変かもしれない。






 舌よりも唇のほうが敏感だと気付いたのはいつだったろう。




 7歳の誕生日が近付いた頃からシオン様は突如厳しくなった。戦闘技術や修復についてはもちろん、言葉遣いから立ち居振る舞いに至るまで、あれやこれやと急激に口うるさくなった。
 恐らくシオン様は残された時間が少ないことを予感しておられたのだろうと、今なら理解出来る。それまでのんびり育ててきた弟子の仕上がり具合に、急に焦りを感じられてのことだろう。私も今は弟子を持つ身だからわかる。
 そして私は食べ物の好き嫌いも一切認められなくなった。
 タコを食べきるよう言いつけられた日のことを鮮明に覚えている。夕食にタコの入ったマリネが出た。私はタコだけ皿に残していた。それをシオン様はお許しにならなかった。苦しい思い出だ。あのときは本当に気が狂うかと思ったものだ。
 しばらくはフォークに突き刺した一切れのタコを、目を瞑り出来るだけ顔から遠ざけて、伸ばした舌でチロチロ舐めるのが精一杯だった。食べ物に恐怖を感じたのは後にも先にもあれっきりだ。強い抵抗感に涙が流れた。
 当時の私にはタコ以外にも苦手な食べ物はあったが、どれも一度は食べた経験があり、その上で好みではないと判断したものばかりだった。しかしタコは完全な食わず嫌いだった。タコという生物の外見がそもそも恐ろしく気持ちが悪いと思っていたから、シオン様をはじめ他の人達のように自分も食べるという発想はなかったし、また、食べることを強要される日が来るとも思っていなかった。
 半時間ばかりそうしていただろうか。次第にその味にも舌触りにも慣れてきて舐めるだけならどうということもなくなってきた頃、それまで舌先のごく小さな面積にしか接触していなかったタコを私は思い切って丸ごと口に含もうと決意した。
 フォークを握る右の手のひらにじっとり汗が溜まっていた。そろりそろりとフォークを口中に進める。先端に刺したタコが舌の中央に突き当たる。大きく開けていた口を閉じ、上顎で恐る恐る包み込む。軽く転がしてみる。粘膜に未知の感触が広がる。そっと前歯を当ててみる。何とか大丈夫だ。しかしそれは、フォークをしっかり握ってさえいればいつでも自由に口元から引き抜けるという安心感が成せる、まやかしの大胆さに過ぎない。
 実際、フォークからタコを外すのは勇気の要ることだった。もし外してしまえば、舐めているだけで苦手を克服したつもりの安っぽい満足感は一挙に消滅し、あとは咀嚼し嚥下するという厳しい現実を実地に移すしか道はない。そしてフォークから抜き取るにはタコをしっかり舌か歯で捕らえている必要があり、そのとき極力感じたくないタコの質感がまともに神経に伝わることを考えると、恐ろしくて仕方がない。
 フォークを口に挿し入れたまま葛藤と逡巡を繰り返す私の脳裏に、唇で挟んでみてはどうかというひらめきがよぎった。まずタコを唇にくわえ、フォークを抜き去る。徐々に前歯と舌で口の中へ引きずり、だましだまし少しずつ噛み削ってゆく。その方法なら最小限の苦痛で済むのではないか。
 しかしそれは大きな間違いだった。唇にタコを当てた瞬間、電流のような衝撃が走った。舌や歯や口腔内の粘膜よりも、唇は劇的に敏感だったのだ。想像とは逆の事態に驚いた。私は唇を使うことをやめた。即決させるだけの鋭敏さを唇は備えていた。
 再びフォークごと口の中へタコを入れてから、どれくらいの時間が経過しただろう。突然ポロリとタコが舌の上に落ちた。深く刺していたつもりのタコは、実はフォークの先に引っ掛かっていただけで、それが何かの拍子に外れてしまったらしい。
 心の準備も整わぬうちの突然の出来事に私はパニック状態だった。言いようのない不安と嫌悪が体中を駆け巡り、瞬時にして肌着が汗で貼りついた。気が付けば私は口中のタコを指でつかみ出し、床に放り投げていた。
 声を上げて泣いた。いつまでたっても体の震えと嗚咽はおさまらず、ショックから立ち直り再び挑戦出来るようになるまで相当な時間を要した。一切れ食べることに成功した後は開き直りと勢いで残り全部を食べきったものの、時計の針はもう翌日を指していた。
 未熟な私はシオン様を鬼と恨んだが、今ではあの荒療治に感謝している。お陰で何でも食べられるようになったのだし、食卓で弟子が泣きながら嫌いな食べ物と格闘する様を無言で何時間も見守っていたシオン様の胸中を考えると、今となってはただ頭が下がる思いでいっぱいなのである。




