誰も愛さない医者(第1話)
その電話の後少し遅れて病院にたどり着いた直江に、倫子は顔をしかめた。 「酒臭いかな」 「はい、あのかなり飲んでるみたいで暴れて…」 「いや、俺のこと」 「…ちょっと…」 やっぱり飲んでたんだ。 当直中なのに何考えてんだろこの人。 やっとやってきた直江に、救急治療室は少しばかり落ち着いた雰囲気が流れた。 「遅ぇじゃねぇか先生!早く見てやってくれよ!」 直江はその言葉には応えずまっすぐ患者の方に歩み寄る。 看護婦達も道をあけた。 ピンセットで患者の額にのっているガーゼをつまみ上げる。 一瞬直江の顔が引きつった。 「……………。」 「…直江先生?」 患部を見ながら何も言わない直江に倫子は不審がって声をかけた。 「おい?センセェ?」 それまでおとなしくしていた患者の友人達も直江の異様な雰囲気に耐えかねて口を開く。 ピンセットを掴んでいる手が小刻みに震えていた。 「…………あは」 「「「?」」」 「あはははははははははは!!!」 「「「!?」」」 「あはっ、あはっ、あっ、あはははははははは!!!」 直江はピンセットを放り出し腹を抱えて笑い出した。 いっせいにチンピラ達が殺気立つ。 「…っ、てめぇっ!なに笑ってんだよ!!」 「うひゃっ、ひゃっ、だっ、だってガラスで殴っ、」 あまりの直江の剣幕に倫子はただ呆然と立ちつくすだけだった。 「殴られてっ、救急車っ!…っ、あははははは!!」 何がおかしいのか、直江は呼吸が出来ないほどに笑い声をあげていた。 それまで呆然と事を眺めていた高木が、我に返ったように倫子に囁いた。 「酔ってるの!?」 「えっ!」 「直江先生!酔ってるの!?」 「えっ、あっ、少し飲んでるみたいです」 「チッ!」 とても看護婦の口から出たとは思えない悪態を吐いて高木はチンピラと救急隊員を振り返った。 目の前で起こった奇怪な出来事に開いた口がふさがっていない。 「閉じ込めてください」 「「「はい?」」」 「そこの角を曲がったところにトイレがあります。外から押さえて出られないようにして下さい」 「しかし…」 「いいから!はやく!」 とうとう床を這い回り始めた直江を救急隊員達があわてて押さえつける。 そのまま腕と足を引っ張り上げ、1人でも簡単に運べそうな軽い体をトイレに連れていった。 その間も、直江は苦しそうに腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。 「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!ち、血が!ダラッ、ダラダラダラ!!」 訳の分からない言葉を発しながら個室に押し込まれる。 「あ、あのいいんでしょうか?トイレなんかに閉じこめたりして」 「いつものことだから」 高木はまるで何事もなかったかの様に患者の傷の応急処置をしている。 何をしていいかわからない倫子は、とりあえずトイレの様子を見に治療室を出た。 「様子はどうですか?」 「最初は自分がどこにいるか気付いたみたいで暴れていましたが、今はもう静かになりました」 「そうですか、ごくろうさまです」 状況を調べに病院に来ていた警察官と入れ違いに、倫子は個室の前に立った。 バリケードとなっていた机に昇り、中を覗き込む。 「……………。」 見なければ良かった。 倫子は心底そう思った。 私はただ、先生に文句を言いに来ただけなのに…。 「リカちゃ〜ん。いい子でちゅからお洋服脱ぎまちょうねぇ〜」 「いやでちゅ〜」 「じゃぁ、脱がちまちゅよぉ〜」 個室の中では一人の男と人形によってお昼のメロドラマが繰り広げられていた。 次の日、院長室の机には筆ペンで「辞表」と書き殴ってある封筒が置かれていたという。 |