雪国だより






 それは、小さな小さな虫なのです。
 冷たい空気が心地良いある日、ふと気が付いて辺りを見回すと、どこから飛んで来たのかあっちにもこっちにも、よく目を凝らすと何十匹も、まるで粉雪が無風の空をゆっくり降りて来るように、けれど雪のひとひらよりもずっと小さな虫達が、体の後ろにやはり小さな小さな白い綿をくっつけて、ふわふわと空中を漂うのです。




 そろそろ冬の支度。クローゼットから羽毛のコートと毛皮の帽子を。
 明日街の靴屋へ行こう。去年のブーツはきつくて履けない、あの子達を連れて。




 先週届いたサモワールの具合は良好で、思い切って新調した甲斐がありました。蛇口だけ交換することも考えたのですが、思いのほか費用がかかるとわかり、ならばこの際、新品を購入してしまおうと決めたのです。
 体が温まるので、本を読みながら紅茶ばかり飲んでいます。苺のジャムを口に含み、ウォッカを少し加えて。




 お借りして何年にもなるアルフォンス・ドーデ。
 風車。陽光。ジギタリス。
 夏のプロヴァンスを想ってページを繰る夜、針葉樹の森で白いライチョウが鳴く。




 シベリア暮らしに馴染みすぎた私には、地中海へ吹き抜ける南仏特有の強い風も、窓を小さく作った頑丈な家も、すでに物語の中の世界でしかなく、幼い頃歩いたブドウ畑は、ときどき心の余白に見え隠れするだけの淡い幻影として、日に日に遠のいてゆきます。
 今はもう、どこが本当の故郷かよくわかりません。




 けれどもし、故郷とは、懐かしさを感じる場所なのだとしたら。帰りたいと思う場所を故郷と呼ぶべきならば。
 あなたの宮へ続く階段を思い浮かべる私は、どうかしているでしょうか。




 あなたの育った所でも、秋の終わりにあの虫は飛ぶのでしょうか。




 こんなに長く会えないのなら、聞いておけばよかった。
 どうせこの手紙も、出せないままなのだから。











 20041112






 私が育った地方ではこの虫を「雪虫」と呼びます。ある日突然大挙して、秋の終わりが近いことを知らせに来るのです。そして数日のうちに初雪が降ります。





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