虹の島 tell a graphic lie



(虹の島)
 初めての海外旅行であてがわれた部屋は三十数階の、ペントハウスのふたつ下の部屋だった。
 部屋のドアを開けると、室内には永いあいだひとに接しなかった空間の持つあの独特の沈鬱な空気が床に溜まっていた。私たちはドア近くに荷物をおろし、照明のスイッチを入れ、閉められた重い遮光カーテンを引きひらいて、部屋に午後の日ざしを入れることをした。ベッドやバスルーム、備え付けの調度類の具合を調べたり等したあと、私は窓を開けてベランダに出た。ベランダのからの眺めは素晴らしく、正面には西日に照らされたダイアモンドヘッドが赤茶色く、少しくすみ始めたスカイブルーの中に浮き上がっていた。私は自然と手すりに腕をのせて、目の前の景色に見惚れた。北側の山の斜面を、先ほどまでバスで廻っている時分にはけむるようにして降りそそいでいた雨はいつの間にか止み、山を覆っていた雲もいまは晴れて、その背後には山をまたぐようにして、大きな半円を描いた虹が二本重なって生ぬるい色した空に浮んでいた。そのなだらかな山の斜面から吹き降りてくる風は、雨の微かな湿気と冷気を帯びており、絶え間なくホテルの外壁を舐めて微かに震え、擦れる音を立て続けている。ベランダの気温は、気味が悪いくらいに常温で、吹き降ろすこの微かな風がなければ、自身が今この場にいるのか、それともただこの場所の撮ったその映像を観ているだけなのかわからない程である。
 随分と長いあいだ、私はそのまま黙って目の前の眺望に見惚れていたのだが、ふと、何かの拍子に眼を真下へと落すと、いま自分が久しぶりに高い場所にあるのだということに気がつき、それを意識した。私は手すりから身を乗り出して眼下の街並を眺めてみた。そして、私は目の前に黙ってたたずむ岩の塊や、島を跨ぐ二本の虹を眺めるよりも深くうっとりとしたのである。はるか三十数階の高さに見下ろすハワイの観光地区の街並はミニチュアの造型のように整然としており、方々へ細く道路が引かれ、それによって区切られた区画の中にはひとつずつ建物が納まっている。そのまわりには芝の生えた庭があり、ご丁寧にもそれぞれが必ず街路樹の緑に囲まれていた。網の目状の溝のような道路の中をなぞる自動車たちは急ぐ様子はなく、ゆったりと余裕を滲ませながら順々に流れて動き、散在している交差点で、静かにせき止められる。また、ところどころに点在している駐車場には、様々な色をした車が隙間なく敷き詰められており、少数の行き交う通行人が小さな斑点のように見えて、区画や道路の、更にその隙間をゆっくりとなぞって動いている。緩やかにうつろう街並の右手には真っ青な海が延々と水平線にまで続いて、そして、そのまま空の青へと遷移し、その際に伸びる白い浜ではいくらかの人々をがやはりごま粒のように点々としている。少し沖合いには、サーフィンの板が点々と波間に漂い、さらに沖合いには客船らしき船影がひとつ浮んでいるのも見てとれた。そして、それらすべての上を、山から吹き降ろす微かに水気を帯びた風が穏やかに滑ってゆく。私はその風が眼に見えるような気がしていた。
 風は昼も夜も、山から海へと同じ強さで吹き降ろしていた。私たちは空調を止め、窓を四六時中開け放って、その部屋に滞在する何日かを過ごした。開けられた窓にかかったレースのカーテンは、いつ見てもヒラヒラ浮んでおり、日中であれば、その向こうにはダイアモンドヘッドが、その赤く荒々しい地肌を静かに誇っていた。私たちは、このような部屋をあてがわれたこと、それだけでもここに休暇に来るだけの価値は十分にあったと言えるだろうというようなことを言い合った。
 夜になると、数人の仲間達は私たちの部屋に集まって、何度か酒を飲んだ。座がしらけてくると、私はひとりベランダで、氷の欠片を入れたグラスにウィスキーをついで飲んだ。そして私は、私はここで暮らす人間ではないというようなことを、酔いがまわって鈍く熱をもった頭のうちに思った。
