不器用






 ムウが鎧戸を閉めると、1本だけ灯した蝋燭の炎は大きく揺らめき、思いのほかの明るさを室内にもたらした。
 紫龍はサングラスを外し、何度かしばたたいた後しばらく目を閉じていたが、やがてゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「まだ眩しい?」
問いかけられて、微かな笑みを向ける。
「平気、これくらいなら。」




 「顔、よく見せて。」
シャツのボタンを外される間も、紫龍はムウの頬を両手で包み、瞳を凝らし続ける。
「見えなくなるかもしれないから、今のうちによく見ておく。」
「…そんなことを言うものではないよ。」
顎の線をなぞる冷たい指先を取り、やんわりと口づけながら、ムウがたしなめる。
「毎月東京の病院へ通って、診察を受けているのだろう?」
「うん。沙織さんが紹介してくれた先生のところへ。」
 するりとシャツが剥ぎ取られ露わになった胸に、ムウの乾燥した毛髪が心地良い。支える腕に身を預ければ、紫龍は壊れ物のように用心深くベッドに仰臥させられ、やや間が空いてから、馴染んだ肌の感触が上体を覆った。
「大丈夫。医者の指示を守って、処方通りの薬を使えば…じきに回復するだろう。」
暗示にも似た囁きは、紫龍の頭の芯に甘い痺れを与え、半開きの唇から漏れるため息は、ムウの中に吸い込まれていった。




 滑りのよい髪の毛を掻き分け、ムウの指が紫龍の耳を露出させる。次の動きを予期して、色白の首はおのずと傾ぐ。
 ムウが耳の付け根に点々と口づけを置くたび、紫龍の頬は羽根枕に深く沈む。耳朶にそっと歯を立てると、枕に押し当てた口元からくぐもった声が上がり、舌先で軽くこめかみを撫でれば、細い肩はしなやかにわななく。
 「まだ昼間なのに…」
この期に及んで、ありふれた言葉で躊躇してみせる紫龍である。
「……っ!」
胸にある敏感な箇所を舐られ、ムウの頭を抱え込む腕がギュッと縮む。
「や、だ……」
反射だけで出る言葉に額面通りの意味などない。形だけでもそんな態度を取らずにいられない小さな葛藤を、ムウは理解しているからこそ聞き流す。
 胸を解放した唇は次に鎖骨を捕らえ、そこから喉を伝い、顎の先端を通って、頬に辿り着く。再び耳元をゆるやかに探られ、紫龍はあえかにムウの名を呼ぶ。
 普段日に当たらぬ皮膚は、血の流れが透けて見えそうなほど薄く、白い。
 「会いたかった。」
耳の縁から柔らかな声が流れ込み、紫龍は身震いする。無意識のうち浮いた背中に素早くムウの手が回り、腰から首まで撫で上げられる。爪の先が盆の窪をくすぐったとき、息を詰めて耐える紫龍の口から、忍びやかな悲鳴が漏れた。
「あっ…や……!」
意味を持たない反射か、真の拒絶か、判別出来ないムウではない。




 だから唇を目元に移動させた瞬間、突然「嫌だ!」と鋭い叫びが聞こえても、ムウは動じることなく直ちに体を離す。
「あ…ごめん、違う…」
困惑顔なのはむしろ紫龍のほうなのだった。




 「あの…久し振りだから…緊張して…」
ムウは思わず失笑する。自分のためではなく、ムウのために弁解をする紫龍の様子が、愛らしくもおかしかったからだ。
「いいよ。気にすることじゃない。」
軽い体を抱き起こし、睫毛に唇を寄せると、紫龍はそれを避けるようにして、ムウの胸に顔をうずめた。
「あまり気が進まない…?」
紫龍は返事をしない。ただ黙ってムウの背に腕を回し、頬を押し付けたり、指に触れる髪を握り込んだりしながら、取り留めのない気持ちが言葉として固まるのを待っている。ムウもそれを待つ。
 紫龍という子には、ときどきこういうことがある。胸のうちにわだかまる曖昧な感情を、そのまま見過ごすことが出来ない。




 「あなたも、やっぱり…この目が早く治ればいいと思っているのでしょう?」
 「もちろん…」
 「じゃあ、もしも…もしもこのまま、いつまでも治らなかったら?」
 「…………」
 「目の見えない紫龍では駄目ということですか?」
 「誰がそんなことを?」
 「だって、みんな、早く治せって言う…!」
 「…………」
 「前のように、目の見える紫龍でなくては…認めてくれない…許してくれない…」




 「見えなくても、俺は俺なのにっ…」




 自分の気持ちさえ持て余し、器用に立ち回れない。通り過ぎることが出来ない。
 ムウもそれに付き合う。けれどもムウは、自分の心と向き合うよりも、何と答えるのが紫龍にとって最善かを考える。




 ムウは紫龍と違って、器用なのだ。











 20051229






 ウチの紫龍は、ちょっと面倒くさいコかな…。





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