諍い



(なんだって、この場でこんなことをいうんだ、こいつは!!)



表面上おだやかに応対していたが、内心はらわた煮えくり返るほど激怒していた。これほど怒ることもめったに無い。荀ケという男は物事に対しあまり感情を移入しない。それが故に様々な事象に冷静に当たることができたとも言える。幼少のみぎりよりその婚姻ゆえに誹謗中傷の嵐に曝されてきた彼にとって、罵詈雑言など相手にしなかったし、逆に賞賛を浴びても喜色をあまり浮かべることはなかった。
(自分のことは自分が知っていればよろしい。)
そう考えていたからである。
だが、このときばかりは腹を立てた。
相手は少府孔融である。
それは曹操が外にでており、荀ケが朝議の全てを一任されていたときに起こった。
「袁公は広大な領土と強大な兵力を有している。田元皓と許子遠は智謀の士であって袁公のために計策を立てている。審正南と逢元図は忠義の臣であって政治を担っている。顔・文両将軍は三軍をおおう勇士であって軍兵を統率している。これではほとんど勝つことは難しいであろうな。」
彼はこともあろうか、文武百官の集う町議の場でそう言って荀ケを挑発したのである。
荀ケが怒るのも無理は無かった。
ただでさえ劉備が徐州で裏切りの旗をあげ、朝廷内外で動揺が走っていたのである。むろん孔融はそれを知ったうえで揺さぶりをかけてきたのだ。



朝議の場が「シン・・・・」と静まり返った。



荀ケは怒りをどうにかこうにか腹の底に沈めると、ゆっくりとこう反論した。
「袁紹の兵は多いが軍法が整っていません。田豊は剛情で上に逆らい、許攸は貪欲で身持ちが治まらないことで有名です。審配は独断的で計画性がなく、逢紀はむこうみずで自分の判断で動くことが多いです。この二人が留守として後方にいるのですから、もし許攸の家族が法律を犯した場合、大目に見ることが出来ず許攸はそのことに恨みを持つでしょう。また、顔良、文醜の類にしてみれば、男一匹の勇を持つに過ぎませんから、一度の戦で生け捕りにすることができるでしょう。これだけの敗因を持つ袁紹が曹公に勝てるはずもありません。」
荀ケは朝議に参列する官吏たちに言い聞かせるように、落ち着いて話す。
「はっはっは。詭弁と申せましょうな。」
だが孔融はそう言って一笑に付した。荀ケとしてはここで徹底的に孔融を論破し、その動揺を抑えなくてはならない。
馬鹿馬鹿しいと思いつつも、彼はこの挑戦を受けてたつ。
「詭弁、と申されましたが何故でしょう?」
「彼らの性格分析が、ですよ。そんなもの戦の上でどれほどの意味があるでしょうか。結局は袁公の胸先三寸です。いや、袁公こそすばらしい傑物と申せましょう。そういったいわば「性格に難のある」人物を寛大な心で持って評価し、その才を活かしているのですからな。その上朝命にはことごとく真心を持って当たり、いまや敵となった曹公のもとにおられる天子に対して忠誠を尽くし、朝貢をおこたることがない。これぞまさしく大陸一の忠義の士と申せましょう。」
(やられたっ!)
要は曹操が朝命をないがしろにし、天子を奉っているものの、権力を手放さずにいることを非難しているのである。
孔融は勝ち誇ったようにふんぞり返っていた。
荀ケは一つ深呼吸をしてから、口を開く。
「忠義の士と申しましたが、それは曹公にこそ第一に挙げられるべきものでしょう。その一つ目には、天子が西へお帰りあそばれた際、危険を顧みず真っ先に駆けつけ奉迎いたしました。袁紹は配下の者を挨拶につかわしただけで、自ら出迎えようとはしませんでした。これが曹公が袁紹に優っている点です。二つ目には、天子が洛陽にお戻りなされたとき、洛陽の様子たるや雨風を凌ぐ処もなく、その日の薪すら間に合わぬほど荒れ果てており、朝廷すらも開けぬ有様でした。故に曹公はこの許に天子をお招きに也、宗廟、社稷、制度を確立させ、日月の光を万民に照らしめました。三つ目には、四海のうちにひそむ逆賊どもを征伐し、天子の御心を安んじておられるのです。いったい曹公の何を持って袁紹の下と言われるのか。ましてや大義を扶持して天下の永訣をあまねく心服させております。それをどうして袁紹の方が人を用いるに上だと申されるのか! 讒言もほどほどになさるがよろしい! そもそもこのような朝議の場で、天下を乱す袁紹を褒めるとは何事かっ!! 貴様は逆賊の手下か!!」
荀ケは一喝する。
孔融も最後の一言に顔を真っ赤にして怒鳴った。
「黙れっ! 誰が逆賊の手下か。貴様のような宦官に膝を屈した佞臣に言われとうはないわっ!!」
孔融はそう言うと、くるりと踵を返し朝議から出て行く。
同時に孔融のとりまきもこそこそと後を追った。
結局この論戦により朝議は中断され、皆を仕事に戻らせることとなった。
その日、荀ケは泰然と過ごした。
初めこそそわそわしていた朝廷も、荀ケのその様子に次第に落ち着きを取り戻し、その日のことはただの権力争いの一幕として片付けられたのである。
曹操のいない合間、荀ケさえ落ち着いていれば自然朝廷は落ち着くものだ。
荀ケはそれをよく知っていたのだった。
だが、彼の怒りが収まっていたわけではなく、それは家で爆発したのである。




