留候世家東武陽に政庁があると聞いていた荀ケは、まっすぐそこを目指すことをやめ、東へと間道を抜け一度南下してから遠回りにそこへ向かった。故郷へと帰ることを建前に旅だったため、一度南下しなくてはならないからである。 また、現在黒山との戦の最中にあるであろう東郡へとそのまま向かうのは危険だと考えたのも理由の一つだ。 ただ途中出あう旅人から情報だけはちくいち入れるように気を付ける。 小さな子供のいる旅ではなかなか思うように進まず、だがさして急ぐでなくのんびりと袁紹の領地を見まわるように旅をすればいつの間にやら雪がちらつくころになっていた。 雪が大地を真っ白に染めあげる中、馬車を進めていると隣に座る唐蓮がわずかに身体を震わせた。 「寒いか?」 すると唐蓮はすぐに首を横にふり、 「大丈夫です。グを抱いておりますもの。」 そういう彼女の懐ではすやすやと赤子が寝ている。 今年の春先に生まれたばかりの、今だ一度も正月を迎えたことの無い子。 非常に静かで、あまり泣かないのが逆に心配だ、とは兄嫁の言葉。 すると背後から声がかかった。 「父上、お城まであとどれくらい?」 荷車から白い息と共に高い声を発したのは嫡男ツ。柔らかい頬を真っ赤にそめた彼は楽しそうな様子でさえあった。幼いうちからあちこち移動するのは不敏なこと・・・とおもっていた荀ケにとって子供たちが楽しそうにしているのは心が救われる思いだった。 「そうだな、・・・・まだ当分かかるだろう。退屈か?」 「ううん、すごく楽しい!」 にこにこと満面の笑みで手の上にのせられた雪玉を荀ケに見せようとせいいっぱい腕を伸ばす。なにやらボコボコと変形し、枝やら葉っぱやらがくっついているところをみると、何かしら形を作ってみたらしいが荀ケにはとんとわからなかった。さてどう返事したものかと悩めば突然、 「ツ! お父様は馬車を操っていらっしゃるのよ、邪魔しちゃ駄目!」 高い声とともに荀ツがえり首つかまれ後ろへとひっぱられる。長女荀暎だ。 もちろん荀ツも負けじと荷車のへりにしがみつき、 「やーだああ!!」 と叫んで身体を丸めた。そんな荀ツの手を掴むと、 「もし間違いあって馬車がオウテンしたらどうするの!? ミガッテは駄目なのよ!」 と、結果的に年齢差もあいまって力負けした荀ツをなんとかヘリから引き剥がした。反動で二人が荷車でひっくりかえるも、馬を巧みにあやつりなんとか体勢だけはととのえる荀ケ、変なところで感心する。 (言葉の発達が早いな・・・。) 横転、身勝手など、いつの間に憶えたのだろう。 ふと隣に座る唐蓮に尋ねれば、 「女の子は男の子に比べて、口の回りの発達が早いそうですわ。」 くすくすと笑いながら答えてくれる。そんなものか、と半ば感心したように肯けば、それをどうとらえたのか荀暎が嬉しそうに。 「私、コウより字がいっぱい書けるの。三の伯父様が褒めてくださったわ。」 荀コウとは、荀シンの次男で、荀暎とは年が同じであった。彼女は合間を縫ってはコウの勉強中に部屋に入り、一緒になって字を憶えているらしく、荀シンと荀ケの代わりに荀家の子供たちの面倒を見ていた荀エンからは『あれは奸馬になるぞ』と言われたほどである。誰に似たのか、性格も活発で何事にも物怖じせず、勇敢な一面を持っていた。 叔父荀フもニコニコと笑いながら『父荀シュクに似たのであろうなぁ。』などと呟いているのを耳にしたことがある。 そんな荀ケの思考など気にもせず、荀暎は更にまくしたてた。 「でもね、コウったら、女の子がそんなにたくさん字を知る必要はないって言うの。負け惜しみだわ。」 「・・・・・・・・・・・・・よく知ってるな、負け惜しみなんて言葉。」 「三の伯母様から教えて頂いたの。あのね、伯母様がおっしゃるには、女の子も字を沢山知っていたほうがいいんですって。将来夫となった人に、力で負けても言葉と迫力で負けては駄目なんですって。カテイエンマンにはそれが必要だっておっしゃてたわ。」 嬉々として言う彼女に何を言えようか。 代わりに天を仰ぐしかない荀ケ。 (なんてこと教えるんだ・・・・。) 「姉上は力だって勝てるよ・・・・。」 