兄と妹


昨晩の雪は明け方にはやみ、真っ青な空がまぶしいほど晴れ渡った午後。
いつものように自室で机に向かっていた李典だったが、
「今日東市が立つ日だろう? 一緒にいかないか?」
曹昂に誘われ、今二人は城下でも比較的栄えた東門の方へと足を運んでいた。
道の脇には昨日の雪がうずたかく積まれ、ところどころに植えてある紅梅の花をよりいっそう美しく際立たせていた。
「もう、春・・・か。早いなぁ。」
「はい。」
どこかしみじみと呟く曹昂の顔は晴れやかだ。
思わず李典の顔にも笑みが浮かぶ。
すると、突然曹昂が足を止めた。見やれば彼はとある庭先から道のほうまで枝の張りだした見事な梅を眺めていた。
「・・・・・・・あの梅は見事だね。帰りに一枝もらって帰ろうか。」
「ご母堂様に差し上げるのですね? さぞかしお喜びになると思います。」
「うん。母上の庭にも咲いているのだけれど、まだまだ蕾が多いから。」
「でしたら、刺し瓶が必要になりましょう。」
「そうか。じゃあ、それを買わないと。お金足りるかな・・・・・・・。」
刺し瓶など買ったことがないのだろう。いくらくらいするものか見当もつかない曹昂は、とたんに財布の心配をする。彼ほどの家ならば、代金など家にとりにこさせることくらいなんでもないだろうに、そんなこと微塵も思わないのだ。世間知らずなのか、それとも庶民的なのか。
「大丈夫でしょう。このあたりの瓶はさして質のよいものでもありませんし。それほど高くは無かったと思います。」
「まあそうだね。買えなければそれはそれでいいし。無理して贅沢することもないさ。」
「・・・・・・・・・・・。」
思わず苦笑が浮かんでしまう。
この間瞬時に質のいい高い紙と墨を買った人物の言葉とも思えない。
彼の基準ははてさてどこにあるやら。
(変なところで貧乏根性をだすのだから。)
「何?」
「いえ、何でも。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
鋭いまなざしを向けられ、李典は慌てたように首を横に振った。
尚も曹昂は疑惑の眼をむけるものの、すぐさま東市の楼が見えてくると追求をあきらめる。
そこには見知った隊長がいて、供手してくるが、曹昂はにっこり笑って見逃してもらうこととした。
ここで身分がばれてしまえば、あっというまにたかられてしまう。
できればのんびり市を見て回りたいのだ。