荀ケは家に帰るや否や、冠を地面に叩きつけたのだ。あまりの出来事に唐夫人もびっくりしてしまう。つれそって15年以上経つが、彼のこんな姿は初めてであった。だがそこはさすがに第一夫人である。彼女は何事かとばかりにかけつけた戯夫人に視線をおくる。彼女もその意味するところを察すると、その身を翻した。
「あの、腐れ儒者がっ!!」
荀ケの怒声にも唐夫人は動じることなくゆっくりと落ちた冠を拾う。そこで初めて荀ケは彼女の存在に気付くと、自らの言動に恥じたのか怒りを和らげた。
「その・・・・・・すまない。」
「いいえ。外では思うように感情も吐露できませぬのでしょう? 家ではどうぞ寛いでくださいませ。私は気にしません。」
ニッコリと微笑んでそう言われては、感情をぶつけることさえできなくなってしまう。荀ケは傍にあった椅子に腰掛けると、重く溜息を一つついた。唐夫人はその合間にもお茶を入れたり、着替えを用意したりと忙しく立ち働く。そんな彼女を何気なく見ていた荀ケに、逆に唐夫人がためらうように声をかけた。
「あの、何か?」
「・・・・・・いや。良妻を得て私は果報者だな、と。」
「・・・・・・・・・・もう。怒ったかと思えば、おかしなことまでおっしゃる。」
荀ケの突然の言葉に、さすがの唐夫人もくすくすと笑い出した。
「おかしい? そうは思わないけど? うん、今度市がたったら君のために何か贈るよ。極上の絹糸でも手に入れようか?」
「本当にどうかなさいまして? お疲れなのでは? 第一上等のものを着ても、中身が劣っているのが際立つだけですわ。」
「まさか。君は綺麗だと思うよ。うん、朝廷で働く官女など比較にもならない。」
さすがの唐夫人も困ったように立ち尽くす。すると今度は部屋の入り口のほうから、
「奥さん口説いて何が楽しい・・・・・。」
「三兄・・・・。」
あきれ返った声とともに登場したのは荀ケの三番目の兄、荀エンである。
彼は先日休暇を消化するために前線から帰ってきたところであった。
荀ケに比べいくらか上背も高く、逞しいひきしまった体つきをしている。やはり部隊長として兵を率いる身だからだろう。
「いけませんか?」
「いや、かまわないが、当てられたほうにはたまらないね。」
荀エンは組んでいた腕をとき、肩をすくめた。
「この程度であてられたなどと・・・。嫂上をほうっておいてよろしいのですか?」
「なに、戯夫人が血相変えて飛んできたから事情は解ってくれるだろう。それで、戯夫人をして「ただ事ではない」と言わせしめた君の怒りはどうした?」
「・・・・・・・・・・まだ鎮まってはいませんよ。」
「朝議の件だろう? 孔融を論破しておいて何を怒っているのだ。」
「あの場で殴りつけなかっただけでも褒めていただきたいですね。」
「はははは・・・・。『宦官に膝を屈した佞臣』か?」
「三兄っ!!」
いつになく厳しい荀ケの声音に、荀エンは眉根を寄せる。だが自分の背後に唐夫人が青ざめたように立っているのに気付くと、
「あ、いや。・・・・・すまない。」
すぐさま申し訳なさそうに陳謝した。だが彼女は顔をこわばらせたまま「失礼しました」と一礼してそのまま出て行ってしまう。
「三兄も、時と場所を選んで発言をして下さいっ!」
荀ケはそう言ってすぐさま後を追う。残された荀エンは困ったように首をひねると、一つ頷き立ち上がった。そこにもう一人の夫人はお茶を手に入ってくる。
「・・・・もうお帰りになるのですか?」
「うん、ちょっと失言をね。五弟と唐夫人には本当にすまなかったと伝えてくれ。あと、五弟の怒りは気にしなくていいよ。何、どうせ袁紹との決着がつくまであんな感じさ。」
「わかりました。お気をつけて。」
戯夫人も、すぐに何事かを察したのか笑顔で見送る。が、ほとんどすれ違いで二人の訪問客がやってきたことを告げられ、あわてて出迎えた。そこには荀ケの従兄弟荀悦と耿紀が立っていた。