 深く呑み込んでから、紫龍は喉の奥で咳払いをするように小さく唸った。罪悪感より愛しさが勝って、私は制止しようともせずに心地良い温度の中にただ浸っている。
 紫龍がそうしたがる素振りを見せたとき私は止めなかった。むしろ促した。今まで自分から求めなかっただけで、紫龍のほうから申し出てくれるのを本当はずっと待ち望んでいたのかもしれない。ずるいのだ…私は。
 火照った頬を手探りでゆっくり撫でる。遠慮気味な舌の動きに連なった震えが、緩やかに私の手へと伝わる。大きく開いた唇を指先でなぞれば舌はピタリと止まって、ややあった後おずおずと愛撫は再開される。
 かわいい。顔が見たい。
 頬を包んだ両手をそっと持ち上げて、見えやすい位置まで調節する。長めの前髪が覆う隙間から、紅潮した頬と半分まぶたを落とした目が覗く。瞬く度にパシパシと睫毛から乾いた音が上がり、ときどき角度を変えようとして頭がぎこちなく動くとき、苦しいのだろうか、眉根を寄せ、目がギュッと閉じられる。
 私が見ていることにも気付かない様子で進行してゆく行為。清らかな口腔に恥知らずな自分が厚かましく出入りするこの光景を、今まで夢に見たことがなかったと言えば嘘になる。但しそれはあくまでも夢想の域を出ないものであり、だからこそただ甘美なだけだった。今ここで現実となった鮮やかな実感は、甘く悩ましく、かすかな痛みを伴い胸に迫る。こんなことをさせてはいけないと思いながら、私は溺れる。
 紫龍はだんだん慣れて、羞恥やモラルや自尊心、囚われていたものからひとつずつ自由になってゆく。自分がされるときのように恍惚とした表情で、舐め、吸い、扱く。ときにはみ出す赤い舌が、卑猥な音を立てながら高みに導こうと蠢く。
 右手を添え紫龍は口からゆっくりと抜き出す。唾液にくるまれた私を凝視する瞳は情欲に輝き、半開きの唇は誘うように淫靡で、私は急速に欲しくなる。欲しい。何が?唇が。舌が。紫龍が。施して欲しい…もっと与えて欲しい、今すぐに。
 全部見通しているかのように、紫龍は再び口中に含む。浅く深く出し入れしながら握った手を上下させる。こんなに一生懸命になって。かわいい。うれしい。濡れた口唇を押し広げているのは私。うっとりと舐めさせているのは私…。
 劣情が煽られる。後戻り出来ない階段に足を掛ける。このまま登りたい。辿り着きたい。汚してしまうことになるけれど、そのとき無理をかけてでも受けさせたいという本能的な望みが私の理性を打ち砕き、貪る気持ちに拍車を加える。
 紫龍が何の前触れもなく、くわえたままで視線を上に向けた。
 目が合った。
 泣き出しそうに表情を歪めた。そんな顔をされるとこっちが困る。困るけどかわいい。心臓が高鳴る。もっとよくその表情が見たくて、目にかぶる前髪を払ってやる。きつく瞑ったまぶたの下でコロコロと動く眼球。片方だけ膨らんだ頬が動きに合わせて起伏する。
 歯がぶつからないように用心して、唇に力を入れて扱き上げてくれる。たまらなく愛しい。どこもかしこも撫で回したい。届く限り撫でる。見られていると知った上で、紫龍はますます熱を入れて私を高めようとしてくれる。動きも、音も、表情も、隠すことなくすべて明かしてくれる。うれしい。愛しい。
 かわいい。かわいい。かわいい。
 髪の中に手を差し入れ、指に絡ませる。頭を押さえて私のほうから挿し込む。抜き出す。繰り返される動きに紫龍は抗いもせず従う。
 もうそろそろ、やめなければ。戻らなければ。頭でわかっていても止められない己の欲の浅ましさ。このまま。このまま…。
 もう降りられない。
 …もう少しだけ。




 別に自分がタコになったつもりという訳ではない。紫龍が口で受け入れるとき、抵抗を示した訳でも泣いた訳でもない。
 ただ、ちょっと思い出したのだ。




 変かもしれない。私は。











 20040606






 ムウ様、何やってんのっ…。
 a.舌なんて入れてみた。 b.タコを食べさせた。 c.ちょっと調子に乗ってみたんです…。


 紫龍編もご用意しております。お好みでご利用くださいませ。
 上の文章で「あっ、こういうのダメ!」と思われた方や純潔志向な方には、気持ち悪く感じる部分もあるかもしれないです…と、一応注意喚起。(やーでも、所詮こんな↑程度なんですが。)
 あとはおまかせしますんでよろしく!こちらでーす。





特別室入口へ戻る    目次へ戻る