覚醒都市 tell a graphic lie



(覚醒都市)-1
 街というのは、夜明けよりほんの少しだけ、さきに目覚めるようにできている。その匂いかなにかを敏感に感じとって、まだ暗いうちから朝の歌を囀りだす小鳥たちと同じように、街もまた、日の出のほかに、夜明けの気配をつかむ触角かなにかを持っているものらしい。街が目覚めると同時に、地表ぜんたいから沸きあがるようにして、街の息吹ともいうべき、空気の軋む鈍く低い音が響きはじめる。部屋のなかで眠っているぼくは、窓外のその息吹によって、深くもない眠りから一度引き戻される。
 ごく薄く目覚めたぼくは、「またか」と淡く掠れた意識の奥でつぶやき、ゆっくりと窓の方へ体を向ける。窓のそと、すぐ隣りに立ち並んでいる二件のアパートとアパートの僅かな隙間からは、夜明け直前の空が見える。その狭く小さな明かるさは、多くの色の重なりあった複雑な色をしている。ぼくはうつろな意識のまま、その明かるさを見つめ----朝の空がこんな色をしているのは、たぶん、これからはじまる今日いちにちに現れるべき色の総てを、そこに含んでいるためだ。一日の、陽の下で行われるべき、あらゆる行為や存在の色は、夜のうちは空の奥深くに沈みこんでしまって、世界からは色彩という要素が失われてしまう。そうして、やがて訪れる朝、太陽の到来とともに、空に沈みこんでいた色彩は、再び世界のそれぞれに対して解き放たれる。自身の懐中に包みこんでいた色を、そのひとつを残して、全て解放した空は、残った唯一の色、あの限りない透明の奥行きをあらわす、自身の名を持つ色、空色だけをあらたに身にまとう。一日というのはそうして、いつも新しく染め上げられて始まる----抽象的なことを途切れがちに考えたぼくは、「また、こんなような、」と、やはり途切れがちに思い、再度浅い眠りに落ちる。その眠りでは、よく夢を見る。夢のなかでは、よく誰かが叫んでいる。ぼくはそれに恐怖したり、嘲りを感じたりする。
 それから、さらに数時間が経ち、電子音の目覚ましで、今度は本当に目が覚める。夢はそこまで続いていることが多い。あるいは、そう感じる夢を見ているだけかもしれない。目覚めたぼくは、「夢を見ていたのだ」と思い、目覚める直前のワンシーンを写真のネガのようにして取っておく。茶黒くてまっ平らな、角度によっててらてらひかるフィルムには、近づけてよく目を凝らすと、階調の反転した夢のワンシーンが写りこんでいる。ぼくは体をゆっくりと起こし、意識が覚醒するにつれて、ネガのシーンを除いた夢のぜんたいが記憶のやわらかい深遠の底へと沈んでゆくのを感じながら、いつも必ずよじれている髪をかき寄せ、習慣的に部屋を見廻す。部屋には壁と窓と床と、ぼくの横たわっている蒲団しか見あたらない。部屋の壁は、はじめからきっと安っぽい白色をしていたにちがいないが、いまはそれがさらに薄汚れてくすみ、灰色がかって、なんだかごつごつとした印象を受ける。床も天上も、壁と似たようなもので、ぼくがここで、それらに囲まれて寝起きするようになったはじめの日から変わっていない。窓の外も、風雨に汚れ、部屋の壁と同じくくたびれて灰色がかり、隅のあたりなどは黒くなってしまっている、隣のアパートの白壁らしき壁だけがあって、それもやはりここに来た日から変わらない。ぼくは部屋を見廻し、そのことを確かめる。どうしても、それは確認される。
 眠ることは、帰ることに似ていると思う。あるいは、その逆が正しくて、帰ることが眠ることに似ているのかもしれない。いずれにせよ、どちらも何かを停止したり押し戻したりをする。眠ることは、意識と体の動きとを、自身の手につかんでいるのを止めることだし、帰ることは、その続けている行為を中途で止して休みに戻ることをいう。夜というのは、やはり眠るためにあるのだと、部屋の真ん中で横たわりながら思い、それから夢を見ることを思い出す。明りを消した部屋は真っ暗になるというわけではなく、カーテンの無い窓から隣のアパートから漏れる明りが射しこんでいる。その光によって青白く弱々しく照らされた部屋の天井や壁を眼をあけて見ながら、そこから抜け落ちてしまった色彩というのを思う。
 窓から射しこむ光は、たまにその光源の数や射しこむ角度、強さなどに変化を見せる。それにあわせて、ぼくは天井のあたりを向きながら思うことの中身を切り替える----眼に見える色彩と温度とが、切り離しがたい要素だったとしたらどうだろう。そのふたつは実際にはひとつである何かの異なった側面であり、あるひとつの色は、正確にあるひとつの温度に対応している。ちょうどサーモグラフィーが見せてくれるように。暑ければすべては赤橙に明るく、寒ければ青黒く暗く与えられる。そういう関係にある。それがもし現実であったならば、あらゆる事柄に対する人間の態度というものは、いまとは全然異質なものであるに違いない。いまも北極圏がそうであるように、人間には夏の夜はやって来ず、冬は陽の光を見ることがない。精神も着る服と同じく一年の周期で完全に統制されてしまい、あらゆる人間が夏には病的な躁状態に入り、逆に冬は深刻な鬱に陥る。身体機能上の理由からではなく、単に精神的な要因から、変温動物のように活動の前には数時間の日光浴を必要とし、陽が出なければ動くこともままならず、社会活動は天候に完全に依存し、ひょっとすると、熊のように冬眠せざるを得なくなるかもしれない----と、どこかの近くの部屋の明りが消されて射しこんでいた光の筋の一本が失われ、部屋はかなり暗くなり、ぼくは誰かが眠ろうとしていることを知る----光が消えるとき音をたてるとしたら、どんな音がするだろう。よく見かける擬音、「ふっ」と消えたり、「ぱっ」とや、「すっ」といった音、あれは正しいのだろうか。そうではなく、もっとぜんぜん異なった、まったく反対の、ひどく騒々しいノイズのような音だったり、爆破音のような烈しい音だったりはしないのだろうか。光が消えて、周囲が闇になるというのは、まったくありふれているにも関わらず、そういった音を生むような、致命的な混乱を含んだ大きな現象であってもいいような気がする。光が無くなれば、ぼくは何ひとつ見ることができなくなるのだから、そのくらいのことが付随して起ってもいいような気がする。「『ドン』、という大きな音がして、あたりは真っ暗闇になり、ぼくは何ひとつ見ることができず、うろたえほとんど泣き出しそうになった」というような状態などは、むしろ自然なことのように思われる。光が消えて何も見えなくなることは、そのくらい直接的な動揺を励起するものであっていい----すると、実際にまたひとつ明りが消える。暗くなるほど、アパートの薄壁越しに聞こえてくる、となりの部屋にひとの暮らす息づかいや床を踏む音、漏れてくる会話が意識されるようになる----螢の光と真昼の月。ほとんど熱量を持たない微弱なものにも関わらず、螢の光はその緑がかった白い円を夏の夜のなかにくっきりと掲げる。けれども、午の月はそら色の空のなかで、自らのからだだけをかろうじて白く丸く浮かび上がらせることしかできない。太陽のもたらす多量の光は、すべてのものを必ずあらわにするというわけではない。実際はむしろ、そのまったく反対で、その存在の大きさが、他のあらゆるものを取るに足りないものにしてしまっているのかもしれない。そこまでいかなくとも、少なくとも、そのものたちのあり方を一様にしてしまっているとは言えるかもしれない。ほとんどの場合、ぼくは光があることで、それを介してものを見るということで、ぼく以外のものと関わる手がかりを得ており、だからこのことは、そのままぼくと世界のかかわりについての基底でもあるだろうから----射しこむ光が完全に無くならないうちにいつしか意識は薄れて、ぼくは眠る。すると少しして次の日がやってくる。

(覚醒都市)-2
 目覚めと眠りとの、そのあいだに挿まれ、規則的な周期でめぐってくるぼくの時間というのはいったい何なのだろう。上半身を持ち上げ、義務感や欲求によって立ち上がり、時計あるいは屋外の明るさによって時刻を知ることからそれは始まり、義務感や欲求に従って身体と精神を動作させると少しずつもしくは一足飛びに進行し、いずれは眠りにつくことで一度停止し、区切られる。覚醒しているあいだ、ぼくの意識は継続しており、そのうちの数パーセント、あるいはもっとずっと少ないが、それでもいくらかは記憶として、それから身体感覚として保持され続ける。ぼくは生れてからずっとこういう時間というものをくり返してきたのであり、今後も死ぬまでそれは続く。そもそも死というものは、単にそういうことを意味しているに過ぎないのかもしれない。規則は破られ、ぼくから時間というものが失われる。時間が失われたぼくには、はたして何か残っているものなのだろうか。やはり、ぜんぜん何も残らないのだろうか。
 着替えたぼくは、すぐに出かけてしまう。駅まで歩く途中に携帯電話から庸子に「おはよう」とだけ書かれたメールを送る。少しすると、まだ駅へ着かないうちに、庸子から返事のメールが届く。やはり、「おはよう」とだけある。庸子はそれを目覚まし代わりにしている。機械に起されるよりは、間違いなく起きる気になれると思うからと、庸子はそれを思いついた日に、笑いながら言った。ぼくの時間、つまりぼくの一日の多くはそのようにして滑り出す。その中で動いているぼくは、いつも何かを思っているような気がする。けれども、その内容をここで説明することはかなり難しい。ぼくの時間は一様な、すべすべとしたプラスティックの平板のような表層をしていて、そのうちのどの部分をピックアップして取っておけばいいのか、ぼく自身にもうまくつかみ出すことができない。けれども、すべてが忘れ去られてしまうというわけではなく、たとえば、この「一様な生活」というイメージに関連づけられ、そこから引き出され得るものについては、記憶として比較的とどまりやすい傾向にある。
 流れはじめてからのぼくの一日も、日によって特に大きな変化があるというわけではない。ただ一日立っているだけで日が暮れる。出社してすぐに、三四人で一かたまりになってそれぞれ車に乗り込み、街中や郊外の住宅地へ出かけてゆく。目的地について車から降ろされると、あとはもうただつっ立っているだけになる。脇には看板を抱えている。ぼくがひとりそこで立っていても、何の用もないのだけれど、この看板はそうではなく、そこになくてはならない。だから、ぼくが抱えて立っている。つまり、看板に奉仕しているというわけで、それがぼくの一日の大部分を占めている。日によっては、パイプ椅子が支給されることもあり、そういうときは看板を抱えて一日座っているということになる。
 看板にはだいたいこんなことが書かれている。「○○タウン好評分譲中」。その下に、背景の色にあわせて、赤や黄色といった目立つ色で大きな矢印と、おおまかな距離とが描かれている。看板に書かれてあるものを目あてにやって来る人たち----年齢はさまざまだが、大抵ふたり連れの男女で、何やら談笑しながらとろとろとぼくの正面の方角から近づいて来、看板の文字を目にすると、みちを折れてゆく。たまに指さして、「もう少し先みたいね」とか、「案外、遠いな」とか、話しあっている声がぼくの耳にまで届いてくることもある----彼らにはそれだけでまったく十分なので、ぼく自身には何も付け加えてすることはない。ぼくは彼らを見つめもせず、彼らと何の関わりもないかのようにして、つっ立っている。
 夕暮れどきになり、人通りが途絶えると、ぼくは看板を布で包んで逆さにして歩き出し、ぼくをここまで運んできた車の停められている場所へ行く。看板を荷台へさし込んで、車に乗る。それでぼくの一日が終わる。その後はまっすぐ部屋に帰ったり、庸子の部屋に行ったりする。
 庸子は、部屋の近くのぼくらくらいの年齢層を相手にした洋服屋で働いている。小さな店だから何かと忙しいようで、昼間は一日中、ほとんど立ったままだという。だから、仕事から帰って、暫くして気が抜けてくると、大抵は眠そうに目をこすりだし、やがてうつらうつらしはじめ、ソファの肘掛を抱きかかえるようにして、丸くなって眠ってしまう。その姿勢は庸子にとてもよく馴染んだもののようで、ソファの上で眠くなるといつの間にかそうなってしまう。丸まった庸子はとても小さく見え、それはいつかテレビで見たことのある、母親の腹のもとで脚を折りたたんで眠る子馬の姿を連想させる。疲れがひどいときは、窮屈な姿勢のまま寝入ってしまったり、鼾をかいたり、薄く開いた口元から涎が垂れていたりする。そうしたときには、楽な体勢になるよう腰の位置を変えたり、指やちり紙で脣を拭ったりするが、ふつうはそのまま寝かしておく。ぼくはその寝顔をよく眺め、不思議な感じをかすかに受ける。化粧を落としたり、そのままだったり、それから季節や天候、疲れの具合によって、顔の様子はいつもわずかずつだが異なっている。けれども、不思議な感じはそのために与えられるのではなくて、庸子の体のもっとずっと奥のほうから浮き出してくるような気がする。
 しばらく眺めてそれに飽きると、ぼくはそのときどきの気分によって、食器のあと片づけ、洗濯や掃除なんかをする。キッチンで水を流したり、洗濯機を動かしたり、掃除機を使ったり、眠りを妨げられるような音をいろいろとたてるが、庸子は実によく眠っていて、起きることは滅多にない。膝をソファにあわせて乗せ、幼いかんじのする寝顔を無防備に晒している。ひと仕事を終えると、ぼくは風呂に湯をはって、奉仕の対価として冷蔵庫から缶ビールをひとつつまみ出してフタを開ける。ソファの空いている片側半分に腰をおろし、テレビを点ける。一時間から二時間ほど眠ると庸子は目覚め、その頃には、今度はぼくが眠くなっている。実際に眠ってしまっていることもある。眠っているあいだにいくつか片づけられた家事を確認すると、「あら、ありがとう」と別段驚きも感謝の気持もこもらない声で言い、一応ぼくへの配慮を示すが、「どうせなら、ぜんぶやってくれればいいのにね」という、そのあとの呟きのほうが本心を表している。そして、まだ片づいていない、ぼくがしなかったものに取りかかる。
 そうやって家事手伝いみたいなことをするので、頻繁に訪ねて行っても、庸子はあまり不機嫌な顔になることはない。部屋に行くときは、たいていは直前に一度電話をかけて、庸子が部屋にいることと、ぼくが部屋に居ても構わないかどうかを確かめる。直前になるまでは連絡しないし、部屋に来客があったり、迷惑そうな声色のときには行かない。電話口の庸子の声には、そのあたりが素直に出る。
