活動その12--- 2003.2.2 その6 (上町稲荷社・中町稲荷社・三家稲荷社)


↑すごく見づらいけど、鳥居と社がある

それでもう帰路につくつもりで、行きと同じように、鶴見川橋を渡り、"寺尾稲荷道"の道標まで戻ってきました。それでふと道の向こう側にある茂みを見ると、その向こうになんと鳥居があったんです。そこの敷地は何かの会社の敷地で、入ることはできなかったのですが、商売繁盛を願って建てられた物なのでしょうか。

それにしても行きは全く気がつきませんでした。真ん前を通っていたのに。朱色だから目立つかと思いきや、現代の町の中では、意外に珍しくない色なのかも。

それで、なんとなくもう一度、"寺尾稲荷道"道しるべの脇にある案内板を読んでいて、「今ここにあるのはレプリカで、本物は鶴見神社に」というのが気になってきた。

しかも、鶴見神社は自転車で二分くらいのところにあるのです。すぐそば。
ということで、せっかくだし、鶴見神社って入ったことないし、まあ帰りがけにのぞいてみようか、なんていう気分で寄ってみることにしました。鶴見神社に。



↑鶴見神社の本殿。住吉造に似ているけれど、平入(ひらいり)なので神明(しんめい)造か

 


↑左が上町稲荷社、右が中町稲荷社


鶴見神社の境内は広くないです。でも狛犬はなかなか立派でした。ぜんぜん稲荷があるなんて考えていなかったので、本殿の前に立って、ふと右手を見ると朱色の鳥居と石造りの鳥居。また驚きました。 この日何回目のビックリなのか、わからないけれどまた期待しない出会いに、驚く。。




↑厳密に言うと蟇股は無く、彫り物自体が蟇股の役割?


まずは向かって左にある社。「上町稲荷社」という木札があります。
えーと、鶴見川橋を渡ってすぐのところに「下町稲荷」がありましたね。。それぞれの町にひとつずつ、ってことでしょうか。なんか本当にお稲荷様への信仰が篤い地域だったのかもしれません。鶴見。

上町稲荷社の軒下に僕が見た中では珍しいものがありました。
たいてい蟇股の中にある彫り物は竜ぐらいのものでしたが、ここではキツネが彫られていました。その右の方にあるのは玉 でしょうか。


右側は「中町稲荷社」でした。これで上町、中町、下町制覇です。ていうかみっつもあるんだあ。あったんだ。
おそらく、市場上町、市場中町、市場下町という町があるのだと思います。想像だけれど、やっぱりむかしはそれぞれの場所にあったのでしょうが、現在このふたつの稲荷社は、ここに合祀されているようです。

こちらの中町稲荷社の鉄扉には賽銭投入用の穴が空いていて(格子に穴があるのです)、そこから暗い中の様子も少し見えました。御祭神はわかりませんでしたが、三種の神器のひとつ、鏡が置いてありました。そのこと自体は珍しくないことですが、ここ鏡はガラスっぽい、陶器っぽい物で、光が直接差し込まない社の中で、静かに光を反射していて、すごくきれいな鏡でした。

で、ふたつも稲荷があったし、その由来とかを聞こうと思って社務所へと向かったのですが、この日は、二月の初午、ということで、偉い人は秦野の「白笹稲荷」という大きいところへ行っていていない、とのことでした。パートっぽい方しかいませんでした。

まあしょうがないか、とおもって、鶴見神社の前に止めた自転車にまたがり、今度こそ家に帰ろうかな、と思った瞬間。

 


↑手前から三家稲荷社・秋葉神社・関神社

 

なんと鶴見神社の真ん前にこんなものが!
「ほげえええ」と小さな声で驚きつつ、近寄ってみる。手前の鳥居だけ赤いです。写 真中央のあたりにある由来の看板を見てみると、それは手前の「三家(さんや)稲荷社」についての文章でした。

 



↑石像ではなく、石版に狐様を彫ってありました

 

看板によると
「三家稲荷・御祭神:保食神
東海道、鶴見川のほとりに鶴見村、三家(さんや)と呼ばれる場所あり。古謡に「鶴と亀との よねまんじゅう」と唄われし、つるや、かめやなどの茶店ありて、いと風光明媚な地として往還の旅人しばし足を留めたり
この地にいつのころからか祀られし稲荷社あり、旅人の信仰を集めた。
大正の末、神社境内に移る、俗に三家稲荷と称す」

とのことです。上の写真で鳥居の左の石版には、「三家稲荷社(旧・勘兵衛稲荷)」と書いてありました。

そう、石像の眷属さまの姿はなく、石版に彫られた眷属さまでした。
なんかヘタウマな感じで、なんだか味のある絵です。しっぽの先に注目。

 

という感じで、もうなんだかこの日は次から次へと稲荷に出会い、何がなんだかわからないけれど、とにかくこの辺には稲荷が多いと思います。

そしてなにより稲荷を残してある、残っている地域なのかもしれません。
どうなんでしょう。鶴見。

おしまい。

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