。
公司はまだ人員不足で、結局彼女の他には能力を持たない陰兵がかり出された。
後に公司はこれを後悔することになる……。

「傷口」

「いっ……っ…」

 いつもなら意地でも痛さを口に出すことなどしないのに今日は違った。
 彼女、チェルシー・ローレックは公司でも一、二を争うほどの意地っ張りだ。しかし他の大多数の者と違う所は、意地を張るだけの実力も兼ね揃えてるということ。
 だが今は、意地を張っている場合ではなかった。
 誰でも良い、援護に来てくれるのなら断わることはしなかっただろう。
 一緒に派兵された陰兵は既にただの肉塊へと変わり、彼女の周りには味方と敵の屍が無数横たわっている。
 レジスタンスの大半は彼女の足元にも及ばなかったが、数が数である。
 彼女の身体は立っているのもやっとの状態で、むしろそうして体を支えていられることが不思議なくらいだった。
 チェルシーの目の前にしっかりと立っているのはレジスタンスには居ないと言われていた能力者で、その能力の扱いにも長けている……彼女と同等か、またはそれ以上か…。
「いい加減俺の言うことを聞いたらどうだ?」
 その手に自身の能力の結晶である水の塊を握りながら男が言った。
「レジスタンスの仲間になれって? ……生憎だけど、今さら就職先を変える予定はないわ。そっちより給料良いのよね」
「転職しろ。そっちはもうすぐ潰れるぞ」
 双方お互いの目から視線をずらせず、動きが止まる。その間にもチェルシーは右手に重力を集める。

 二人同時に地面から足が離れた。
 目で捉えられないほどのスピードで二人がぶつかり合う。
 男の出した水球をチェルシーが重力で収束し、そのまま相手を殴りつける。
 地面に叩き付けられつつも体を反転させ体制を整えると、男は着地する直前のチェルシーに再度水球を投げ付ける。
 迫り来るそれを取り込むはずの重力は、彼女の手には現れなかった。

 能力切れ……、万能に見える能力にも限りがある。
 そしてチェルシーの能力である重力は先の戦闘の分も重なって、もはや臨界点を越していた。とっさに両の手で頭を庇う防御の姿勢をとる。
 そんなことで攻撃を和らげる事は不可能だとは分かっていたが、そうするより仕方ない。
 水球は彼女に当たってもその威力を落とさず、防御の上から壁際まで押しやる。痛む体に鞭打ってチェルシーが起き上がる頃にはもう既に男が眼前に迫っていた。
 脳からの指令が体に行き渡る前に、男の拳がチェルシーのみぞおちに入った。
 崩れ落ちていく彼女の意識が途切れる直前、紅い紅蓮の炎が視界の片隅に見えた気がした。




「………ッ」
「大丈夫か?」
 再度薄れいく意識が、聞き慣れた素っ気無い声で繋ぎ止められる。
「……赤? えっ、ちょっ…」
 自分の置かれている状況がやっと飲み込めたチェルシーは、いわゆる「お姫様抱っこ」の状態から抜け出そうと身を起こす。
「いっ……っ!」
 動かしたその途端身体中から悲鳴が上がり、とても一人では歩けないという事実を自覚せざるを得なかった。
「おとなしくしていろ。…もう少し遅かったら……」
 もう少し遅かったら……。
 その先は言わないでも分かっている。現に自分ももう駄目だと思ったのだから…。
 自身の身体の状態をはっきり理解したチェルシーは、そのまま赤に身を預けた。彼は相変わらず一定のペースで……彼女に負担を掛けない為か、ゆっくり歩いていた。
 ちらっと赤の顔を盗み見、また視線を落とす。
 たった一言言うだけなのにこんなに時間が掛かってしまう自分の性分を呪いながら、チェルシーは小さく息を吸った。

「………ありがと」

 その声があんまり小さかった上に、それを発したはずの人物の性格も手伝って、赤は一瞬空耳かと思った。
 視線を落とし、チェルシーの顔がわずかに赤く染まっているのを見て、空耳では無いことを確認する。
 予想外な言葉にどう返答すれば良いものかと赤は悩んだ。
 気の利いた言葉の一つでも言えれば良いのだが、生憎言いなれていない赤にとってはどれが「気の利いた」言葉なのか分からない。

「気にするな」

 いつもだったら彼の言葉少なをチェルシーが補うのだが、今彼女はそういう状態ではない。自然と会話の応酬がかなり寂しくなる。
 他に言い方があったものだろうにと赤が自分に言い聞かせていると、チェルシーがくすっと笑った。
「何が可笑しい?」
 訝しげに眉を寄せて赤が問う。
「ううん。……赤が、あんまり赤らしいから。ごめん」
 ごめんと言いながらもチェルシーはくすくす笑っている。赤もつられて顔を綻ばせた。
 こんな風に和やかな雰囲気の中で生きていけたらどれだけ良いだろうと、チェルシーはふと思った。