東市。
毎朝たつ朝市と異なり、日用品から普段手に入らないような高価な品まで勢ぞろいするこの市場は、毎月二回開かれ、毎回人混みでごったがえす。なにしろ、日ごろ楽しみなど無い人々の心の潤いでもあるからだ。
だがこのところ戦続きのこの地では、商人もなかなか集まりが悪い。
東阿にでも行けばまた違うのだろうが、ここ甄城ではせいぜい200mくらいにしかならない。
それでもどこから集まるのか、というほどの人人人。
そんな人ごみのなか二人は慣れたようにするりするりと身をかわしながら上手に店を見て回った。
二人にしてみれば粗末な服でも、一般の商人たちから見れば十分上等な類に入る衣服を身につけていた曹昂と李典はあっという間に眼をつけられ、あちこちから声がかかった。
「お二人さん、お二人さん、この絹なぞどうです?」
「こちらの銅ケンは他では手に入らない一級品ですよ! 御安くしますよ!」
「めったに手に入らない書物がありますよ!」
などなど。
それらをうまくかわしつつ、曹昂はふと見知った顔の店主を見つけた。
「あれ?」
「おや、これは若様。」
向こうも気づいたらしい。
中年のがっしりした男はにこにこと笑顔で挨拶してくる。
以前買い求めたことのある宝飾屋の店主であった。
「やあ、元気そうでなによりだね。」
「若様方こそ、お元気そうでなによりです。」
今のご時勢、いつ命を落としてもおかしくは無い。
ましてや宝飾業など営んでいては、盗賊たちに狙われやすいのだ。
だからこそ曹昂は気になったように尋ねた。
「・・・・・・以前ここで一緒に働いていた娘さんはどうしたの?」
「ああ、あれは嫁にだしましてな。今はこうして一人で露店しているんですよ。」
「それはめでたい。」
李典も思わずそういってしまって、すぐに後悔した。
なにしろ相当の美少女だったのである。曹昂だって何も思わなかったはずもあるまい。
だが予想に反して曹昂はにこにこと笑顔で「おめでとう」などと言っている。
(・・・・・・・・?)
なんとも思っていなかったのだろうか。
「そうだね、なら・・・・・・・その髪飾りもらおうか。」
曹昂はそういうと、一番高そうな宝飾品を指差した。
「え、よろしいので?」
「もちろん。こちらも機嫌をとらないといけない女性がいることだし。」
「それはそれは。」
何を誤解したのか、店主はニマニマと意味深な笑みを浮かべ丁寧に包み始める。
そんな様子に曹昂は苦笑いを浮かべるばかりだ。
代金と引き換えにそれを手にすると、そのまま彼は店を後にした。
「・・・・・・・・よろしかったのですか?」
李典は不思議そうに尋ねる。
「それはね、妹に何か買わないととは思っていたんだ。」
「妹?」
てっきり母親へかと思いきや、妹だったとは。
「そうなんだ、このところ機嫌が悪くて。」
「それはまた・・・・。・・・・・・・・・・・もしや夏侯将軍のところの・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・そう。もう手がつけられなくてね・・・・・・・・・・・。」
曹昂の溜息の深さに噴出しそうになる。
曹昂には妹はたくさんいる。
だが実妹はたったひとり、曹泉だけだ。
その妹は夏侯惇の息子、夏侯ボウに心寄せているのだが、彼は父親たる夏侯惇と共に東郡へと 引っ越してしまったのだ。以来ふてくされてしまっているという。
表面上こそ淑女らしく振舞っているが、心許せる長兄の前ではその不満をぶちまけているらしい。
「それはそれは・・・・・・ご苦労様です。」
「・・・・・・笑いたければ笑うがいいさ。・・・・・フン、他人事だと思って・・・・・・・・。」
ブツブツと文句を言う割には結局可愛がっているのだから、兄馬鹿である。
くすくすと笑っていると突然後ろから声がかけられた。
「これは・・・・・・・若ではありませんか。」
「あ、子然殿。」
陽気な声をかけてきたのは、曹操軍きっての知恵袋、戯志才であった。
「こんにちは。」
「こんなところで・・・・しかも悪友と連れ立って何をなさっておいでです?」
「悪友とはまたヒドイ言われよう。」
戯志才の雑言に李典は反論しながらも、彼の口の悪さに慣れてしまっているため笑顔でそう答えた。
「市で買い物を。花を生けるための瓶を買おうと思ったのですが・・・・・・・・・。」
「瓶。ならあちらでよさそうなのが売ってましたよ。」
戯志才は慣れたように二人を案内する。
「それにしても瓶とはまたつまらないものを。」
「つまらないとは、何故そう思うのです?」
曹昂は彼の気さくな、言葉を飾らない物言いが好きで、よくこうして話をする。
李典も彼の、よく言えばざっくばらんな、悪く言えばずうずうしい無礼な態度は自分でも不思議なほど気に入っていた。他の者ならば勘に触るだろう態度も彼だとまるで嫌味にならない。人徳というものだろうか。
「母君への贈り物でしょう、どうせ? その年頃ならば好みの女の子に櫛でも紅でも買ってさしあげるものですよ。」
「そういう子然殿はどうなんです?」
「若、聞くまでもないですよ、どーせ、お酒にきまってます。」
曹昂の質問に戯志才が口を開く前に李典はそういって笑う。
「ふむ、どうやら俺の行動パターンが読めてきたようだな曼成。」
否定しないところはやはり酒らしい。
実際かれの片手にはすでに酒瓶が二つ握られていた。
これには若者二人そろって大笑いする。
「ああ、ここですよ。やぁ、さっき見せてくれた瓶まだあるかい?」
すると戯志才はある露店で足を止めた。
すると露店の主たる老人が顔をあげ、
「ああ、アンタか。・・・・・・おや、これはこれはどこぞの若さまで。いけませんな、このような男と歩くなど。その年頃ならばもっとうんとましな人と付き合わねばなりませんぞ。」
「オイ・・・・・・。」
わはは、と楽しそうに笑いながら後ろの積荷から一つの箱を取りだす。
あまりの言い様にさすがに戯志才がムスッとするものの、反論できないところで二人は更に笑いだした。
「これですよ。これは陳留から流れてきたものでしてな、もともとは洛陽のさる高官の家にあったもので、なかなか手に入らない一品なんですよ。どうです? 御安くしておきますよ。」
見れば確かにすばらしい色合いの瓶であった。
青。
けれど見目に優しい色合い。
一目で気に入った。
あとは値段である。
「いくら?」
「本来なら500、いや700銭と言いたいところですが、ここはこの浮浪者に免じて200銭。にしておきますよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
高い。
とてもではないが買える代物ではない。
すると隣で別のものを物色していた戯志才が
「おい親父、ごうつくばると売れるものも売れなくなるぞ。」
「いや、ホント。これ本当にいいものなんだって。」
「だからって200はねぇだろ。ここんとこ汚れてるし、だいたいまがいものだろ、こんなところに流れてくるくらいだ。」
「本当にいいものなんだって。」



