「経営者の条件(The Effective Executive)」ドラッカー.P・F,1965 野田一夫・河村欣也訳,ダイヤモンド社(1966)より ものごとをなすべき者の仕事は、成果をあげることである。ものごとをなすということは、成果をあげるということである。企業、病院、政府機関、労働組合、軍のいずれにあろうとも、そこに働く者は常に、なすべきことをなすことを期待される。すなわち、成果をあげることを期待される。 それにもかかわらず、ものごとをなすべき者のうち、大きな成果をあげている者は少ない。知力は当然ある。想像力もある。知識もある。しかし、知力や想像力や知識と、成果をあげることとの間には、ほとんど関係がない。 頭のよい者が、しばしば、あきれるほど成果をあげられない。彼らは、知的な能力がそのまま成果に結びつくわけではないことを知らない。逆にあらゆる組織に、成果をあげる地道な人たちがいる。しばしば創造性と混同される熱気と繁忙の中で、ほかの者が駆け回っている間に、亀のように一歩一歩進み、先に目標に達する。 知力や想像力や知識は、あくまでも基礎的な資質である。それらの資質を成果に結びつけるには、成果をあげるための能力が必要である。知力や想像力や知識は、成果の限界を設定するだけである。 このことは、当然明らかなはずである。しかしそれならば、ものごとをなすべき者の仕事の一つひとつについて山ほどの本や論文が出ている時代に、なぜ成果をあげること自体については放置されてきたのか。理由の一つは、成果をあげることが、組織に働く知識労働者に特有の能力だからである。(中略)・・・。 知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。自らの仕事を業績や貢献に結びつけるべく、すなわち成果をあげるべく、自らをマネジメントしなければならない。 知識労働者が何を考えているかは確かめようがない。だが考えることこそ、知識労働者に固有の仕事である。考えることがなすべき仕事の始まりである。しかもその動機づけは、成果をあげることができるか否かにかかっている。彼自身がものごとを達成できるか否かにかかっている。成果をあげられなければ、仕事や貢献に対する意欲は減退し、九時から五時までただ身体を動かしているだけとなる。 知識労働者は、それ自体が独立して成果となるようなものを生み出さない。知識労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である。それら知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。いかに膨大な知識があってもそれだけでは意味がない。したがって知識労働者には、肉体労働者には必要のないものが必要となる。すなわち、自らの成果を他の人間に供給するということである。(後略)・・・。 |