ボソリと呟いたのは、今だ喧嘩で勝てたことの無い荀ツである。 「あらだめよ、力まで勝っちゃったら夫のタツセは無くなるんですもの。一つくらい勝たせておいてあげなくちゃ可哀想でしょ?」 とてもではないが、士大夫の家の息女が口にすることではない。 「それにね、女はそのミリョクで男をムリョクにできるのですって。あ、これは郭先生に教えていただいたの。」 (奉孝のやつ、他人の娘になんてこと吹きこむんだ!!) そこで郭嘉の名前がでたところで荀ケの沸点が一気に上昇した。 むっとふてくされた表情にさすがに唐蓮もいたたまれなくなったのか、 「申し訳ありません・・・・。」 「いや、お前の謝ることではない。・・・・・・・・・・・・・・奉孝め、今度会ったら憶えてろよ・・・・。」 子供たちに聞こえないよう・・・けれどどこか殺気さえ帯びた声音でボソリと呟く。どこかの空の下、郭嘉がくしゃみくらいはしているかもしれない。 「暎、あまり奉孝の言葉を真に受けてはならない。」 「マにウケルってなに?」 「全部本当だと思って信じてはいけない。嘘が隠されていることもあるからね。」 「ふうん・・・・でも先生は物知りよ? 私先生と結婚してもいいもの。」 「っっっ!! ・・・・・・・・・・駄目だ!」 (冗談じゃない! あんな男に大切な娘を嫁がせられるか!!) 荀ケは心の底から悪態をつく。 彼の頭脳は荀ケが今までであった中でもピカイチであることは彼自身認めるところではある。 だが私生活においてもピカイチなほどだらしないことを荀ケは、決して短いとはいえない付きあいの中で充分知っていたからである。 一方荀暎は、きっぱりと駄目の言葉を貰いムッツリとおもしろくなさそうに荷車に戻った。どうやら機嫌を損ねたらしい。 しかしそんなことにはイチイチかまってられない。 (友人ならいい・・・・・・・姻戚などまっぴらだ!!) 絶対に彼のもとへは嫁がせなどするものか、と、変なことを心に誓う荀ケ。 後に荀ケの決意どおり、郭嘉に嫁がず、郭嘉とは全く正反対のタイプの男、陳群に嫁いだ荀暎だが、はたして荀ケの思惑はいかほどの効力を持ったかは謎のままである。 荀ケの一行は黒山の戦に片がつき、ひとまず安定したらしいとの情報を手に入れ、南回りにエン州へと入り、まずは東郡のボクヨウへとたどり着いた。 北の冬は早い。 城内は真っ白な雪に包まれ、吐く息は充分に白かったが、それでもさすがにギョウ城よりは南にあるためか、比較的暖かく感じられるのは気のせいか。 だが潁川の暖かい気候に慣れた荀ケにしてみれば充分にこたえる寒さで、荀ケはすぐさま宿を取り暖かく着こんだ上で一人城内を散歩することにした。城の様子はそのまま為政者の支配力をアリアリと示す格好の材料なんである。 だから散歩と称して、実は探索に出かけようと思ったのだ。 思ったのだが。 一人でなく二人になってしまったのは、ひとえに長男荀ツがついてきてしまったからだった。 もともと好奇心の強い(もちろん長女荀暎にはかなわないが)荀ツは、興味深々とばかりにキョロキョロと辺りを見まわしていた。 「はぐれるなよ。」 しっかりと手を握り、きつくいいつければ荀ツは嬉しそうに肯いて荀ケと一緒にあるく。 子連れでは変な界隈へは足を踏みいれられまい。本当ならそういったところが情報を手に入れるに一番なのだが、仕方ない。またの機会にしよう・・・と諦め、表通りを歩き出した。 街は綺麗に整備されており、あちこちに兵が毅然と歩いており監視の目を光らせていた。 (さすがは孟徳どの。いい配下をおもちのようだ。) 政庁のある本拠地でなく、東郡でも一番はなれた南の地でこれだけしっかりと治安がなされているのは、やはり城主の采配が大きい。 「父上、あれはなあに?」 すると、荀ケとは全く別の視点で街を見ていた荀ツが荀ケの手を引き、前方を指差す。 見やれば屋台の連なる中、数十人の人垣ができており、その中央では一人の男が手ぶり身振りをまじえつつ声をはりあげている。 「あれは講談師だ。」 「コウダンシ?」 「見てみるか?」 「うん!」 どのみち子連れではたいしたことはできないと、時間潰しも兼ねて(荀ツの好奇心を満足させるためにも)人垣に近寄る。