「55。仕入れ値はそんなところだろう。」



そのときもう一人、よく知った声がかかる。
振りかえればそこに立っていたのは、
「おお、文若。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と玉榮・・・・・・・・・・。」
戯志才同様二人も振りかえり、驚いたように立ちあがる。
そして礼をしようとして・・・・・・・・。
文若のすぐ後ろの女性に先に口を開かれてしまった。

「兄様? その右手に握っていらっしゃるのは何かしら?」

そうとうご機嫌斜めらしい。
眉を吊り上げ戯志才を睨みつけている。
しかも発言からすると戯志才の妹らしい。


「あ、いや、だから、これは・・・・・・・・。」
「兄様、家であれほど、あれほどお酒は控えめにと昨晩申し上げたはずでしたわね。それをもう、さっそく破るんですの? いったいその頭の中にはなにが詰まっていらっしゃるのかしら。記憶力、なんてものは縁のないものですの? それとも誠実といった言葉が兄様の辞書には載っていらっしゃらないのかしら。」
「あんなもんお前が勝手に言いだしたことだろ!」
「その言葉と引き換えにお金を引きだしたのはどなただったかしら!」
戯志才が声を荒げるなり、負けじと彼女も怒鳴りだす。
「だいたい文若様にもお借りしているというではないの! 兄様は算数もおできにならないの? 借りたものは返さなくてはなりませんのよ! お金というものは湯水のごとく沸き出てくるものではありませんのよ!」
「俺が稼いだ金をどうしようと俺の勝手だろうが!」
「あーら、稼いだ以上のお金については勝手にできないこともご存知ないとは、笑わせますわ。ご自分のことも満足にできないで、よくぞ曹将軍が雇ってくださいましたわね。ああ、ご存知ないのかしら。でしたらせいぜい中身の無い頭で必死に隠しとおしてはいかが? ああ、何も詰まってないんでしたっけ、できませんわね、そんなこと。」
「お前、言わせておけば・・・・。」
「ああ、そこまでにしとけ。二人とも。若の前なんだぞ。」
二人の兄妹喧嘩に呆れたように荀ケが止めに入る。
すると彼の言葉に仰天したのが玉榮だ。
「え・・・・・・・・。」
とたんに頬を赤らめ袖で口元を隠す。
「ばーか、今更なに照れてんだよ。お前の本性ばればれ・・・・・・ってーな!!」
おもいっきり足を踏みにじられ戯志才が一歩さがって叫ぶ。
だが曹昂も李典も今のやりとりにびっくりしたように固まっていた。
そんな二人の胸中を察した荀ケは苦笑しながら少女を紹介した。
「彼女は戯志才の妹で戯玉榮。玉榮、こちらは曹将軍の御嫡男で曹子脩様。隣が学友の李曼成だ。」
「お初にお目もじにかかります。戯玉榮と申します。」
彼女はあらためて膝を曲げ礼をする。
改めて見やれば、その白い肌も、どこかおっとりぎみの目元も、そして黒々としたつややかな髪も。
すべてが美少女というにふさわしい。
おもわず二人の青年が顔をわずかに赤らめたとしてどうして非難できようか。
「始めまして、曹子脩と申します。」
「李曼成です。」
あわてて二人も頭を下げる。
「・・・・・・・二人とも、外見に惑わされてはいけないという事例、とくとご覧いただけたと思います。」
「・・・・・・・・・・・・兄様、それはどういう意味かしら。」
「君が美人だという意味だよ。」
剣呑な玉榮の言葉にすかさず荀ケがフォローをいれる。
だが戯志才はもののみごとにぶち壊してくれた。
「はあ? こいつがあ? 冗談抜かすなよな。こいつが美人ってんなら東旋だって後宮に入れるぜ?」
「まあ、ひどい!」
「事実だろ、事実。美人ってのは唐夫人のような女性を言うんだよ!」
「あらあら、随分と理想が高くていらっしゃるのね。そんなだからいつまでたっても独り身なんですわ!」
「違うだろ、俺は・・・・」
「戯志才、それ以上何も言うなよ。」
諦めかけた荀ケからぶっそうな声音でブレーキがかかる。

