合気道ってなに?
僕が所属しているのは「日本合気道協会」である。そして「謙心会」という団体に所属している。
日本合気道協会は創始者に敬意を表して「富木合気道」とも呼ばれている。
謙心会は、その富木謙治先生の一文字を取っているのだからとんでもない名前だ。
それだけ、代表である村越さんの先生に対する想いが強いのだろう。
謙心会はいわゆる「道場」とは違う。習いたい人が習い、段位を取りたければ境界の昇段試験を受ける。
これはある意味、怖い。なぜならサボろうと思えばサボられる。その分、上達もしない。去るものは追わず…だ。
だから、自己管理がもっとも大切な練習と言うことになる。
では(富木)合気道って何なのだろう?
そんな事は僕なんかには分からない。だから昭道館設立時の富木先生の挨拶から推察して欲しい。
わが国には、民族の遺産文化として、世界の人々に誇る事のできる多くのものがあります。
なかでも日本武道は長い年月の間、多くの名人達人が輩出して、
心血をそそいで生み出した結晶を伝えてきたものであります。
日本武道の「わざ」には、東洋の精神文化の精髄である儒教、仏教、神道等、更に老荘の思想も浸透しております。
従って昔から武道は、単なる「わざ」ではなくて、「みち」であると言われてきました。
武道の種類は、まことに多く、まさに絢爛豪華という言葉によって形容されます。
古流柔術だけでも、記録されているものが、179流にも及びます。
けれども、古い歌に次のように申しております。
わけのほる麓の道は
ちかへとも
おなし高根の月を
見るかな
剣道、柔道、合気道、空手道あるいは薙刀の道、弓道などと、麓の道は違っても、
同じ高根の月を見ることにかわりないのです。
そして、その高根の月を見るためには、
一つ一つの「わざ」をよくふみしめて登らなければなりません。
つまり「わざ」を通して「みち」に至るのが武道の修行であります。

さて、昭道館合気道は、講道館柔道の教育法に習いまして、
「当身技」と「関節技」とについて、「離れ」た挌闘形体の「乱取」練習法を編成しました。
そして、この「乱取」練習法に盛り込むことのできない「わざ」と「格闘形体」とについては、
「形」の練習もだいじにする教育方針を立てたのであります。
これによって、柔術の歴史上重要であった半面の技術部門が、現代教育の装いをもって、
大きく生かされることを確信するものであります。
「当身技」と「関節技」とは、力技的要素が少ないので、教育的合理的練習をするならば、
現代の求める教育の意義、すなわち身体の柔軟性、敏捷性、巧緻性などの養成に資し、
健康の増進に大いに役立ちます。
しかも、生涯体育として、老若男女が終生つづけやすい特性をもっております。
「昭道館開設の挨拶」より抜粋
合気