 庸子の部屋のほかへふたりで出かけるときも、前もって予定を立てておくことはまずない。よく晴れた休日に早くふたりとも目覚めた日が、どこかへ出かける日で、朝食を取るまえに電話をし、一日の計画を取り決める。そんな風だから、予約が要るような場所へ行ったり、手の込んだ遊びなどはできない。旅行もしない。一日は、いちにちの中だけで開かれ、閉じる。だいいち、そういう条件にあった日自体がひどくめずらしい。ぼくの仕事も庸子の仕事も、土日は稼ぎどきだから休みではなく、ぼくは週に二日の休みを取ることができるけれども、小さな店に勤める庸子のほうは、週に一日というより、月に四五日といった不規則なものなので、お互いの休日はあまりかみ合わない。庸子はそうでもないのだけれど、ぼくの方では特に意識して庸子と休日をあわせるようなこともしない。庸子はそういうぼくの姿勢をときどき、「わからない」という言葉を使って批難するが、それをどうこうする意思は、ぼくにはほとんどない。それは別に、庸子と過ごすためのまとまった時間を持ちたいと思ってはいないということではなく、むしろ、休日に限らず、ぼくには日付とか時間とかをやりくりする能力がほとんど備わっていないためで、この仕事をはじめてしばらくしてから、それは特に著しくなった。太陽の傾き加減や周囲の明るさや色調から、だいたいの時刻を推し量れるようになり、看板を抱えて立っているあいだに一度も時計を見ることが無くなった。季節ごとに少しずつずれてゆく、正午の太陽が上昇から下降に転じる頂点の大まかな位置も感覚で知ることもできるようになり、それを見とめると看板を適当なところへ立てかけて昼食をとる。いちにち立ちつくしているだけの人間には、その程度の時間というので足り、現在のぼくはそれ以上時間を管理することに違和感のようなものを持つようになっている。
 そうして、ぼくらはもっぱら庸子の部屋で会うばかりで、あまり出歩かない。まして、庸子がぼくの部屋に来ることは無い。それは一度も無い。引越しのときにも、手伝うと言うのを、ぼくが断った。ぼくはそのとき、「ぼくのわがまま」という言葉を使った。そして、多少どもりがちに、自分の想いえがいているぼくの部屋というものを、二こと三こと話した。ぼくは、ぼくの内側に少しでも触れるような事柄を話すときには、いつでも、庸子の前であっても、どもりがちになる。おかげで、すぐにそれとわかる。庸子も、当然それを知っているので、ぼくの喋ることがどもりがちになると、彼女の方でも、ぼくのそういった話を聞いている、という顔つきになる。そういうときの庸子は、つまり、意識的に自身の感情を制御して何かをしようとするときの庸子は、口を平たく引きしめ、眼にはある種の輝きが顕れる。何度か、庸子とそのような姿勢を要求するような話題を扱っているとき----たとえば、ぼくのこの先のことについてや、庸子のそれや、二度ほどあった、冗談のような、そうでもないような別れ話などがそうだったが----それに気がついた。話を終えたあとで、ひとりになると、いつもきまってその眼がしきりに思い出された。
 「ぼくのわがまま」という言葉と、どもりがちの二こと三ことでは、当然のことながら、庸子は納得しなかった。ひとつの理として聞くことはできるけれども、承服はできかねるというようなものではなく、ぼくの言っていることを、まったく理解できないようだった。ぼくがどもっているので、庸子は言葉を慎重に選んで、それを問いただした。「生き方」というような言葉すら用いた。けれども、その二こと三こと以上のことを言うのは、そのときのぼくにはまだ不可能なことだった。ぼくは、すでに言うべきことで、言うことのできるものは、すべて言い終えてしまっていたので、庸子の問いかけに対し、「うーん」と呻り顔をしかめて硬直し、それもままならなくなると、その二こと三ことのうちのひとつをくり返すほかなかった。庸子は、やがて諦めた。そして、とても悲しそうな表情になって、「仕方がない」と言った。
 それから、しばらく経って、ぼくの生れて何度目かの誕生日に、「あなたの部屋で祝いたい。そうしたい」と庸子は言った。ぼくは引越しの際と同じことをどもりがちにくり返し、それを拒んだ。庸子はなにか言いかけたけれども、言いかけただけで止めてしまった。代わりに、「二十四歳おめでとう」と、声を詰まらせながら言った。ぼくは自分が二十四歳になったことを、それではじめて知ったような気がした。すると、自分に対するぼんやりとした苛立ちが腹のあたりに溜まり始めてきたので、ぼくは「ごめん」とかすれた声で言ったが、庸子はもう既に無反応になっていた。
 庸子はそれ以来、ぼくの部屋に来たいという意思をはっきりあらわすことはなくなったのだけれど、ときどき、会話の流れがそのことにいきあたったりすると、冗談めかした調子で----庸子の冗談めかした調子というのは、人のそれとは大分ちがっていて、声の調子を、怯えているような調子にする。だから、ある程度慣れていなければ、庸子がそれを冗談として言っているのではなくて、何かそれに恐怖を感じているのだと受け取ってしまう----「他の女と暮しているんじゃないの」と言ったりする。ぼくは笑って、「そうだといいのだけれど」と応える。
 実際のぼくの部屋は、ほかの女どころか、テーブルひとつありはしない。何も無い部屋。がらんどう。

(覚醒都市)-3
 伽藍堂の部屋に暮すというのと、ぼくより他の人間がその空間を占めることが無いというのが、「ぼくのわがまま」だ。引越しを手伝うという庸子の申し出を断ったのは、そこを庸子に触れさせたくなかったという理由のほかに、手伝ってもらうほどのなにものもありはしないというのも確かにあった。
 部屋にはクロゼットがひとつあって、洋服や、細かな雑貨、日々の消費財などはみなそこに納まってしまっている。三着のスーツやシャツ、ネクタイ、その半分くらいの容積の普段着、ビジネスバッグや旅行鞄、それから、靴が何足か、革靴、スニーカー、幾冊かの大切にしたいと願った文庫本、少量の写真、学生の頃のテキストやノート、ティッシュや洗剤の買いおき、なんでもいい、そういったものが、できるだけきちんと積まれて入れてある。そうしなければ収まらないから、なにかとこまめに整理している。はじめから、そこに入れることを思って買いものをするので、滅多にないことだが、新しく加わったものがクロゼットに収まりきらないときには、既に入っている何かを捨てて、足りない分のスペースを作る。たいてい、使っていないもの、古いものをできるだけ機械的に選定して捨ててゆく。
 このあいだは、ここへ越してきてから一度も聴いていない、小さなオーディオコンポと百何十枚かのCDを捨てなければならなくなった。「各自、自習のうえレポート提出のこと」というA4一枚の、コピー紙に印刷された通達と一緒に、会社から配布されたビジネステキスト数冊が、そのあとに収まることになっていた。あまり気はすすまなかったのだけれど、それがこのクロゼットの内で、最も必要でないものだった。コンポは安いもので惜しくはなかったが、CDは少し惜しかった。そのうちの何枚かは庸子がくれたものだったり、一緒に買ったりしたものだった。ぼくはクロゼットの前の床にすとんと座りこんで、しばらく時間をおいたあと、庸子の部屋に置いてもらえないかという電話をかけた。夜中、一時近かったのだけれど、庸子はまだ起きていて、まず「どうしたの」と言った。
 ぼくは、二秒ほど黙ったあとで、「CDを預かってくれないか」と言った。思いがけず、声がひしゃげていた。庸子も、すぐには答えずに黙っており、彼女のゆっくりと吐く息の音だけが受話器越しに聞こえていた。答えがないので、ぼくは自身の潰れた声を取り繕うようにもう一度、
「CDを預かってくれないか。いや、『貰ってくれないか』と言った方がいいかもしれないな。部屋に置いておけないんだ」
普段の声に戻して言った。
「そう、それは別に構わないけれど…。
 でも、ほんとうに、置く場所がないの?」
「クロゼットから溢れてしまったんだ。会社からレポート課題付きのテキストの配布があって、A4版のサイズで、全部積み上げると六十センチくらいあるんだけれど、それが入らないから、なにか捨てなければならないんだ」
 庸子は考えるような間をおいてから、
「クロゼットの外に置いておけばいいんじゃないの?」
と聞き返した。ぼくも、すこし間をあけて、それから答えた。
「…それはだめなんだ」
「なぜだめなの。置き場がないっていうこと?
 置き場がないほど、あなたってものを持っている人だったかしら…。
 それとも、あなたの部屋ってそれほど狭いの?」
 ぼくは、まだ庸子に、ぼくの部屋と、それについてぼくの考えていることを、うまく伝えることができずにいた。ぼくは、「うん」と言って口ごもり、ふり返ってぼくの部屋の直方体にかなり近い空間を見つめた。がらんどうの部屋を意識的に見ることをするといつも、空間の持つある要素、それは例えば、固体の粒子の密度だとか、気体の流量だとか、計測可能な尺度でいえばそういったものになるのかもしれない、そういう何か基礎的かつ部分的なものが、部屋の重心の周辺に偏在して溜まっている、そして溜まっているのだけれども、いつか何かのきっかけで爆発的に発散する可能性があるというような、なにか不安定で落ち着かない印象を受ける。それはこんなにだらだらと記述しなくてもいい、もっと単純でわかりやすいもので、単に、人の使っていないからっぽの空間の持つあの見慣れない感じ、不自然に広い感じといえばいいだけのことかもしれない。けれども、がらんどうの部屋にわざわざ暮しているぼくは、この感じに少しこだわっているところがある。ぼくは毎日この部屋に戻ってきて、この部屋を「こういうもの」として眺めているはずなのだから、もうこの部屋をがらんどうだと感じなくなっていてもおかしくないはずなのだが、今もそうはなっていない。あいかわらずこのほとんど直方体の空間をがらんどうだと感じ、不自然な印象を受ける。受話器を耳にあてながら、ぼくはそのときも部屋の重心のあたりを見て、そして黙っていた。
「…ねえ、どうなの」
 庸子のじれた感じのこもった声が受話器から響いてきた。いつの間にか、多少ぼんやりしていたらしいぼくは、その声で気を取りもどし、
「うん、たしかに部屋には置く場所がないわけじゃあない。
 でも、駄目なんだ。それは、その、しないんだ…。してはならないということではなくて、しないことにしているんだ」
と、どもりがちに言った。電話のむこうの庸子のため息が聞こえた。
「それは、なんとなくは知っているわ」「…そうか」
「私が聞いているのは、聞きたいと思っているのは、あなたが何を思ったり、考えたりしているのかってことで、」「うん」
「それは、クロゼットに入りきらないものを、私の部屋に置こうとしたり、私が部屋に行くのを拒んだりするのは、どうしてなのかっていうこと」「うん」
「もしかしたら、こういう言い方は気に障るかもしれないから、もしそうだったのなら、先に謝っておくけれど」「いや、たぶん、大丈夫だ」
「…そう、なら、いいわ。
 ねえ、私は、あなたがそういうことをするような、そういうことをはじめてもそんなに不思議ではない人だって知っているつもりだし、知っているから、あなたが実際にそうなっても、私はそれをある程度は許容できると、そう思っていて、たしかにはじめはびっくりしたり、もしかしたらいやがったりもするかもしれないけれど、少なくとも、それを頭から否定してかかるようなことはないつもりでいるの」「知っている」(ぼくは実際、言われなくてもそれを知っていた)
「でもね、それはあなたが何をしているのか、何を思ってなんのためにそれをしているのか、それから、そのことで私にどうあって欲しいのか、そういうことを知った上でなければいやなの」「うん」
「それってたぶん、わがままなことじゃあないでしょう」「うん。たぶん、自然なことだ」
「そうね、たぶん。それで、あなたが引越の手伝いを断った日からずっとね、」「うん、そうだね」
「ずっと、あなたがそのことをいつ私に話してくれるのか、待っていたのよ。でも、」
「ぼくはなかなか話そうとしない」「そう、だから」
「今それを聞かせて欲しい、というわけだ」「そう」
 ぼくは庸子が続けて話すのに、そうやっていちいち相槌をとりながら、片すみでぼんやりと、この電話でははじめから、庸子がぼくのことを「あなた」と呼んでいることの意味を思っていた。庸子がそのような呼称を、ぼくに対して使用するのだということを、そのときはじめてはっきりと認知したのだった。けれども、それが庸子のどういった心裡から起ってきているのかを、正確に判断することはできなかった。電話越しの声の調子からは、事務的で他人行儀な通達をしている、というようでもあったし、また単に、あらたまって、冗談ではない、真剣で誠実な話をしているためにそうなっているようにも思えた。
 庸子は、そこで言葉を切って黙っていた。電話越しの庸子に、ぼくがただ黙っているわけではないことを示すために、何度か「うん」という実に弱い声でつぶやいていた。そのためか、庸子はそれ以上せかさず、ぼくが話しはじめるのを黙って待っていた。
 ぼくはそうして時間を引き延ばしているあいだ、実際には何も考えていなかった。庸子の言っていることはごく尤もなことで、ぼく自身もいつか機会があれば庸子にそれを話したいと希望していたし、またそれが半ば義務であるとも考えていた。そしてまた、そのいつかが今だということは、ぼくの眼にすらはっきりしていたし、今のぼくにはそれを拒否する根拠も意思もなかった。しかし、そのことを庸子に(当然、庸子以外の人にも)、共感や賛同はできなくとも、せめて話している内容だけでも、どうにか理解してもらえるように話をする自信がぼくにはなかった。もっと言えば、いつになったらうまくできるようになるのか、その目星すらついておらず、もしかしたら、この先ずっと、そんなことはできるようにはならないかもしれないと思ってすらいた。今からぼくがそれをはじめるとすれば、きっとぐずぐずどもりながら極めてまずく話すより他ないのはわかりきっていた。時間を無闇に引き延ばしたのは、単にその考えがとても憂鬱なもので、すぐに話を始める勇気が湧いてこず、それを後押しする積極的な意思も、不可避なものとして見せる十分な圧力も無かったからで、それを回避するためにうまい方便を必死になって探していたわけでも、いくつかあると思われる話の順序や組立て方を思案していたわけでもなかった。ただクロゼットのある部屋の隅から部屋の方を向き、その重心のあたり、あるいはこの空間自体を見つめながら、受話器を耳にあてていただけだった。そして、ときおり、ほとんど規則的な周期で「うん」と受話器に向かって、そこに吸いこまれる前に消えてしまうような声でつぶやき、ただ時間が経つことを、そうして何かが満ちのを待っていた。あるいは、願っていた。
