日枝神社
祭 神
大山咋命(おおやまくいのみこと)
大山津見命
(おおやまつみのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
大国主之命(おおくにぬしのみこと)
豊受姫命(とようけひめのみこと)
 天暦2年、京都比叡山阪本山王権現の御分霊を勧請したもので、
山王権現と号し、比叡宮と称しました。
 始めは村(小田村)の西隅に社殿がありましたが、
いつ頃からか村の中央、現今の所に遷座されたといわれます。
江戸時代には下新田村(浅田町)管沢村(鶴見区管沢町)等を含めた総鎮守でした。
明治6年、村社になり、社号も日枝大神社と改められました。
明治
42年、浅間神社、杉山神社、神明社、下新田稲荷社等が合祀されました。
昭和20年4月、戦渦に巻き込まれ、氏子の九割と供に焼失しましたが、
昭和24年には本殿が再建、昭和25年には仮の拝殿と仮の社務所を建て、昭和27年に神楽殿が再建されました。
昭和32年、現在の御社殿が完成。37年に現在の社務所が完成しました。
昭和45年2月、放火により神楽殿を全焼しましたが、同年5月に再建されました。
昭和57年、宮神輿並びに神輿庫が再建され、宮神輿渡御全氏子地域を巡幸しました。
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潮田神社
祭 神

国常立尊
五十猛命
素盞嗚命
豊受比売命
市寸島比売命
岐久理比売命

誉田別命
菅原道真
東潮田の杉山社、西潮田の御獄社は、日本武尊が東征の途中、相模から海上を上総へ向った際、
征途の安全・守護を祈願して、海岸老松の生い茂る潮田の地に小祠を奉斎した事に由来すると伝えられています。
正親町天皇の時代、潮田の地を知行した太田道灌の曽孫で北条氏の寵臣、太田新六郎康資は、
この両社殿を新たに建て、北条一族の崇敬の念を明確に示しました。
以来幾度かの修理、造営、小祠の合併を経ながら、潮田地域の氏神様として人々の厚い信仰を集めてきました。
大正8年、京浜工業地帯の一大発展に伴い、東西の神社を合併、潮田神社の社名を得ました。
昭和59年、氏子崇敬者の総意を集めて荘厳華麗な現社殿が造営竣功されました。