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1899
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明治32
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10月27日 東京湯島天神町で、栃木県士族 益子右馬助の第九子、三男として生れる。母は、栃
木県士族 茂木在住の上田鎰太郎 長女カツ。
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益子家は、栃木県黒羽藩家老を勤めていた家で、戦国末になくなった益子藩主の家
柄だった。益子藩については『益子町史』に詳しい。 |
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1916
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大正5
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父死去により家督相続。 |
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1919
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大正8
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東京音楽学校予科入学。 |
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1920
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大正9
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東京音楽学校本科器楽部(ピアノ専攻)に入学。
この頃、駒沢村上馬(のち世田谷区)在住。 |
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1922
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大正11
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夏、東京音楽学校退学。
秋、信時潔が帰国、同級の高橋均の紹介で信時に出会い、作曲などの教えをうける。
(個人レッスンのような形ではなく、アドバイスをもらう程度だった)
12月8日 静岡県田方郡伊東町に移住。近くの伊豆大島の「大島節」の旋律を採譜し、のちに信
時潔作曲の合唱曲「大島節」となる。 |
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1923
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大正12
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8月末、信時潔夫妻が伊東を訪問、30日に船で帰るのを見送って間もなく、9月1日 関東大震災
で罹災。
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1924
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大正13
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世田谷区上馬に戻る。 |
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1929
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昭和4
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12月5日、母カツ死去。
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1932
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昭和7
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第1回音楽コンクール(時事新報社主催。日本音楽コンクールの前身)作曲部門入賞
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1933 |
昭和7 |
信時潔、片山頴太郎とともに編纂した『新定中学音楽教科書』(大阪開成館)上、下巻刊行。伴奏譜(全一巻)は1934年刊。 |
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1935 |
昭和10 |
『新訂高等小学唱歌』(文部省)刊行、その編纂実務に携わる。 |
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1936 |
昭和11 |
信時潔、片山穎太郎、益子九郎共著『日本学生歌』(大阪開成館)刊行。 |
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1943
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昭和18
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この頃、横浜市篠原町在住。『海ゆかば敷衍曲』作曲。
そのほか、信時潔作品の放送用管弦楽編曲等を手がける。 |
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1944
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昭和19
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この頃、厚生科学研究所勤務。 |
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1946 |
昭和21 |
東京音楽学校(のち東京芸術大学)に勤務。駒込林町に住む。当初は教務嘱託、図書課、分教場掛など、のちに作曲科助手を務めた(昭和26年〜41年) |
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1969
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昭和44
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小田原市小竹で晩年を過ごす。 |
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1990
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平成2
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7月16日 座間市相武台病院にて死去(91歳) |
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1991 |
平成.3 |
日本近代音楽館に作品資料、音楽関係蔵書等が収められた。 |