京急本線の子安-神奈川新町の間に、この笠のぎ稲荷神社は、あります。
なんかやたらとメディアに取り上げられたとか、注意とか、貼り紙とかが多いです。なんかなんとなく、イヤな感じがしました。
ここの縁起は、鶴見図書館で借りた本、「横浜の道を歩く-旧東海道に沿って-」という本から引用します。
「この神社は、平安時代の天慶(てんぎょう)年間(938-947)稲荷山の中腹に草創したと伝えられ、元寇にあたって北条時宗より神宝が奉納されたという。 元禄二年(1689)、稲荷山山麓に遷座すると、ますます霊験あらたかになり社前を通
る者の笠が自然に脱げ落ちたといい、当時は"笠脱(かさぬぎ)稲荷大明神"と称したが、のちに笠のぎ(下に示す文字。パソコンに無し)稲荷神社と改称され、明治二年現在地に遷座したといわれる。この神社に、土団子を供えると病が治ると伝えられ、治ったときはお礼に粢(しとぎ)団子を供えるという。」
ということです。
また、「横浜の伝説と口碑 -昭和五年・横濱郷土史研究會発行-」には「笠のぎ稲荷の土團子」という項にて取り上げられています。以下引用です
「新町の笠のぎ稲荷は、昔から霊験あらたかといわれ、笠を冠ってこの神前を通ると、ひとりでに笠が脱げて参詣が出来たといわれ、そんな事から笠脱稲荷と呼んだが、後になって笠のぎ稲荷と改められた。
かように凄まじい霊験も、笠の音がかさと同じところから、何時の間にか瘡(かさ)の祈りをするところとせられ、今では女中衆の祈念の対象となって居る。まず祈りをする時には、自分の年だけの数の土團子を作ってこれを供え、もし平癒の時には土をほんものの米の團子ととりかえて献じますというのが常であった。こんな事から土と米との團子の群がいつもこの前に供えられ、脂粉の香の高い女たちの来往絶えず、なかなかに繁盛を極めているのである。
」
と。これは実際に昭和始めにも行われていたようですね。いまは全くその陰もありません。
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