 公司に着いてからすぐに医務室に運ばれたチェルシーは一週間は絶対安静の重傷だった。入れ替わり立ち代りで何人もの人がお見舞いに訪れ、そのほとんどは名前も知らない者達ばかり。チェルシーも相手をするだけで疲れてしまった。
 公司創立からずっと忙しく働いていたので、返って一週間もの間何もしてはいけないというのも疲れる要因となった。
 あと五日間は自分のスペースとなる病棟の個室の白い壁を見回す。なんの面白みも無い壁から視線を外し、何気なく自分の身体を見る。
 そこいら中傷だらけだ。
 見えない所にも至る所に傷がある。
「こんなんじゃお嫁に行けないなぁ……」
「行きたいのか?」
 不意を突かれた衝撃でチェルシーの身体がびくっと跳ねた。
「ちょっ…ちょっと!脅かさないでよッ!」
「ノックはしたんだが……」
「返事が無いノックはしてないのも一緒よ!」
「……悪かった。怪我はどうだ?」
 チェルシーの理屈に負けたのか、赤は一言謝ると話題を変えた。
「一週間安静って言われてるけど別にもう動けるわ。大丈夫よ」
「だが、残り五日間は休んだ方が良い。回復したら、溜まった仕事が待っている」
「はいはい。分かってるわ………って華泰!?」
 チェルシーの両目が病室のドアに向き、その表情を一変させる。
 赤が後ろを振り向くと、すぐそこに彼がいた。
「大丈夫か?チェルシー」
「えぇ、大丈夫よ。忙しい時なのに、ごめんなさい」
 赤と話すときとは少し雰囲気が違うように思えるのは、気のせいでは無いだろう。
「今回の事はこちらが悪かった。まさかレジスタンスにそれ程の能力者がいるとは…」
「……あぁ、なかなかの手練だった」
 赤が横から口を挟む。
「そういえば…赤、あなたよく水相手に炎で戦えたわね」
「お前が居たからな」
「すみませんね!足手まといがいて!!」
 チェルシーがふくれっ面でそっぽを向いた。
 その様子を華泰と赤が微笑する。
「とにかく……無事でよかった」
 華泰が呟くように安堵の声を漏らした。
「じゃぁ、俺はこれで。崇神に仕事を押し付けてきたんだ。あんまり遅いと怒られる」
 公司創立者であり、その象徴である華泰の1分1秒は、普通の人の1時間ほどの仕事量を内包している。
 その事を考えると、自分の為に崇神に仕事を押し付けてまで抜け出して来てくれたことへ素直に感謝の気持ちを抑えられなかった。
「ありがとう、華泰」
「どういたしまして。じゃあな、ちゃんと寝てろよ」
 去っていく華泰の背中を、チェルシーは微笑を返しながら見送る。
「俺ももう行こう」
「あら。じゃあ今度来る時はお見舞いの品よろしくね」
「………あぁ」
 赤の気のない返事から、持って来る気などさらさら無いのが伺える。チェルシーの方も本気で言ってるわけではない。
 彼女は赤に対して軽口を叩ける数少ない存在だ。
 赤の大きい手が伸びてきて彼女の頭を枕に押し付ける。
「……わっ。ちょっ、何するのよッ!」
「今のうちに休んでおけ。傷を治さないと嫁に行けなくなるぞ」
 チェルシーの顔がみるみる赤く染まっていく。
 そういえばさっきの呟きをこの男には聞かれていたのだ。
「おっ、大きなお世話よッ!」
 布団の端を掴んで頭から被り、くぐもった声で反抗する。赤はふっと顔を綻ばせると病室を出て行った。
 バタンとドアが閉まる音を確認して、チェルシーがそろそろと顔を出す。
 その顔はまだ赤く紅潮してはいたものの、表情は普段どおりになっていた。
「もうっ……」
 一言ぼそっと呟くと視線を窓の外へ移した。
 辛うじてほのかな明かりを届けるに留まっている発電灯の光。その光に照らされているアンダーグラウンド。
 酷く危ういバランスで人々が共存している。
 何とかしようと……どこよりも悪条件の揃ったこの地を、どこよりも綺麗な理想郷にしようと。

 そう心に決めたのはまだ記憶に新しい。
「こんな所に寝てばかりではいられないな」
 そう、女としての幸せや願いより公司の一員としての夢と理想をとった。
 後悔はしていない。
 例えこの無数の傷口が癒えず、身体にその痕を残したとしても構わない。
 それによって理想郷が得られるのなら、自分は何だってするつもりだ。
 電気の供給がままならない薄暗い病室で、チェルシー・ローレックは再度決意を新たにした。


 数ヵ月後、公司を……華泰を狂わせる者達が現れるまで、その決意が揺らぐ事は無かった。

二次創作↑

留美奈のるの字も出て来ない、東京アンダークラウンド二次創作です。
わたしはチェルシーが大好きです。
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