翡翠・サファイア・丁子と肉桂 熱が出ると決まって見る夢。 濃い緑に覆われた細い道を、1人で歩いている。 どこへ続く道なのだろうと考えながら歩いている。 これは夢だとわかっていて歩いている。 そしていつも、道の途中で夢から覚めるのだ。 視界にぼんやり緑色が広がる。夢で生い茂る熱帯植物の力強い色とは性質が違う、静かで深い緑色。 徐々にはっきりとした輪郭を伴い、それが宙に浮かぶ2つの玉であることを知る。 目玉? 人の顔。 ああ、そうか…。 シャカは薄くまぶたを開けたまま、ムウの瞳から視線を逸らさずにいた。ずっと見続けていたい、柔らかな緑。翡翠の色。 ムウの右手がシャカの頬へ伸びた。手のひら全体で包むように触れられ、指先が睫毛に当たる。反射的にシャカは目をつぶった。火照った頬に乾いた皮膚の感触が心地良い。 「まだ少し熱い。」 ムウは低く呟く。シャカが掠れ気味の声で応じる。 「君の手は、ひんやりしているのだな。」 「熱があるからそう感じるのでしょう。気分は?」 「だいぶ良い。」 背中に支えを受けながら、シャカは上半身を起こしてみた。汗をかいたせいか体が軽く、痛みも和らいでいた。 ムウが部屋を出て行くと、シャカは湿った寝巻を脱ぎ、無造作に丸めて体を拭いた。ベッドから下り、机の上に出しておいた替えの寝巻を着る。ザラリとした木綿の肌触りが良い。 窓を開けた。遠くに見える海が、陽光を受けて青い。沖合いにくっきりと浮かぶ島影。今日もよく晴れていた。 「シャカ。」 背後から名を呼ばれ、シャカは振り向いた。 「水と果物…食べられそうなら。」 ムウが盆を持って立っていた。シャカはベッドに戻って腰かけると、水の入った大きなグラスを受け取り、ひと息に飲み干した。 「汗が出たのだね。」 「ああ。随分楽になった。」 カーテンをめくり上げ、強い風が吹き込む。ムウが顔を上げる。 「開けておいてくれ。」 シャカの言葉に頷いたムウは、半分だけ窓を閉めた。 ガラスの器に、煮たいちじく。淡いピンクの煮汁をひと匙吸う。いちじく以外の香りが混じる。 「棚にあった香辛料、勝手に使わせてもらった。」 甘く冷たい実を口に含み、舌と上顎で潰す。軽く力を加えただけで容易に崩れ、プチプチした種が口中に広がった。 「君はつくづく器用だな。」 シャカがそう言うと、ムウは微笑した。 シャカは再び横たわった。落ち着く体勢を探そうと、何度か寝返りを打つ。暖かな風が前髪ごと額を撫で、うっとりと目を閉じたとき、枕もとの椅子に座るムウが独りごちた。 「処女宮は、海が見えていい。」 白羊宮から海は見えなかっただろうかとシャカは思った。低い場所に位置する分、眺望はあまり良くないのかもしれない…。 「さあシャカ、もう少し眠って。もっと楽になるために。」 呪文のような囁きを合図に、眠りの波が緩やかに打ち寄せる。唇の裏に残る甘い味と香り。クローブ、シナモン…丁子と肉桂。 「夢から覚める君の目は…」 ムウの声は耳に優しい。 「夜明けの海…」 子守唄に似た抑揚。 「ゆっくりまぶたが広がって…その奥に、だんだん満ちる青い光が…」 シャカの呼吸は次第に深く、整ったものになってゆく。 「潤んで、揺れて…きれいで…」 まどろみの中を漂いながら、シャカは遠のきそうなムウの声をしっかりと捕らえようとする。 きれいなのは君だ。見とれていたのは私のほうだ。そう伝えたくても、言葉を発する自由は既にない。眠りの流れは勢いを増し、抗おうとしてもすぐに押し戻されてしまう。 意識が現を離れる寸前、辛うじて残された意志で、シャカはうっすらとまぶたを持ち上げた。 視界にぼんやり緑色が広がる。静かで柔らかな翡翠の色。ムウの目の色。 「まるで…サファイア…」 ムウの声を聞いた気がした。ふっと心が弛緩し、次の瞬間、シャカはまたいつもの緑濃い細道に立っていた。 20031028 シャカを看病するムウ様。シャカは普段うす目を開けているという設定。 いちじくって、生で食べても煮て食べてもおいしいですよね。干したのもまたヨシ! |