かいそう(仮) Nothing's gonna change.



(「かいそう」或いは「もがき」(仮))-自己精神の変位に関する抽象的な述懐

 放射状に拡がりながら深まる可能性の海を、気づけば私もまた、真直ぐに沈降していた。陽の光が油絵具の塗られたように照り輝き、ぎらぎらと揺らめいていた水面も今は遠く、唯の小さく一様な光の塊となっている。周囲は最早、手さぐりのできる範囲程度の視界しか無いようだが、或いはもっと広いのかも知れない。なにしろ、この海に住む魚たちに出逢わなくなってから既に久しい。手近に見えるものといえば、塵のような、雹のような、実体を有するとも、そうでないともいえない、白く細かな粒が無数に舞う様だけだ。それらは潮の微妙なうねりに敏感に反応して、あらゆる方向の、闇の中から音もなく湧き出てきては、また溶けるように消えてゆく。聴こえるのもまた、自身の単調な低い呼吸音と、或いはこれは現実の音ではなく、耳鳴りのような、錯覚なのかも知れないが、遥か底の方から伝搬して来る、周囲の海水全体を揺さぶられるような、ある重量を持った振動の感覚だけだ。
 沈んでゆく私は、それなりに自由だった。私の身体は、ここの海水の比重よりも僅かに重いようで、非常にゆっくりとしたぺエスではあるけれども、着実に沈降してゆかなければならない事実自体はどうしようもなかったのだが、その他の行為についてはほとんど自由であると言ってよかった。身を捩ったり手脚で掻いたりして、身体の向きを変え、上方に漂う光の揺らめく様子や、水面近くの魚の群の往来の様を眺める事もできたし、また反対に、下方に広がる深遠に視覚を吸い込ませてみる事もできた。泳ぎ廻る事さえ可能だった。実際、私がまだ水面に近く、様々な魚たちで周囲がまだ騒がしかった頃には、その群の中に割って入り、動きに合わせて漂ったこともあった。底の知れぬこの海も、海底山脈のようなものがあるのならば、或いは見つかるかも知れないと思い、あてもなく掻き進んだりもした。しかし、だんだんと深部へと沈み込み、周囲の魚たちとも離れ、周囲の視界が少しずつ闇に閉ざされてゆくにつれ、いつか私は泳ぐ事を止してしまった。そして、多くの時間を眠る事、若しくは目を閉じて思索する事に費やすようになった。
 或る時は、ここは何処なのだろう、という事に囚われ、繰りかえし繰りかえし、その言葉だけを頭の裡で反芻させていた。また別の或る時には、私はなぜこうして沈んで行かなければならないのだろう、という事に囚われた。更に別の或る時では、この行き着く先、即ちこの海の底は一体どのようなところなのだろう、とあれこれ夢想したりなどしていた。つまり、私は極めて独りであった。
 私は考えることに飽きなかった。尤も、問いかけだけを限りなく繰りかえす事が、実際の私のしていた事であり、それを、考えることと呼ぶならばの話だが。ともかく、沈降するにつれて徐々に下がってゆく水温にあわせて、水に浸けた和紙が溶きほぐれてゆくように、意識が僅かずつ薄まり掠れてゆくのを感じながら、私はそのことに飽きなかった。ここは何処なのだろうという問いや、なぜこうして沈んで行くのだろうという問いを延々と繰りかえしたのである。そして問いかけを繰りかえすにつれ、通常の環境、通常の心理状態にあった場合に、闇や無限の反覆といったものが齎すであろう効果、すなわち、不安や恐れ、或いはその正反対の希望や快楽といった感情の起伏が、私の裡に徐々に増大し、充満していった。
 その問いは、はじめには、光に満ちた水面近くから、底の計り知れない海の深遠へと、今まさにゆっくりと沈潜しつつあり、しかもそれを私自身は如何様にもし難い現在の私の置かれた状況にしてみれば当然のことだとも思われるが、希望や快楽ではなく、恐れや不安といったものを昂ぶらせた。私は問いを反芻している事を悔やんだり、このような状態に陥った事を嘆き、辺りをせわしく睨んでは、どうにかして浮き上がる法はないものかと、無駄にもがいたりなどしていた。しかし、そうしているうちに突然、体内の心臓の辺りに針を刺されたかのような小さな熱の点が生れ、みるみるうちに身体中を包み、そのまま体外にまで伝播し、周囲の海水や闇と溶け合い、自身が発散して非存在になるかのような、強烈な陶酔感と解放感が齎された。私はその感覚に為す術もなく陶酔し、暫時恐怖を忘れ、時をすら忘れ恍惚としていた。けれどもそれは長くは続かないものだった。意識の統制を失い、狂熱にすべてを任せそうになると再び、以前の身を千切るような不安と恐怖が無数の泡のように浮びあがってきて、私はまた凍りついた大地に身体を横たえて夜を越さねばならない小さな子供のようになり、震え始める。そしてまた暫くすれば、唐突に、身体の中心から始まる熱の感覚がやってくる。私はそれを幾重にも繰りかえさねばならなかった。しかも、その狂熱と極寒の烈しい波の振幅は、徐々にではあるが着実に増大し、次第に私の裡を隙間無く満たし、覆い尽くしていったのである。
