転機  - 前編 -



あきれて物も言えない。
よく使う言葉だが、これほど今の心境を述べるに適した言葉はない。
場所はギョウ城の大広間。
時は朝会の最中である。
表面上無関心を装っていたが、心の中では溜息をたんまりと貯めこんでいた。あまりの馬鹿馬鹿しさに正直辟易していたのである。
(だいたい全て予想できていたことではないか。)
室内は荀ケの心境とは裏腹にやたらと盛り上がっている。
何やら弁舌でもって袁紹の意に沿ったことを言うのは側近逢紀という男だ。周囲からは「そうだそうだ」と合いの手があがる。
(・・・・・・・・・・・・ああもう、早く帰らせてくれないものかな。)
口にしたらそれこそ非難の嵐になりそうなことを考えていると、隣に立っていた人物に脇腹を小突かれる。郭図であった。
「向こうを見てみろ。正南殿が渋い顔をしている。」
そうささやかれて視線を変えれば、確かにムッツリした顔で黙っている審配の姿が合った。彼もまた早期からの袁紹の参謀である。逢紀と審配の仲が芳しくないことをすぐ上の兄、荀シンから聞いていたので別段なんとも思わなかったのだが、その後ろでやはりおもしろくなさそうな顔をしている男に気が付いた。
沮授である。
もとは韓プクの従事だったのだが、袁紹に招かれ再び従事の任に就いた。ある意味キ州に一番詳しい男だ。
人柄も穏やかで、よく参謀陣の仲介役を担っているのだが、穏健な彼が不機嫌なのは珍しいことと言えた。隣の荀シンが何事か囁くとわずかに笑みを浮かべ、首を横に振ってからひそひそと返事をしている。
荀ケは更に視線を動かした。
相変わらず朗々と無駄口を叩く逢紀の後ろでは許攸が田豊と何かを話していた。
「ここからだといろいろ見えるな。」
郭図はそう囁き荀ケから離れ背筋を伸ばすと、彼に向かってニヤリと笑った。
嫌な笑いだと内心苦い気持ちを抱くものの、荀ケも同意見であることには違いない。むろん郭図は二つの参謀陣のスキにつけいり、袁紹に取り入ろうともくろんでいる上での発言だったが、荀ケは少し違った。
(まとまりが悪いな。)
これでは互いの足が引っ張り合いになりかねない。その最大の原因が何かを荀ケはよく知っていた。


主君袁紹である。
彼の器量の浅さが全ての参謀たちのいいところを駄目にしてしまっているのだ。


まず逢紀だが、彼が何故こうも前置き長く、耳によい言葉を連ねねばならないのか。当然袁紹の機嫌取りのためである。
袁紹はその気分によって人を遠ざけたり近づけたりすることがままあった。これは諌言を嫌うという袁紹の最も悪いところである。実直な田豊などは最近煙たがられてしまっていた。
二人とも有能なのである。仕事面や発言内容は理に叶っているし、真面目で不正を許さない彼らが実権を握れば袁紹はますます拡大することが可能なはずだ。その逢紀と仲の悪い審配だが、そもそも発端は袁紹である。彼が古参の逢紀より新参者の審配を重用したからいけないのだ。逢紀とて胸示はあろう。新参者が新任を受け、大きい顔をしていればおもしろくないのも無理はない。だが仕事に対しては決して妥協せずきっちりやらねば気のすまない真面目な人柄だ。この三人が手をとりあい政務をこなせば、袁紹の治める土地に不正はなくなり更に発展しよう。
許攸とてそうである。彼はひどく現実主義で実利面においては参謀陣でも群を抜く。ただ多少身持ちがおさまらず、虚栄心が強いので同僚からは好かれてはいないらしいが。それでも彼の能力に比すればささいなことと目を瞑れるのだ。それに一度こっぴどい目にあえば、身を慎もうというもの。それができないのは許攸という男が袁紹に一番気に入られており、逢紀ともども一番の古株だからである。
そして沮授である。
荀ケの見たところ参謀陣で最も優秀な人材だ。
ただ何事もひかえめで、相手を立てることの多い沮授が自分の意見を無理に押しとおすことはまずない。これは兄荀シンも同じである。
(もったいないことだ・・・。)
荀ケはもう一度溜息をついた。
ちなみに最も新参者の郭図、辛評はこれらの事情を察知しそのスキをついて袁紹に取り入ろうと、腰タンタンと狙っている。荀ケは、といえば『上賓の礼』なんぞつくされたが故に、完全に蚊帳の外であった。兄荀シンや、沮授などは気遣ってはくれるものの、荀ケ自身袁紹との最初の会見で意に逆らった発言をしたため袁紹の憶えは悪かった。
『董卓なんぞ放っておけ』
という類のことを進言したら、袁紹がとたんに不機嫌になったのである。
むろん袁紹の言い分もわかる。彼は都にいた一族をことごとく惨殺されてしまったのだ。だがそれは不可効力などではなく当然の結果といえる。どうして董卓が刃を向ける相手の一族を大事にかこってなぞおこうか。殺して当たり前というのが世間の評価だろう。いうなれば、一族のことを考えず諸侯連合の盟主になった袁紹が軽率だったのだ。
軽率といえば公孫サンとの衝突もしかりである。もともとの対立の原因は、袁術の予州進出がおもしろくなかった袁紹が袁術にちょっかいをだし、袁術の配下にいた公孫サンの弟公孫越を殺してしまったのだ。
話を元に戻すが、今の朝会はその公孫サンを討つための、いわば軍議なのだ。
にもかかわらず話はちっとも進まない。
荀ケが呆れて帰りたがるのも無理はなかった。
だが、時間はいつも誰の上にも平等にやってくるわけで、丁度朝会を終わらせる正午の鐘が室内まで届いた。
「各人、全力でもって事に当たってくれ。以上だ。」
袁紹の言葉でもって閉会したのである。





