わが国には、民族の遺産文化として、世界の人々に誇る事のできる多くのものがあります。
なかでも日本武道は長い年月の間、多くの名人達人が輩出して、
心血をそそいで生み出した結晶を伝えてきたものであります。
日本武道の「わざ」には、東洋の精神文化の精髄である儒教、仏教、神道等、更に老荘の思想も浸透しております。
従って昔から武道は、単なる「わざ」ではなくて、「みち」であると言われてきました。
武道の種類は、まことに多く、まさに絢爛豪華という言葉によって形容されます。
古流柔術だけでも、記録されているものが、179流にも及びます。
けれども、古い歌に次のように申しております。 |
わけのほる麓の道は
ちかへとも
おなし高根の月を
見るかな |
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剣道、柔道、合気道、空手道あるいは薙刀の道、弓道などと、麓の道は違っても、
同じ高根の月を見ることにかわりないのです。
そして、その高根の月を見るためには、
一つ一つの「わざ」をよくふみしめて登らなければなりません。
つまり「わざ」を通して「みち」に至るのが武道の修行であります。
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さて、昭道館合気道は、講道館柔道の教育法に習いまして、
「当身技」と「関節技」とについて、「離れ」た挌闘形体の「乱取」練習法を編成しました。
そして、この「乱取」練習法に盛り込むことのできない「わざ」と「格闘形体」とについては、
「形」の練習もだいじにする教育方針を立てたのであります。
これによって、柔術の歴史上重要であった半面の技術部門が、現代教育の装いをもって、
大きく生かされることを確信するものであります。 |
「当身技」と「関節技」とは、力技的要素が少ないので、教育的合理的練習をするならば、
現代の求める教育の意義、すなわち身体の柔軟性、敏捷性、巧緻性などの養成に資し、
健康の増進に大いに役立ちます。
しかも、生涯体育として、老若男女が終生つづけやすい特性をもっております。 |
| 「昭道館開設の挨拶」より抜粋 |