 けれども、独りの私には、他に為すべき事がなかった。その繰りかえしの何十度かに一度、短い平静が訪れることがありはしたのだが、上方の水面に溜まっている小さな光を見ても、下方の底の知れない海の深部を見ても、また、周囲を見渡して私の他には何もない事を確かめても、私には為すところがなかった。すでにかなり薄弱になりつつあった意識によって、その平静を保ち続けるのも容易ではなかった。大きな感情の起伏によって疲労した脳の動きは、いくらかの休息を与えられると、またいつの間にか自然に動きはじめてしまい、結局は、私は再び問いかけの反覆の中にいるのだった。結局のところ、つまり私は飽きなかったのだった。
 しかし、そういった感情の昂ぶりは増大する方向から、収斂へと向きを転ずる時がやってきた。ここは何処なのだろうと一度思うたび、なぜこうして沈んで行くのだろうと思うたびに、私を取り囲んでいる不安や恐れは心もち弱まるようになり、それにあわせて感情の恐ろしい昂ぶりは、徐々にではあるが静まり消えていった。そうして長い時間の経過の後に、遂に私は一種奇妙に落ち着いた定常状態を得るに至ったのである。心の静まった私は、自身の現在おかれている状況を検討しようとした。そして私は、おそらく自身がこの事実、可能性の海の中をその深部へ向けて真っ直ぐ沈降してゆく事実を、遂に受け入れたのに違いない、という結論を得た。けれども、それは諦めという言葉にはあてはまらないように、私には思えた。または、思いたがらなかった。私はこう考えていた。

 それから私は、随分と長い時間眠っていた。周囲に響いている音の変化に依って目を覚ますと、水面の光の池は、最早白い点に過ぎなくなっていた。それよりも、ずっと私の周りを漂っていた塵のような白い何かが大量に舞っている事に、私は驚いた。それは大雪の夜空を見上げた時のように、既に真っ暗な私の頭上から、強い風がコンクリートを擦る際に立てるような、コーという音を伴って強い流れで降り注いできている。かなりの速度で、その白い塵は上方から下方への流れを作っていたが、不思議にも私自身は流されているようには感じられなかったので、私は取り残されている、というような心持になった。私はそれに便宜的に深海雪という名を附けて、その降り注いでくる先をぼんやりと眺めた。その景色は美しいと言えなくもなかったが、決定的に無表情だった。
 深海雪はなかなか止まなかった。底の方へ向き直ると、相当な速度で落下してゆくその白い細かな群が、或る距離でさっと消えてゆくのが見える。それは乾いた地面に落ちる雪の結晶たちとも似ているようだった。私はそこに地面のようなものを錯覚した。私は久方ぶりに、手を掻いてそこを目指した。自明の事だが、深海雪の消滅する、その幻の地面は、私が沈降すれば、同じだけ遠のく。勿論、私にはそれは十分にわかっていたし、泳ぎ始めてすぐに、実際にそれに気づきもしたが、それでも私は、その地面に到達しようと手脚を動かし続けた。
 半ば夢中になって、追い抜いてゆく白い塵のような何かの群の中を泳いでいると、私の隣にふと、ずっと大きな物体あるのに気がついた。白色の身体の、長く大きな魚だった。大ぶりの鱗も、背鰭も、透明感を伴ったような、不思議な白色をしている。驚いて私が動きを止めると、魚はすっと身体半分だけ私を追い越して、それから速度を緩めて身体を並べて来た。魚の顎は鮭のように下顎が出張っており、口は薄く開いていた。目は白い皮膜のようなもので覆われており、眼玉ははっきりとしない。大きな鰓がゆっくりと開閉して、吸い込んだ海水を搾り出している。頭部全体は磨いた金属でできたマスクのように硬質に見える。鱗や鰭と同じように、それもまた透きとおるように白い。全くの純白の大魚だった。私ははじめの一時、恐れを忘れてその姿に見惚れていた。
 全身を見わたすと、大魚の体長は五米以上もあるように思われる。それを認めることにより、ようやくにして恐怖心を喚起された私は、実に醜く狼狽した。おたおたと身体を反転させ、大魚に背を見せて、もがくようにして逃げ始めた。もし魚の方にその気があれば、もうとっくに私は好きなようにされている筈なのだ、というまっとうな考えは少しも脳をかすめなかった。ただ矢鱈に恐怖し、この純白の大魚から少しでも離れなければ、という短絡的な焦りが私を支配していた。私は多少でも逃亡の泳ぎの推進力の足しにしようと、手を伸ばして深海雪を掴み、それを手前に引き寄せるようにしたりなどした。背を向けたため、脚を食われるのではないかという恐怖から、脚を滅茶苦茶に動かしたが、けれども実際は、そのために却って速度は減じられているようだった。