「なんとも退屈で無駄の多い時間だったな。」
辛評はそう言って伸びをした。
無論会議室で言うはずもなく、場所は辛評の執務室である。辛評は会議が終わると、郭図と荀ケを昼食に誘ったのだ。すると辛評の言葉を受けた郭図が箸を止め、
「まぁ、そう言うな。なかなかおもしろかったぞ。後ろから見ていると全体が把握できる。あの位置は気に入った。」
「そうかぁ? いつもと変わらん様子が繰り広げられていただけではないか。」
「・・・・・・観察眼が足らんな。今日の将軍の様子、おかしいとは思わなかったのか? 何やら落ちつかなかったぞ?」
これには荀ケも気づかなかった。辛評も同じらしく首をかしげる。
「何故だ?」
「そこまでは知らんよ。だが、何かあったのだ。それで元図殿や元晧殿が中身ある言葉を避けていたのさ。気づかなかったのか?」
郭図はそう言ってせせら笑った。彼の観察眼たるや、荀ケはほとほと感心させられる。
「私も気づきませんでした。」
「なんだ、教えてやっただろう。二人の機嫌が悪いと。」
あれはそういう意味だったのか。もしかしたら沮授の苦い顔もそれで説明のつくことかもしれなかった。
「どうせ今ごろは主だった連中と、その何かについて話しているのだろうよ。」
郭図はそういうなり目の前の魚に箸をいれた。一方の辛評はつまらなそうに箸を動かすばかりで、ちっとも口に持っていかない。
「やれやれ、我々の出番はまだまだ先か。」
「そうあせることもあるまい。あの様子ではすぐにでも回ってくるだろう。しかも決定権というおまけつきでな。」
「二者の対立する意見に助言を呈す・・・・か? そううまくいけばよいがな。」
食欲が湧かないのか、結局三口ほどで箸を置いた辛評が、白湯を椀にそそぎつつボソっと呟いた。
「・・・・・・なんだ、もう食わんのか? 食べないと体力が落ちるぞ。」
「そういうお前はよく食べるな。その身体のどこにそれだけ入るのか一度見てみたいものだな。」
郭図は小柄であり、その上痩せていた。一方の辛評は太ってこそいないものの、武官としても通りそうながっちりとした体躯の持ち主である。
そんなたあいもない会話をしていると、一人の来訪者が現れた。
「食事中か。」
入ろうとして三人の様子に気づき、申し訳なさそうに入ってくるのは荀シンである。
「友若、どうした。何かあったのか? 気にするな、まあ入れ。」
辛評がそう言って席を勧めたが、荀シンはかぶりをふって、
「すぐに来て欲しい。将軍が三人をお呼びだ。」
と言うと、郭図が「それみたことか」とばかりに辛評を盗みみた。
三人は食事を中断し、荀シンの後に続いて袁紹の居室へと向かった。その途中荀シンはざっと事情を説明する。
「・・・・・黒山の賊か。」
辛評がうなるように呟いた。
「うん、東郡大守は殺された。そのまま東郡をひとのみにこちらに向かうつもりのようだ。」
「それで将軍は何をお悩みなんだ?」
「・・・・・・・ある人物の去就に困っている。今黒山の賊を迎え討つため援軍要請に赴いているのだが・・・・。」
「援軍を送るべきか否か迷っているというわけか。その人物というのは誰だ?」
郭図が顎に親指をあて当然の質問をぶつける。何か真剣に考えるときの彼のくせだった。
だが荀シンは一瞬ためらってから。
「・・・これがその、ワケありの男で・・・・・将軍の幼友達というのだ。名を曹操という。君らも名前くらいは知っていよう?」
だが兄の言葉に一番驚いたのは荀ケであった。
よもやこんなところで聞く名前ではなかったからである。
しかし、一番後ろにくっついている彼の様子には誰も気づかず、郭図がフム・・・とうなりながら、
「・・・・・確か宦官の孫・・・とかいう奴だろう。反董卓連合で名を上げたな確か。」
「『治世の能臣、乱世の姦雄』と評されていたな。なんだ、今は将軍の元にいるのか。それは知らなかった。それで、将軍は彼が大きくなるのを懸念しているというわけか。」
辛評が記憶の棚をひっくり返しながら尋ねると荀シンは首を横にふった。
「違う。我々が反対しているのだ。だが将軍は肯いてはくださらない。」
「なるほど、寛大さを天下に知らしめ、名を上げようというわけか。」