 「ねえ」と、ようやく庸子はじれて、ふたたび催促の言葉を投げかけてきた。その声には、はっきりとした苛立ちがこもっていたので、ぼくは仕方なく、「うん、うん」と弱く呟きながら待っていたものを、無理矢理に満ちさせることにし、いくぶんはっきりとした調子でもう一度「うん」と言い、それから、「何から、話そうか」と尋ねた。
「そうね、何でもいいのだけれど…。
 何がいいかしら。何か、言ったほうが、きっといいのでしょうね。
 ええと、そうね。とりあえず、あなたの部屋のあるところから話してもらおうかしら。
 私、結局あなたの部屋がどこにあるのか、いまだに正確には知らないのよ。
 私が知っているのは、三軒茶屋の駅から少し離れているってことと、駅の南の方にあるってことくらい。他は何にも知らない」
「…そうだったかもしれない。
 たしかに、何も話していなかった気がする」
「そう、私は何にも知らない。
 たとえば、その部屋は広いのか。
 アパートなのか、マンションなのか、どんな建物なのか、その何階なのか、窓はどの方角に面していて、そこからは何が見えるのか、静かなところなのか、騒がしいところなのか、その周辺には何があって、どんな様子なのか、私は何にも知らない。
 あなたが普段どんな街並みの中で、どんなものを見ているのか、私は知らないから、想像しているより他に無い」
「…そうかもしれない」
「だから、まず、それから話してみて」
「いいよ。わかった」
 ぼくは二三秒また言葉を切って、これから話しをすることになるぼくの部屋を見つめ、それに関連する記憶を引き出そうとする。
「ぼくの部屋は、三軒茶屋の駅から、歩いて十分ちょっとのところにある。部屋から、百メータくらいのところに、バスのとおる少し大きな通りがあって、部屋から一ばん近いバス停は駅から、三つめか四つめのものだと思うのだけれど、ぼくはバスをまだ一度も使ったことがないから、正確なところはよくわからないし、そのバス停の名前も、よく覚えていない。何の変哲もない小さなお寺の前にあるから、あるいはそのお寺の名前がついているかもしれない。でも、そのお寺の名前も、ぼくは知らない。知ろうと思っていない。低い白壁に囲まれ、正面に小ぶりの門があって、向かって左脇には小さな墓地がついている、ほんとうにどこにでもあるようなかたちのお寺で、だからきっと、どこにでもあるような名前の寺なんだろう。毎朝、部屋から駅へ向かうとき、その前を通っている。それから、夜に部屋へ戻るときもやっぱり通る。その寺のひとつ先の角を曲ってすぐのところに、ぼくの住むアパートがある。車は一台しか通れない細い路地で、一方通行なのだけれど、朝と晩でその向きが変わる。アパートは木造で、築何年だったか、ええと、忘れてしまった。でも、間違いなく十年以上は経っている。だから、いい部屋、という感じはあんまりしない。そのぶん、家賃もそんなに高くはない」
 ぼくは庸子に話しかけるようにでなく、不特定多数の聞き手に向かって話すような、もしくは誰も聞き手のない壁を向いて独白するような、目の前に置いた作文を読んでいるような、多少抑揚を欠いた感じで、ゆっくりと、けれども、詰まることなく話しはじめた。庸子も、特にうなずいたり、相槌のようなもの入れたりはせず、黙ってぼくの話すのを聞こうとしているようだった。
「ぼくはその二階の、奥からふたつめの部屋に住んでいる。ひとつの階あたり、部屋は四つ並んでいるから、手前から数えるとみっつめになる。二階へ上がる階段は、おもてにコンクリートを被せてあるから、のぼるとカンカンではなくてトストスという感じの音を立てる。ちょっとくたびれた感じのする、どこにでもある普通のアパートだと思う。
 それから、アパートの廊下側のとなりは、これもありふれた感じのつくりの一戸建てで、一階はそのキッチンに面していて、二階は子供の部屋なのだろう、お月さまか何かだったと思うけれども、曇りガラス窓の向こうには、大抵おおがらな模様のカーテンが見えている。窓は天気のいい日曜などには、たまに開いていることがあって、学習机と壁に貼られた男のアイドルのポスターが見えるから、おそらくその部屋の持ちぬしは女の子なんだろう。でも、ぼくはまだその子の姿を見かけたことはない。そちらがアパートの北よりの面で、窓があるのは、部屋に入って、反対側の南になる。部屋の窓からは、午後の陽射しよりも、朝の光がよく入りこむような気がするから、たぶん南からすこし東に傾いていて、南南東むきと言えば、ちょっと感じが出るかもしれない。
 部屋のドアは痩せて色あせた茶色をしていて、開閉するたびに、くたびれた扉の金具が擦れてたてるあの音、キイという音がする。扉には新聞受けがついていて、大抵は安っぽいアパートに似合いの、デリバリーヘルスか宅配ピザのケバケバしい配色のチラシが、二三枚は挟まっているか、底に溜まっているかする。ドアは、厚さは普通の扉と同じくらいなのだけれど、ひどく軽くて、勢いよく開け閉めすると団扇のように風が起こる。壁も決して厚くは無いから、部屋の中に音がよく通る。外の物音はとてもよく聞えるから、部屋からの音もやっぱり聞えているのだと思う。部屋にいると、たまに、そういうことを思い出して、そっと物を置くようにしたりする。
 ドアの脇にはひとつ、曇りガラスの入った、小さめの風とり窓がついていて、これはまだ一度も開けたことがない。いや、引っ越して来た日に、一度だけ、この部屋の持っている機能をすべて試すように、全部の扉や窓、スイッチなんかをいじりまわしたから、そのときに開けて、閉めたような気がする。換気扇もついているけど、これもやっぱり、使ったことがない。
 部屋の間取りは1Kという、人が入っているただの箱のほかにはなりようのない形式で、ドアを開けるとすぐ脇に、K、キッチンがあり、トイレと浴室兼用のユニットバスという名前のついた小箱がひとつある。部屋のなかに、扉がついて区切られているのは、そのユニットバスと、あとは、クロゼットがひとつ、キッチンの下にある物入れくらいのもので、ほかはみなひとつに繋がっている。穴ぐらにすむ鼠でも、もう少し多くの、空間の種類を持っているような気がする。築十年以上だから、部屋のいろいろなところのほころびが、すこしずつ表面に浮んで、しぜんと目につくようになって来ているのだろう、どこがどうとは言えないのだけれど、部屋全体として、どこか、『すすほけた』という印象を受ける。だから、人がはじめて部屋を見るとき、何よりも先に、きっとがっかりする。ああ、こんなものか、と思う。そしてきっとすぐに、こんなものだ、と納得する。そういう部屋だと、自分では思う。その意味でいえば、この部屋は、ある種の奇妙な安心感のようなものを感じさせると言えなくもない。
 窓からは、隣接する二件のアパートの窓と壁とが見える。ぼくの部屋の前のところで、ちょうど二件の切れ目になっている。ふたつのアパートも、ぼくのアパートとだいたい同じようなものだけれど、ぼくの部屋から見て左側のそれのほうは、比較的新しい。アパートの住人も、こちらと似たようなものだろうと思う。窓の外にただ目を向けただけでは、それしか目に入らない。横になると、アパートとアパートの隙間から、空が少し見える。ぼくはだいたい、そうして空を見ている。暗い地下室の、天上にごく近い位置につけられた明かり窓から眺める空というのは、きっとこんな風なんだろうと、よく思う。そういう空だ。そして、ぼくの部屋の窓というのは、そういう窓だ」
 それだけを、ゆっくりとではあるけれども、ほとんどひと息といった調子で話したぼくは、一度口を閉じた。ここまでは、感情の起伏はほとんど無く、したがって、あの多少憐れな感じのするどもりがちの口調にもならずに、ごく淡々と話していると、ぼく自身は感じていた。でも、部屋とその周辺についての記憶を、できるだけ丁寧に辿ろうとしていたので、自分の話し声にまでは、実際にはそんなに気を配っていたわけではなかったから、あるいは、ところどころに、少し大きな間があったり、いくらかどもりがちになっていたことが、あったかもしれない。
 口を閉じると、脣の上下がぴったりとついていることがとても意識された。ぼくは左手の中指で実際に脣をなぞり、それを確認した。そして呼吸を落ち着けると、喉が渇いていることに気がついた。中指で脣をなぞりながら、これだけの長さをひと息で話したのは、いつ以来のことだろうと思った。とりあえず、記憶は無かった。
「いまとりあえず思いつくのは、このくらい」
 渇いた喉をもう一度ひらいて、ぼくは言った。
「ほんの少しだけ、わかった」
 庸子はそれだけで言葉を切った。
「少しだけ?」
 そのコメントに、ぼくは軽い不満を持った。ぼくとしては、この部屋についてできるだけ丁寧に話したつもりで、もう語るべきことはいくらもないように思われたから話を打ち切ったのだし、それから、こんなにたくさんのことを一度に喋ったのは、自分の記憶にはちょっとないくらいだったのだから、庸子の「ほんの少しだけ、」というのは、たぶん、自分の話し方が拙かったか、話すべき内容にそもそも間違いがあったか、そのどちらかなのだろうけれども、自分では、少なくとも丁寧に話しはしたのだと思っていた。
「そう。少しだけ。ほんの少しだけ」
 庸子はまた、「少し」というのをくり返した。
「説明が足りない?それとも、まったく、お気に召さない?」
 「少しだけ」という庸子の言葉への不満が、口調を乱すことがないよう、できるだけ気をつかってぼくは言った。喉が渇いていると、また思った。口のなかまでも、なんだか渇いているようだった。
「説明じゃ、足りない、といえばいいかしら」
 落ち着いた声で、庸子は言った。
「説明じゃ…」「足りないのよ。決定的に」
 それで庸子の言いたいことはわかった。ぼくは、「そうだね」という乾いた声を出した。そして、こう続けた。
「でも、今のぼくには、これしかできない。いや、これしか、しないんだ」
「そうね。あなたは、とてもはっきりと、拒絶しているわね」
「だから、『ほんの少し』で、我慢してもらわないといけない。何度も、言うようだけれど」
「そうね。我慢しないと、いけないのでしょうね」
「すまないのだけれど」
 ぼくは、それをあまり感情をこめずに言った。それが庸子には、きっと薄情に聞えているのだと知っていたけれど、それでも、何も言えないよりは、ずっといい。庸子は、それには答えず、しばらく黙っていた。ぼくも、自分から言うべきことは、何もないので、同じように黙って、そうして、喉が渇いていると思っていた。アパートの前の路地を、車が一台、細い道を慎重に通り抜ける際の、そろそろみしみしという音が聞こえた。あとは、何も聴こえてこなかった。ぼくは庸子が、何か言葉を持ってくるのを、ただ待った。
「今は、もう、これでいいわ」
 一分ほどもあったかもしれない、沈黙のあと、庸子は明るく作った声で喋りはじめた。
「また、別の機会にしましょう。電話で話さなくても、会っているときに、話せばいいことだし。
 CDは、あした、持ってきなさい。それから、何かほかにも、私の部屋に置いておきたいものはある?」
 ぼくは、できれば、コンポも一緒に預かって欲しいと言った。庸子は、「智主は、もう、音楽を聴かなくなったんだ」と呟いてから、「それも、置いていいわ」と言った。ぼくは、CDとコンポとは、同時に運ぶには、少しかさばり過ぎるからと言って、二度か、三度に分けて運ぶことを伝えた。庸子は、「私が、部屋に取りに行けば、一度で済むのに」と、また声を落して呟いてから、好きにしていいと言った。
 電話を終えて受話器を置くと、冷蔵庫の前へ行って、牛乳をコップいっぱい飲んだ。そのコップを、すぐにながしで洗いながら、「そうだ、冷蔵庫があるってことは、たしか、言わなかった」、ぼくはひとりごとした。
(覚醒都市)-4
 ただ生きる。
 ただ生きる、ということがわからない。
 「生きる」というのが、そもそもぼくにはよくわからないし、だから、そこにかかる「ただ」というのも、何のことを言っているのか、いまひとつ糢糊としていて、どう取り扱ったらいいのかわからない。
 結局、庸子にはっきりとした考えらしきものを何ひとつ言うことができないでいるぼくには、眠る前、眼を閉じず、夜の窓から斜めにさしこむ街灯の青白い光と、通りを横切る自動車のヘッドランプの光の断片が時折それに重なるのを眺めて、「この部屋は真っ暗闇にはならないのだな」など、互いにまったく無関係のことをいくつかとりとめなく思うことのうちに、そんなものが混じっていることがある。それ以上は何もせず、そのまま寝つくのが常なのだけれども、「足りないのよ。決定的に」という庸子の言葉に、電話口で素直に頷いたぼくは、「生きる」という言葉を、クローゼットの片すみ、革靴の箱や、読み終えた小説、マンガ単行本がまとめられた紙袋なんかが積み上げた山から、国語辞典をひと仕事して引っぱり出し、開いてみなければならないほどに、気にかかるようになっていた。
 しばらく経ったある日、仕事を終えて庸子の部屋に行き、なんでもなく過ごしてから戻って、ドアそばのスイッチで部屋の明かりをつけると、不相変のがらんどうがそこにはあって、それはいつもの、ごくあたり前のことのはずなのだけれど、その日は、その空間の大きさがいやに目障りに思えた。それでぼくは入り口から中へ進まず、その場に止まって、その大きさを見つめて、「ただ生きる、ということがわからない」というのを思い出した。蛍光灯が照らし出す部屋の壁も床も天上も、みな病的な白さで、それらに囲われた中にあるぼくのがらんどうの部屋は、ぼくを拒んでいる、あるいは、異物として捉えているように見えた。その空間に対して言おうとしたのか、ぼくは「仕方がないじゃないか」と呟いてから部屋にあがり、何もないその真ん中に敷かれたままになっているマットレスの上に尻をついた。そうなる理由には、さして心あたりは無かったのだけれども、その日の部屋は、たしかに、常に無くがらんとしていた。ぼくは居心地悪さを感じたまま、もう一度部屋中を見まわし、「ただ生きる、ということがわからない」と、部屋に入るとき思ったことを思い出した。そのあとで、ぼくは立ち上がって、クロゼットから国語辞典を引っぱり出すことを始めた。辞典には、「ただ生きる」という言葉は、そのままでは載っていないので、「生きる」という部分を先に調べた。
