Write the "Wakefield"
I remember h2o.



(「ウェークフィールド」を書く)-*
興味深い小説そのものよりも、それを書いた人間が、なぜそれを書いたのか、ほかのあらゆる可能性ではなく、何ゆえにその小説だったのか、についてのほうに依然として興味がある。なぜ、書き手は、他のあらゆる題材ではなく、それを取り出したのか、他のあらゆる手法ではなく、その書き方を選んだのか。それは、書き手本人の世界の受けとめ方といったものへとつながってゆき、その先には、書き手にとっての小説というものがあり、さらには、小説そのものとは何なのかという、はじめの問いかけがある。
(「ウェークフィールド」を書く)-*
それは、この「書き手」という部分を、「小説の主人公」に置きかえることによって、ぼくの書く小説の内容についての記述になる。すなわち、
(「ウェークフィールド」を書く)-*
興味深い出来事そのものよりも、それをした主人公が、なぜそれをしたのか、ほかのあらゆる可能性ではなく、何ゆえにその行為だったのか、についてのほうに依然として(おそらく永久に)興味がある。なぜ、主人公は、他のあらゆる行動ではなく、その行動を採ったのか、他のあらゆる段取り、手順ではなく、そのやり方を選んだのか。この見方を採るとき、小説は主人公本人の世界の受けとめ方についての記述にならざるを得ず、その先には、その主人公を記述する作家と、記述対象である主人公との関係性についてのはっきりとした指向性をともなった意識があり、さらには、結局のところ、それは作家自身にとっての小説というテーマへの試みへとつながってゆくのである。
(「ウェークフィールド」を書く)-1
 少し前に読んだ、岩波文庫赤の、坂下昇編訳「ホーソーン短篇小説集」(以下、引用はすべてここから)をぼくは思い出す。そのなかのひとつに、「ウェークフィールド」という十数頁の、ごく初期の作に分類される一篇――小説の表題でもあるウェークフィールドという中年の紳士が、永い間、自分の妻からゆくえを暗ませるという事件を、軽妙な語り口で熱っぽくつづった小説――がある。その冒頭の記述によれば、これをものした作家ナサニエル・ホーソーンは、この題材を「夫婦関係不履行の事案として、記録に残る最悪のものだとは到底いえないにしても、おそらくは最も不思議な事例であることに変わりはないだろう。のみならず、人間の奇癖悪癖も数々あるなかで、驚くべき点にかけては、いずれ劣らぬ奇抜な出来心のなせる事件である」との断案を下し、続いて、その概略を簡明に書き記している。「婚姻を契った二人はロンドンに住んでいた。ある日、男は旅に出ると称して自分の家のすぐ隣りの街に貸間をとると、そこから、妻にも友人にも消息を断ち、二〇年以上もの間、そのまま住んでいたのだが、この自己配流を正当化する理由のひとかけらだってなかったのである。この期間、彼は毎日のように、自分の家を眺めていたし、同じくらいの頻度でうち棄てられた人妻、ウェークフィールド夫人を見ていたのである。こうして自分の婚姻の喜びに大きな終止符を打ったのち――もはや彼の死は確実と判定され、家屋敷も整理され、彼の名は人びとの記憶から抹消され、彼の妻は、遠い遠い昔に、斜陽の寡婦暮らしの日々に諦めきったころになって、彼がある夕方、まるで一日の留守のあとみたいに、物静かに家に入ってくると、そのまま死ぬまで最愛の夫として暮しつづけたのである。」
 作家によれば、以上がこの事件(として与えられている小説の素材)の顛末すべてである。短篇「ウェークフィールド」は、この小事件に非常なる興味をそそられた、作家ホーソーンと、それから、作家の代行者として随所にあらわれ、この小説の語り部を担う、どこかの地方新聞か小さな雑誌に雇われているらしい、「僕」という一人称を識別子として与えられた、無名のライターとが、奔放に溢れ出す、本事例の細部についての空想を、情熱の趣くままに書き下した傑作である。
 作家は、この小事件になみなみならぬ興味を示し、ついには一篇の作品に仕立てるほどであったのだが、作家の代弁者たる無名ライターの「僕」は、その興味を次のような熱弁をもって語る。「この事件は、一風変わった点では最も純粋で、他に類例がなく、恐らくは二度と再現されることもないだろうが、僕が思うに、ひろく人類の共感に訴えかけるところがあるのではないか。僕らひとりひとりが、自分はそんな愚かなことをするもんか、と心では知っていながら、どこかで誰かがやるかも知れないな、とは感じているのだから。」これだけでも、記事、あるいは小コラムとしては、異例の個人的感情に満ちた口ぶりだが、さらには、つい熱き舌鋒の勢いあまったか、「僕らがそれを考えるのに費やす時間をちっとも惜しいとは思わない。もし読者がお望みならば、自分で考察してみられよ。」などと、暢気に小説を読み始めたばかりの我々までを巻きこんで、夕食後の団欒や、休日の午後のひとときを、自身と同じ作業に費やすよう訴えはじめるほどなのである。