 夢中で逃げて、そのうちに泳ぎ疲れて速度を緩め、周囲に意識が向くと、大魚は必ず私の隣に居た。私はその度に驚き、同じように醜く狼狽して、どうにかして大魚から逃れようと、滑稽な逃亡を繰りかえすのだった。けれども、どんなに逃げてみても、大魚はいつの間にか私の隣に居た。私はほとんど絶望しながら、それでも強い恐怖心のままにあちらこちらと逃げまわった。そして、いつしか私は疲れ果て、手脚の筋肉が張ってどうにも逃げ出すことが出来なくなった。
 実際、大魚は私に何をしてくるわけでもなかった。しかし、私の傍らから離れ、どこかへ泳い去ってしまうわけでも、またなかった。やがて恐怖心をも疲労させてしまうほど疲労した私は、ほとんど阿呆のようになって、ようやく大魚を眺めることをした。その純白の身体は美しかった。鰭の数が割あいに多い。二枚の背鰭、胸鰭、腹鰭、尻鰭。鰭はみな、桃の実の形をした扇のような立派な形状をしており、太い骨が幾筋も入っているのが、透けて見える。大魚はそれらの鰭を呼吸にあわせ、大きな鰓の開閉にあわせて、左右にゆうゆうと揺らめかせている。海中で静止するその姿は、自ら発光しているのかと思われるほど、周囲の深海の闇から幻想的に白く浮き上がっている。実際、幻かも知れなかった。私は再び逃げだすことこそしなかったが、なおも暫くは注意深く猜疑の目で大魚を眺めていた。けれども大魚はただ私の隣に留まり、よくできた模型のように鰭や鰓を規則的に振るのみで、襲ってくる気配も、離れる気配もない。次第に、恐怖心よりも、好奇心が勝るようになってきた。そして、とうとう私は手を伸ばせば触れることのできるほど傍にいる、その不思議な透明の光沢を持った鱗をまとった腹におそるおそる手を伸ばした。
 瞬間、白い大魚はその大きな身体を大きく蠢動させ、周囲に烈しい水のうねりを作り出した。私の手が大魚の白い鱗に触れる前に、私の身体は大魚から引き離されていた。大魚は一旦上方へ泳いでいったかと思うと、旋回して再びもとのように私の隣に静止した。それによって私は一度で理解した。この魚に触れてはならない。
 私は大魚を眺めるだけで満足する事にした。事実、私にはそれで十分だった。そして、私は退屈極まりなく、けれども不可避であるこの沈降に同伴者を得た事を感謝した。私はもうそれきり大魚に触れようという企てをすることなく、それが望んでいると思わしき一定の距離を保って、大魚を眺めていた。それは私を飽きさせなかった。私たちはまた静かに、より深いほうへと沈んでいった。
 いくらかの時間を経たように思われた。私は眠るでもなく、ただ、頭上に舞い落ちる深海雪を眺めていた。以前は細かな塵が絶え間なく、はらはら舞うといった程度だった深海雪は、或る時からその量を目立って増し、今では、塵達は集まって白い固まりをつくり、大きめの雪粒か霰の玉ほどの大きさにもなって、僅かながらもその重量を感じるほどである。粒子の運動もいくぶん直線的な軌跡を描くようになっており、頭上から足下へ流れぬけてゆく際に、頬や腕を打ちつけて、ぷつぷつという音をたてる。私はその音をほとんど無意識のうちに聴きながら、緩やかならせん状の軌跡を描いて連続的に落下してくる、その果てを見つめていた。
 闇はますます深く、最早水面を窺うことは到底適わなかった。落下する白い粒子の群の極めて単調な連続は、いつか私の意識をその先へ吸い込んでしまうようだった。私というものが、いつかこの闇の奥先に捕えられ、白い塵に変えられて、ここに降るのではないかという漠然とした意識に私は捕えられていた。
 その意識は、想念上の感覚を伴っていた。それは、私の身体を構成する単位にまで分解される、というようなものだった。一個の細胞や、一個の分子、電子や光子でもよい、現在の私よりも小さな或る単位というものに分解される私というものを想ったのだった。そして、私として存在するぎりぎりの、粒子として散れ散れになる最後のときにもたらされる、瞬間の陶酔を想った。私はそれを淡く甘美なものとみていた。闇の先からやってくる深海雪によって、私は闇の深さを感じていた。
 また実際、闇には深度があるようだった。私はそれを大魚によって知った。大魚の身体は、やはり淡く発光しているようであったが、或るとき、改めてそれを見いだした私は、つくづく不思議に思い、まじまじと大魚を眺めたのだった。しかし、どのような仕組みで大魚が発光しているのか、やはりはっきりとはわからなかった。だが、鰭の多めについた輪郭のどこも同じような光の強さで浮かび上がっているところを見ると、おそらくその表皮が発光する物質なのだろうと私は見当をつけた。
(2003.8.17)















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