内の不和
戯志才が東郡に来て数ヶ月が過ぎた。根が明るく話し上手なこの男は、なんなく曹軍に溶け込んだ。
特に、「やくざ」生活の長かった夏侯惇とは気が合うらしく、夏侯淵も含め暇があれば三人で酒を飲むことの多い日々を送るにいたったのである。
この日も仕事が終わるとひょっこり荀ケの執務室に顔をだす。
「よう。」
にかっと笑って入ってくる戯志才に荀ケは顔もあげずに片手で挨拶する。
「・・・・まだ終わらないのか。」
スタスタと入ってくるや否や、第一声はそれであった。荀ケのわきに敷物もしかず、どかっと座ると机上に積みあがっている書簡の一つに手をのばす。
「――――――さわるな。」
低い声で一言そう告げると、戯志才は方をすくめて書簡をもとの位置にもどした。
「手伝ってやろうと思ったのに・・・。」
「いらん。」
冷たくつきはなす。周りの掾吏たちは慣れたように特に気にするでなく、くすくす笑いながら二人を見守っていた。
「なんだよ、冷たいなぁ。」
「出て行け。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
にべもないとはこういうことを言うのだろう。だがこの程度は日常茶飯事である。戯志才は表面上こそ渋い顔をしていたが、内心はへっちゃらだったりするのだ。
「せっかく情報もってきたのに。」
「知っている。殺されたらしいな。」
「・・・・・・ちぇっ。」
知っていたのか、と今度こそ本当に眉根をひそめ舌打ちした。
先月の話である。首都長安で董卓を誅殺した王允が殺されたのだ。
「呂布のことは?」
「袁術だろう、たしか。」
「・・・・・・じゃあ黒幕は?」
「それは知らない。」
にわかに戯志才の顔が明るくなる。だが荀ケは顔もあげずに、
「話は仕事が終わってからだ。うっとうしいから出て行け。」
とさらに突き放した。だがこの程度で帰る戯志才ではない。脇の机にあった椀に水を注ぎ、一口ふくむ。いつものことなのだ。荀ケも別段気にとめず、汁直講師でもって連れ出そうとまでは至らない。そこに入ってきたのは二人の夏侯従兄弟である。
まず真っ先に口を開いたのは夏侯惇であった。
「お忙しいですか?」
「いえ、どうぞ。何かありましたか?」
荀ケはそういって筆を止め、顔をあげた。
「いえ実は・・・・・うちの兵どもがバカをやらかしたときいたもので。」
「ああ、そのことですか。すでに将軍に話は通しました。不問に付すとのことです。大丈夫ですよ。」
夏侯惇の言う「兵」とは、この夏組織されたばかりの「青州兵」である。もとが賊出身であるため手癖が悪かった。ささいな喧嘩、盗難は数知れない。それらの処理はすべて司馬たる荀ケが行っていた。軍における事務処理は荀ケが一手に引き受けていたのである。
「はあ、本当に申し訳ない。連中にはこっぴどく叱っておきましたゆえに。」
「今まで自由気ままに暮らしてきたのです。一度に軍規に従えといってもきかないでしょう。」
「つけあがらないですかね。惇兄もそれを心配しているんですよ。」
横から口をはさんだのは夏侯淵である。
「罰則はきちんと設けてあります。大丈夫でしょう。」
「連中飼いならすの、女以上に大変だからなぁ。」
完全に他人事と割り切っているのは、他ならぬ戯志才である。彼は他三人と異なり、兵を持たない『
謀将』である。
「ちなみに被害はどれほどです? 私の月給から差し引いてくださって結構ですよ。」
「将軍が不問に付すと言った以上、元譲殿が責を負うのはおかしいですよ。それに・・・。」
「それに?」
「ええと、盗難された糧秣はその・・・・。」
「惇兄の給料何年分?」
「・・・・・・・・。」
「あいつら・・・・・・・・。」
無言の中にそれとなく漂う厳しい数字を悟った夏侯惇は、とたんに険しい顔をした。そこに入ってきたのは、東郡の政治を一手に任されている陳宮である。彼は入ってくるなり眉根をひそめた。
「・・・・・・・・随分立て込んでますな。」
「公台どの、なにかありましたか?」
機先を制して荀ケが口を開く。すると陳宮は持っていた書簡を荀ケの前におく。
「軍事に関して口を挟むつもりはありませんでしたが、こちらに被害が及ぶとなれば話は別です。兵らをもっとしっかり監督していただきたいものですな。」
書簡を広げれば、今回の被害をどこからどのように埋め合わせたかが細かく記されていた。もう一簡は陳宮の人事である。州の長吏になることがかかれてあった。つまり、荀ケと間接的に上司になるということだった。
「お手数をかけ申し訳ありません。」
「二度とこんなことのないよう、とりしまりを強化してください。まったく、とんだ手間をかけさせる。」
荀ケは言葉なく頭を下げた。
が、反論したのはむろん戯志才である。
彼は「けっ」と鼻で笑うと、つっかかった。
「この程度でギャアギャア喚いてんじゃねぇよ。」
とたんに陳宮の顔が険しいものへと変じた。
「なんだと?! この程度とはとはよく言えたものだな。郡県の倉庫洗ってまでかき集めねばならなかったのだぞ。」
「戦が一回おきればこんなもんじゃないだろ。」
不敬ともとれる発言に荀ケはとめに入った。
これ以上陳宮との間に溝を掘りたくはなかったためだ。