荀ツの背丈では後ろからでは見えないため、抱き上げてやれば、彼は嬉しそうにその講談師を見やった。 「・・・・・・・・・・・・・・・こんな無茶な話があるもんかい。戦場で剣すら握ったことのねぇ遺族とやらが、国を収めるなんざぁろくでもねぇ。皆さんもそう思うだろう?」 講談師は両手をひろげ、「どうよ?」とポーズを取る。 いい声だ。 人を引きつける話術も巧みである。 表情豊かにくるくると顔をかえ、声をかえ、観客を引きつけていた。 だが一呼吸おいて、彼はすぐさま姿勢を正し、左手を腰にあて、右手で手を横に振ると。 「いやいやご心配めさるな、ここで登場するのが我らが大軍師張子房さまよ。彼は幕に入るや否や、主人沛公の機嫌がいいのに気づいた。いやもちろんその前にここにいた人物も知ってたよ? 何を話したかもちゃあんとわかってる。でもそこは一流の人間、主君を立てることを知ってる人だもんさ。まずはこう尋ねた。『なにか良い話でもございましたか。』とな。」 どうやら楚漢興亡期の話らしかった。荀ケはすぐさま何の話か検討がつく。 (留侯世家か。) 史記である。 張子房とは、その名を張良。後に留という地を与えられたため留侯と呼ばれ、史記でも伝が残されるほど楚漢興亡において功績のあった人物である。 彼は高祖劉邦の知恵袋として働き、百戦百敗だった劉邦を、その巧みな戦略でもって天下人たらしめた知謀の士だ。士大夫なれば誰もが憧れ、彼に比することはすでに最上の褒め言葉として受けとめられる。 「そこで沛公、口に食べ物をいれたまんまうれしそうにさっきの話をする。おおっと、お客さん、汚いなんて思っちゃいけねぇよ? なんせ沛公はもとは農夫の出身、一時は山賊までしてた御仁さ、いちいち礼だのなんだのかまわねぇ人なのさ。だが話をすればするほど張子房の顔が歪んでいく。こりゃまずい、沛公も少しひるんじまった。なんせ、言うことなすこと全部当る天才軍師が困った顔をする。これがどういう意味かわかるかい、坊や?」 前列の方におとなしく座って聞いている小さな子供たちに尋ねれば、すぐさまニ、三の声があがった。 「すっごいやばい!」 「そう、その通り。さすがだね、坊や。第二の沛公は無理でも小沛公くらいにはなれるかもしれんなぁ。」 そこでどっと笑いがおこる。腕の中の荀ツもアハハ、と笑っていた。 「『すっごいやばい』って沛公も思ったのさ。で、一通り話してから 『そちはどう思う?』と尋ねるわけだ。そこで張子房、なんと答えたか・・・・・・・・・・・・・・・・・それは次回のお楽しみ。今日はここまで。」 講談師がそういって優雅に一礼すると、回りから「えー!!」と非難の声があがる。 「楽しみは先にとっておくものだよ。五日後、この時間この場所にまた来るさ。」 彼はそういって地面に少しだけお金の入った升をおいた。 荀ツまでもが「えーっ!?」と抗議しているのには笑ってしまったが、しかし大人たちがチャリンチャリンと小銭を彼の前に置かれた升の中へと放るのに、仕方なく子供たちも諦めたように少ない小遣いをそこへと放り込んだ。 荀ケも荀ツを降ろし、袖から財布をとりだして升へと小銭を入れたとき、荀ツがなんでもないかのように尋ねてくる。 「ねぇ、父上は続きを知ってるでしょう? どうなるの?」 そんな無邪気な質問を、だが講談師はすぐさまわって入った。 「坊や、そりゃ反則だ。そんなの教わっちゃぁ楽しみがなくなっちまうし、私の仕事もなくなる。二つもなくなることがあるのは損というものさ、わかるかい?」 「・・・・・・・・・・・うん。」 「それにね、先に楽しみをとっておくと、その間ずっとドキドキできる。どうなるかな、ああなるかな、ってイロイロ考えることもできる。そして坊やは私にもう一度会いにきて、私も坊やに会える。三つも四つも得するのさ。どうだい、先に楽しみを取っておくっていいものだろう?」 「うん! わかった!」 わかってない。 実はたいして得でも損でもないのだが、荀ツはそこに気づかず『二つ損して三つ得する』というところだけを理解し、嬉しそうに肯きながら「聞かないよ!」