「やぁ、従弟の様子はどうだい?」
「まあ、わざわざおいでくださったとは・・・・。ええ、たぶん大丈夫だと思いますわ。どうぞ。」
戯夫人はそういうと、先程まで荀エンのいた部屋に二人を通す。
お茶をいれると、一大決心の元二人に尋ねた。
「あの、差し出がましい女とお思いになって結構です。今日何事かありまして?」
「・・・・・・文若から何もきいていないのかい?」
「少しね。イヤなヤツに嫌なことを言われたんだよ。」
二人はのんびりとそう言う。戯夫人は少し考えてから、
「その・・・・・・『宦官に膝を屈した佞臣』ですか?」
「あはははは、いや、そのことではないよ。たぶんそれについては本人前々気にしていないんじゃないかな。」
耿紀はそういってにっこりと笑った。
「しょっちゅう言われていることだからね。」
「そうなのですか?」
「うん、何しろスキを見せない男だから。他にケチのつけようがないのさ。身近に接すればいろいろとおもしろい男なんだけどね。」
「ただ、その面白いことを欠点としてあげつらう輩もいるということさ。」
「随分いやらしい性格の持ち主ですのね、その輩とやらは。」
自分にとって憧れであり、最良の夫たる荀ケのささいなミスをあげつらうなどと戯夫人はムスっと不貞腐れる。すると荀悦が、
「・・・・知っているかな、孔文挙殿だよ。」
そう助言するなり、彼女の顔が見事に冷め切ったものに変わった。
「ああ、能無し府君・・・・・・・・。」
この発言には男二人仰天する。
「大嫌いですわ、あの方。もしあのときもっとマシな方が北海の相でしたら私は財を失うことも、一族の多くを亡くすこともなかったのですもの。」
「君は北海出身なのかい?」
身内を亡くしたという話に耿紀は眉根を寄せる。
「いいえ。董卓の乱の時に潁川から北海へと逃げたんですの。まさか中原から離れた北海なら、あれほど酷い目にはならないだろうと、北海におりました大叔父様が申しましたので。兄共々一族の好意に感謝して避難したんですわ。」
「・・・・・・それは・・・・気の毒だったね。」
耿紀も荀悦も目を伏せる。
あまりといえばあまりなことだ。
戦乱を避け北海へと来てみれば、今度は黄巾の残党が暴れ回っていたのだ。
「礼だの仁だのおっしゃる前に、孫子でも学べばよかったんですわ。学校も大切でしょうけれど戦乱では剣が必要でしょう? しかも一人で逃げ出して。あんな男のどこが『名士』なのかしら。世の人々はもっと人を見る目が必要だと思いますわ。」
プンプン怒ってそういうと、荀悦も耿紀も苦笑を浮かべざるを得ない。
「・・・でも文の才はすばらしいのだよ?」
「まあ、耿様のお言葉とも思えませんわ。文の才があったとて私たちが安全に豊かに暮らせないのでは意味ありませんわ。それこそ片田舎で墓守でもしていればよろしいのに。」
おもわず彼女の言いざまに二人そろって声を上げて笑った。
「これは、意外なところに孔少府殿の敵が隠れていたものだね。」
「くやしいですわ。私が男でしたらその場であの男の罪状を十はあげて恥をかかしてやりましたのに。」
「まあ、いちおう仇は討っておいたよ。」
「何をしたんですか?」
荀悦の言葉に、今度は部屋の入り口から声がかかる。
他ならぬ荀ケだ。
先程の笑い声に客人の来訪を知ったのだろう。
だが。
「やあ、こんばんは。まだ着替えていなかったのかい?」
と、従兄荀悦から指摘され、荀ケはようやく自分がまだ朝服であることに気付く。
「これは失礼しました。すぐに着替えてまいります。」
荀ケは苦笑しつつすぐさま立ち去る。戯夫人もすぐに後を追った。
「彼も意外とずぼらな一面があるからな・・・・。」
ややあって二人は顔を見合わせ笑った。




