この地下世界を支える為に出来る事は全てしよう。
例えそれが、誰かを苦しめることにつながっていたとしても。
「あまいおくすり」
毎朝の集会を華泰が欠席しがちになって何日たつだろう。
全てはあの男、白龍が来てから狂い始めた。
やつが何をしたのか、又本当に何かをしたのかさえ確かめる術はなかったが、チェルシーは確信する。
白龍が何かをもたらした。
崇神が華泰に代わり壇上に立つ集会、ここ最近は珍しくもなくなった光景を後に、チェルシーは廊下を早足で歩く。数歩先に見慣れた背中を見つけ、チェルシーは顔の筋肉を緩め口を開いた。
「おはよう、赤」
ぽんっと相手の背中を叩くとチェルシーは自然と横に並ぶ。
「朝から元気だな、ローレック」
「たった今元気になったのよ」
「…………?」
意味が分からないという風に顔をしかめる赤を尻目に、チェルシーは先刻まで頭を占めていた事を話す。
「華泰どうしたのかしら……。この頃めっきり姿が見えないわ」
「あぁ……」
創立メンバーの間だけでは、華泰を様付けしないで呼ぶのがくせになっていた。赤も同じことを考えていたのか、前ふり無しの話題をすんなり受け付ける。だが二人で考えても答えが出るものではない。それきり双方口を閉ざしたまま、肩を並べ廊下を歩いていく。
歩幅は背の高い赤の方がどうしても大きくなるので、チェルシーは少し早歩きで進んでいた。
公司の施設もずいぶんと巨大なものになっていき、電気や水の供給も完全に整った。
白龍が来た頃からだろうか、こんなに設備が整い出したのは………。そう考えると、彼の働きは大きいものがあるが、前と違って上の情報がダイレクトにチェルシー達にまで伝わって来ないようになった。
それは組織が肥大化したゆえの欠点だろうが、やはり少し寂しい。
公司の建物が綺麗になって行くに従い、人間関係も無機質になりつつあるようで怖い。
本来ならば組織が大きくなることは喜ぶべきことなのにチェルシーは素直に喜ぶことが出来なかった。心の中で何度目か分からぬ溜め息をつく。
「なんだ、溜息などついて」
「えっ!? あ、別に………」
口にまで出ていたことに気付いて、チェルシーは慌てて取り繕った。
「じゃあ私はこれで。お互い頑張りましょ」
ひらひらと手を振りながら、曲がり角でチェルシーが赤の元を去る。
「あぁ」
赤も短く、だがしっかりと答え、そのまま真っ直ぐ廊下を進んでいった。
デスクワークとレジスタンス討伐などの戦闘も兼任しているチェルシーは決して暇ではなかった。今も出来上がった書類を片手に崇神の元へ急ぐ。
約束の時間まであと2、3分しかなかった。
時間にうるさい崇神のこと、ちょっとでも遅れれば何か別の仕事まで押し付けられそうで自然と足は早歩きになった。
ふと、聞き慣れた声を背後に感じてチェルシーが振り向く。
「テイル……。何してんのよ」
「チェルシーっ! こいつを何とかしてくれっ!!」
そう言ってテイルは自分の後ろを指差す。
「ちょっと、ずいぶんな言い草じゃない?せっかく良いもの見せてあげるって言ってるのに」
「僕はそれどころじゃぁないんだよっ!」
「秋絃、テイルを構うのは別に良いけど迷惑かけないように他のトコでやってね」
振り返って損したとばかりにチェルシーがまた歩き出す。
「ちょっ、チェルシー!?」
テイルが不満も露な声で抗議するが、チェルシーは今こんなことに構ってられる程の暇はない。
「分かってるわよ。ほら、テイル!こっち来てってば」
「僕はやだって言ってるだろーっ!」
「往生際が悪いっ! こうなったら………」
「なっ、何する気だよ!? しづ……」
全て言い終える前に、ドンっというくぐもった音が辺りに響き渡り、チェルシーの足が止まる。
ちらっと後ろを振り返ると、秋絃の拳がテイルの頭から数ミリ横の壁に穴を開けていた。テイルのほうも黙ってはいられるわけもなく、本気ではないものの自らの水の能力で秋絃に対抗する。
「僕だってやられてばかりじゃないんだからな!」
「あら、泣き虫テイルがよく言うわ。あとで傷の手当てしてあげるわね」
果たして二人の戦いの幕はきって落とされたわけだが、これを収拾をするのは一体誰か――