「子然、控えろ。」
だが戯志才の暴言はとどまらなかった。
「だいたいなにしに来たんだよ。こんなもん下吏にでも持たせりゃいいだろうが。ケッ、下心見え見えで醜悪極まりねぇ野郎だぜ。」
「子然っ!!」
声を荒げる荀ケとは逆に、陳宮の声は静かに、されど内圧がこもっていた。
「そういう貴様はここで何をしている。仕事はどうした。」
「あんなもんちょろいぜ。当の昔に終わってるよ。そういうあんただって終わってるだろ? そうだよなあ、まさか仕事中断してまでこんなつまらない雑事、自分でやらないもんな。よっぽど暇で暇でしかたなかったんだろ? ・・・・フン、同じ穴のムジナじゃねぇか。」
「無礼なっ!!」
さすがにこの挑発に陳宮はカッと血が上ったのか一喝する。荀ケも厳しい顔で戯志才の袖をひくと、
「子然、あやまれ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フン。へーへー、悪うござんしたね。的を射すぎたようで。」
だが彼はあざけるように肩をすくめ、そういっただけだった。
「・・・ふざけるなよ、貴様などいつでもクビにできるのだからな。」
「語るに落ちたな。てめぇに人事権なんざねぇよ。」
どこまでも他人をバカにすることに長けた男である。
もともと陳宮と荀ケの対立から始まった潁川士大夫対エン州士大夫の争いは、戯志才が口を挟んでは油を注ぎまくっていた。
荀ケはもはやあきらめたようにため息をもらした。するとそれに気づいた陳宮が、今度はその荀ケに矛先を向ける。
「・・・貴様の推挙などとことんあてにならんな。以後慎んでもらおう。」
「・・・・・・・・・・・。」
「あんたの器の問題だろ。それより用が済んだだろ、とっとと帰れよ。」
「言われんでも帰るわっ!」
陳宮は捨て台詞を残し、肩を怒らせ室を出て行く。
一気に室内の空気が和んだ。
自然、皆からため息がもれる。そこで真っ先に口を開いたのは荀ケであった。
「子然、たのむから公台殿を挑発しないでくれ。」
「おことわり。俺は俺の気の済むようにするだけだよ。だいたいお前だって我慢するこたないだろうが。」
「内に不和があっては外のことにあたれない。お前だってわかっているだろう。」
「知らないね。そこは将軍の采配であって俺の気にするところじゃない。」
「おいっ!」
さも当然のように曹操に責任転換した戯志才はどこ吹く風である。さすがの夏侯惇と夏侯淵も苦笑せざるを得ない。
「だいたい奴だって、家臣同士の不仲を戦略に持ち込むほどバカじゃあるまい。」
「それはそうだが・・・・。」
「ならいいじゃんか。」
そういう問題ではない。
だがこれ以上の論議は無理と悟った荀ケはため息一つ吐き出すと、あらためて書簡に目を通した。そこでわかったことだが、エン州全土の郡県から被害分以上の糧秣が、青洲兵の組織された軍に支給されていた。おそらく曹操の指示があってのことだろうが、よく他の郡県の不満を抑えたものだと荀ケは頭の下がる思いだった。とてもではないが、自分では無理である。
すると、横からチラリと覗いた戯志才は陳宮の仕事に「ヒュウッ」と口笛を吹き、彼なりに敬意を表する。
「・・・官庫の整理でもしたらしいな。フウン・・・さすがだね。手抜かりない。」
「そう思うなら少しは自重したらどうだ。」
「能力面は認めるけど、性格と合わせたら差し引きマイナス。よって敬意を表す必要なし。」
きっぱり切り捨てた。
頭痛いとばかりに荀ケが額に手をあてる。
「お前もだ。」
「俺? 俺は別に礼儀なんて気にしないぜ?」
すると今まで黙っていた夏侯惇がおもしろそうに口をはさんでくる。
「バカにされりゃ怒るだろうが。」
「元譲どの。まだまだ俺に対する理解が足りませんね。やられたら倍にしてやりかえす。不快を抱いたら、相手にそれ以上の不快感を与える。それが俺のやり方です。」
「最低だな・・・。」
戯志才の弁舌に荀ケが苦々しく呟いた。すると今度は夏侯淵がニヤニヤ笑ってつっこんだ。
「その割には文若殿にはやられっぱなしじゃないか。」
「ちっちっち。妙才殿もわかっておられませんな。前提条件として勝てない戦はやらない主義なんです。」
するとその言葉に夏侯惇と夏侯淵はお互いの顔を一瞬見合ってから、次いで荀ケの顔をじっと見つめつつ一言。
「・・・・・・・・・・・・・なるほど。」
「人の顔見て納得しないでください、ほんとにもう・・・。」
少しむっとする荀ケである。
だが彼は知らない。
曹操軍の中で二番目に怒らせてはいけない人物として自分の名前が挙げられていることなど。
それは誰も口にはしなかったが、暗黙の了解で誰もが肝に銘じていることだったのである。
はう〜ん、陳宮ごめんなさ〜い。
完全に悪者(笑。しかも戯志才完全にやくざ(爆。
まあいいか、所詮妄想の産物だし(オイオイ)。
陳宮が州の長吏としたのは、曹操が徐州進行の際陳宮を将軍としていることから来ています。まあようするにこのころは陳宮が曹操の側近だったということで・・・ひとつ。
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