 海にはその翌日に一度入ったきりだった。私には水着の用意がなかったので、ホテルに附属していたコンビニのような土産物店のような、ハワイの観光地区中に存在するチェーン店で水着と浮き輪を買った。若者らしく、サーフィンやボディーボードなどをしようとは少しも思わなかった。波と戯れ、その感覚を自身の体で楽しむことには興味がないのである。
 着換えて海へ入ってみると、ハワイの砂浜ぞいの海は、珊瑚の死んだのだか、それとも火山島のためか、足をつこうとすると、ごつごつと突起したした岩ばかりで遊泳に向いた海ではないということがすぐに知れた。友人はごく浅い場所ですぐに足を切って、泳ぐのを断念した。私は浮き輪に乗っていたので、そのような事態に遭うのを免れた。私はひとり浮き輪をかぶってただよい、少し沖のほうまでやってきた。沖、といっても大した距離ではない。ほんの二百メートルほどである。そこでは昨日ベランダから眺めたように何十人かの若者が大して高くもない波を待ってサーフボードに跨っていた。私はその隣までやって来て、しばらくそれを眺めていたが、どうも退屈であるように見えた。そして私も、ただ浮いているのにやがて飽きて、うとうとするようになった。けれども、ここで眠ってはずっと沖に運ばれるのではないかと心配になり、思いなおして海岸の近くに戻ってそこで改めて浮き輪の上に乗り、背に陽を受けて一時間ばかり昼寝をした。ときどき体勢を変えて、仰向けになり、尻を浮き輪につっこんで眠るなどした。その眠りは非常に心地よいものだったが、そのために私は火傷に近いひどい日焼けを全身にもらい、その晩からしばらく、眠れぬ夜を過ごすことになった。
 それでも、私はそれなり観光客らしく振舞い、その後、幾つかの場所へ足を運んだ。美術館もそのひとつであった。その美術館にはピカソの絵があるということだった。私は美術館を目指して歩く間、それを見た自分が何か感ずるということを多少期待していた。それもあって、中へ入ると、私はここはひとつ鑑賞というやつをしてやろうと思い、わかりもしないのに物知り顔をして、入り口の隣の絵からひとつひとつゆっくりと丹念に見ていったのである。絵画はみな油彩画であった。やがて出会ったピカソの絵は、金で塗られた額に収まっていた。小さくて退屈な絵であった。絵の下のスチル製のプレイトに書かれた字を読まなければ、おそらくその人のだと気づきすらしなかった。その絵は、他の画家の作品と同じように、私にはその美術館の展示作品のひとつであった。けれども、なおも私は鑑賞することをやめようとはしなかったのである。そのあとも、私は人影、の無い展示室でひとり、絵のひとつを二分も三分もかけて眺めまわし続けた。尤も、おかげでその作品たちの幾つかは今でも明瞭に思い浮かべることができる。
 絵画のほかにも、美術館には様々な国の美術品や工芸品が展示されていた。そのときは韓国民族衣装の特別展が催されていた。絵を観終えて、多少観覧の足取りが速まった私は、三メートル程の菩薩像の前で再び足を止めた。坐像の菩薩像であった。私はその前に気を利かせて置かれたベンチに腰かけて菩薩像の眼を見あげた。坐像の肌は白く、丁寧に磨かれ非常に滑らかで、顔には無心の柔和な笑みをたたえて私を見下ろしていた。私は菩薩像をこのように間近にじっくりと眺めてみるのは始めてであった。菩薩像と相対していると、私はハワイまで来て仏像鑑賞をしている自身の滑稽に気づき、同時に、この鑑賞とやらの間抜けにもようやく気づいた。悪い気分ではなかった。けれども、私はこの菩薩像にはどこか物足りないものを感じはじめた。私はベンチの上で菩薩像と同じ姿勢に坐りなおし、その華奢な躰の全体を部分をなめまわしながら、物足りなさの原因を探した。この坐像が物足りないのではなかった。置かれている空間が物足りないのである。私が畳の上に坐っているのではないことが、寺院の本殿の中央に多くの装飾品に本来囲まれてあるはずのこの菩薩像が今は、コンクリートの白いのっぺりした壁に囲まれその姿をあけすけに私の前にさらさなければならない、美術館の展示室が物足りないのであった。額の無い絵と同じだといえた。いや、もっと侘しいものであった。本来の存在意義である信心の対象の具現した形、偶像たる役割を奪われ、一工芸品として空調の完備されたる展示室の、コンクリートの室の中に黙して坐り続けるほか無いこの菩薩像を、私は憐れんでため息をこぼした。