まさかお前、
若の前で、
ふざけた発言するつもりじゃあるまいな。
したらどうなるか、わかってるんだろうな。

ジロリと睨みつけられ、さすがの戯志才も口をつぐむ。
「ところで、その瓶の値段。よくて80といったところだ。」
先ほどの荀ケの発言に顔を青くした店主に向けて、荀ケがそう言い放つとようやく皆目的を思いだす。
「あ・・・・・・・。」
「そうだろう?」
「あ、あの。でしたら、120銭ならだせます。それで売ってはいただけませんか?」
せっぱつまったように青い顔した店主に、さすがに曹昂は同情気味にそう申し出た。
呆れたように溜息を漏らすのは李典である。
「若・・・・・。金は有限ですぞ。そのようにつまらないものに費やしていいものでもありますまい。」
真っ向から非難したのは戯志才である。
だが曹昂はゆるゆると首を横に振ると、
「いえ、品物には気持ちの値段もありましょう。それに・・・・・・もともと200銭だったのです。半値に近いのですから、私も十分得をしております。」
にっこりと笑顔でそういった。
これには誰しも口を挟めない。
と。
「では、若の御優しい気持ちを上乗せしましょう。100でどうです? いや、これ以上は譲れません。」
「・・・・・・・・・・・・・・わかりました。では100で。」
店主の心意気をも呑みこみ、曹昂はお金を支払うと大切そうに瓶を抱えた。
「まったく、人がよすぎますよ、若は・・・。この乱世、それでは乗りきれませんぞ。」
呆れたように呟くは戯志才である。その瞬間ペシリと頭をはたかれた。
無論そんなことをするのは友人だけである。
振り向けば、じっと真剣な目で叱りつける荀ケに・・・・その隣でギロギロと睨みつける妹。
この二人にはさすがの戯志才も叶わない。
肩をすくめると、
「では、若。私はこれで退散します。・・・・でないと嵐が俺に襲いかかりそうなんで。」
そんな彼に、一瞬キョトンとした曹昂。だがすぐに何のことかを悟ると、
「お気をつけて。」
とくすくすと笑った。
隣の李典もとたんに口に手をあてソッポむくが、肩を震わせているところを見るとどうやら笑いをこらえているらしかった。
しかし。
嵐は彼を見逃してはくれなかった。
一人は彼の手にしていた酒瓶をさりげなく奪い取り、
「では、私もこれで失礼いたします。治安が保たれているとはいえ何があるかわかりませんので、十分注意してお帰りください。」
もう一人は、戯志才の袖をしっかりと掴みながら、
「お目にかかれて嬉しゅうございました。」
にっこり笑顔で口元を袖口でおさえながらも一礼する。
そのまま嵐・・・・ならぬ荀ケと戯玉榮は笑顔のまま戯志才を連行するように去っていったのであった。



「・・・・・・・・妹にもさまざまですね・・・・・・・。」
思わずそんな言葉が李典から漏れる。彼にも妹はいるが外にはめったにださない。
それだけに戯玉榮の立ち居振るまいは新鮮だったらしい。
「まあね。そりゃ男がこれだけさまざまだし。同じだけ女性にタイプがあっていいと思うけどね。」
「いやでもあれは・・・・・・ねぇ?」
「・・・・・・・・・まあ他の家のことだし。」
「はぁ・・・・・・。」
「・・・・・・・・帰ろうか。」
「梅を貰って帰りましょう。」
当初の目的を御忘れなく、と釘をさして・・・・・・・・・だが二人はすぐに吹きだし笑いいあったのであった。







李典ってかなり若いですよね?
逆算すると曹昂と年が近いのでは、という推測のもと彼の学友になってもらいました。
この二人、また書きたいなぁ。

曹泉は清河公主のことです。勝手に名前付けました。
東旋とはいわゆる『ブス』のこと。西旋という絶世の美女に対してちまたでつかわれた言葉だそうです(よう知らん)。
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