Le Café du Village






 ひなびた港に面したカフェの片隅で、少年達は遅い昼食を終えようとしていた。
 蔓が絡んだ白い棚には、あふれるほどに葉が茂り、そこから垂れ下がる薄い青紫の花の連なりは、小さな蜂をのせたまま、時折吹く南風に所在無げに揺れた。




 食器が片付けられ、緑に翳ったテーブルに、砂糖壷と、胡椒のビンと、頭上で咲くのと同じ花が盛られたシャコ貝が残った。
 コーヒーが運ばれてきて、陶器同士がぶつかる音と、高くなりだした波の音がサガの静かな声を掻き消したが、アフロディーテはサガの言葉を少しも聞き漏らさなかった。




 「この花が、そんな名前だとは…」
風が遊んで卓上にこぼれ出た1輪を、アフロディーテは、貝殻に戻しながら言った。
「ちっとも知りませんでした。美しい響きですね。」
子供の掌ほども大きいのに、またすぐに飛ばされてしまいそうな、どこか儚さを感じさせる華奢な花だった。




 コーヒーカップを取り上げて、サガは言った。
「君の名前もね。」




 アフロディーテは驚いた顔をした。
「でも、『アフロディーテ』は僕の本当の名前じゃない。」




 サガは言った。
「本当の名前のことを言ったのだよ。」




 アフロディーテは再び目を丸くした。しかしすぐに気がついた。
「ああ、そうか。教皇様のお手伝いをしていらっしゃるのだから、知っていても不思議じゃないのか。」
サガは黙って微笑んだ。アフロディーテの言葉を聞いてそうしたようにも見えたし、くゆる香りに目を細めたとも見えた。
「だけど驚いた。今日のサガは、何だか少し…いつもと違うみたいだ。」




 客席には既に彼等しかおらず、厨房から談笑が漏れ始め、辺りには、たゆんだ午後の空気が漂っていた。
 サガは来る途中で買った帆布のブックカバーを箱から出し、隣の椅子に置いていた地図帳に丁寧に掛けると、アフロディーテにこう尋ねた。
「集会所の向かいの家の赤ん坊が病気という話を、君は聞いているか?」
アフロディーテは頷いた。
「ええ。ずっと熱が下がらないそうですね。今朝もお婆さんが熱心にお祈りを。」




 「帰りにこの花を届けよう。」
シャコ貝を片手で持ち上げて、サガは、山盛りになった10輪ばかりの花を、空き箱に全部移し入れた。こぼれ落ちた数輪は、アフロディーテが箱に収め、平らにならしてから、そっと蓋をかぶせた。
「しおれてしまわなければ良いのですけれど。」
「きっと夜まで持つだろう。」
 わずかにはみ出す花びらを気にして、アフロディーテは何度か蓋を持ち上げたり、かぶせ直したりを繰り返した。
 そしてサガは、空になった貝殻に、吸差しの煙草を押しつけた。











 20080912






 微妙に「黒」が顔を出しかけているサガ…。


 作者個人的に、勝手にアフロディーテの本名だと思っている名前があります。内緒だけど!





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