きっとわかってくれる人






 今朝、合同訓練で久し振りに蟹座と山羊座に会った。
「よう!おサカナちゃーん。キレイな金髪ネー。」
蟹座は馴れ馴れしい。その上、口のきき方というものを知らない。
「何だぁ、相変わらずお高くとまってんな、お前。美人なんだからもっと笑えよ。おい。」
そう言って僕の顔をジロジロ見つめ、最後にニヤリと笑う。挑発しているのだろう。僕を不快がらせて面白がりたいのだ。こいつはいつもこうだ。
 黙って顔を背けていると山羊座が話しかけてきた。
「本当に元気ないな。顔色が良くないぞ。」
山羊座とは同じ頃に聖域入りして以来、ときどき話をする。「友達」と言えるほど親しくはないが、蟹よりはいい。もっとも彼は、僕より蟹のほうと波長が合うらしいけれど。
「見学用のベンチで休んだらどうだ?」
真面目な顔つきで山羊座が言うので、自分でも少し心配になってきた。
「…そんなに顔色、悪いかな?」
問い返すと、山羊座は大きく頷く。
 すかさず蟹が言った。
「おサカナちゃんはオンナノコの日、なのよネー。」
 首から上がカッと熱くなるのと、拳が蟹の頬を打っていたのはほぼ同時だった。
「やめろ!」
山羊の叫びと、蟹が右腕を振り上げたところまでははっきりと覚えている。次の瞬間、地面に叩きつけられる衝撃が全身に広がり、何が起こったのかよく理解できないうち、視界に黒いモヤがかかっていった。
「動かすな!」
誰かが遠くでそう叫んだかもしれない。
 僕は気を失った。




 目を覚ますとそこは双魚宮の僕のベッドだった。あのまま僕の意識は半日近く飛んでしまったらしい。窓の外には夕焼けが広がり、誰が置いたのか、テーブルの上に読みかけの新聞が投げ出されている。
 「気が付いたんだな。大丈夫か?」
ちょうどそのとき山羊座が部屋に入ってきた。
「君がここまで運んでくれたのか?」
「いや、違う。運んだのはサガで、俺は呼ばれて一緒に来ただけだ。」
サガ。双子座だ。今朝の訓練で、射手座とともに師範役だった人。
「俺、サガに事情を聴かれたよ。だからそのまま話した。」
「そのままって…。」
「お前があいつを殴ったいきさつとか。」
瞬時に頭に血が上ってゆくのがわかった。そうだ。思い出すだけでも怒りで体が震える。下品な冗談を言われ、今みたいにカッとして、僕は確かに蟹座を殴ったのだ。
 人の名前や容姿を馬鹿にするのは最低なことだと教えられたし、僕もそう信じてきた。だから誰かに女のような呼び名をからかわれても、男らしくない顔だと笑われても、僕は落ち込む必要はない。逆にそいつの卑劣さを嘲笑ってやればよい。相手はこちらが平静を失う様子を見て楽しみたいのだ。やすやすと思い通りにさせるものか。
 受けた屈辱の程度によっては、僕は返報する。暴力を使うこともある。
 そんな反応も実は相手を喜ばせるだけなのかもしれない。「辱められた」と思う時点で心の弱さに負けているのかもしれない。けれど僕はこれ以外の方法を知らない。自分をなだめながら、すかしながら、どうにか折り合いをつけてここまで歩いてきた。
 劣等感。悔しいけれど、その存在を僕は素直に認める。




 「シュラ、ご苦労だった。戻っていい。」
音もなく入ってきた双子座に声を掛けられ、山羊座は驚いた様子で顔を上げた。僕もびっくりした。いつからそこにいたのだろう。
 山羊は足早に去って行く。そう言えば彼は「シュラ」という名だったのだ。僕達が言葉を交わすのは1対1のことが多く、互いに名前を呼び合わなくても用は足りるし、また、名前で呼び合うほど打ち解けた関係でもない。彼も僕の呼び名が「アフロディーテ」であることを覚えているかどうか…。
 聖域へ来たとき、外見的にぴったりだとか何とか、もっともらしい説明を受けて「アフロディーテ」という名を授かった。気に入る気に入らないの問題ではなくて、見た目に由来する命名という点が僕の心に影を落とした。どうして人は僕の外見にこだわるのだ?どうして僕の内側を見ようとしないのだ?女性的な容貌の男がそんなに物珍しいか?
 こうして時々、あの嫌な感情が顔を出す。振り回されないようしっかりと気を張っていても、コンプレックスはほんの些細なきっかけで、僕を捕らえて苦しめる。
 「アフロディーテ。」
知ってか知らずか双子座は、当然のようにその名で呼び掛ける。僕は体を起こそうとしたが制された。
「寝たままでいい。話がしたい。」
双子座は静かに言った。
 双子座の話し方には大きな抑揚がない。訓練のときも講義のときも、物静かな人だと常々思っていた。大きな声を出す場合も怒鳴るというより響き渡る感じで、同じ年長の黄金聖闘士…例えば射手座とは全く違うタイプだ。射手座は存在そのものに勢いがあり、いつも体中から熱を発散しているように見える。
「凡そのことはシュラから聞いた。何か言いたいことがあれば、今、私に言いなさい。」
 辺りはだんだん暗くなる。さっきまでオレンジ色だった空がラベンダー色に変わって、じき夜になる。
「言いたいことは、ありません。」
僕の言葉を深追いせずに、そうか、と頷いた双子座は、枕もとのスタンドのスイッチを入れた。パッと点いた白熱灯が眩しい。
 今日が終わる。何もしないまま終わる。蟹座に腹を立てて、訓練にも最後まで参加できず、ただ気絶していただけの無益な一日が。