 「生きる」という言葉について何か知ろうとするときに、国語辞典を開かなければならないというのは、とても「貧しい」ことだというのを知らないわけではない。それはもっと他のもの、実経験や周囲の人びとの行為の一つひとつや話すことなどからエッセンスを吸収してゆくうちに、確たる形は持たなくとも、少なくとも或る質料を有する塊として育ってゆくものなのだろう。それは知っている。また、たとえそういうものが得られない人生的貧困の環境にあったとしても、少なくとも、国語辞典に頼らなければならないことは、普通はありえない。テレビでは、ほとんど毎日そういったものを扱っている番組があるし、そのときに興行している大きな映画の少なくとも一本は、やはりそういったことを言っているものであるはずだし、ちまたで目にする活字の数パーセントは、何らかの関連がある。だから、わざわざ国語辞典をひいてそれを調べる人間というのは、よっぽど暇なのか、ひどい馬鹿だ。それも、知っている。また、たとえ調べてみたところで、辞典の限られた各項目のスペースでは、それについての何かまともな記述を見いだせることは、まず無いだろうというのも、わかっている。でも、ぼくは国語辞典でそれを調べた。
 国語辞典には、予想したとおり、ぼくの望んだような事柄は書かれていなかった。そこにあったのは、主に「生きる」という言葉の慣用的な用法についての記述で、「筆一本でいきる」とか、「いきた金の使い方」とか、そういう言葉が例としてあげられているばかりで、それらの原義としてあるはずの、「生きる」という言葉自体の、意味なり、役割なりについての、満足な記述はそこには見あたらなかった。ぼくはそれでも、一応「生きる」の項をおしまいまで一とおり目を通してから、次に、もうひとつの言葉「ただ」というのを調べにかかった。ただ、それはもう、特に何かを期待しているというわけではなくて、ただ辞典を開いてしまっているから、ついでにという程度のことでしかない。
 けれども予想に反して、「ただ」の項には、「生きる」に掛かりそうな意味がいくつかあった。それぞれの意味には、置き換えることのできる言葉があげられていたりもする。これは少しは足しになりそうだと思い、細かい字でなった行をひとつひとつ人差し指でなぞりながら読んでゆく。
 副詞の「ただ」には、言い換えることのできる言葉が載せられている。
   「まっすぐ。まとも」まっすぐ生きる。まともに生きる。
   「隔てるもののないこと。直接」直接生きる。じかに生きる。
   「(変えたり加えたりしないで)そのまま」そのまま生きる。
   「それだけであって、ほかでない意をあらわす。単に」単に生きる。
   「その事が主となっている意を表す。ひらすら。もっぱら。全く」ひたすら生きる。もっぱら生きる。全く生きる。
   「数量・程度などのわずかなこと。わずか。たった」わずかに生きる。たった生きているだけ。
 名詞としての「ただ」の項には、それぞれの意味が書かれてある。
   「何ともないこと。取りたてて言うこともないさま」
   「なんの意味もないさま。むなしいさま」
   「特別な人・事・物でないこと。ふつう。なみ」
 多少気のすんだのだろう、ぼくは辞書を閉じて、クロゼットの中の小山の一ばん上に載せた。それから、両手をつき、腰を床からわずかに浮かせて、部屋の四方のうちで、一ばんまっ平らな、窓の向かい側の壁に背をつけて座りなおした。部屋は、やはりがらんどうで、非常にひろく、明るすぎるように感じられた。ぼくはこの部屋に越してきた、はじめての夜のように、部屋の隅から隅までを、もう一度見わたした。
 ----これは、ぼくが「小さく」なったからなのだろうか。また、ぼくが全く別の何ものかになったということなのだろうか。それとも、ほんとうに部屋が大きく、がらんどうになってしまったのだろうか。あるいは、そういうことでは全くなくて、単に今日はたまたま、その事実に気づいたというだけのことなのだろうか。
 それから、なぜ、「ただ生きる、ということがわからない」というのを思い出したのだろう。ぼくが小さくなったり、別の何ものかになったり、そういうことのためだろうか。小さくなったり、別の何ものかになることは、「ただ生きる」ことなのだろうか。そうではないから、わからないと思うのだろうか。
 「ただ生きる」の、「ただ」に置き換えられた「まっすぐ」「じかに」「そのまま」といった言葉たちは、「ただ」という言葉よりは、幾分はっきりとした形を有してはいるような気がするけれど、やはり先の方がどこからかかすれていて、単に置き換えただけという感じがぬぐえない。おそらくそれは、たしかに「取りたてて言うこともない」ことで、言うまでもなくわかっていなければならない、あるいは普通はわかっているものなのだろう。でも、ぼくにはそれがよくわからない。
 壁にぴったりとつけた背中から、ひんやりとした冷たさが体に伝わってくるのを感じ、ぼくはしばらく動かずにいた。そのうちに、意識がぼんやりとしてきて、眠くなった。
(覚醒都市)-5
 そして、また今日も立っている。ここ二週間は、毎日この、用賀駅から徒歩二十分くらいの、住宅地区の一画に来て看板を抱いている。ずっと、よく晴れている。ことに今日は、少し風があり、とても気持ちがいい。雲は淡白な色の空に薄く白く拡がり、大きな河の流れと同じ程度の速さで西から東へと流れてゆく。ぼくはそれをときどき見上げる。
 ぼくの抱えている看板は、それが誘導するところの物件までの道のりにある最後のもので、「この先約100m」という表示になっている。駅前の通りを道なりに十五分ちかく歩いたあと、コンビニエンスストアのある角を左に折れ、中央線のある通りを少し行って、もう一度、右に曲がらなければならない角を、それを目指して来る人たちに知らせるために存在している。周辺は、戸建て中心の落ち着いた住宅街で、看板の指し示している物件である、七階建のマンションは、ここからでも、その七階と屋上部分が見える。
 コンビニエンスストアのある角で駅前の通りと交差している、ぼくの立っているこの通りは、歩道と車道とのあいだに植え込み部分が両側にあって、かなりスリムに刈りこまれた、それほど大きくもない若いイチョウの並木になっている。通りに沿って並んでいる住宅の多くは、その駐車場部分を除いて、一メートル程盛り上げられた土地の上に建てられており、門の前に数段の階段があるか、あるいは門の奥に設けられている。庭木は大抵ほどよく剪定されてはいるが、それはそれぞれの家主の好みによって選ばれ、植えられたというような感じではなく、画一的で、この通りが整備された際に、園芸業者が一度に整えた、そのままという印象を受ける。そして、そういった気色の住宅でない、マンションやアパート、工場、事務所、商店といった建物は、ざっと見渡したところ見あたらず、イチョウの並木と同じように、そのような家が規則正しく敷き詰められている。ぼくの立っている場所から見わたせる範囲においては、全体として「よく整えられた」という感じがこの通りにはあって、それは二十三区内の住宅街では、それなりに珍しいことのように思う。
 晴れていれば、立っているぼくは、当然気分がいい。通りは、車の通行はあるけれども、人の往来はほとんどなく、ここを離れてはならないということを除けば、ぼくはほとんど解放されている。人が見ていないことをいいことに、ときおり、看板を軸にして、円を描いて歩いてみたり、看板を斜めに倒してみたりしている。看板持ちに忙しいも暇もないのだが、今日は特に暇な気分だ。ほんとうに、何もすることが無い。雨降りだったり、風が強かったり、暑かったり、寒かったりすれば、それらに耐えることをしなければならないから、暇だという感覚は無くなるのだが、今日はそのどれにもあたらない。申し分のない、ほんもののいい日というやつで、ここに立っていることに苦痛も感じなければ、義務感も意識されない。文字どおり、とても有り難い日だと思う。ほんとうに暇で、退屈していて、そして、ただそれだけだ。
 昼食を食べ終えて立ち上がり、もう一度周囲を見わたす。ぼくの前を通りかかる人も今日は特別に少なくて、三十分ほど前に、車輪つきの買い物カートを押して、ごくゆっくりと歩くおばあさんが、ぼくと目をあわせて、かすかに会釈をしたきりだ。自動車の通行も、ときおりその音が途切れるほどに少ない。目のまえを一分間眺めていて、その間に動くものが、風に揺られる立ち木の枝と、流される雲ばかりということもあるように思われる。そのことに気づいた途端、ぼくの頭は回転することを始め、目の前の景色が、存在の意味を獲得する。ぼくは、瞬きを止めて視覚するものの一つ一つを点検することをし、耳をすまし、東京の空気の臭いを嗅ぐことをする。
 東京の空気には臭いがある。東京へ久しぶりに足を踏み入れた人などは、不快感を伴って、それに気づくことも多いだろう。そして、そうした人でも、三日もいれば大抵わからなくなってしまうものだろう。それを形容するのは、とても難しいことのように思われる。濁った空気、澱んだ空気、汚れた空気。ガソリン、排気ガス、口臭、体臭、食物、排泄物、生ごみ、エアコンの排気、アスファルト、磨り減るタイヤ、電球が燃える臭い、砂塵、プラスティック、一千万の生活がたてる臭い、都会の臭い、言葉を積み重ねれば、積み重ねるほどにそれが言い表している臭いの具体的な感覚が薄れて、代わりに概念的色彩をまとうようになる。臭い、というものから離れて、あるイメージや、雰囲気を言っているような感じになってくる。そうして三日経てば、意識のしたにすっかり潜りこんでしまう、漠とした、けれどもそれだからこそ、ここで生活する人間すべてに共通する主旋律のひとつとなっているに違いない、東京の臭い。それを、今ここで嗅ごうとする。もちろん、うまくはいかない。ぼくは、東京で暮らしはじめてから、すでに数年が経過している者で、しかも、人格形成の最終過程を、ここで行ったのだという認識まで持っている。「生粋の」ではないし、典型的東京人であるとも思えないけれども、それでもぼくはここの人間で、その臭いを基底のひとつに持つ者には違いない。ぼくの体臭の何割かは、おそらくこの「東京の臭い」と同質のもので、この場所にそれなりに馴染んでしまっている。だから、きっとここの空気にも、「東京の臭い」は確かにあるのだろうけれども、ぼくにはそれをうまく感覚することはできない。
 深く息を吸いこんでみる。臭いといえるようなものは、やはり特には感じない。東京にはじめて来たときにも、ぼくはそれを特に意識しなかったような気がする。そのようなことを思ったという記憶は無い。ぼくが「東京の臭い」というものが在るのだと、はじめて気づいたのは、東京で暮らしはじめてから一年経って、はじめての里帰りをし、また再び東京に戻ってきたときだ。その当時借りていた部屋の、最寄りの駅の改札を抜けて、もう見慣れた駅前の、雑然と商店の並んだ通りと、そこを相当な速度で歩く人々を見たとき、ぼくは「東京の臭い」を嗅いだ気がした。そして同時に、「帰ってきた」と思い、今とおなじような深呼吸をしたことを微かに覚えている。自分の嗅いだ「東京の臭い」について、そのときはそれ以上は知ることはできなかったけれども、それが在るということは知ったので、それからは、時おり思い出しては、それが実際にどのようなものであるのかということについて、漠然と思ったりする。
 臭いを探すために意識を集中すると、それと同時に、周囲にある音も、また意識される。昼間の東京は、屋外ならどこにいても、自動車の走行音が二六時中聴こえ続けているという印象がある。自動車の音が途切れたときの方に却って違和感を覚えるほどに、どこにいても、ゴーッとか、サーッとか、掠れた音が常に響いている。雨の日には、濡れた路面によって音は濁る。音の発生源の車の姿は見えなくても、ひとつ向こうの通りからか、交差している路地からか、百米先の大通りからか、聴こえる方角すら定かでないけれども、とにかく、車の走る音がしている。
 今も、車の走る音が聴こえる。そして、そのほかの音というのは、特に何も聴こえてはこない。この音が無ければ、自身の呼吸音やら心臓の鼓動などが聴こえるかもしれないと思う。けれども、東京にいて、そんなものを聴いたことは一度も無いはずで、あるいは、これは東京に居なくても同じだったかも知れない。よくわからない。東京の外にいれば、そんなことは問題にすらならないので、まったく記憶が欠如している。自分の呼吸音。自分の鼓動。今はもう、そういった言葉自体に、久しぶりに出会う新鮮さがある。
 走る音。考えてみれば、ぼくは走る音に包まれて生活している。
 そう思いついたぼくは、無意識のうちに、また自分の周囲を見まわしている。けれども、走っているものの姿は、ひとつも見あたらない。やはり、車の走る音が微かに聴こえるだけである。ぼく自身も、もうかなり長いあいだ、走ることをしていない。走る理由が無い。走らなければならない理由も無い。走らないどころか、看板を抱えて立っているだけのぼくには、歩くことすら必要では無いように思える。走る音に満ちた東京の片隅で、走る音に包まれながらも、ぼく自身はずっと、一日中立っている。取り残されたようにして、ただ、立ちつくしている。
 立ちつくしながら、「いったい、自分は何をしているのか」と思うことには、ありふれた簡単さ、あるいは安易さがある。それは、看板を抱えることをはじめて、二週間あまりでやり尽くしてしまったことだ。一日中立っているということにまだ慣れず、疲労のためになかば痺れたようになった脚に苛つき、表情を硬く歪めて立っていた頃に思っていたことを、今ここで思い出そうという気にはなれない。ぼくは進歩や変化の少ない男で、自分が変わったとか、何かを理解したとかいった感覚に乏しいのだが、これに関しては、理解しているのだろうと思う。「いったい、自分は何をしているのか」と思うことには、まともな価値はほとんど期待できない。それは、手をひたした湯が思いのほか熱く、叫び声をあげて、手を引っこめるのに似ている。あるいは、南の空港から飛行機に乗りこみ、数時間の航行ののち、よほど北の、極寒の空港に降り立ったときにかんじる感覚のようなもの。そういった、多少の激しい刺激や慣れない環境に出会ったときの、一種の拒絶反応のようなもので、その言葉どおりの意味があってのことではない。二週間も経って、さして脚も痺れずに一日を終えることができるようになれば、しだいに薄れていってしまう。
