嫁ぎ先


うららかな日である。
春の陽光が室内に入り込み、午後ともなればその暖かさが、睡魔をさそう穏やかな日であった。
昨年呂布に大勝し、今年からいよいよ対袁紹戦に向けて、着々と準備を進めてられていた。
それだけではない。
宮中においては、もう一つの謀議もいよいよ佳境に入りつつあった。
「接触があったんだな?」
「ああ、劉皇叔邸に王子服の側近が入っていくのを見ている。」
厳象は、厳しい顔でそういった。一方の荀ケはニコリと笑うと、
「よし、上出来だ。」
そういって、乗り出していた身体を戻す。
厳象は、脇に寄せておいた椀を手に取り、中に入っていた水を飲み干した。
「それで、私を呼んだのは他に理由あってのことだろう?」
「ああ。実は外に出てもらいたい。」
「だろうと思った。確かにほとぼりが冷めるまでは外にいた方がいいだろうけど。それで、どこの県令だ?」
「揚州。」
荀ケはさらりと言ってのける。
だが厳象は思わず水を噴出しそうなほど驚いた。
(お、おいおい・・・。)
揚州。
袁術が本拠地を置いた、今現在徐州以上に悲惨な地域と化している、しかし重要な場所である。
呂布が滅びた今、南の孫策をけん制する意味でも、決して手放せない場所だ。
なによりもまず、袁術によって荒らされた土地を復興させねばならない。
「・・・・・・難しいのは承知だ。しかしやってもらいたい。他に適任者がいないのだ。」
「人材不足ってか。」
「ああ、深刻な、といっても過言ではない。この現状において、揚州を任せられるほど信用のおける人間は、ごくわずかだ。」
「・・・わかった。しかし、南の孫策を抑えるのは難しいぞ。今でこそ指くわえて我慢しているが、主公の目が北に向いたとたん、牙をむいてくることは必至だからな。」
「わかっている。長く、とは言わん。せめて徐州が落ち着くまでだ。」
しかし、それこそ険しい事業だろう。
なにしろわずか数年前、その地で、曹操による大虐殺が行われたばかりなのだ。
いまだに曹操への怨嗟の声は耐えることが無い。
おそらく袁紹も揺さぶりをかけてくるとしたら、そこらあたりだろう。
「けど・・・」
更に厳象が口を開いたとき、廊下からバタバタと人が走ってくる音が聞こえた。
二人はすぐさま口を閉ざし、机上のものを片付ける。
「文若殿っ!!」
入ってきたのは、郎官ではなく、曹操軍きっての軍師、郭嘉であった。
「なんだ、奉孝か。どうした、何かあったのか?」
彼がここまで慌てているのもめずらしい。荀ケはいぶかしみながらも尋ねる。
「ええ、もう、これ以上はない、ということがありました!

瑛ちゃんを長文にやるって本気ですかっ!?