とにっこり笑った。それに満足したのか講談師も「いい子だね」と頭をなでてやる。 (うまいものだ・・・・。) 荀ケが思わず苦笑するのを講談師はチラリと見てニッコリ笑った。 もちろん彼の意味するところは「まぁ、一つよろしくたのむよ」である。 またここに来るかどうかは別にして、これで荀ケもおいそれと話そうとは思えなくなってしまうのだから不思議だ。 再び荀ツの手を引き街を歩く。 そこで先ほどの話しを反芻した。 内容は、レキイキという男が、戦国時代の王家の遺族に再び国を与え、彼らの力でもって天下を安定させれば沛公は苦労せずして天下を手に入れられる・・・と時代に逆行する話しを持ちかけるのだ。そこを現実主義の張良が理でもって劉邦を説き伏せやめさせるというものである。 (漢王朝はもはや風前の灯。その漢王朝を復興させることは、やはり時代の流れに逆行するものだろうか。) もはや時代は乱世に突入している。そして乱世ともなれば英傑が登場し、天下の覇者となり太平の世を築くのである。 漢王朝はそれでもまだ天下に多大な影響を当てる力となっている。 劉姓は今だ健在だ。ただそれだけで住民から信奉を得、かつがれやすい。そんな中で、自分は劉姓でない男に天下を握らせようとしている。それは本当に正しいことなのだろうか。 易姓革命や始皇帝のときのように、帝室自ら天下に悪政を強いているわけではない。それを利用するやからが今の乱世を引き起こしたといっていい。となれば、今曹操に仕えるという行為は、そして、その曹操に天下をとらせようとすることは、秦王政(後の始皇帝)が、自らの野望を天下統一とすげかえ周王室を滅ぼしたのと同じことではないのか。 (では本当に漢帝室に罪はないのか。いや、漢帝室が乱れたからこそ、政治の退廃を招き、この結末に至っているのではないか。) 以前戯志才が口にした言葉が脳裏をよぎる。 『血の一滴で治まるほど天下は易くないんじゃん?』 これは周王室に対する意見だったが、むろん今の世をさしてのことだろう。 (・・・・・春秋戦国の覇者はなぜその一滴に頭をたれたのか。そこに答えはあるのかもしれない。) そこまで考えて、だがすぐに荀ケはかぶりを横にふった。 (すでに袁紹にその気はなかった。当然曹将軍にもそんな気はさらさらないであろう。) そこでふと歩みを止め城の、政庁の方角を見やる。 ふと自分に腹立たしくなった。 肉親と辛い別れをしてまで、自分はここに何をしに来たのか。 「父上?」 突然歩みをとめた父に不思議そうな顔をして荀ツが声をかけてきた。その頭をひとなですると、「なんでもないよ」と再び歩き始める。 妻や子供に寒い中旅をさせてまでやってきたのは、なんのためだ! (しっかりしろ!!) 自分で自分を叱咤する。 (漢帝室のためではない。曹操という男にこの天下をとらせ、太平の世を築くために来たのだ!) のちに。 結果的に漢帝室の復興と、曹操の野望との板ばさみに苦しむことになる荀ケは、このときの決意を常に振りかえることになる。 それから十日後。 無事東武陽に到着した荀ケは、身なりを整え曹操の政庁へと足を踏みだす。 「荀文若と申す。曹使君にお目通りを願いたい。」 門の前でそういう身なり立派な人物こそ。 曹操によって「我が張子房」と言わせしめ、右腕となって曹操を覇道へと導く軍師となる男。 ときに191年12月。 このとき、荀ケの最後の大勝負が始まったのである。 張良好きです。 荀ケとどっちが好き? と尋ねられれば即答で『張良』と答えるほど大好きです。好きすぎてHP作れなかったほど。 私の中では中国一の大軍師は張良です。実は荀ケを好きになったのも、この張良からでした。 「我が張子房」と呼ばれた男はどんな男だろうと調べていくうちに好きになったんですねぇ(ちなみに張良が好きになったのは、孔明がきっかけですが・・・・)。 ちなみにこの話で一番苦労したのは、時間・・・・。 後から失敗したーと気づいたときにはすでに遅かった・・・・。転機の後編でもっと時間稼ぎしておくんだったと・・・。 仕方ないので適当に遠回りしてもらってのんびり東郡へと行ってもらいました。えへ(涙。 |