 けれども確かに、東京の、走る音のなかで、ぼくはずっと立ち止まっている。それだけは残り続ける。そういう日々を過ごしている。「いったい、自分は何をしているのか」でなければ、そこに何を見たらいいのだろう。ぼくは、そこに何かを見ようとしなければならない気がしている。けれども、その思いがあるだけで、ここでもやはり立ちつくしてしまう。靄のような感覚が、ある種の圧力、または弾力を以て、考えることを拒み、想像することを禁ずる。ぼくは仕方なく、その拒む何ものかの表面を撫で、それについて何か言おうとする。

(覚醒都市)-6
 いつか、庸子の部屋にいるときに、今は忘れてしまったけれども、ぼくはひとりで何かを思っていて、ふと聞いてみたことがある。「ふと」というのは、その前の記憶がはっきりしないということで、そのときのぼくは何かを思っていて、それで口にしたのだろうけれど、今は思い出せない。
「庸子とぼくが、一しょに居る『必然』というのは、有るものなのかな。あるいは、同じときに同じ場所、だからつまり、今ここにふたりで居るというのは、『必然的』なことなのかな。それは、友人の須藤と庸子が一しょに居るのではなくて、今このときに、紛れもなく、ぼくと庸子とが顔をつきあわせているということでもいいし、宇宙におけるある座標に在る、物質なり、エネルギーなりの状態ということでもいいのだけれど。何でも、いいのだけれど。とにかく、『必然』というのは、『実際に』在るものなのかな。もしあったとして、それは、ぼくの内や、庸子の内や、ぼくらのあいだや、すぐ傍に有るようなものなのかな」
「どうしたの?急に」
 ぼくの持ってきた、太宰の小品を集めた文庫本を読んでいた庸子は顔をあげ、微笑して聞きかえした。
「…なんだか、よくわからないんだ」
 ぼくは庸子のほうを見ずに、音を聴きとれないほど小さくしているテレビの画面を見つめたままでいた。庸子の視線を感じたけれども、向きなおろうとは思わなかった。すごく小さく、遠くにいるように見えるに違いなかった。現に、いま見つめている、テレビの画面はどんどん小さくなって、ぼくから遠ざかっていくようだった。
 頭がひどくぼんやりしているときなど、ときどき、こういう状態になることがある。特に何の前触れもなく、唐突に、映画のスクリーンから、少しずつ後足で遠ざかるような感じで、視界全体が、ゆっくりとぼくから遠ざかり始める。遠ざかれば、それだけ視界のとらえる範囲が広がるというわけではなく、その分は、スクリーンの境界の外と同じで、ただ黒く四角く切り取られたようになっているような気がしている。でも、そうして視界が遠ざかってゆくあいだ、ぼくはなかば金縛りにあったようになって、遠ざかる視界のスクリーンの中心を凝視していて、その外側がどうなっているのか、きちんと意識することができない。そのくせ、スクリーンに映っているものよりも、むしろ、その遠ざかるスクリーン自体を、じっと目を凝らして見ているような感覚でもあったりする。そうしている時間自体は、そんなに長いものではないのだけれど、そのあいだは、おそらく、瞬きもしていない。そして、「これは、ぼくの視界が、ぼくから遠ざかっているためなのか、それとも、ぼく自身が、視界から、すなわち存在する世界から遠ざかっているためなのか」というようなことを思う。たいていは、「たぶん、ぼくの方が世界から離れつつあるのだ」と感じる。そして、これは、ぼくの意思で自由に打ち切ることができるのだということも、同時に知っている。その確信を確認して、安心している。そういった、ジェットコースター的なスリルを多少楽しむようにして、ぼくから離れる世界を、そのスクリーンを、好きなようにさせておく。
「わからない?…そう」
 庸子が、どこか迷ったような口ぶりで、そう言っているあいだも、ぼくは瞬きをせず、じわじわと遠ざかってゆく、四角く切り出された視界をなるようにならせておく。心なしか、庸子の声も、遠ざかっている印象がある。ぼくは、その感じを、既に視界ではなくなってしまった残りの黒い部分のすみで、微かに楽しんでいる。既にだいぶ小さくなってしまった視界の真ん中のテレビ画面では、CMの映像がせわしく人工の光を放ちながら、せせこましく切り替わっている。テレビが小さくなったので、その周囲のもの、テレテレビを載せている合板のボードや、わきに置かれたコーラの入ったコップの黒飴色、折りたたんだ携帯電話の灰色のボディ、薄型のティッシュの箱なんかも、テレビの映像と同じように、ぼくの視界に映っているのが知れる。それにともなって、心地よい不安というのだろうか、これの外では感じたことのない、不思議な感覚が次第に増大して、心臓をさしこむようにして、キュウと絞りだす。
 そのまますこしのあいだ、今しがた自分から庸子に何か問いかけたのだということをまったく失念して、ただ、四角い視界のスクリーンが遠ざかってゆくのを、なかば淡く楽しんでいる。そのあと、手を伸ばしても届かないくらいに、それがぼくから離れてしまいそうになると、その心地よい不安から、心地よさが消える。別に、手で引き寄せるというわけではないのだけれど、いつでも打ち切ることを知っているのとまったく同じようにして、それ以上離れてはならないのだ、ということも、なぜだかわかっている。子供のころ、家の近くの、小さな用水路を飛び越えようとしたとき、精確な水路の幅や自身の跳躍力など知らなくとも、それが実際に可能かどうか、見るだけでわかったように、はっきりとわかる。
 ぼくは瞬きをして、ぼくの意思で自由にそれを打ち切ることのできる限界ぎりぎりのところで、こちらに戻ることをする。視界はまたいつものとおり、ぼくの視野全面を覆い、真ん中にあったテレビ画面が普段の距離に近づいていて、そこで焦点が合っている。庸子のほうを見る。表情がある。ぼくは息を抜く。
「…ねぇ。また、ぼんやりして」
 庸子は苦笑して言った。ぼくもまた、それに微苦笑で応じ、テーブルにひじをついていた右手で、首のあたりを撫でた。庸子は、再び文庫本に目を落とした。
「どう、おもしろい?」
 うつむいた庸子の顔を見て、ぼくは言った。庸子は、今度は顔をあげずに、こくりとひとつうなずいた。ぼくは、妙な満足をすこし感じた。チャンネルを変えると、外国の空の映像がながれていた。画面のうちの、外国の空は見慣れている。晴れた空も、曇り空も、雨空も。雪雲に覆われた空も、嵐に猛り渦巻く空も。なんでも、見慣れている。
「たぶん、在るんだと思う」
「え?」
 画面の空から目を離し、ぼくは庸子を見た。庸子はうつむいて、文庫本へ目をやったままだった。そしてそのまま、ぼくに顔を向けないまま、庸子はそれを言い始めた。
「在ると思うし、なくちゃ、いけないんだと思う。智主がいて、私がいて。それは、となりどうしの、触れあうことのできる距離で。きっとそれは、たしかなことなんだと思う。智主と私とが目をあわせたり、私が智主を見るとき、智主はテレビを見ていたり、智主が私を見るときに、私は本を読んでいたり、ふたり、ぜんぜん別のことをして、私がキッチンで洗いものをしているとき、智主がCDを入れ替えているのがわかったり、私がお風呂に入っているあいだ、智主は窓を開けて煙草を吸っていたり。私が面白いと思ったことを、智主はそうは思わなかったり、その反対だったり、たまには意見があったり。そういうことは、とても、とても、たしかなことなんだと思う。
 いつも、一しょに、眠るでしょう。一しょに眠ったとき、智主が見ている夢が楽しいものだったら、私もおなじものを見たいと思うし、私がいい夢を見たときには、智主もそれを見ていたらいいと思う。私、朝によく、夢の話をするでしょう。あれはね、そういうことを思って、そんなことは実際には有り得ないことでも、でも、智主がそれを知っていたらいいと思って、話をするの。一しょの夜がそこにあるのなら、それはしてもいいことだと思う。
 智主が、わたしの部屋のドアを開けるとき、『ただいま』って言ったり、私が朝、先に出てゆくときに、『行ってきます』っていったり。そういうことも、それから、智主が入れたコーヒーを私が飲んだり、たまに私が夕食を作って、それがあんまりおいしくなかったり。そういうことも、きっとたしかなことなんだと思う。
 私は、智主の言うような、『必然』なんて大げさなことを考えたことはないけれど、でも、私は知っているから、それに答えることができる。それは、『在る』わ。どうしても、『在る』ものなのよ。どこにあるのかなんて、いつからあるかなんて、それから、いつまでもあるかなんて、そういうことは、私には答えようがないけれども、今ここにあって、それは『はじめ』からあるものには、違いないの。智主は、それを知らないように振舞いたがるけれども、私には、そんなことをする必要はないの。私はただ、それが今も『在る』ってことを知っていて、それで十分。だから、それをいちいち確かめようなんて、思わないし、それを指差したりはできないし、する必要はないわ。智主が私を忘れているときにも、私は智主のことを考えていたりするし、私はそれで十分なの。そう、そのひとつだけでも、もう、十分だわ」
 いつか、庸子はぼくを見ていた。顔をあげて、ぼくを見つめていた。庸子の声を聞きながら、ぼくはそういうようなことを思っていた。信じたら、きっと、いいだろう、というようなことも、頭をかすめていたように思う。ひとを好きになるのは、というようなことも、あったように思う。そして、庸子がぼくを見ているというのは、ひどく大切な、あるいは重大な事柄なのだと感じていたような気がする。ともすると、また、視界とぼくとが切り離されそうになりかけたが、ぼくはそれをすぐに打ち切った。庸子の声は、意味を有しているようでもあり、そうでないようにも聴こえた。それを聴くと同時に、そのときぼくの周囲を伝っている総ての音、自身の呼吸音すら、一しょに聴いているような気がした。
 しばらく、ぼくは何もこたえなかった。庸子の口が閉じられると同時に、ぼくの頭も、何も思っていなくなった。庸子の表情は、今までに見ないものだった。何も思っていないぼくは、けれども、庸子のその表情をとても好きだと感じてはいた。
 何のためか、ぼくは右手を庸子のほうへ差し出した。指先が、庸子の左腕の素肌に触れた。庸子の肌は、とくに温かいというわけではなかった。ただ、そこに体温があるのだということはわかった。ぼくはそのことに淡い興奮を覚えた。涙の衝動のようだった。ぼくは習慣からそれを堪えようとし、視線をおとして脣に力をこめた。目頭がかなり熱を持つようになっており、「目頭が熱い」とこだまするようにして、それを意識した。庸子はまったく動かなかった。ぼくの手を払いのけもせず、握りかえしもしなかった。そうしている庸子がどのような表情をし、何を思い、何を感じていたのか、ぼくは知らない。ぼくもまた動かず、ただ落ち着くのを待った。それはかなり長くかかった。
 心拍が平常に戻ったことを確認したぼくは顔をあげ、一度瞬きをした。左眼は無事だったけれども、右眼からは溜まっていた涙があふれて、こけた頬を伝った。手のひらで拭ってみると、その先に庸子の固い表情があった。ぼくは何か、後悔に似たような、あのいつもの感覚を持った。それは取り繕おうとする欲求を起こさせた。ぼくは口を開きかけたのだけれども、言えることは何も無かった。それで、また口をつぐんで、言葉を探した。そのときのぼくに言えることならなんでもいいと思った。頬の涙が徐々に乾いていくのが、とてもはっきりと意識されていた。もしかすると、また泣き出しそうな表情になっていたかもしれない。わからない。結局のところ、ぼくには言えることなど、何ひとつ無いのだった。それはわかっていたのだ。ぼくは自身のあいかわらずの失語症にかなりの憤りを感じながら手を床につき、「なぜなんだろう」とうわずった声を出した。庸子は表情を動かさなかった。ただまっすぐに、ぼくのことを見ていた。

(覚醒都市)-7
 数時間が過ぎ、陽光が黄色く色づきはじめ、それを左斜め後方から受けるぼくの影は歩道に長く伸び、伸びた分だけ薄まっている。少し前に、それまで看板と立っていた位置は、垣根の影に入ってしまったので、三メートル程誘導するマンションへの路地側に移動した。日陰になると、やはり少し寒く感じる。おかげで、看板はいくらか通りから隠れるようなかたちになってしまっている気がする。でも、今日はこれまで、ぼくの抱えているものを利用した通行人は、まだひとりも見ていない。どころか、通りかかる人の数自体が、どうしたことか、いつもより目だって少ない。正午を過ぎてから、ぼくの前を通っていった人たちを、全部あげてみる。まず、このあたりに住んでいると思わしき主婦が、午後のはやい時間に買い物へ出る、その行きと帰りを十数回見送った----彼女たちは、自転車にのっていたのが半分、もう半分は徒歩だった。そして、もうみなが行って、帰って来ている----のと、数人の中学生だか、高校生だかの帰宅、あとは、学生らしき年頃の黒髪の女の子がひとり----彼女は、携帯電話の液晶画面をのぞいていた----と、それから、いかにも暇のありそうな、そして憂鬱そうな、三十前後の無精ひげを生やした男がひとり駅の方へ歩いていったのと、それきりだ----もっとも、車の通行は、やっぱりそれなりだったように思うけれども。だから、この時間になってしまえば、これから客が来る可能性はほとんどゼロと言っていい。それに、もともとぼくにはこの看板に描かれてあることを利用する人たちのために立っているという意識は薄くて、ただ単にそれがぼくに設定された日常だからそうしているというだけのことだから、自分が一日中抱えているものが、その僅少な意義の発揮すらおぼつかない状態であっても特にかまうものではない。監督者も居ない。それで、ぼくは暖かい日向に移ることにした。陽が傾いて、風の温度が下がってきても、光線にあたることで伝わってくる熱をじんわり感じていれば、まだ十分にぼんやりとしていられる。そうして上着に溜まった熱を微かにいとしく思う。今日はよっぽど機嫌がいいのだろう。ときどき、「庸子は今どうしているだろう。きっと忙しく立ち働いていることだろう」というようなことを考える。