冗談でしょう?!」
突然告げられた言葉に荀ケは一瞬呆けてしまう。郭嘉のいう「瑛ちゃん」とは、荀ケの長女荀瑛のことで、日頃郭嘉が「才色兼備」と絶賛してやまない少女のことである。
とたんに荀ケの肩から力が抜けた。
「なんだ、そのことか。」
「なんだそのことかって、一大事でしょうがっ! 俺にくれる約束はどうなったんです?」
「約束した憶えは全く無いな。第一、家のことをなんでお前にとやかく言われなければならんのだ。」
「そんな、ひどいですよ、お義父さん・・・。」
「やめろっ! お前に呼ばれたくなぞないっ!」
心底ぞっとしたように荀ケが悲鳴をあげる。一方の郭嘉は少しだけ傷ついたようだったが、さすがに冗談が過ぎたと肩をすくめた。そこでようやく口を挟んだのが厳象である。
「なんだ。瑛ちゃんの嫁ぎ先がきまったのか。それはめでたいな。」
「ちっともめでたくなんかありませんよっ!」
「そう怒るな。お前だって日頃、他人の女掠め獲ってるだろうが。たまには奪われるくらい許してやれ。」
「冗談じゃない! 俺が奪うのは許せても、他人に奪われるのは許せないんです。」
「どういう理屈だ・・・。」
郭嘉の胸をはったふざけた理論に、荀ケは頭が痛いとばかりにこめかみに手をあてる。
そこへひょっこり顔をだしたのは、誰あろう、主君曹操であった。
「主公・・・。」
三人はあわてて立ち上がり、曹操を出迎える。
「御用命があれば、こちらから伺いましたものを・・・。」
荀ケはそういって上座を曹操に勧めた。すると、一緒に入ってきた夏侯惇がニヤリと笑い、
「用命、なんてものはないんですよ。小言が煩くて逃げてきただけなんですから。」
「元譲、煩いぞ。まあそんなわけだから、しばらくここにかくまってくれ。奴もここまでは足を運ばないだろう。」
「・・・・・それは構いませんが、何をなさったんです?」
曹操の歯切れの悪い返答に、荀ケは疑惑の目を向ける。
しかし曹操はあえてその視線を無視して、さしだされた椀から白湯を飲みそっぽ向いた。
かわって説明したのは夏侯惇である。
「楊大尉に蟄居を命じたんですよ。そしたら血相変えて孔少府殿がやってきた、というわけです。」
とたんに荀ケは苦虫を噛み潰したような表情になる。
「・・・またなんでそんなことを・・・。当然取り下げたのでしょうね。」
「フン、取り下げさせられた。心配するな、奴など声がでかいだけのことよ。それよりなにやら奉孝が怒鳴っていたが、何かあったのか?」
わざと矛先をそらすように、曹操は話題を奉孝に転じた。
「文若殿のご息女が縁組をなさったのですよ。」
ムスっと不貞腐れたように話すのは、もちろん郭嘉である。
「・・・・・・ほう、めでたいことではないか。」
「主公、私事です。」
「気にするな。」
「私が気にします。」
「めでたいことは御裾分けするのが礼儀だろう。」
もちろんそんな礼儀は無い。しかし、曹操の興味を引いたとなれば、あきらめさせるのは難儀と言えよう。
「オレが貰う予定だったんですよ。それを文若殿が・・・。」
「そんな予定は「まったく」無かったぞ。」
「文若の娘ならば、さぞかし美しかろう。」
「あのですね。」
曹操の無責任な発言に、荀ケが止めに入る。
しかし、現実として、この宮中には荀ケにあこがれる女性は多い。
いや、女性のみならず、男からもその容姿、ファッションセンスは認められていた。
特に服装などは、模倣の対象となったほどである。
そして、奥方もまた、許せないほどに美人妻である。
その娘の容姿など、見なくてもわかるではないか。
「で、その恵まれた相手というのは誰だ?」
にまにま、と笑いながら曹操は探りを入れた。
「これが許せないことに、なんと長文のヤロウなんですよ! あんな堅物に女の繊細な心なんかわかるもんか。」
「・・・・・・・・お前よりはるかにましだ。」
「確かに。奉孝の醜聞は歓迎されないだろうな。」
荀ケの冷静なツッコミに、厳象も同意したのかウンウンと頷いた。
曹操や夏侯惇にいたっては、自分たちが同類であることなど棚にあげてケラケラと笑っている。
「オレは美女に博愛主義を披露しているだけです。だってつまらない男の妻で一生を終えるなんて可哀想じゃありませんか。」
「そのいい加減な博愛主義で、私の娘に手をだしたら絶縁するからな。」
「だから、そうなる前にオレに下さいっていってるのに。」
「どういう論理だっ!!」
親として、ここまで油断できない男が身近にいるだけでも不安たっぷりである。
その男が、家に乗り込むほど親しいとなれば、当然さっさと片付けるに限るのだ。
唾つけられないうちに。
「まあまあ、長文からかうネタができたんだから、それで充分じゃないか。」
とたんに悪乗りするのは、悪友厳象である。
「それは面白そうだな。」
「主公・・・。」
主君自ら臣下をからかうなど、もってのほか。
そういう意味をこめて荀ケが睨むも、すでに曹操はそっぽむいて、厳象、郭嘉となにやら相談を始める。
「こうなったらとことんやるに限りますよ!」
「いつも真面目な顔しとるからな。赤くなったり青くなったり・・・見ものだぞ、きっと。」
「よし、とりあえず初日が肝心だ。奉孝、ぬかるなよ。」
三人三様、好き勝手ほざく後ろで。
「・・・・・・・・よろしいので?」
隻眼の将軍が、自軍最強(最恐)の参謀に耳打ちした。
「・・・・度が過ぎたら止めます。」
投げやり気味に答える荀ケ。
おもわず夏侯惇は同情ぎみに、荀ケの肩をポンと叩くのであった。







あかん。
人物説明が必要だ。
厳象は、治書侍御吏。後に揚州刺史に。
楊大尉、というのは楊ヒョウのこと。曹操と折り合い悪く、逆に孔融・荀ケから庇われるというエピソードを持つ(孔融荀ケのタッグが見られる珍しい事件)

ということで、荀瑛の嫁ぎ先が決まったお話しでした。
ふふふ、絶対美少女だったと思うのですよ〜。


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