青天的早上、我在…。 目が覚めた後、しばらくそのままでいるのが俺は好きだ。目をつぶったまま、起きてからのことなんて全然考えずに、ただじっと眠りの続きに浸る浮遊感。 体がポカポカ暖かい。だのに鼻だけ冷たい感じがする。 少しだけ手を動かして毛布の外に出す。手の甲に鼻先を押し当てる…あ、やっぱり冷たい。 裸で眠ってしまったんだな…なんて、まとまらない頭でぼんやりと考える。だからこんなに暖かなのだろう。肌に直接寝具を被ると本当に暖かいのだ。 慌てて起き出す必要のない朝。訓練も学習もしばらく休みだ。 明け方まで吹いていた風はすっかり止んでいる。 静かだ。滝の音も聞こえない…。 目を開けてみる。明るい日差し。晴れた色をしている。何時なのか…たいして早い時間でもなさそうだ。 白い壁。黒い窓枠。 ここは俺の部屋じゃない。 古い青銅の香炉。白檀の香り。 ジャミール。 ジャミール。俺はジャミールにいる。ムウに会いに来たから。 「!!」 脳の思考する領域がなかなか起動しない朝もあるけれど、目覚めてすぐに立ち上がる日もある。今朝みたいにのんびりしようと思っていても、それと裏腹に急な速度で意識が冴えてしまうこともある。理由やきっかけなどないのにそうなる場合もあるし、ある思いに急かされて一気に覚醒することもある。 俺は寝返りを打つ。 すぐ後ろにムウがいた。 「……!!」 自分の中で音を立てて何かが沸騰した。叫び出したい衝動をこらえる。 一緒に朝を迎えるのは初めてじゃないのに、こういう場面にまだ慣れない。ムウを見た途端に、嬉しいような泣きたいような、恥ずかしいような逃げ出したいような複雑な気分になり自分でも持て余すのだ。この感情は一体何なのか。 ムウは鎖骨の下まで毛布を掛け仰向けで寝ている。思わず目を反らす。でもまたすぐに見てしまう。盗み見しているようでものすごく照れ臭い。何も後ろめたいことをしている訳ではないのだと、よくわかっているのだけれど。 毛布の下でそろそろと手を伸ばすと、多分骨盤辺りの骨ばった、しかしスルリとした皮膚に突き当たる。 うわっと思う。 昨夜の記憶が湧き出して俺は一人で赤面している。誰かが見たら「何を今更」と笑うのだろう。体中に残る余韻が胸へと集まり、ギュッと締め付けられて苦しい。それでも思い出すのをやめられない。 何度も名前を呼んでくれた。何度も大事に撫でてくれた。何度も抱き締めてくれて、何度も…。 つかまるだけで精一杯だった。ムウが見せてくれるものを追い、行き先のわからない気流に乗った。 ときどき方向を見失って立ち止まっても、ムウは必ず手を差し伸べて引き上げてくれる。 心地良さに我を忘れそうになり、正気に戻ってためらい、また一歩踏み出し…その繰り返しの中、優しく理性を奪われてゆく快感に身を委ねながら俺は頂上にあるものを手に入れる。そして堕ちる。すぐに新しい流れに取り巻かれる。 余裕なく反応するしかない俺にムウは示してくれる。 その先にあるもの。 触れるときっと狂ってしまう部分。 導かれ、手を伸ばす。知る。心の底まで掻き乱される。 そのままムウは更に向こうにある快楽まで辿り着こうとする。俺の分までしっかりと前を見据えて進んでくれるから、何も心配しなくていい。絶えず耳に送り込まれる「紫ィ。」という囁きに陶酔しながら、全部預けて付いて行けばいい。 その瞬間指先を強く握ること。 終わってから宥めるように撫でてくれること。 誰も知らないふたりだけの決まりが逢瀬の度に増える。約束も相談もなしに、いつの間にか定まってゆく秘密の決まり。 俺はこの人に愛されている。 形のよい顎の線。ゆるく結ばれた唇。いつも背中で束ねている長い髪は解かれて、シーツに散らばっている。大抵ムウのほうが先に起きるから、こうして寝顔を眺めるのは初めてかもしれない。 静かに眠る顔を見ているうち、だんだんこちらの動悸も鎮まってくる。夜の名残を微塵も残さず、俺だけが見た夢だったと言われても肯かざるを得ないような、普段通りの端正な横顔。身動き一つしない。呼吸をしている気配すら感じられない。 …生きているよね? 何故そんな風に思ってしまったのかわからない。説明出来ない衝動だったとしか言いようがない。俺は毛布の中でムウの手首を探し、中指を当てる。拍動する血管。当たり前だ。 