 結局、ひとりの客もないまま十六時を過ぎると、ぼくより先の地点に立っていたふたり、駅前のひとりと、この通りに折れるコンビニのある角のひとりが、それぞれの看板を担ぎ、連れ立って引き揚げてきた。彼らは、シロカネさんとサトウさんといい、この物件は、あとひとり、受付にいるヨシハラさんの四人でやっている。シロカネさんは、百八十センチ超の長身に少しアンバランスな丸顔、濃い眉と大きくて丸い鼻をしていて、話しぶりには関西らしき訛りが残っている。腿が太くて、スーツの上からでもそれがわかる。ほどよくしわの付いた趣味のいい茶色の革靴をいつも履いている。笑うと、ピンク色の歯齦があらわになるのが印象に残る。サトウさんは、ぼくと同じか、それよりも少し低いくらいの背丈で、天然と思わしき巻毛に鷲鼻、痩せているせいか、骨ばった印象で、多少神経質そうに見える。笑う声が少し下品な感じなのもそれに拍車をかけているかもしれない。ヨシハラさんは、この三人のなかでは、一ばんキャリアが長い方であるようで、作り笑顔が堂に入っており、この人のプライベートというのが、ぼくにはどうにもうまく想像できない。ぼくを除いたこの三人は、たしかなところは、ぼくにはよくわからないのだけれど、みな、ぼくより二つ三つ年上の、だいたい同じくらいの歳のようで、それだからか、けっこう三人仲がいいように見える。今も、看板の持ち手を肩にかけて向こうからやってくる、シロカネさんとサトウさんは、何ごとか談笑している。それをぼんやりと見ていたぼくは、いつの間にかシロカネさんがぼくの方を見ていることにようやく気がついて、急いで目で会釈した。
「このクソマンションは、あいかわらず得点力ゼロやな」
 声の届くそばまでやってくるとシロカネさんは、担いだ看板をもう片方の腕で叩きながら笑って言った。となりでサトウさんも皮肉っぽく口をゆがめ、ヒヒという感じで肩を揺らした。
「そうですね」
 ぼくも自分の看板の「この先約100m」という黄色い字を見上げ薄く笑って頷き、ふたりのあとについて歩き出した。シロカネさんはサトウさんに向って、昨日のサッカーの国際親善試合について、そのディフェンスのラインがどうとか、フォワードの質がどうとかいうようなことを、ずいぶんノッた感じで喋っている。「得点力ゼロ」とぼくに言ったのは、そのついでだったみたいだ。サトウさんは聞き役にまわりながら、ときどき適度な反駁を入れてシロカネさんを煽っている。それでシロカネさんは、ますます日本のサッカーについての思い切った断案を下すようになり、「ナントカ(たぶんフォワードの名前だったと思う)とナントカ(日本代表の監督)が代表にいる限り、日本は勝てん」とまで言っている。ぼくは「この先100m」の距離を、聞いているような聞いていないような感じでついてゆく。マンションに着くと、入り口の脇に据えられた机で、ヨシハラさんが不機嫌な顔をして今日の勤務記録を書き込んでいた。
 それから五分ほどして、簡単な片付けを済ませてから、シロカネさんが運転する業務用のライトバンに乗り込んだ。対向車線、二百四十六号の下り線は、帰宅時間の渋滞がそろそろ始まっている。ぼくは連なった車の列や、それがときどき途切れるときに見える、道路の向こう側のガソリンスタンドや、ラーメン屋、マンションやオフィスビルの入り口、それから、さらにその切れ切れにのぞく、街並みと空との境なんかを眺めた。シロカネさんは、今度は隣に座ったヨシハラさんを相手にまたサッカーの話をはじめている。後部座席にぼくと一緒に座ったサトウさんは煙草に火を点けて、それからハンドルを回して窓をあけた。ぼくもハンドルを回して窓を開けた。風が入り込んだ車内は、スピードをあげるとバサバサという大きな音がする。ぼくは自分の髪を押さえながら、だんだんと色が落ちて夜が混じりはじめる様を見続けた。
 日誌に数行書き込んでから社の入っているビルを出ると日はきちんと暮れてしまっていた。そして、その日、三軒茶屋の駅から部屋まで歩く途中で轢かれた猫を見た。ぼくは部屋には戻らず、庸子にあいに行った。

(覚醒都市)-8
 猫は、轢かれてもしばらく放置される、というようなことをぼくは思っていたはずだった。けれども、そのことを話すために庸子のところへ行ったとは言えない。何か話したいという欲求、あるいは衝動のようなものが生じたから、そうしたには違いないけれど、その日、庸子と話したのはそのことではなく、ぜんぜん別のことだった。
 庸子のマンションがある私道の角を曲がると、すぐに部屋のドアが見える。部屋は灯りがついておらず、庸子はまだ戻っていないようだった。鍵を持っているから、居なくても入れるのだけれど、引き返して近くの公園へ行った。公園には、前の通りに背を向けて座るベンチがいくつかあり、そのひとつに腰を下ろした。ベンチは木材でできており、その硬さと冷たさとが何かしばらく忘れていたもののように思われた。ぼくはうつむいて、右手でその表面を撫でた。そちら側は、ぼくの体によって公園の照明が遮られていたので、左手で、反対側の照らされている方も撫でた。塗装されていないベンチは、からからに乾いていて、その上に塵や砂の薄い層が積もっているのがわかった。塵のついた人差し指と親指をあわせて円をえがくように動かすと粒子の感触があった。そのまま少しのあいだ、公園の街灯の青白い光に照らしてぼくの手のひらを眺めた。握ったり開いたりもした。それは全く熱の無いものに見えたけれども、ぼくの意思によってたしかに動くものだったし、周囲のものも照明によってやはり青白く見えていたので、そのことがぼくに何か後退的な印象を与えたわけではなかった。公園は五階建て以上のマンションに囲まれており、公園の存在は穴に似ていた。ぼくはそれに気がついた。それから、庸子はいつ戻るだろうと思った。周囲のマンションは、半分ほど部屋の明かりが点いていた。公園にいるのは、ぼくだけだった。
 庸子は、そうしてベンチに座っていたぼくには気づかなかった。ぼくは多少の肌寒さを感じながら、そこで三十分ほどを退屈して過ごした。部屋に行ってみると、灯りがついていた。待っていたというようなことを靴を脱ぎながら言うと、庸子はそう応えた。部屋に上がるとなんだか安心したような気分になった。まず、二つのマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れることをした。庸子はベッドに胡坐をかいて待っていた。ぼくは湯をそそぎ、水切りにあったスプーンで一度ずつ混ぜ、それをシンクに投げた。片方のマグカップをすすりながら、もう片方を庸子に渡した。受け取った庸子はひとくち含んで、熱いと口を開いた。ぼくはベッドと反対側の壁に背中をつけて床に座った。
「どうして、公園の前を通ったの?あそこは、(庸子の勤め先の)店とは反対方向だと思うけど」
「買い物をして来たからよ。スーパーのざわで」
「そうか。いつも、あそこを使っているのだっけ?」
「最近はそう。野菜の鮮度が比較的いいのよ、あそこ。商品の回転は、そんなにいいようには見えないのだけど、なぜかね。で、少し遠回りになるけど、そんな手間ってほどでもないし」
「ふうん、そう。野菜の鮮度ね。気にしたことが無いな。確かに、しなびているレタスやら、張りの無くなったトマトなんかを買うのは、なんだかお金を払うのが惜しいような気もするけれど。あんまりひどければ、買わないだけのことだし、第一、野菜を買うことなんて、ほとんどないからなあ」
「ちょっとね、こだわることにしたのよ。ふと、『ああ、野菜、食べないとなあ』って思ってね。私も歳とってきたのよ、きっと」
「歳とってきた、ねえ。なるほど」
 後頭部を壁につけ、多少天井を見上げるようなかたちで話していたのをやめて、両手で握っていたマグカップの端を口もとへ運んだ。コーヒーの茶色っぽい黒の液面の半分以上は、天井の蛍光灯が映りこんで白く光っている。一と口目には気づかなかったが、コーヒーは薄いような気がした。アメリカンにしても、ちょっと水っぽい。
「薄いね、これ。ただのお白湯みたい」ぼくがコーヒーを口にしたのを見て、庸子は言った。同じことを思っていたらしい。
「そうだね。薄いねえ。失敗だ。インスタントコーヒーにも出来不出来がある」
「ちゃんと量って入れたの?」
「量るも何も。スプーン一ぱい入れただけだよ」
「スプーン一ぱいにも、いろいろあるしね。それに、だいぶお湯の量が多かったみたいだし」
 ぼくはカップの中を覗きこんで、しばらく蛍光灯の反射で白く光る表面を見つめて、つい先ほどの記憶をたどろうとした。コーヒーはたしかに薄っぺらな色をしていて、かすかに波立っている。
「そうだね。ちょっと、多かった。でも、きっと、それだけだよ。粉の分量は、間違えていないと思う。いつもどおりやったもの」
「いつもどおりやったけど、できあがったのは、いつもと違う水っぽいコーヒー」
 ぼくはもう一度、その水っぽいコーヒーを飲んで、やはり水っぽいと思い、多少の理不尽を感じた。ちょっと薄すぎやしないか。しかし現に、コーヒーはどうしたってずいぶん薄いので、何かが間違っていたにちがいない。けれども、この理不尽な感覚は、きちんと入れたはずなのにうまくいかなかったことに対してあるものではなかった。そうではなく、ついさっきのことなのに、ぼくにはもう正確なところを思い出すことができないでいることに対する、納得できない感じのことだった。何か別のことを考えていたわけでも、映像的な記憶が飛んでしまうほどコーヒーを入れることに集中していたわけでもないのだから、そのときぼくがどうしていたのか、思い出そうとすればきちんと思い出せてもいいのに、思い出せない。そこだけが抜け落ちている、という感覚でもない。時間的に離れれば、それだけ薄く霞んでゆく。ただそれだけの、ごく当たり前のことなのだが、今のぼくは、数分前のコーヒーを入れるときのことすら、もうすでに思い出せなくなってきている。
「入れなおそうか」ぼくは顔を上げて言った。
「いいよ。気にしなくて。そんなに苦い顔しなくてもいいよ」
 庸子は少し張った声で言ってから、一と口飲んで、「でも、やっぱり薄いねえ」と笑った。ぼくも薄く笑った。そして、まだかなり残っていた自分のカップのを一気に飲み干した。
 その日の夜は静かな夜だった。でも、他の日と較べて、あるいは他の場所と比較して、もしくはデシベルであらわされる絶対量として、実際に静かな夜であったかどうかは知らない。ただ、ぼくがそう感じたのだった。その日の夜の、そのときかいつかに、「今は静かだな」と思うか感じるかをし、それを憶えていることにしたのだ。だから、その日の夜は静かな夜だった。
「お腹すいたわ」と言って、庸子は立ち上がった。そして、空になったマグカップをぼくの手から取りあげながら、「夕飯、食べていくでしょう」と言った。
「そうだね。そうしたほうがいい」とぼくは応えた。
「何よ、その『そうしたほうがいい』というのは」と頷きながら庸子は言い、そのままキッチンへ行った。庸子のコーヒーはまだ残っていて、庸子はそれをシンクに流していた。ぼくはその音と、それからふたつのマグカップと、インスタントコーヒー一杯の分量をすくうのに失敗したらしいスプーンとを洗う音を聴いていた。ほんとうのところ、ぼくは全く空腹でなく、そうではなくて、猫は、轢かれてもしばらく放置される、というようなことを思っていたはずだった。庸子が夕飯の支度をしているあいだ、ぼくは何もせず、ずっと壁に背をつけて座っていた。そこからは庸子の姿は見えず、水を使う音や、冷蔵庫の扉を開けたり閉じたりする音、火と油を使う音、包装を破く音なんかが聞こえ、ぼくはそれを聞いていた。それはそんなにつまらないことではなかったし、そうしながら何か思っていたようだった。それに、庸子の支度はかなり手馴れていて、たぶん十五分もかからなかった。
 ぼくが来て夕飯を食べるとは思っていなかったので、冷凍コロッケを電子レンジで温めたのと、即席レトルトのかに玉が、控えめな量のひとり分の天ぷらと一しょに出された。でも、飯を一人前しか炊けなかったので、「ちょっと、足りないかもしれないね」と、半分ずつ、小さく盛られた御飯茶碗をテーブルに置きながら、庸子は言っていた。ぼくは食欲がなかったから、構わないと首を振って椅子に座った。
「いただきます」とぼくは言った。庸子は「はい」と肯いて、自分も箸をとった。
 しばらく黙々と食べた。スーパーのざわで揚げられた天ぷらは、ちょっと油がわるいように思われた。かたちの整いすぎた冷凍コロッケは、その通りの味がした。味噌汁は、なんだか薄いようだった。でも、食欲がなかったから、特においしいともまずいとも思わなかった。庸子が勢いよく食べていたので、ぼくもできるだけ勢いよく食べようとは思っていた。
 だいぶ食べて、天ぷらの最後のひとつ、茄子のを庸子がつまんだあたりで、ぼくは箸を置き、お茶を入れた。急須の口から出るお茶の湯の束はきれいな透きとおった緑をしていた。どうやら、今度は少し濃くなってしまったようだった。湯のみを庸子の前に置くと、庸子は「あ、ありがとう」と口に食べものをつめたまま言って、そのまま、まだ湯のみを掴んでいるぼくのほうをじっと見た。それに気づいたぼくも、庸子の目を見た。
「今日は、どうして来たの。何か、用があったのではないの」
 庸子は、口のなかのものをのみくだしてから、そう言って湯のみを口もとに運んだ。ぼくも同じようにした。お茶は、たしかに濃いものだったけれども、そんなに悪くもなかったので、もうひと口飲んだ。ぼくと庸子は、小さなテーブルをはさんで向い合って座っている。ぼくは、ほとんど食べつくされた食器類や、お茶の湯を入れたポット、布巾、ティッシュケースに入ったティッシュの箱、ときどきは花の活けられることがある淡い水色の陶器製の一輪挿し、庸子が最近読んでいるらしい、積み上げられた数冊の文庫本と雑誌、ぼくの両手と庸子の両手、黄色の無地のテーブルクロス、そういったテーブルのうえのひととおりを順に眺めた。そして、頷いた。
 けれども、話すことがかたちあるものとしてすでにあったわけではなかった。猫は、轢かれてもしばらく放置される、というのは、明確な言葉ではなかった。ぼくはまた言いよどんだ。鴉の鳴き声が聴こえた。
「用事というほどのことは何にも無いのだけれど。なんとなく自分の部屋に入りたくないような感じだったから。それで、会いに行こうと思って」
「自分の部屋に入りたくない」庸子は苦笑した。ぼくはすこし間をあけた。
「そう。いやだったんだ、あの部屋に入るのが。たぶん、ぼくの部屋があんな風だからだと思うんだけど」
「あんな風」また、苦笑している。