「……………私よね、やっぱり……」
これ以上ことを荒立てないように彼女が二人の間に割って入ろうとした時だった。
「こっの……。水爆穿!!」
「ちょっ、テイル!! そんな大技使ったら……っ!?」
チェルシーの静止は頭に血の上ったテイルに届くはずもなかった。静止むなしく、テイルの技は炸裂する。
突然の爆発で防御も間に合わずチェルシーは吹き飛ばされた。
「いったぁー……。全く、あの馬鹿。すぐ頭に血が昇るんだからっ………ッ」
文句を言いながらチェルシーが身を起こす。
破壊がどれ程のものか彼女には分からなかった。それもそのはず、彼女は暗闇の中にいたのだ。少なくとも瓦礫に埋まってしまっているわけではないのは不幸中の幸いと言えるかも知れなかった。
「ここ、どこ?」
場所を確かめようにも電気のスイッチも何も見つからない。暗さに目が慣れてくると、どうやらそこは何かの部屋の中のようだった。
おそらく爆風で飛ばされ近くの部屋に転がり込んでしまったのだろう。さっきはドアが開いている部屋など一つも無かったはずなのだから。
ドアごと吹き飛ばされた上に出口が崩れたか――。
「最っ悪……」
一瞬自分の能力で出口を無理やり作ってしまおうかとも考えたが、すぐにそれは打ち消された。
暗闇の中で、どこが元出口だったのかが分からない。
これ以上破壊工作が重なれば、確実に崇神の眉間の皺が増えてしまう。
テイルと秋絃には後で絶対責任を取ってもらおうと心に誓い、チェルシーは取り合えず奥へ歩いた。
「何だと?」
職員から報告を受けた崇神はその怒りを隠すことなく辺りに撒き散らした。
おかげで不運にも報告に来た男は縮こまり、消え入るような声でもう一度報告した。
「でっ、ですから……テイル様と秋絃様の戦闘によって引き起こされた爆発によって5階フロアの一部が破壊され、
巻き込まれたローレック様がまだ行方不明なんです………」
言い終わるか終わらないうちに崇神が椅子を立ち、そのまま早歩きで自室を後にした。
残された職員の男はいまだ感じ取れる崇神の怒りを浴びながら、しばらく部屋に突っ立っていた。
「何? この匂い」
かなり奥へ歩いてきたはずだがこれといった物もない。出口付近で救助を待とうと踵を返したところで、チェルシーは鼻に付く何かの匂いを感じた。
手探りで前へ進むチェルシーの手に何か、おそらく壁だと思えるものが触れた。
そこで一旦立ち止まり、目を凝らして辺りを見る。
「う〜ん……、分かんないわね」
降参とばかりにチェルシーが溜息をつくのと時を同じくして、部屋の電気がジジっと音を立てて一瞬白い明かりがつく。しかし先の爆発で何処かがショートしたのだろうか、もう一度音がして点滅を繰り返すに留まった。
全くの暗闇に比べればそれでも充分だ。
明るさに慣れた彼女の目に映ったのはおびただしい数の植物。
「な…に……これ」
「大麻だ」
突然の背後からの声にチェルシーは心臓が飛び出るほどだった。
「あっ、ぱっ白龍!」
振り向くとそこには背の高い、黒い長髪を垂らしている白龍がいた。
「大丈夫か?」
「えっ、えぇ。別に怪我は無いわ。……タイマって?」
この男から「大丈夫か」なんて言葉を聞くことになるとは思ってもいなかった。そのせいで反応が遅れたが、一番気になるのは今聞いた単語。
彼女にとって……いや地下世界の誰でも、大麻なんて言葉を知っている人はいなかっただろう。
初めて聞く単語に何故かチェルシーは胸騒ぎを覚えた。
「これか? これは薬の一種で、高く売れる。公司の資金源の一つだ」
「薬……」
「試すか?」
「えっ? いいわ。どこも悪くないし。それよりも早く出たいんだけど。貴方、どこから入ってきたの?」
白龍と二人きりで薄暗い密室にいるこの状態を少しでも早く抜け出したかった。
ただでさえ苦手な男なのに、こんな所で話していたくはない。
「吸ってみろ」
「えっ、ちょっ…。ん…っ……」
白龍の大きな手がチェルシーのあごを上げさせ、火をつけた葉巻を無理矢理咥えさせた。
始めは息を止めていたチェルシーも観念して少し吸う。
