「雪解けを待つ」
セラフィーが五歳の時、その者は生まれた。次代の帝国の要を担うであろうバシリスク家の長男、ラキア・バシリスク。
ラキアが生まれながらにして皇女リディエラを守る存在であったのと同様、セラフィーもその瞬間ただラキアを守るためだけに存在していた。
彼はラキアを弟のように可愛がった。彼らはいつもどんな時も一緒にいた。叱られるときも、喜ぶときも、彼らはともに叱られ喜んだ。
セラフィーはよたよたと自分の後を付いてくる小さな主を守るため、ただ一心に剣の稽古をした。将来宰相となるに違いない彼の隣りに並んでいられるだけの力が欲しかった。見劣りがしないくらいの力が。
セラフィーが十一歳のときだった。ラキアがまだ六歳のときだった。
突如勃発した内乱が王家を滅ぼし、ラキアが心をかけていたリディエラ皇女も行方不明となった。遺体こそ見つからないから、セラフィーは悲愴な面持ちを浮かべるラキアに「きっとどこかで無事に生きている」と浅はかな嘘をついた。
セラフィーにとってはラキアの体と心が何よりも優先するものだった。
ラキアの父、先の宰相ラウロも内乱で死んだ。彼の母親は元々病弱だったが、この内乱の折に亡くなっている。
一度に失ったものが多すぎた。
もはや麻痺してしまうほどの痛みを抱えた心を、それでも騙し騙ししながら時を重ねた。
状況が変わったのはラキアが十二歳のときだった。
セラフィーはもう十七歳になっていて、剣の腕も心の強さも充分ラキアを支えられるものになっていた。少なくとも自分ではそう思っていた。
ラキアはその年、ようやく一人で馬に乗れるようになっていた。セラフィーを連れて領内を散策することもしばしばあった。
失念していたのはこの歳の少年の無謀さや好奇心。
セラフィーが少し目を離した隙にこの少年はたった一人で遠乗りに出た。気付いて探して見つけたときにはもう何もかも遅すぎた。
体は無事だった。が、ようやく見つけたとき、少年の心は硬く閉ざされてしまっていた。まるで凍てつく冬の氷のように。
何があったのか、無理にでも聞き出せば良かったのかも知れなかった。しかしそうすることで脆い少年の心は簡単に崩れてしまいそうで、セラフィーはただその心が上手い具合にほぐれてくれるのを待つことしか出来なかった。そしてその時は来なかった。
いつまで待っても、少年が心の内を明かしてくれる日は来なかった。
『慰めないでくれ、何も聞かないでくれ』
と、言外に少年は言っていた。全身で癒しを拒絶していた。
心を安らかにしようという働きは全て罪に思えた。癒しは罪に思えた。
少年が十四歳のときに、彼の叔父は亡くなった。謙虚で人の良い人間だった。その穏やかな気質が、頑なだったラキアの心をゆっくりとかしているのにセラフィーも気付いていた。が、その叔父は亡くなった。毒殺だった。
いよいよ殻に閉じこもってゆくラキアを、セラフィーはただ見守っているしかなかった。口数はどんどん減っていった。
もう過去、どんな風に笑いあい喜び合っていたのか思い出せなかった。
それから九年が経ち、一人の少女が現れる。
卑怯なのを承知で、セラフィーは全てを彼女に託した。氷を溶かす、春の水を彼女の中に見出したから。
ただただ、たった一人の、彼にとってはいつまでも「少年」である存在の幸せを祈りながら。
他の何を犠牲にしても。