石榴(ざくろ)






 雨は銀鼠ぎんねず 花は猩々緋しょうじょうひ
 未だ熟さぬ果実は緑




 「これは李?いや…桃?」
梢に指先を伸ばし、硬く小さな実の輪郭をなぞりながらムウが呟く。
「表面が滑らかであれば李ではないか?」
シャカも樹上を仰いで答える。
「君は目が良いな…実がなっているとは気付かなかった。まだ青いではないか。」
「未熟なうちから目立っていては困るでしょう…。」
葉と同じ色をしたままで密やかに成長する果実を、ムウは両手で慈しむように包んだ。
「あまり強く触ると枝から落ちてしまうぞ。」
シャカがそう注意をしても、ムウの掌はいつまでも果皮の感触を楽しみ続けていた。
「わかっている。ほんの少し、撫でるだけ…。」




 葉隠れに息をひそめて 耽々と その日が来るまで
 獣に喰らわせ 鳥に突付かせ 種を運ばせるその日が来るまで




 「やめたまえ…こんな場所で……不謹慎だ…。」
シャカの声がかすかにわななく。雨を弾き返す葉が揺れる。
「ようやく人足が絶えたというのに…やめろと?」
ムウの声音は蟲惑的な毒を帯び、じんわりとシャカの頭の奥へ染み入る。
「君だってずっと、降り出すのを待っていたのに?」
首すじを滑る唇の柔らかさと対照的に徐々に固まってゆく体の芯を認識し、シャカは前のめりに崩れた。
「大丈夫…私も同じ…」
追い討ちをかけるように耳元で囁かれ、シャカは観念して力を抜く。




 したたかに いつの間に 膨らみきって 色づいて
 頃合を見定めて 馥郁とした香を放ち




 手探りで確かめ合う衣擦れも小さな叫びも、雨音に紛れる。
 弛緩してゆく意識と裏腹に一瞬体が緊張したのは、冷たく湿った空気が剥き出しの皮膚を取り巻いたせいか、重ねた肌が思いのほか熱かったからなのか。
 一時的な戯れと理解しているつもりが、実際には戻れない地点まで来ていることを自覚したのは、季節が幾つ過ぎた頃だったか。
 東屋の軒下に羽のうすい蝶が飛び込み、ふわりふわりと円を描いて先客の様子を窺っていた。考えごとでもするかのように暫し宙に留まった後、再び雨中へ舞い戻り木立に消えて行く様を、シャカは浅い呼吸を繰り返しながら見ていた。
 あらかたの果樹が花を終えた緑の一面に、鮮やかな色が点々と散る。




 石榴 石榴
 幼い子供をさらって喰べた 訶梨帝母の舌を慰む




 「ムウ…私達は……もう、戻れないのだろうか…?」
乱れた息のまま突然問われて、ムウはシャカの顔を見つめ返す。いささかの紅潮もなく、その頬は、仄暗い中にただ蒼白く浮かぶ。




 石榴 石榴
 改心しても忘れられない 甘い血の味 肉の味




 「多分、私達は…既に知ってしまったから…」
ムウの唇はシャカのそれに引き寄せられ、言葉は雨に吸い込まれる。胸に疼きを感じても、今更向きを変える術をふたりは持たない。




 やがて裂け目からこぼれ落ちる無数の紅い種子






 自然の摂理に逆らい、私達は。











 20050618






 シャカはいつも自制しようとしている人。
 ムウ様は感情の起伏を抑え込もうとしない人。
 シャカの考えでは「心が乱れるのはまだまだ修行が足りない証拠」であり、努力しなければ静かな気持ちを保てない自分は、特別な努力なしに落ち着いているムウのような人が羨ましく、どこか敵わないという気もしている。


 …というのが私の妄想の土台です。





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