 ぼくはいまだに、ぼくの部屋の中がどんな状態なのかを話していなかった。一ことで言えることなのだけれども、その一ことを言っていないのだった。それは話される価値のあることだと認識していなかったためでもあるようだし、あるいは、そう言ってしまうことを恥じたり、恐れたりしていたせいかもしれない。とにかく今まで、ぼくはそれを言っていなかったようだった。でも、そういったことには気づかないまま、まったく無頓着にぼくはその一ことを口にした。
「そう、あんな風。ガランドウ」
「がらんどう」庸子はぼくのいった言葉を、再度庸子自身の声でなぞった。
「がらんどうね。私は『まだ』実際には見たことがないから、そのあたりはよくわからないけれどね」
 庸子は多少皮肉を込めた調子で言った。ぼくは庸子をなかば見上げるようにして追従笑いをうかべた。
「なんにも、無いだけだよ。ただ、なんにも無いんだ。空き部屋とおんなじなんだ、ぼくの部屋は。だから、ぼくが帰っても、帰らなくても一緒なんだよ、あの部屋は。ぼくがそこに居ても、居なくても、ぼくがその部屋の所有者で(正確には所有しているのではなくて、借り上げているだけなのだけれど)あっても無くても一緒なんだ」
 少し口調が速まっていたので、そこで言葉を切った。
「それで今日は、そういう部屋には戻りたくなかったから、私のところに来た」
 ぼくは多少頼りない感じで頷いた。庸子は「ふーん」と言った。
「普段はそんなことはないんだけど、ときどきそういうような気分になることがあるんだ。気に入らないことがあったときとか、そういうことではなくて、原因がはっきりしないことがほとんどなのだけれど、あるとき、部屋のことを思い出すんだ。自分の部屋があって、そこがガランドウだということを意識する。そうすると、『ぼくはそこに入りたくない』というような感覚をおぼえるんだ。それは強迫観念とか焦燥感とかいうほどのものでもないんだけど、でも曖昧な願望や気分というわけでもなくて、それでもたしかに『入りたくない』という風になるんだ。投げやり、というのに近いかもしれないな。朝、走って駅に着いてみると、乗らなければならない電車がちょうど今ホームに停まっていて、ものすごく急いで、しばらく肩で息しなければならないほどに走って、それからほんのちょっとだけ、理由は何でもいい、その日だけ特別に混雑していたためでもいいし、誰かが駆け込み乗車をしたせいで、閉まりかけのドアがもう一度開けられるというのでもいい、二十秒、いつもよりも電車の発車が遅ければ、あるいは乗れないこともないというようなときに、『ああ、もういいや』ってそこで諦めてしまうかどうか迷うだろう、あの感じに近い。あの感じで、諦めようとするのではなくて、『ぼくはそこに入りたくない』って願う、そう、『願う』んだ」
「がらんどう。なんにも無い。からっぽ。そうね、たしかに帰りたくなくなるかもしれない…。
 そして、帰りたくない部屋があなたの部屋なのね、そう『願う』ほどに」
「そう、ぼくの部屋っていうのは、そういうものだ。ぼくにとって、部屋っていうのは、そういうことなんだ」
「さみしかったり、するからかしら」
「さみしかったり…ぼくは、人間の部屋、というよりは棲む場所、『巣』っていうのはそういうことなんだと思って、それだからぼくは、ぼくの部屋をその通りにしたんだ。それはどうしても必要なことだと思ったんだよ。だって、そうじゃないか。ぼくはそれを忘れるべきじゃないんだ。いつでもそれを感じていなくちゃあならないはずなんだ。何よりもまず、ぼくはぼく自身であることを感じて、感じ続けて、そうして、確かめられていなければならないはずなんだ。でなければ、どうして自分のしたことが、ほんとうに自分のしたことになるっていうんだ。どうして自分の考えたことが、自分の考えたようにして間違ってはいないんだということが確かめられるっていうんだ。だから、ぼくの部屋は伽藍堂なんだ。どうしても、今はそうなるはずなんだよ」
「…それは、つまりあなたががらんどうだということ?」
「わからないよ…そう、わからない…でも、それだけで充分じゃないのかな。ぼくには、そんなことすらわからないんだ。それだけでもぼくの部屋が伽藍堂になるには充分なんじゃないかな。このこと自体についてすら、ぼくはこうして君に尋ねなければならない」
「自分にはがらんどうが相応しい」
「相応しい!」
「…あなたは、そう思いたいのね」
「思いたい!君はいいことを言う。そうありたいものだ」
 おそらく、ぼくはひどく醜い顔をしていた。昂奮したのだ。庸子は表情を消し、黙った。おかげで、ぼくは話し続けることができた。ぼくはすでにひどくどもりどもり話しており、世界が離れつつあるように感じられた。
「ぼくは、ぼくを確認できないんだ。日本時間午前何時何分何秒に多葉田智主という姓名で昭和五十三年十二月二十八日誕生と登録されている一個の人間が何処其処に居、何をしているか、ぼくにはわからないんだ。ぼくはそれを指し示すことが、決定的にできないんだ。『ぼくがいる』って言うとき、それがただ言われただけではなくて、実際にぼくがいるっていうことを確かめて、それを保証するのは、ぼく自身以外にはいないはずだろう。でも、ぼくにはそれをすることができない。それはたぶんぼくには何かが無いせいに違いなくて、そして、ぼくにはそれがなんだかわからない。でも、そんなことはどうだっていいんだ。もんだいはただ、ぼくがぼく自身を確かめられていないっていうことを、ぼく自身が忘れてしまうかもしれないってことだ。ぼくが実際にはいなかったかもしれないということをぼく自身が確かめようとすることをすらぼく自身が忘れてしまう。ぼくにはそれが、ひどく致命的な、あり得るべからざることのように思えるんだ。無の無は、決して有じゃない。まして、無でもない。それはきっと、とても堪えられない、終末的な別の何かなんだよ」
「…でも、私にはわからない」
「なにがわからないんだ?ぼくの言っていること。ぼくの感じていること。ぼくが君に話ししていること。ぼくがいるっていうこと。なにがわからないっていうんだ」
 わからないのは、やはりぼくのほうだった。庸子は落ち着いていた。それを見てとったぼくは羞恥を感じ、二の腕と胸骨から上の体は電熱抵抗のように赤黒く、音を立てずに温度を増していった。「君はどうしてぼくといっしょに居るんだろう」ということを、ぼくはまた尋ねたい衝動に駆られた。しかし、実際に何かを口にすることは無かった。ぼくは顔を上気させ、過熱しすぎた機関がそうするように動きを止めた。そして、ぼくは侮蔑されるべきだと考え、みずから内心でそのとおりにした。庸子は相変わらず冷静だった。つまり、救いとはそういうことなのかもしれない。
 その後、庸子は以前話してくれたのと同じような意味あいのことを、まるで教え諭すようにして、ゆっくりと、しずかに、辛抱強く話した。庸子の話すことはまったくただしいことのようにぼくにも思われた。しだいにぼくの体は沈静化し、それに伴って、自身を侮蔑することを止め、代わりに庸子の話を辛抱強く聴くようにした。けれども、けっしてぼくは納得しようとしなかった。そして、庸子に対してそれを隠す必要は無いように感じられたので、そのことを表情にあらわし、また、同じことを何度もくり返し、蒸し返して言うことによってあらわした。しかし、それでも「庸子はどうしてぼくといっしょに居るんだろう」というのは最後まで言わなかった。でもそれは、あるいはそれだけはわかったためだったのかもしれない。
 日付の変わるころになってようやくぼくらは我にかえり、そのくり返しを停止した。食卓を片付け、入浴をした。浴槽に沈んでいるとあたりは不思議に静かで、もの音ひとつ無かった。でも、ぼくはそれには気づかず、体を浸したお湯の熱にも気づかず、ひょっとするといま風呂に入っているということにすら気づかず、ぼく自身のことだけを感じていた。
 長風呂をしたので、庸子は怒った。
(覚醒都市)-9
 ぼくひとりが、という想念に取り憑かれて部屋を出た。うつむいて顔をあげないまま歩き出し、違和感に近い感覚をおぼえて顔をあげると、眼球と頭蓋の隙間に冷たい空気が入りこみ、そのまま頭のなかを一巡して費えるのを感じた。体の正面で一瞬の突風を受けるときのようなその感覚を抑えつけ、その先からやってくるものを凝視しようと、ぼくはこめかみに力を篭めた。表面を覆う水膜が干上がり、むき出しになってしまった眼球に映るすべてのものは、けれどもたしかに、いつもとまったく同じ部屋の前の路地の風景のままだった。木造モルタルのアパートがあり、それを囲うコンクリートブロック製の外壁があり、壁が途切れたところに立っている、目の高さの部分を広告紙で一まわり包まれてしまっている細い電柱や、そのたもとの乾いた土から伸びている、よく見かけはするが名も知らぬ数種の雑草たちや、そこがゴミ収集箇所であることを意味する小さく丸められた緑のネット、路地を成す目地の粗いアスファルトの路面、その上に描かれた塗料をけちられたために早くも剥げかかっている、狭い路地にはまったく無意味な路側帯の実線や、黄色いコーティングが同じように剥げかけているマンホールカバーや、そのすぐわきの五十センチほどの路面のひび割れ、越してきたときから転がったままのコンクリートの欠片、ぼくの捨てたものもいくつか雑じっているであろう風化しつつあるタバコの吸殻たち、それから、それらのうちのより太陽に近いものたちがより遠いものたちに与える黒い影と、陽に照らされ熱を帯びた部分とのコントラスト、それらは完全にぼくに見慣れられてしまったものたちだったが、ただ今あらわれている形相を、ぼくは見慣れていなかった。あらゆるものが、ほの明るく光っていた。
 ある種の圧力を持ったその光景に眼が眩んだぼくは、足が竦んでこれでは一歩もあるけないと感じ、その場に立ちどまった。目を閉じて両手の先で目蓋を押しつぶすようにして揉み、それから、もう一度目を開いてその光景を見ることをしてみた。すべてのものはやはり光っていた。光は、外光の反射によるものではなく、もの自らの内部から滲み出てくるもののようだった。影すら光を発している。ぼくは全身に悪寒の痺れが走るのを感じた。
 逃れるようにして、ぼくはまた歩こうとした。痺れは踵から地面へと抜けていったが、周囲は相変わらず光に溢れていた。ただ、もうそれはぼくの眼を眩ませるようなことはなかった。だが、むしろその反対に、光が滲んでいることがぼくの注意を非常に強く惹く効果をもたらしはじめた。眼に入るあらゆるものが、等しく光りを発しており、それによって、ぼくがぼく自身に対してするよりも強く、ぼくに認識されることを要求していた。そこに在るということが、ただそれだけで何かとても意義深いことでもあるかのようだった。おかげでぼくは眼に入るすべての、そのひとつひとつを見、そして認識してやらねばならず、そのために、またほとんど立ちどまっているのとおなじ状態にならざるをえなかった。
 しかしまた、そんなことはいくらも続けられるものではなかった。ぼくに認識を、あらゆる定式的な分類や個体間における類似の発見による区分の先にある、完全な意味での個体識別を、一意な識別子、すなわち固有の名前をぼくに認めさせようとする要求に応じるには、目の前にあるものたちはあまりに多すぎた。更にまた、そういったことのための観察は、観察対象に内包されている一部分を新たな個体として発見することでもあった。あるひとつのものの内には、それを構成するあらゆる細部が存在し、そうして見つけ出された細部がまた、名前を要求しはじめるのだった。それは、まったく節度も際限もなく、ほとんど無限に続くもののように思われた。いや、フラクタルのように、実際にそれは無限だったのかもしれない。とにかく、ほどなくしてぼくはへとへとに疲れてしまい、その強いられた観察をどうにかして放棄しなければならないと考えはじめた。けれども、もともと自ら意図してはじめたことではなかっただけに、それは簡単なことではなかった。どうしても、目の前のすべてのもの、その各々がいまそこに在るのだということをぼくに認めさせようとして凄まじい圧力を発してきているように感じられて仕方がなかった。目をつぶりたかったが、それでは歩くことができない。ぼくはうろたえ、ほとんど途方にくれた。そうしてまごついているあいだも視覚の氾濫は止まることはなく、目が開いていれば、その光り輝くものたちは容赦なくぼくの意識に押し入り、我さきに認識されようとしてくるのだった。結局、まばたきのあとで目を開く勇気すら失ったぼくは、目を閉じたまま立ちどまるしかなかった。
 目を閉じていても、直前に見詰めていたものたちが、鮮明な像となって黒い視界のなかに浮かびあがった。時間を巻き戻すようにして、後に見たものから順にそれらは、ぼくの目蓋の裏のスクリーンに再現されてゆき、その数は徐々に、しかし着実に増え、終いにはほとんど目を開いているのと同じになるかと思われるほどになった。けれども、そうしてフラッシュバックしてきた目前の事物たちには、少し前にぼくに見られ、認識されたものとひとつ大きな違いがあった。あのような光を滲ませてはいなかったのである。それらはただ、いつもあるようにしてぼくの前に顕れた。このことはぼくを少しずつ安心させた。そして、それにつれて、完全に個体として独立を主張していた事物たちは、徐々に総体としてある、いつものありふれた景色の裡に吸収され、馴染んでいった。やがて、今度はぼく自身から能動的に再現されたものたちを見てみようと思いたつまでに、落ち着きを取りもどしたぼくは、目を閉じたままその景色を眺めることをした。確かにそれはなんの変哲もない景色だったが、一度ぼくに認識され記憶から引き出されているためか、よく研磨されたという印象があった。見ているうちに、だんだんともう十分だろうという、幾分こころ強いような気持になってきた。ぼくは目を開け、再び歩き出した。ものたちは相変わらず光を発していたが、それに妬みのような圧迫を見出しながらも、無視して駅にむかって歩きだすことができた。
