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12月29日 大阪で、父・吉岡弘毅、母・とりの三男として生まれる。父は当時、大阪北教会の牧師だった。 |
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父が高知教会に赴任するため、高知の西唐人町に移る。 |
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父が京都の室町教会へ赴任。京都市上京区衣棚通下立売上ル常泉院町七番戸に移る。ミッションの補助を受けて教会の隣接地に幼稚園を建て、母は設立者として尽力した。 |
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父が再び大阪北教会に赴任するため、大阪へ移る。9月 大阪市立中之島尋常小学校へ転校。 |
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4月 大阪市立盈進高等小学校へ進学。12月 大阪北教会の四長老の一人、信時義政と妻・げんの養子となる。 |
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4月 大阪府立市岡中学校に入学。同級生に画家の小出楢重や、のちに国立がんセンター初代総長になった田宮猛雄、東洋言語学者の石濱純太郎がいた。 |
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3月 大阪府立市岡中学校第4学年終了。6月 東京音楽学校受験準備のため上京。9月 東京音楽学校予科入学。 |
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9月 東京音楽学校本科器楽部入学。チェロ専攻。アウグスト・ユンケルに指揮法、ハインリッヒ・ヴェルクマイステルにチェロと作曲、ルドルフ・ロイテルに対位法、和声学を学ぶ。この頃、東京府北豊島郡滝野川村大字田端に住む。 |
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この頃から画家熊谷守一との親交が始まる。後に長女・はるが熊谷の長男に嫁いで姻戚となる。 |
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3月 東京音楽学校本科器楽部卒業(NDLデジタルライブラリー)、のち研究科器楽部に進む。10月 東京音楽学校学友会演奏会で、萩原英一、川上淳、大塚淳と共にシューマン作曲「ピアノ四重奏曲」(作品47)を演奏。
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11月 東京音楽学校「皇后行啓演奏会」でアントン・ルビンシテイン作曲「チェロ・ソナタ第1番」演奏(高折宮次伴奏)。 |
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7月 養父・義政死去。家督相続。8月 チェロと作曲の研究のため文部省派遣在外研究員として二年間、アメリカ合衆国及びスイスへ留学する予定だったが、義政の死去により延期。 |
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3月 文部省在外研究員として横浜出発。留学先にドイツが追加されたため、ベルリンに向かう。5月、ベルリンに到着。8月 Akademische Meisterschulen fur Musikalische Kompositionに於て、ゲオルク・シューマンに就き作曲を研修。また、ヴィリー・デッケルト に就きチェロを研修したほか、現地演奏家の合奏に加わり室内楽を研究。 |
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5月 ベルリン出発。フランス、イギリス、スイス、イタリアを廻る。8月、横浜に帰着。東京府北豊島郡巣鴨町に住む。 |
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1月 白坂ミイと結婚。ミイは東京音楽学校甲種師範科を1915年(大正4)3月に卒業。6月 東京音楽学校教授となる。この後、チェロの門下に小澤弘、呉泰次郎。1932年(昭和7)本科作曲部新設までの作曲の門下に、細川碧、下総皖一、橋本國彦、長谷川良夫、益子九郎らがいる。12月 長男・太郎生まれる。 |
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12月 東京府北多摩郡国分寺村字本多新田270番地に移転。 |
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1月 訳書『全訳コールユーブンゲン』刊行。8月 片山穎太郎と共訳『楽式論』刊行。11月 片山穎太郎と共訳『管絃楽器論』刊行。 |
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2月 長女・はる生まれる。7月 著書『標準楽典教科書』刊行。 |
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5月 片山穎太郎と共訳『音楽通論』刊行。6月 平井保三と共編『セロ教本第1巻』刊行。 |
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3月 平井保三と共編『ヴィオロン・セロ名曲集第1巻』刊行。
11月 次男・次郎生まれる。 |
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6月 平井保三と共編『セロ教本第2巻』刊行。11月 東京音楽学校唱歌編纂掛編纂員となる。 |
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1月 東京音楽学校管絃楽部員となり、7月より管絃楽部長。 |
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東京音楽学校本科の作曲部の創設に尽力。4月 本科作曲部新設と同時に、自身は教授を辞し、講師となる。この後の門下に、柏木俊夫、田三郎、大中恩、奥村一、齋藤高順、渡鏡子らがいた。5月 「音楽コンクール」作曲部門の審査員を務める(1947年まで)。9月 実父・吉岡弘毅死去。12月 三男・三郎生まれる。編纂に携わった教科書『新訂尋常小学唱歌』(文部省)刊行。 |
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編纂に携わった教科書『新訂高等小学唱歌』(文部省)刊行。 |
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7月 片山穎太郎、益子九郎と共編『日本学生歌』刊行。 |
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日本放送協会の委嘱により「海ゆかば」作曲。10月、初放送。 |
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11月 紀元二千六百年奉祝芸能祭制定の演奏会に於て、交声曲「海道東征」全曲初演。 |
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ビクターより「海道東征」レコード発売(8枚組SP)。5月 東北民謡試聴団に参加。 |
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3月 長男・太郎を亡くす。6月 満州の音楽事情を視察。8月 芸術院会員となる。 |
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1月 朝日賞受賞。4月 中日文化協会全国文化代表大会(南京)に派遣された文化使節(鹽谷温団長)に楽壇代表として参加。9月 「木下保独唱会 信時潔の夕」に於て、「『鴬の卵』より」「沙羅」「小曲五章」「小倉百人一首より」が演奏される。 |
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生成会の同人となり、雑誌『心』に寄稿。最晩年までに取り上げたテーマはバッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、バルトーク、カザルス、ゲーテ、雪舟、南方熊楠等。この年より「音楽コンクール」顧問となる。 |
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5月 『信時潔独唱曲集』(春秋社)刊行。7月 『信時潔合唱曲集』(春秋社)刊行。 |
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3月 胃潰瘍で東大分院に入院。6月、退院。6月 『信時潔合唱曲集』(信時潔編 音楽之友社)刊行。 |
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雑誌『心』9月号に自伝的記事「問はれるままに」掲載。 |
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雑誌『心』11月号に「音楽思い出話―40年前のベルリン楽壇」掲載。 |
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8月1日 心筋硬塞のため東京都国分寺市本多の自宅で死去(77歳)。東京都豊島区の雑司が谷霊園に眠る。 |
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