「そうではない。・・・・・・・・そもそも将軍は身内を大切にされるところがあって・・・・・・・情の深い方なのだ。」
そこまで話したところで、四人は袁紹の居室にたどり着く。
部屋に入ればそこには主だった参謀四人が顔をそろえていた。
「おお、よく来てくれた。事情は友若から聞いているな?」
笑顔満面で出迎えたのは袁紹である。
すぐに話は先ほどの件になった。真っ先に意見を述べたのは辛評である。
「私が考えますに、援軍を送るべきではないかと思われます。今将軍におかれましては公孫サンとの戦の最中にあります。まずはそちらを優先すべきです。軍を二分することは非常に危険かと思われます。」
そう言うと、先にいた四人が四人とも肯いていた。
すると郭図は、
「私は援軍を送るべきかと思われます。もはや公孫サンとの戦は膠着状態にあると伺っております。なれば黒山の賊こそ先に討つべき敵でしょう。もし目の前の急務に眼をそむけ後回しにいたしますと、将軍は北と西と同時に当たらねばならなくなりましょう。それを見逃す公孫サンではありますまい。怒涛の勢いでもって責めてまいりますぞ。」
「うむ、儂もそれを心配しておったのじゃ!」
得たり、と袁紹はポンと膝を叩いた。
「お待ちください。」
そこで口を挟んだのは田豊である。
「もしここで援軍を送れば、確かに黒山の賊には勝てましょう。しかしその功績は曹操の増長を招き化ねません。臣は反対です。」
とたんに袁紹は渋い顔をした。無論袁紹の機嫌など伺うような田豊ではない。
「確かに黒山の賊の方が先に当たるべきという公則殿の意見は正しい。ですがまずは曹操に当たらせることこそ最上の策と申せましょう。どちらが生き残っても戦に疲弊しきっております。将軍が飲みこむにたやすいかと。共倒れすればなおよし。何ゆえに将軍はそうも曹操の肩を持たれますか。」
「元晧殿の言う通りです。今は静観すべきです。もし援軍を送るにせよ、曹操がもっと困窮してからになさりませ。」
審配もそう勧めた。
袁紹は尚も納得がいかないのか唸るばかりで、チラリと荀ケに視線を向ける。
「・・・・文若、そなたはどう思う?」
荀ケは困った。
チラリと沮授、そして兄を伺うも、二人は視線を受けるなり眼を伏せる。
君に任せる、といったところだ。一方他の面々は彼に期待の視線を送ってきた。
荀ケは一度深呼吸をしてから。
「・・・・・・・・・曹軍の兵力は一万とも二万とも聞いております。対する黒山の賊は十万。賊を滅ぼすが困難であることは誰の目にも明らかです。だからといって援軍を送った場合、その兵を吸収されてしまう恐れがございます。そうなれば曹軍は将軍にとって無視できない存在とはなり得ないでしょうか?」
「さすがは文若殿、事態をよく理解しておいでのようだ。将軍、ここは一つ保留という形でお断りされませ。」
そこで袁紹も『兵を奪われる』という事態に損得勘定が働いたのか、溜息を漏らしながらも一つ肯いた。
「・・・・・・・わかった、孟徳にはそう伝えておく。皆ご苦労だった。下がってくれ。」
一同頭を下げ部屋をでていく。去り際荀ケの肩をポンと叩いて「よくやった」という者もおれば、おもしろくなさそうに荀ケを眺めるものもいて、だがそれ以上に荀ケは別のことに気をとらわれていた。
(東郡はギョウの喉元だ。西に黒山の賊、南では袁術、東には陶謙、北に公孫サン。敵に四方を囲まれた危険を本当に理解していたのはおそらく将軍だったのかもしれない・・・・。)
ふと隣に兄が立っていることに気づき、ごまかすように微笑むと、
「お役に立てたようです。」
「・・・・・・・・・・・本当にそう思うか?」
「え?」
「いや、なんでもない。・・・・・食事の続きといこう。」
兄は一瞬厳しい眼差しを向けるも、すぐに笑顔を浮かべ並んで歩き出した。
そんな兄の言葉にしない一面に、荀ケはやはり・・・という思いを強くするのであった。




後編へ




うむ、よくわからん(笑。
以下人名。
逢紀(元図)、田豊(元皓)、沮授、荀ェ(友若)、審配(正南)、許攸(子遠)、郭図(公則)、辛評(仲治)
・・・・・・・・・人多すぎ・・・・・・(涙。

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