 地下の駅から、いつもどおりに都心へむかう方向の電車に乗り込んだ。湿っぽい地下への階段を下りて、直射日光から離れると、周囲のものたちは光を発しなくなっていたのだが、地下という環境の発する、追い立てるような感覚に支配され、そのことにはまったく気づかなかった。それから、咽喉がうまく動かせなくなっていた。気道の内側の皮がばりばりに乾いて、息を吸い込むと絞まるような気がした。だんだんと上体が宙に浮き上がってしまうような感覚もあった。ほとんど喘ぐようにしてホームに下りると、何か非常にゴミっぽい空気が澱んでいて、むせるようだった。ホームの中央に線路の暗い溝は無く、代わりに客車の開いた扉があった。車内のほうがホームよりもいくぶん明るく、汚れていないような気がした。吸いこまれるようにして乗りこみ、両足を車内に着けると、不安定なものの上に乗ってしまったことがわかった。閉まるドアが背中を擦った。車内はなぜか空いており、長いシートの端に腰をおろすことができた。座ってみると、かなり激しい動悸をしているのがわかった。手のひらで額の汗を拭うと、てらてら光って冷たい。
 数秒おきに窓の外を流れる細長い蛍光灯の光を、首を振って追いかけた。光の線は次々と客車の列の向うに去ってゆく。継ぎ目のドアはみな開いていて、カーブの具合によっては無数の吊革がぶらぶらと揺れている客車の長い列の管の先まで見通せる。どこかの窓が開いているのだろう、鉄の車輪が鉄路を更に磨き上げるギュリギュリという音が、揺れに合わせて断続的に鼓膜を裂くように刺戟した。
 「ご乗車ありがとうございました」という車内放送がかなり執拗にあり、それによって渋谷に着いたことを知った。すると突然、自分が目的地を持たないことに思い当たり、慌てて客車から出た。しかし、さらに軽くなった電車が高い音を発して速力をあげてゆくのを、降車客の流れにのりながら見送っていると、ここもまた目的地ではなかったことに気がついた。目的地などはじめから有りはしないのだ。目的地など。なんということだろう。ぼくひとりが。ぼくは流れに身をまかせて階段を上りだしていたが、それには気がつかず、ぼくひとりが、という想念に取り憑かれていた。
 駅の地下道は空気の密度が薄いようで、気流ではないぜんぜん別の、何かの流れが充満しながら、そこをずっと通り抜けていた。地下から地上へ上ろうとする人びととは反対向きのその流れにつられ、幾度かうしろを振り返って、それがぼくの視界の向こう側へ入り込んで行く地点を見ようとしたが、よくわからなかった。おそらく見ようとするのが、そもそもの誤りだったのだろう。しかし、その代わりに、ぼくの視力にしてはかなり遠くがはっきりと見えた。ぼくは階段をのぼり、エスカレータの細かな溝の入った床板の一枚の上に立ち、また階段をのぼった。そのあいだずっと、人間のうしろを見詰めていた。そして、猛烈な量の人間が一ところに集められ、地上も地下も何層にも積み重ねられた鉄筋コンクリートの超硬質の盤面の上を、無数の廃油の粒がわずかな空気の揺らぎにも敏感に作用され、薄く延べられた水たまりの水面に働く表面張力の上を辷り、乱雑に交差し合って、目まぐるしくその模様を変えてゆくようにして、互いの体温を感ずるほどに肌と肌を寄せ、またそのいくらかは直に触れ合いもしながら、胎動するように周期的に細かな膨張と収斂をくり返しているその場所に出てはじめて、最も明示的に囲いのなかでかこわれている存在である囚人が、唯一閉じられていない、万人に与えられ、それゆえ何の価値も無い方位である上方を見あげるのとまったく同じようにして顔をあげたとき、そこには空があった。隙間なく配された発光素子が、通過する電流のうちの何割かを光の粒子に変換して外気へと拡散放射し、寄り集められた素子の光源からそうして放たれた光は互いに干渉し、歪めあい、弱め、ぼかしあいながら、一体としてぼくの眼に届き、像として結実する。ぼくはそれを空だと認識した。あまりにも鮮やかな青をした、メッシュ状に分割されたディジタルスクリーンに映し出されている空。
 人工電力によって生じた光波が作り出した空は、いや空の映像は、それ自体が光り輝いていた。そして、ぼくに認識されることを強く要求していた。だが今度は、ぼくは怯まなかった。光り輝くそのあまりにも青い空は、まさにそうであるがゆえに、平板な似せ物であることをぼくに見抜かれていた。ぼくはその空をもとの一ドットの光源の集合に分解し、さらにその色をレッド、グリーン、ブルー、各八ビットの階調に展開した。ディジタル情報と電気発光素子に分解されてしまったそれは、もはや無限遠の深さと真の透明さとを有しておらず、向こう側のある、有限なただの面になってしまい、ぼくはその存在と意図を見抜くことができるのだった。縦横に分割された空の映像は、ぼくとぼく以外の人間たちに見られることを、その本質的な意味に据えられた存在であり、その青は単純にその目的を達するためのものでしかなかった。恐れるべきは不可解さであり、意味の隠された存在であり、それらがまさにいま存在していることだった。ぼくはスクリーンを凝視したまま、それにむかって歩いた。目の前の似せ物の空は、しかし同時に、ここで最も確実な存在のように思われた。歩行者信号が赤のスクランブル交差点の先頭に立ち、スクリーンを見あげたまま眼を閉じた。予期したとおり、目を閉じた黒の中、同じ位置に、メッシュ状に分割された四角いスクリーンとそこから出力される青空が浮かび上がった。そしてそのまま、ディジタルの空は伸びるメッシュラインに導かれるようにして膨張し、閉じられた視界のなかで、ほんものの空に挿げ替わった。すべてが、すべてということ自体が似せ物なのだとぼくは知った。信号が青に変わる前に踵を返し、目的があるような速度で歩き出した。
 ぼくは部屋に戻り、バックパックと紙袋ふたつに百何十枚のCDをつめて庸子の部屋に持って行った。インターホンを押してしばらく待つと、チェーンの掛かったドアがその許された分だけ開き、隙間から庸子の眼がのぞいた。前もって電話をせず、直接訪ねていったので庸子は「めずらしい」と言って、チェーンをはずしドアを完全に開いて紙袋を提げたぼくを迎え入れた。靴を脱いでいるぼくの脇で、庸子はしゃがみ、並べて置かれた紙袋の口を少し指で引いてひろげ、中を覗きこみ、「あー、そうか。持ってきたんだ」とつぶやいて、勝手に部屋のなかへ運んでいった。靴を脱いだぼくは背中のバックパックを下ろし、「この中にもある」と、紙袋の中身を部屋いちめんにひろげ、手にとって調べだしている庸子のそばに持っていった。庸子はそれも床にひろげた。さして広くもない部屋の安物の絨毯の床がぼくのCDと庸子とで埋まった。庸子は自身の周囲にまき散らされたそれらを満足そうにぐるりと撫でるように見回してから、また手近の一枚を手に取り、ジャケットを眺め、その裏に書かれてある収録曲のリストを読みはじめた。
 その日いっぱい、ぼくと庸子はそうして部屋でCDを調べて過ごした。庸子は手に取ったCDの一枚いちまいについて、いつごろ購入したものか、印象はどうか、何回くらい聴いたのかといったことを尋ね、自身も知っているものについては、ぼくに同じことを話した。特に興味のあるものについては、中を開いてブックレットを取り出し、実際に曲をかけてみた。そうして、次第にぼくらは過去へと、自意識と自己保存の本能によって選定され、時が経つにつれ、多くの場合、現実という曖昧な呼び方のされる、あの不可解な硬直に全身を囚われるほどに、磨かれ、全体として抽象的な丸みを帯びるようになり、決して代替の利かない固有の価値を素手で植え付けられ、やがて、遠くの喧騒のように轟く興奮や、何かの拍子にときおり胸を刺すことのある、あの鈍く甘い痛みとして、肯定からも否定からも解放された絶対的な存在へと育った微温的な過去へ、深く入り込んでいった。ぼくらはそれにほとんど酔ったような感じで夢中になった。昼食を取っていないことに、二人とも午後三時をまわるまで気づかなかった。ぼくは朝食も取っていなかったから、食べてみると、非常に腹を空かしていたことがわかった。
 窓の外がエンジ色に染まってしばらく経ったころに、一枚の薄いジャケットのCDへと順番が回って来た。そのときCDプレイヤーには、ジョアン・ジルベルトのライブ版が入っていた。ジョアンはギターだけを弾きながら、慈愛に満ちた澄んだ声でぶつぶつ歌っていて、おかげで部屋はへんに静かだった。庸子は黙ってそれを聴きながら、すでに見終わり、そこから得られる回想が使い尽くされたCDたちを丁寧に部屋の隅のほうに積み上げることをしていたが、視界の端にあったそれに目を止めたのだった。しばらくそのジャケットを覗きこんだ庸子は、こちらに向きなおって、「これはなに?」と言って、それをぼくの方へ放ってよこした。取りあげてみると、遠近法的放射状に襞の入った朱色の円の中心に向って伸びてゆくか落ちこんでゆくかしている、黄色く塗装された、あるいは黄色い照明のためにそう見える、二本の金属製の太いパイプのような柱の写真があり、その上に、判読の難しい文字が幾つか並べられていた。もちろん、そのジャケットに見覚えがあった。黄色い二本の柱は、大型の天体望遠鏡とその支柱であり、赤い円はドーム状の天蓋の内側を一面に覆う厚い布の色で、この写真はそれを真下から撮ったものだった。文字は、数字を素にして作られた特殊なアルファベットフォントで、「arai akino」と書かれてあるのをぼくは知っていた。そして、その下には表題が同じフォントで書かれてあった。「kakusei toshi」。覚醒都市。
 ぼくひとりがというのは、すべてがというのと同じことだろうか。そのとき、ぼくはそういうようなことを考えていた。黙って天体望遠鏡を見あげる写真を覗きこんでいると、ドームの屋根がゆっくりと開き、その奥に底無しの暗黒とそのあらゆる深さで浮かんでいる星たちから成る空間が姿を現す様が想い描かれた。それはディジタルの平面ではなく、正銘の底無しとして現れた。そして、そこに落ちこんでゆくときの、超高速でありながらほとんど停止しているのと等価であるというような感覚を、ぼくは夢想していた。ぼくひとりがというのは、すべてがというのと同じことだろうか。もしそうであるのならば、つまりそれは似せ物だということだろうか。それは、ぼくにはよくわからなかった。そしてまた、たとえそうであっても構わないと思っていた。じっと写真を見ているぼくに興味を持った庸子が傍によってきて、一緒にそれを覗きこみ、そしてもう一度、「これはなに?」と訊いたので、ぼくは「うん」と呟いてから我に返り、傍らの庸子の顔を見た。
「これは、
 これは天体望遠鏡。こっちが本体で、これが支柱。この部分が割れて、そして星を覗くんだ」
 ぼくは写真を指さして庸子に説明した。庸子はぼくの手からそれを奪って、「ふーん」と言い、写真をしげしげと見つめて肯き、それから、閉じられた開口部の上に置かれたフォントを読もうとした。「arai akino」のうちに三つある「a」は判読することができた。二つある「i」は「1」と読んだ(実際、それは「1」だった)。子音と「o」はまったく分らないようで、庸子はそれを「あ、、、あ、いち。あ、、、いち、、、、」とたどたどしく解釈したあと、「読めない」と言って、その文字列を終端した。ぼくは黙って再び庸子からCDを取り戻し、ブックレットを抜き出して開き、そこに刷り込まれている、このフォントの対応表を指し示した。庸子は、そこにある「覚醒都市」というタイトルと、「新居昭乃」という名前を確認したあと、おもて面の文字列の判読にかかった。今度はすんなりといった。「アライ・アキノ」「カクセイ・トシ」と、表と対応を取りながらゆっくり読みあげた。
 もちろん、天体望遠鏡の写真と一風変わったフォントだけでは、覚醒都市のCDは庸子にさしたる感興を与えたわけではなかった。すこしの間ながめてから、庸子はブックレットをケースに戻し、ぼくに渡した。ぼくは「次は、これを聴いてみよう」と言って、プレイヤーの脇に置いた。ジョアンの歌を途中で止めるほどではなかった。もうどちらでも構わなかったのだ。「O Pato」を歌っているジョアンは午睡から目覚めたばかりの年とった猫みたいにごろごろやっていた。ぼくは膝を抱えていた。
 やがてジョアンのライブは終了し、スピーカから流れ出す音は拍手と共に小さくなり途絶えた。ぼくはトレイからCDを出して仕舞い、代わりに覚醒都市を載せた。庸子は別に何も言わなかった。「再生」のボタンを押すとトレイはベルトによって装置のなかへとゆっくり呑み込まれ、そしてCDの回転しヘッダを探す音がした。ぼくはそれも聞いていた。曲が鳴りはじめると何かはっとした様な感じをぼくは味わった。けれども、ほんとうにただはっとしただけで、それ以上のことは何にもなかったから、それをどう言っていいのかわからなかったので、顔を少しあげただけで庸子には何も言わなかった。新居昭乃の声を聴いているうちに、だんだんと深く長い呼吸になっていった。無数の糸状の水の管が流れを織り成している川のような彼女の声は、ぼくには決して言い得ないことを言いあらわすことができるように思われた。そして実際に、ぼくにはもう何にも言うことがなくなった。からっぽに満たされたぼくは庸子に気づかれないように薄く満足の苦笑いをした。
 夕食を取るために外へ出たぼくらを包む夜の外気は、都市の匂いを帯びてある方向へむかって流れていた。自販機の並んでいる角で上を見上げると、そこに夜空は無く、電灯の白く粉っぽい明りが微かな音を立てていた。星空を見るには、天体望遠鏡のへ先まで登って行かなければならない。そういうことだった。たぶんかなり唐突に、ぼくは庸子の手をつかんで、すぐ傍のマンションへと入っていった。しばらく庸子は戸惑った仕草を見せていたようだったが、ぼくはまったくそれには頓着せずに、コンクリートの階段をその手を引いて登っていった。けれども、三階四階と登ってゆくうちに、そこにもまた星空は無いのだということが、どうしようもなくわかってきてしまっていた。それでも、ぼくは庸子の手を引いて、顔を上げ階段を登り続けることを止めなかった。星空が無いことがわかっているのとまったく同じように、それを諦めてしまう理由もなかったのだ。そして、上に積み重なっていた階段が途切れ、かわりに今ここにある夜の黒が視界に入ってきたとき、ぼくはそこに一面の銀河とそれを縦横メッシュ状に区切っている光る線を一瞬見たような気がした。ぼくと庸子の体が完全に屋上に出ると、その上にはただ極めて曖昧な黒色の夜がどうしても広がっており、突然現れた異物であるふたりを巻き込むようにして、風はぐるぐるとらせん状の流れを描き、それがマンションのまっ平らな壁面と壁面のあいだを擦れ合いながら通り抜ける歌のような音が聴こえてきた。














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