 その熱気に冒されたか、あるいは、事件に「僕」と同じ関心を抱いたためかは判然としないのだが、とにかくぼく自身もこうして今、「僕」の誘いかけに乗じて、ウェークフィールド氏について、あれこれと空想をめぐらせ始めている。「僕」もはっきりと言明するように、ぼくもまた、「ウェークフィールド」について、氏の事例や、氏についての文章を書いた「僕」を名ざして、ぼく個人の考えを形成するのは自由だ。ウェークフィールド氏はどんな人間だったか。また、この事例について、少々気恥ずかしいほど熱っぽい記事を書いてしまう「僕」とは、どんな種類の人間だったのか。「僕」が想像した、十九世紀のロンドンとは、また、そこに住まいながら、ほとんど非存在だったと言ってもいい、ウェークフィールド氏という男は、いったいどんな風だったのだろうか。残念なことには、これからする試みには、「僕」ほどの気概も信念も、ぼく自身の裡にあってのことではないのだが、なにも、ほとばしる熱意や率直な態度ばかりが、ある事に取り組む際の正統な姿勢ではないだろう。現に、「僕」の熱っぽい記事は、たしかに読者の興趣を誘いはするけれども、少し真面目になって検討してみれば、考察の粗い部分もいくつかも目につくのである。
 そこで、ぼくとしては、この大変に結構な記事を書いた「僕」に、ひとつご登場を願い、彼にいくつかの、大変に素朴な質問をさせてもらって、それを入りぐちとして、彼(「僕」)やウェークフィールド氏、それから、氏の韜晦という事件そのものについて、ぼくの興味を満たして貰おうと思うのだ。そう、つまり、「僕」がウェークフィールド氏について、あれこれ勝手な想像を巡らせ、氏のとった行動や、氏の生活について、力づよく描き出してみせたように、ぼくもまた、彼よりは貧弱かも知れないけれども、わずかばかりの持ち合わせはあるつもりの空想力を使って、「僕」をここに呼び出してみようというのである。彼も言うように、「思考はいつの場合にも、その霊験を伴うもの」なのだから(なんというよい言葉だろう。これほど、ぼくを勇気づけてくれる言葉はない)。
 「僕」に登場していただく前にまずは、ぼくもまた、彼のしたように、「僕」という人間についてのおおまかな輪郭を探し出しておかなければならない。彼は二十代の後半で、それなりの情熱はあるが、あまり報われてはいない、つまりパッとしない、地方紙に所属する無名の記者だ。記者になりたてのころは、彼も他の新米記者の例にもれず、その名の響きの持つ、ある尊い使命の感覚がもたらす義務感や昂揚にしたがって、巷のあらゆる事件に首を突っこみ、その全てを正確に、余すところなく伝えようと、限られた紙面と時間とを相手に一日中苦闘していたものだが、今は記者生活にも慣れて、かつての昂揚もそろそろ失われ、日々書く記事の、さらには、記者という職業そのものの持つ限界のようなものが、うっすらと見えはじめている。それに伴い、生来のどこか孤独な性情が、徐々に頭をもたげてきており、記事にする食指の動く対象も、どちらかといえば、瑣末な、目立たない、小さな出来事や人物へと移りつつある。彼は、それら、彼の興味を惹いたものたちを、手帳や記憶に留めて自室へ持ち帰る。そして、粗末な夕食で空腹を満たしたあと、もう長いこと陽にあたらないので、じっとりと湿ったベッドに身を投げ、ときどきたもとの手帳に目をやったりしながら、かなり長い時間にわたって、空想に耽るのである。そのような傾向が深まるにつれて、おそらく彼の活力が、以前よりも彼自身の内部へと向かうようになったためだろうが、だんだんと口数は少なくなり、自室での夜の空想の習慣を外へ持ち出して来たような、思慮深かげというよりは、心ここに在らずといった体の、沈黙と無表情とがあらわれるようになっていった。彼の記者仲間たちは、どこか得体の知れない落ち着きを示すようになった彼を不思議がって、何か特別によくない出来事があったのではないか、あるいは、誰か恋こがれる人ができたのではないかなど、しばらくの間、あれこれ詮索したり、直接、あるいはそれとなく、彼に問いただしたりしたのだが、彼はそれらの関心に対して、曖昧な微笑を以て返事とするだけで(実際のところ、彼には、彼らに納得のいくような答えの持ち合わせなど無かったのであるが)、彼らの自身への関心に対しても、ほとんど無頓着、無関心のふうであったから、詮索好きな記者たちもついに匙を投げ、「あいつの心の半分は、神さまが持って行っちまったのさ」など言い合うのだった。