肘掛に置かれた指の記憶から今日まで
信時裕子
かろうじて覚えているのは、ソファの肘掛に置かれたその人の指が、タララ
タララとピアノを弾くように動いていたこと。その人は、ピアノを弾いて作曲をす
る人だった。故阪田寛夫先生の名著「海道東征」にも書かれているのだが、
朝日放送の「海道東征」放送の日も、オープンリールテープを廻して録音しな
がら聴いていたその人の近くに、私は居たらしい。その人にまつわる次の記
憶は、珍しく七人のいとこたちが一同に会し、大人たちの何か違う様子を察し
ながら遊んだあの日、昭和四十年八月一日に亡くなったその人の葬儀の日
だった。
子供にピアノを習わせたいと、その人に相談した母は、専門家にはするな、
と言われたらしい。ピアノは全然モノにならなかったが、結局は、音楽に関わ
る世界の片隅に住みだした。卒業論文のテーマを決めるとき、面倒な原書を
読まずに卒論が書けそうで、しかも自由に手に取れる資料が山ほどあると思
いついて、その人、信時潔の作品目録の試作に取り組んだ。いざ入り込んで
みると、信時潔に限らず、日本の洋楽史については、手つかずの資料、テー
マはいくらでもあり、「遺跡発掘」にも似たその作業の末には、それなりの達
成感を味わうことができた。やがて、そんな音楽資(史)料を扱う専門機関で仕
事をするようになっていた。
信時潔の資料を整理して、何かの形にまとめたいと考えていたものの、仕
事を持ち、家族を持つと、なかなか時間はとれずどうにもならない。音楽ジャ
ーナリストの岩野裕一氏から「没後四十年に何かやらないかという話が出て
いますが」と持ちかけられたのは、昨年秋。どちらかというと「没後四十年など
という数字に意味はない」というのが、信時家流ではあるのだが、世の中的
には「きっかけ」は大事だと思い至り、ようやく動き始めた。シンポジウム、著
作全集、演奏会等、いくつかの案があった。本人が書き残した文章に「自分
の作品が立派に演奏されるのが一番うれしい」とあったが、多くの楽譜は絶
版。今の私にできるのはその部分と思えた。以前から信時資料についてなに
かとお世話になってきた元・国立音楽大学附属図書館主任司書の松下鈞氏
を味方につけて、自選「作品全集」ともいえる春秋社版の出版譜全三冊(初
版・昭和二五〜三三)の復刻に向けて、話は本格的に進みはじめた。
畑中良輔先生監修の『日本歌曲全集6 信時潔』(音楽之友社)の序文に
「《小倉百人一首》《李太白の歌八首》、陶淵明の《帰去来の辞》、《不盡山を
望みて》など、東洋の心を歌った作品も多い。機があらば、こうした未開拓の
信時作品も、掘り起こしてみたいと思っている。」とあったのを思い出して、ご
連絡申し上げたところ、復刻を応援してくださること、そして、関連企画とし
て、青の会でも考えてみましょうと、思ってもみなかったお申し出をいただい
た。突然の電話口で迷うことなく、信時先生のご命日の八月一日に、とおっし
ゃったのが印象的だった。
その、信時潔没後四十周年記念出版委員会として準備してきた『独唱曲
集』『合唱曲集』『ピアノ曲集』の復刻版が、いよいよこの七月、春秋社より刊
行に至った。新保祐司著『信時潔』(構想社)、CD『信時潔ピアノ曲全集/花
岡千春』(ベルウッドレコード)、『海ゆかばのすべて』(キングレコード)の刊
行、また二年前に故芥川也寸志先生の遺志を継いで再演された「海道東征」
を収録した『オーケストラ・ニッポニカ第二集』(ミッテンヴァルト)の再プレスな
ど、次々と、信時潔に関する作品が世に出ている。まだ忘れられてはいなか
った、という手ごたえは、十分だった。
「さて、ここでこれだけ、世に出ましたよ、おじいちゃん。この国の音楽とし
て、まだ生き続けているようです。」
2005年8月1日 第81回 青の会 「信時潔の夕べ 〜信時潔没後40年に」 プログラム より
|