
タイトルの「少女セクト」。
ニュース等で使われている「セクト」と同義だが、
こちらの場合は、テロ組織など危険分子集団や主義集団そのものを扱って述べることが多く
この作品の学問的な「セクト」とは少々異なる。
一般的な意味としては「少女派」や「少女嗜好」というものでも構わないが、
本来的(この作品としても)にはセクト主義の意味が強い。
セクト主義とは、所謂セクショナリズムなのだが、イイ意味はなく、
日本語で言う「排他的」や「縄張り根性」などで表される。
この作品について、好意的な評価が多数だが、(かく言う私も、高評価している)
中でも男性が出てこない、と言う点で評価している人も多い。
余計なものを出さず、シンプルな構成にしたことが、この作品の良いところだが、これはかなり排他的である。
何しろ、人類の半分を無視して描いてあるのだから。
ただ、そこに拘ったからこそ、箱庭的ではあるが、リアリティーを感じさせてくれる、無理のない作品になったのだろう。
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個人的な偏見と趣向に偏った文面ですので、気分を害された方は
即刻読むのをやめ、「アホがいる」と思ってウインドウを閉じてください。
百合作品の限界として語られがちなのは、「ゴールが見えない」と言うものである。
男女マンガには恋愛成就後の結婚と言う社会的なゴール基準(またはそれに似た形)があるが、百合にはそれがない。
H漫画でも百合以外の分野が邁進しているが、それは男性の欠けた女性のオーガズムが読者には受け入れがたいからであろう。
ただ、社会も漫画業界も、人間一人ひとりが構築してきた常識やセクシュアリティーによって成立している。
その多数派が社会においても漫画においても、男女恋愛を信奉してきただけであって、「男女は生物学的に・・」等を云々
以前に、自身がどうしてそれを信じるようになったかを学ぶ必要があるといえる。
人間は社会的動物と言われるように、上の世代からのしきたりで物事を決める。
牛を神聖視する文化もあれば、豚を食べられない国もある。
男女でくっつくことが幸せであると言うことを、誰が断言できるのか?
結婚の成果は二人の信頼と社会的立場の充足感である。
私達はこの社会的充足感を求める余り、本来の自分を普段から押し殺している。
もちろん社会に活路を見出せないことは、それはそれで人として心配だが。
社会と向き合って、個人の幸せを求めるのならば、無理に異性と結婚して
性別の役割を考えるより、多少の困難を背負ってでも、
自分自身の快い意思を貫徹することが重要なのではないか。
であるならば、百合に限界を感じる必要はないのである。これはこれである。
一生、女同士で生きて行くことに疑問が必要か?と言いたい。
要するに、世間の認識が変わらなければ、百合が爆発的に流行ることはないだろうということである。
ただ、マンガに対してはこう言えるが、現実における同性愛者にこのようなことを述べたところで
きれいごとだと一蹴されるのは目に見えている。社会を変えるのは想像以上に厳しい戦いを強いられるのだ。
-ゲイ、レズビアンの方々には軽口を叩いたことを謝罪いたします-
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