だけど俺はますます馬鹿なことをしてしまうのだ。毛布をずらしてムウの胸部を露出させる。その左側に耳を押し当て、音を聞かなければ気がすまない。 トク、トクと鳴っている。規則正しく打っている。 生きている。 聞き惚れる。愛しい音。大切な音。大好きな人。 ふわりと白檀が立ち上る。安眠が得られると言ってムウは就寝前に小さな香木を焚く。俺はムウの体臭を知らない。長年の習慣である薫香は髪に体に甘く絡みつき、ムウ自身が白檀であると錯覚することさえある。 鼓動。体温。白檀。…安息…。このままもう一度、眠りの続きに戻ろうか…。 「おはよう…紫龍。」 突然声を掛けられ反射的に上体を起こした。 こっちを向いている翡翠色の瞳。 変な場面を見られたと慌てる間もなく、背中ごと引き寄せられる。俺はムウの上に倒れ込み、覆い被さる形になる。 「何を…していた?」 気だるさが混じる掠れた声でムウは小さく笑う。 「おはよう、ございます。」 うん、と言ってムウは俺を抱え直す。腕も胸も腹も、暖かいと言うよりむしろ熱いぐらいだ。忍びやかに近付く延長上の予感が微かな目眩を呼び起こす。 「いい天気…。吹雪…止んだのか…。」 朝、この人の声は少し低い。そしてやや緩慢な話し方になるのだ。この間泊まったときに気付いた。寝起き以外では絶対に聞くことのない声音。 「ごめんなさい、起こしてしまった?」 ムウの手が俺の髪を梳く。耳の後ろから項を通り抜けて毛先まで滑り落ちる。 「いや、ただ…何をしていたのかな…と思って。」 何度も行ったり来たりする。気持ちいい。ずっとこうしていて欲しい。真っ黒でつやがあって綺麗だと前に言ってくれた。 どちらからともなく上半身を起こす。ムウが大きく伸びをする。金色に近い薄茶の髪が、窓から差し込む朝日に照らされいっそう淡い色に見える。 「心臓の音を聞いていました。」 俺がそう答えるとムウは愉快そうに言った。 「不思議な音でもした?」 眠気を払うようにムウは数回頭を振った。髪の毛が束になって軽やかに舞う。逆光が透けて揺れる。白檀の香りが横切る。 頬に両手を添えられ顔を真っ直ぐに向けられる。 「この音、好きだなあと思いながら聞いていました。」 ちょっとだけ吊った大きな目が俺の言葉を聞いて細くなる。 「そう…紫龍は、規則的な音が好きなのだね。時計や…メトロノームも?」 俺の口の端に引っかかっていた髪の毛をそっと外して微笑む。 仕草の一つ一つが、言葉の一つ一つが好きだと思う。この人の全部が好きなのだ。まだ知らないところも、恐らくあるだろう欠点も、この先出会えばやっぱり好きになる気がする。 「そうじゃなくて、あなたの心臓の音だから。」 一瞬ムウの目は驚いたように見開かれた。でもすぐフッと緩む。またすぐに、今度はちょっと真剣な形になる。 あ、と思うより早く、唇に柔らかい感触。 ギュッと大きく収縮してから、早打ちのメトロノーム。 腕が回される。全身が熱い。耳朶の裏に唇が滑り込む。ムウも鼻の先が冷たい。窓からジャミールの青い空が見える。外は寒いに違いない。 「紫ィ。」と呼ばれた。抱くときだけムウは俺をそう呼ぶ。今、気付いた。 20040213 題は中国語。「青空の朝、…にいる。」という意味。多分。(間違っていたらご指摘下さい。) 本当は「…」部分に「ジャミール」って入れたかった。 しかしどう漢字を当てればいいのかわからず、こんなヘンテコになってしまいました。 青天的早上、ちょっとおまけ。 「あなたの心臓の音だから。」 君はいつも自分の言葉で伝えようとする。あまりに率直で、どう感じているのかを少しも隠そうとせず真っ直ぐ飛び込んで来るから、一瞬うろたえる。 「紫ィ。」 君の感覚を操作して、また無理矢理引っ張るつもりでいる。喜ぶものを並べ立て、手を尽くして。麻痺と混濁に乗じつつ、誘導しようと企んでいる。 「朝から、嫌?」 君が嫌がらないと知りながら、敢えてそう訊く途方もない偽善。呆れたものだ。何がムウ「様」だ。軽蔑されても仕方がない、この狡猾さ。 「嫌じゃない。嬉しい。」 抵抗してくれ。拒んでくれ。そんなに信じきった顔で見上げないでくれ。嬉しいなんて言わないでくれ。 でなければ私は止まれない。 20040217 ムウ様は良識ある大人なのです。だから自省的になるのですね。 |