 帰りがけに、双子座は僕の肩までタオルケットを掛け直して、思い出したように言った。
「どうして倒れたか…覚えているか?」
「えっ?」
僕は答えられなかった。蟹は僕を殴らなかったのだろうか。殴られそうになったところまでしか覚えていない。倒れたときに体を打った衝撃は残っているが、言われてみれば殴られたような痛みはどこにもないのだ。
 あのとき目の前が暗くなって…そうだ、蟹の拳が当たったから倒れ込んだのではない。よくわからないまま気が遠くなって…。
「貧血を起こしたのだ。覚えていないか?」
確かに今朝は顔色が悪いと言われた。蟹にからかわれて不快になり、うやむやのうちに忘れてしまっていたけれど、今思うと訓練場に入る前から少し気分が悪かったかもしれない。
 だらしない。貧血で倒れるなんて女々しい。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
謝る僕に双子座は穏やかな笑顔を向ける。
「成長期にはよくあることだ。気にすることはない。」
「でも、貧血なんて、女々しい…。」
思っていたことがそのまま口をついて出た。双子座は更に優しい笑みを湛える。
「アフロディーテ、体調不良に女々しいも何もないだろう?」
その通りだと思った。僕はおかしなことを言っている。
 けれど一度こぼれ落ちた言葉が口へ逆戻りしないのと同じように、堰を切って流れ出した感情は引くことを知らず、僕は双子座に鬱屈した思いをぶつけていた。
「いいえ。いいえ…僕は知っています。皆、僕のことを女みたいだって思っているんだ!」




 夜にだけ鳴く虫の声がか細く聞こえる。薔薇の根もとで羽根を震わせている姿が目に浮かぶ。散った花びらが屋根のように覆う下で、露に濡れず夜通し歌い続ける小さな虫。
 「女のようだと言うよりも…単に君は、美しい人なのだよ。」
双子座の口調は薔薇の花びらのように滑らかで柔らかく、優しく僕を包む。共感出来ない言葉なのに、どこか淡々として押し付けがましくないから、耳に障らない。
 だけど僕は闘うことしか知らない。ずっとこのやり方で生きてきた。
「だとしたら、それは外見だけです。僕は人を殴るし、人を憎むし…美しい人間ではありません。」
認めることは負けることだ。自分に負けたくない。
「それに…美人だとか綺麗とか、褒めてやっているんだから満足しろ、感謝しろと言われているようで不愉快です。」
双子座は黙って聞いている。
「大体、美しいなんて…女の子に言うことでしょう?僕は男だ…!」
 言うだけ言って僕はタオルケットを被った。これじゃまるで八つ当たりだ。双子座が僕を女扱いした訳じゃないのに。訓練場で倒れた僕をここまで運んでくれた人なのに。
 怒っただろうか…。
 「アフロディーテ。」
タオルケットの厚みの分だけ、虫の音が遠くなる。しかし双子座の声は真っ直ぐ布を突き抜けて、静かにそれでもはっきりと僕に届く。
「誰もが美に憧れる。美が欲しいと願っている。見せかけの美にすぎなくても、手に入れたくて躍起になる。」
 今までこんな風に語りかけてくる人はいなかった。仮に本気でこの容姿を褒めてくれる人がいたとしても、それに不満を持つ僕は、いつもお高くとまったひねくれ者として次の瞬間には呆れられた。
「君は、空虚な価値観に惑わされない幸せな人だと私は思うよ。」
 こんなことは初めてだ。僕の気持ちを否定しない人がいるなんて。信じられない。だまされない。ぬか喜びはしたくない。
「大丈夫。君は男だし、女神の聖闘士だ。」
 何故だか涙が止まらない。双子座はもう何も言わない。言わないでいてくれるのが有難くて、恥ずかしくて、ただただ泣けてきた。
 そのうちドアが開く音と、すぐに閉まる音がして、後に虫の声だけが残った。
 自分の心をなだめて、すかして。誰かを軽蔑したり見下したりの繰り返し。理解されない苛立ちと悲しみを胸の奥に封じ込めながら、何とかひとりで歩いてきた。
 けれどこの人は、きっとわかってくれる人。
 僕は声を上げて泣いた。嬉しくて、いつまでも泣いていた。











 20040707






 【アフロディーテ】

 女性のような容姿にコンプレックスを抱きつつ成長。しかし、それを克服して人生を歩んできた!という自信と誇りは人一倍。うんざりするほど「美しい。キレイ。」と言われ続けてきたため、自分は美形の部類に入るのだろうと認識しているが、別に褒め言葉としては聞いていない。むしろキレイと言われることは苦手。ナルシストではないし、おカマキャラでもない。


 上の文章は、このサイトを開くにあたり、ザッと各キャラの性格付けをしてみた自分用の覚え書きから引っ張ってきました。


 私の脳内に存在する星矢キャラは概して原作寄りです。
 瞳や髪の色、言葉づかいなど。(それをどれだけ自分の作品に活かすかは別として!)





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