元々煙草の類など吸わない彼女は、すぐにむせて咳き込んだ。
「うっ……気持ち悪っ……」
「ふっ」
白龍の嫌な笑みが視界の隅に入ったが、チェルシーは言葉を発する事さえ出来なかった。
目が回り立っていることが出来ず足がふらつき、そのまま意識を失いかけ床に倒れこむ。
「チェルシーっ!」
床に叩きつけられる直前、間一髪で伸びてきた両腕が彼女を支えた。
「あ…、す……いじぇん」
「白龍。何をした」
口調はいつもと同じなのに、崇神の全身からは怒りのオーラが出ている。
「別に? 忙しい様子だったので、別の楽しみを知ってもらおうと思ってね」
「…………」
崇神は何も言わなかった。
きっと口を開いたら容赦ない非難の言葉が溢れ出すだろう。だがそれは今後の為にも控えねばならないこと。
チェルシーを支える手に自然と力がこもる。
「チェルシー……、大丈夫か?」
「それを聞くのは……今日で二度目だわ。大丈夫よ」
相変わらず真っ青な顔に微笑をたたえて言われても、その言葉に説得力はない。
崇神は彼女を抱えると出口へと進んだ。
多分白龍は笑っているだろう。
あの男は信用できない。薄れいく意識の中、チェルシーは再度確認した。
「ねぇ。……貴方知ってたの?」
「何がだ?」
あのあと数時間で回復したチェルシーは、その日のうちに崇神のオフィスを訪ねた。
「大麻よ。はぐらかさないで、ちゃんと教えて」
「…知っていた」
「あれは何? 本当に薬なの?」
崇神は書類を机に置くと、目の前に立っているチェルシーを見やる。
「麻薬の一種だそうだ。喫煙すれば開放感や幻覚・妄想・興奮を来たす」
「……何でそんなものを公司が栽培してるのよ!?」
チェルシーは自分が味わったあの感覚を思い出しながら唇をかみ締めた。
「今は、公司にとって大事な時期だ。地下世界は変わりつつある。電気、水の供給も進みつつある」
視線を窓の外に移し崇神が続ける。
「だがどう考えても資金源が不足しているのだ。それを確保する為なら、多少の――」
「あんなもので、資金を確保するの?」
仕方ないのは分かっていた。
今はなりふり構ってはいられない状態だということも、それは公司に必要なことであるのも。
だけど納得が出来なかった。
守るはずの人々を逆に苦しめて得られる資金。それによって公司が潤い、地下世界を統治する?
その矛盾をチェルシーはどうしても納得出来なかった。
「用が無いならもう行け。私も忙しい」
「崇神っ! 私は……納得できないわ。華泰は?彼は知ってるの?」
「知っている」
その一言は、気丈な彼女を打ちのめすには充分すぎる一言だった。
「彼が知っている」、それは黙認しているということだろうか。
あの彼が?
理想郷を創り上げると言って、瞳を少年のように輝かせていたあの彼が?
「嘘でしょう……? 崇神、私の知らないところで何がどうなってるの!? 華泰はどうして姿を見せないの!?」
自分は知らなくても崇神なら知っているはずだった。
少しずつ歯車が狂いだしたのを分かっていて、知らない振りをしていた罰だろうか。
「教えて! 崇神っ!!」
「お前に言う必要はない」
相変わらず視線を窓の外に移したまま、彼女に背を向ける形で崇神が言った。瞬間チェルシーは凍りつく。
あんなに近くにあった存在が、今は壁一つ向こうに感じられた。
それも分厚いコンクリートの壁だ。
自然と溢れてくる涙を必死で止め、チェルシーは無言で部屋を後にした。
しばらく崇神はその場から動かなかった。
もし彼が自分を偽ることがもっと上手だったのなら、まさか手の平に血が滲み出る程爪を食い込ませることはなかっただろう。
これは後に分かることだが、大麻は決して地下世界の住人だけに売られていた訳ではなかった。むしろ彼らが憎む存在である地上の人間の手に渡るものの方が多かったようだが、とうとうチェルシーがそれを知ることはなかった。
彼女は自分の信じる道を貫き通し、彼らの元を去ったのだから。
チェルシーのことを考えすぎていて、とうとう夢にまで出てきました。
細部は忘れましたけど、概ねこんな感じの夢を見たので、忘れないうちに書きました。