彼の物事の捉え方は、その孤独な性情と相まって、厭世的な無常観を基本としていたのだが、人びとの単純な善意までを疑ってかかるほどの極端さにまでは至っておらず、また、これは記者という職業を続けてゆくうえでも不可欠の性質であっただろうが、単調な日々の暮らしのなかから、目新しさや驚きを見つけ出し、微笑みをもってそれを眺める姿勢も失ってはいなかった。ただ、真夜中の瞑想が長くなり、彼の関心が、彼の内面に集まるに比例して、世間への無関心からくる、ある種の傲岸さを次第に帯びるようになったのは、如何ともしがたかったけれども。
 さて、それでは、記者の「僕」に登場していただくことにしよう。対面の時と、それから場所は、どうしたらよいだろうか。「ふむ。ここはひとつ、「僕」に決めさせたらよかろう」など、仔細げに顎をなでようとしたとき、ひとつ、とても大きな見落としがあったことに、遅ればせながら気がついた。これから、ぼくは、「僕」を呼び出そうとしているのだが、そのために、彼を名指して呼びかけることが、このままではできないのである。記者の「僕」には、名前が無い。これは迂闊であった。記者の「僕」も、何をおいても、一ばんはじめに、小説の主人公たるウェークフィールド氏に、その名を与えることをしているではないか。たしかに、小説「ウェークフィールド」の語り部たる「僕」には、小説のなかにおいては、自身の名をなのる必要は無かったであろう。だが、いまや彼も、ぼくの書くこの文章の書かれる対象、被写体である。しかも、ぼくは彼を観察し、描写しようとするばかりではなく、ただの記者ではない、非常に個人的な動機と情熱によって「ウェークフィールド」を書いた、一人の正銘の書き手と認めたうえで、話しあいたいと思っているのである。そのような彼に、名前が無くてよいはずがない。二〇年以上の永きにわたって、ほとんど非存在ともいえる状態であった、ウェークフィールド氏にすら、名前があるのである。やはり、人間には名前がなければならぬ。でなければ、どうして、この人間で埋め尽くされた土地にあって、また、混乱し、錯綜し、劣化し続ける各々の意識や記憶のうちにあって、いま見る相手を、紛れもなく、当の相手として認識し続けることを、また、それを保証しつづけることができるだろうか。背格好、貌、仕草、声色。それらだけでは、どうにも不十分で、容易く混同され、記憶から消え失せる。やはり、名前でなければならない。記述されうる識別子、名前。
「君、名前は何というのですか」
「いや、べつに、僕に名前は要らないよ」
「それは、こちらとしては、とても困るのです。それは、ウェークフィールド氏にも名を与えた君には、よくわかってもらえることだと思いますけれども」
「しかし、なんと言われても、僕は名乗りたくないね」
「どうしてですか」
「ねぇ、僕はあれ(「ウェークフィールド」)を書いたんだよ。理由なら、それで十分だと思うけどな。君も、そのことが、僕にとってどのような意味を持つのか、僕に関心を持つくらいなのだから、察しがつかないわけでもあるまい」
「それは、そうかもしれませんが…でも、それでは、どうにもならないではないですか。まさか、『無名記者の「僕」』と呼んだり、あるいは単に、「僕」と呼んだりするわけにはいかないでしょう」
「どうして?僕は、それでかまわないよ」
「ぼくが「僕」に呼びかけるのですか?ぼくが「僕」について、あれこれ言いたてるのですか?まさか。これはインタビューであって、ナンセンス喜劇でもなければ、自己逡巡の小説でもなければ、精神分裂ものでもないのですよ」
「そう?みな似たようなものじゃあないのかね」
「…とにかく。君が名のならないなら、ぼくは君をホーソーン君とでも呼ばなければならない」
「ホーソーン…それは、君。一ばん、まずいよ」
「ですから、君には、君の名前がいるのです」
「なんだか、脅迫じみているね…」
「しかたがないのです。君は、ここではもう、主体ではなく客体なのです」
「ちぇっ。しようがないな…名前か…なにが、いいだろう…君、何がいいと思う?」
「ぼくは、ホーソーンがいいと思っていますよ。あなたの名前は、ナサニエル・ホーソーン」
「だから、それは駄目だよ。それこそ、僕が、僕自身を呼びつけるようなものじゃないか」