 しばらく坐りこんでいると、やがて美術館は閉館の時間になり、太ったハワイ人の女の警備員が私を美術館から追い出しに来た。私はすぐに立ちあがり、足早に館の外へ出た。時間は午後三時を少しまわっていた。黄色い陽射しが強く肌に刺さった。
 その美術館の前には、数本のガジュマルの大木が立つ公園のような場所があった。きわめて過ごしやすいこの島にあっても、夏の午後のこの時間帯は流石に暑苦しく人影はまばらで、数人の散歩者とそれらの人々が連れて来た数匹の犬が走り廻っているだけだった。私はガジュマルのたもとにまで歩いて行き、大枝から垂れ下がる気根のひとつをめずらしげに軽く抱いて、干乾びたその樹皮を撫でた。葉脈を流れる水流の音が聞えるものなのかと、耳をつけてみたりもした。しかし、しわがれて捩れた樹皮には、恐らく微かにでしかないであろう、その中の水流の音を聴き分けることができるほど、しっかりと耳を接着することはできなかった。私はそれを少し残念に思い、神社の鈴の太い緒を振るようにして、ふらふらとその気根を揺すった。私はホテルに戻ろうと思った。
 ホテルの部屋の印象はいつも同じであった。風がホテルの外壁を擦る音が微かに絶え間なく聴こえ、白いレースのカーテンは風にゆらゆら揺られ、そのむこうにはダイアモンドヘッドの赤茶けた大きな地肌があった。そして、私は部屋に戻るとまずベランダへと出るのだった。そして、虹を探し、眼下のミニチュアの街並を眺めた。
 そこに滞在している間、私は何度かおどけてベランダの手すりを乗り越える仕草をした。私はいつも左脚で跨いだのだが、それは海のほうをむいて手すりを跨ぐためであった。手すりを跨ぐとき、水平線の辺りがよく目についた。私は笑っていた。一緒にいたものたちは多少心配したような言葉をかけた。私は自ら冗談を装いながら、本気にしようとしない彼らに多少腹を立ててもいた。完全に跨ぎ越えて、手すりをつかむ手を、片手、両手と離したりなどして、彼らを脅かしてやろうかとも考えた。しかし、私は手すりに跨ってみせるだけで止めて結局はやはり戻るのだった。私は、実際にそれをした場合の彼らひとりひとりの反応を頭の中で描いて見るだけで満足することにした。おそらく冗談では済まなくなってしまうだろうと懸念したからである。彼らの反応を想像する私の脳裏には、そのとき同時に、またそれら以上に明瞭なイメージを以て、手すりを完全に踏み越えた私が実際に落下し、真下の真っ白いコンクリートの歩道に叩きつけられるまでがはっきりと思い描かれていたのである。
 そうしてしまっても別段構わなかったのではないか、と言うことはしてもよい。しかし、そのときの私はそれを望まなかった。それをすれば、運悪くその場に居合わせてしまった彼らがどのように糾弾され、あとには厄介な後始末ばかりが残ることになり、せっかくのこの至極気持ちのよい部屋の思い出が重苦しいものに変質してしまうであろうことは疑う余地がなかった。それは知りあってまだ日の浅い、しかも気弱く善良な彼らに対する私の感心できない仕打ちだといえた。またそのときの私には想うひとがあったのである。そのひとは私の想いをいまだ知らなかった。それで私は止したのである。私は、無温の風と小さく美しい眼下の街並のもたらす落下の誘惑に何度もかられては、半分だけ手すりを跨ぎ、それを引き止めるこれらの理由を見出して、曖昧な笑みをこぼしては再びベランダに降り立ち、ある種の滑稽さと恥ずかしさを感じて、煙草を探しに部屋の中へと戻ることをくり返した。
 のちに私は間抜けな振られ方をした。















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