年の瀬逢瀬






 終わってから髪を撫でられたりしているその時間、ムウの喉を指で辿るのが、最近の紫龍の常だった。
 胸から顎に向かって。そしてその逆も。
 スイ、スイと指の腹を滑らせる。
 喉仏をクルクルとなぞるのも、このごろ紫龍がよくすることだった。自分にも同じものがあるからあまり強く押せば苦しいことはわかっていて、だからただ皮膚の上から軽く触れるだけなのだけれど、ときどきクッと動くのが紫龍を非常に満足させた。
 今日も同じようにムウの喉の動きを指先で確かめては、密やかな喜びを感じていたのだが…
「そこ、あまり触らないで。お腹壊すから。」
「えっ?」
突然思いも寄らぬことを言われ、紫龍はムウの腕に載せている頭を持ち上げた。
「今、何て……お腹…?」
まじまじと顔を見つめて聞き返す。
「『喉仏を刺激すると翌日お腹を壊す』って、洋の東西を問わず昔から言われているんだよ。聞いたことない?」
「聞いたこと、ない。」
肌をくすぐる腰のある黒髪を弄びながら、ムウは小さく笑う。
「へぇ…そうなんだ…初めて聞きました…。ふぅん…。」
驚いて見開かれた目と感心した口調が、あどけなく、ムウの笑みを誘うのだった。




 枕の下から魔除けの石を取り出し、紫龍は寝台の脇の細い明かりに当てて眺める。
「あなたとこうするときは、いつも外しているけれど…」
赤い紐を通した緑の石。
「まだ、悪いことは起きない。」
「悪いことなど起きるものか。」
ムウの腕が、後ろから紫龍を包む。キュ、と腕ごと締め付けられる感覚が心地良い。
 誰が奏でているのか、遠くで月琴の音がする。
 廊下を歩く靴音が部屋の前を通り過ぎるとき一瞬緊張した体を、ムウは少しきつく抱き、そのまま寝床に引き倒した。
 魔除けの石が紫龍の手を離れ、乱れた敷布に沈んだ。
 耳元で囁く。余計な音を聞かなくて済むように。
 唇を合わせる。余計なことを考えなくて済むように。
 ガリッ。
 毛布の下で足を動かしたはずみに、ムウの向う脛を紫龍の爪が引っ掻いた。慌てて紫龍は口づけを解く。
「今、痛かったでしょ?今朝爪を切った後、ヤスリかけるのを忘れたから。」
すみませんと短く詫びた後、そっと、掻いてしまった部分を親指の付け根で撫でる。
「いつも痛い思いをさせているのは、私のほうでしょう。」
真面目くさってそう言ったムウの背中を、紫龍はトン、とひとつ叩いた。




 透かし彫りを施した紫檀の衝立。その上に無造作に掛けられた衣服に手を伸ばしながら、ふたりはもう、外へ出る顔を作っている。
 先に身支度を整えたムウが敷布の襞から緑色の石を拾い上げ、手渡された紫龍は、長い紐を丸めてポケットに入れた。
 また、会えない時間が始まる。
 扉の前で、向き直ったムウに抱きすくめられた。
「1分だけ。」
返事をする代わりに紫龍は、ムウの首に腕を回す。
 目の前に喉。
「ムウ。」
「ん?」
「もしかしていつも、会った翌日はお腹を…」
「…………」
「今まで全然、知らなくて…もう触らないようにします。」
「…………」
ムウの肩が震える。クククッと噛み殺した笑い声が聞こえて、ようやく紫龍は気が付く。
「あ…嘘。嘘なんだ…?」
はっきり答えることをせずただ首を傾げるだけのムウの胸を、紫龍はドンドン叩く。
「ひどい!本当かと思った!本気にした!」
抗議の声に笑いが混じる。
「フフッ、悪い人に騙されないよう、気を付けたほうがいい。」
「でも、あんなふうに言われたら信じる!」
 自分で自分がおかしくて真っ直ぐ立っていられない紫龍を、ムウはしっかりと抱き込む。一緒になって笑い崩れて終わるまで。




 どんなに名残惜しくても、早々に気持ちを切り替えておかなければ後で余計辛くなることをふたりはよく知っていて、いつもなるべくあっさりと別れるようにしている。
「今年はこれで最後かな。」
ムウの右手が紫龍のコートのポケットから出て行く。
「来年も、会えますよね?」
残されるのは紫龍の左手と、紐を通した魔除けの石。
「きっと会えるよ。」
守れなければ辛いから。明日の命さえ確かではないから。次に会う約束はしないという不文律。
 チラチラと雪が舞っていた。ムウが立ち止まる。
「石、ちゃんと首に掛けなさい。落としたら大変だ。」
うん、と素直に頷き、紫龍はポケットから赤い紐を引っ張り出す。
「帰り道、魔物に騙されないように。」
「ああ、もうっ…これからあなたの前でも、ずっと着けっぱなしにしておく!」
ほどいたマフラーをムウに預け、頭を紐にくぐらせれば、首の回りをひんやりとした空気が取り巻く。黒髪の合間を縫って雪がひとひら、うなじに降りた。
 余韻を残さないような軽い抱擁を、一度だけ。
「よいお年を。」
「道中ご無事で。」
すぐに体を離して、紫龍はムウを見上げる。
「あの、気にしてちゃいけないと思って。一応、伝えておこうと思って。」
「何…?」
「…その、つまり、…」
真顔で切り出した後、言いづらそうにしている紫龍の口元へ、ムウが頭を傾けて耳を寄せる。
「…もう、前ほど痛くないです。」
「ああ…。」
今度はムウが紫龍の耳元で囁く。
「そんなこと、ずっと前から知ってる。君の顔を見ていればわかる。」




 ドン!と大きく背中を叩く。











 20041228






 な、なんか不倫カップルみたいだ…!


 ウチのムウと紫龍は、ひっそり愛。コソコソ愛。プラス遠距離愛。
 いつだってギリギリ。こんなふたりに来年もご声援を!(?)





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