「それで、お二人して何をしたんです?」
着替えて戻ってきた荀ケは席に着くや否やそう尋ねた。
「うん。昼間に天子の前で顔を合わせてね。わざと顔をしかめてみせたんだよ。」
二人は侍中であり、毎日天子のもとにご機嫌伺いに赴くのが仕事である。むろん荀ケも侍中の一人ではあるのだが、尚書令との兼任であるため、どちらかというと黄門官から事後報告を受けるのみで終わることが多い。特に今日は孔融が参内していると聞いていたので、顔をださなかったのだ。
「天子の前で・・・・ですか?」
「無論そうでなくては意味がないだろう。当然帝はお尋ねになる。『何かあったのかね』と。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何て答えたのです?」
いやーな予感がして、荀ケは渋い顔をする。
これ以上孔融との対立を深めたくないというのももちろんだが、天子の御前にその対立を曝したくないという思惑もあったからだ。あまりあの年若い天子に過剰な期待はするものではない。荀ケはそのあたりを割り切っている。
「『帝の御心を騒がせるやも知れませぬ故、申し上げにくいことです』とね。」
そこまで言われては興味をもたない献帝ではない。
「『かまわぬ。そちが気分を害しているならばそちらのほうが気がかりじゃ。申してみよ。』とまぁ、おおせられるゆえに言ってやったのだよ。『孔少府殿に朝議の場にて荀家の名を辱められてございます』とさ。」
くっくっく、と喉の奥で笑いながら荀悦は声音まで真似てそういった。
すると耿紀が、
「『それはよくない。何があったか朕の知らぬところだが、荀家は天下に名だたる士大夫の家柄ぞ。ましてや今朝廷で働いている荀家のものは皆忠義の士であると朕は知っている。いったい何をもって非難したのだ。』。ほら、帝は常日頃君に信をおいているからね。効果てきめんだったのだよ。」
「『たしかに感情にとらわれ失言を致しました。が、先に辱めたのは荀令君です。』なんて反論するものだから、まあ、私も頭に血が上ってしまってね。つい言ってしまったのだよ。『忠義を尽くしてお仕えしている曹公を貶め、今、この許に弓引く袁紹を立てるなぞ、逆賊呼ばわりされてもしかたないのではありませんか?』と。」
荀悦の言葉におもわず荀ケは頭を抱えたくなった。
(なんとまぁ、幼い言い合いだことで・・・・・。)
明日の朝一番の予定がきっちり決まってしまった。
これでは帝のもとに参上せねばならないだろう。
「怒ったでしょう?」
「うん。立場は異なれど天下の名士をたたえて何が悪いだってさ。だから重ねていってやったんだ。『官位は異なれど、共に忠節尽くして働く荀令君を『佞臣』呼ばわりはどうかと思われますが。』さすがに帝も事態を察したらしくてね。『それはよくない。そちら臣下一同が一枚岩となって難事にあたらねばならぬのに、亀裂をいれるのは朕としても心もとないぞ。荀ケにわびを入れるも必要だろうが、今は荀悦に頭を下げるべきであろう。』」
「・・・・・・謝ったんですか・・・・。」
「当たり前だろう。日頃帝絶対を声高に唱えているヤツが逆らえはしないさ。」
「ぜひとも君を呼びたかったね。」
二人はそう言って笑う。
(やれやれ・・・・。)
明日孔融との面会もしなければならなさそうだ。
だが、二人の明るい笑顔に思わず荀ケの顔にも笑みが浮かぶ。
結構恵まれた職場環境だと思わざるを得ない。
多くの人に気遣われ、こうして励まされるということは、それはかなり幸運であろう。




後日孔融は『文書』で謝罪してきた。荀ケも返事をだし全て丸くおさまったかに見えたのだが、二人の間の溝がいっそう深まったのは言うまでも無いことである。





オイオイ、帝をだしにこんなマネするか、あほんだらっ!
なんて、反論が来そうですね。
ええ、私だってそう思います。
でも所詮パラレルですから(よし、これで万事オーケー)。
この袁紹と曹操の比較論は荀ケ伝をちょっともじったものです。きっとこんなカンジだったんだろうなぁと。というか、この二人って仲よかったんですかね。私の小説では「お互い大嫌い」前提でお話作っているのでこうなったのですが、案外酒を酌み交わし笑いながら話していたとか・・・。
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