くも膜下出血の患者の「尊厳死」について書いた看護師からのメールを元に、「救急現場での尊厳死」の問題を考えた7月11日付の記事に、約30通の投書やメールを頂きました。「重たい後遺症を考えると、手術を拒否する、という選択肢があってもいいのでは」「障害者を否定することになる」など、家族や自らの体験をつづった切実なものがほとんどでした。投書の一部を紹介します。
(佐藤陽)

看護師からのメール(要約)
10年前、勤務していた救命救急センターに、くも膜下出血で昏睡状態に陥った50代の男性患者が運び込まれた。
医師は家族に手術すれば助かる可能性は少しありますが、障害が残るかもしれません」と説明。家族は、重たい
後遺症を恐れたのか、本人のリビングウイル(尊厳死の宣言書)を示し、手術を拒否した。結局手術をせず、男性
は2日後に死亡した。「手術をしなかったことが本当に良かったのか」見殺しにしてしまったのでは……」。今も、わだかまりを持ち続けている。

投書から
患者の苦しみ
「(メールの)この家族の手術拒否は正しいです。命はあっても後遺症の苦しみは耐え難いものがあります」
こんな内容のファクスをくれた東京都の増田尚子さん(55)は、自身が約2年前にくも膜下出血で倒れ、今も独力で歩くことはできません。自宅を訪ね、くわしい話を聞きました。会杜員の夫、善弘さん(58)も同席してくれました。手術の約2ヵ月後に意識が戻りましたが、寝たきりで、鼻から栄養チューブを入れる状態が続きました。つばも飲み込めず、1日一箱のティッシュを使うほどでした。尚子さんは、そのころの気持ちを、こう吐露します。「まさに生き地獄でした。死の淵まで行ったのに、もう一度現実の世界に戻って、精神を鍛え直せ、と言われたような感じです」リハビリで何とか、ものは飲み込めるようになりました。でも、尚子さんの気持ちは変わりません。「医師から、植物状態にならなかったのだから、と励まされましたが、家の中にじっとこもっていることの苦しみをわかっていないと思いました」
手術前に、医師から後遺症についての説明はなかったといいます。「どんな後還症が残るか、医師に聞くべきだったのよ。あのまま死なせてほしかった……」
取材中、尚子さんは、善弘さんに胸の内を明かしました。
善弘さんは、自分の気持ちを確かめるように、語りかけました。「生きるか死ぬか、の時に、後遺症のことなんて聞けるか?-後遺症が残るから手術しない、なんて言えるか? 家族としては、『とにかく生きていてほしい』と願うのが普通だろう」

「手術拒否という選択は間遵いでしょうか」という表題のファクスをくれたのは、新潟市の看護師(45)です。12年前に母
親(69)が、くも膜下出血で手術を受けました。医師から「後遺症も残らない」と、言われましたが、今も左半身完全麻輝が残ったままだそうです。「手術後、私たち家族の生活は一変しました。毎日、病院の付き添いをしなければならず、その間、家政婦を1日1万7千円で雇いました。母自身も重症の麻痺を受け入れられず、3年間は毎日泣いてばかり。あの頃は悪夢でした。家族にも人生はあります」

手葉県の主婦、峯和子さん(55)は、父親(80)が2年前にくも膜下出血で倒れた経験をメールに書いています。意識もなく、倒れて半日は手術ができるかどうかさえ分からない状態。医師からは「手術が成功しても杜会復帰の可能性は20%」と言われ、術後は、家族の顔がわからない寝たきり状態が続いているといいます。峯さんはこう主張します。「社会復帰とは具体的にどういう状態を指すのか、20%とは全年代の平均値なのか、平均値なのか、できる限り正確な情報を提供すべきだと思います。10%以下であれば、私たち子どもは、手術拒否を決断し、母を説得したかもしれません」 



拒否あり得ぬ 



一方、「手術拒否はあり得ない」というメールもありました。腎臓と聴力に障害を持つ名古屋市の無職、田中治孝さん<
(62)は「障害が残るかもしれないというリスクだけで、治療を放棄することは、現在障害を持ち、苦しい中を生きている障害者を否定することなのではないかと思う」

また、東京都の自営業、和泉田みちいさん(53)は、1年半前に重症のくも膜下出血で倒れ、医師から
「後遺症が出るかも」と言われましたが、手術の結果、ほとんど後遺症はなかったといいます。
「あの時、夫が手術を断っていたら、と思うとぞっとします。私の人生は終わっていたのです」

尊厳死の定義「ケース別に」求める声も日本尊厳死協会は、治る見込みのない末期がんなどの患者がリビングウイルに基づき、「いたずらな延命措置」を拒否し、安らかに人間らしい死をとげることを「尊厳死」と定義しています。尊厳
死の定義についても、意見が寄せられました。 
 


埼玉県の看護師、原田梢さん(25)は「尊厳死の定義を細かくする必要があるのではないでしょうか。救急の場合、終末期の場合、いろいろな場合の尊厳死を議論する必要があるのではないでしょうか」と提案します。
葬儀についての情報提供をする「ギャラリー葬送博物館」の代表を務める横浜市の出口明子さんは「くも膜下出血での手術の拒否は、『尊厳死』に当たるという考え方がある一方で、広い意昧での『安楽死』だという意見もあるでしよう。こういうグレーゾーンを一つずつ整理する必要がある」と主張します。さらに「生と死についての教育を幼い頃から始め、社会全体でコンセンサスを得るようにしていくべきだ」と訴えます。


[日本尊厳死協会の設立目的] 

 日本尊厳死協会は、1976年1月に産婦人科医師で、国会議員であった故太田典礼氏を中心に医師、法律家、学者、政治家などの同志が集まって設立されました。 その目的は、自分の傷病が今の医学では治る見込みがなく、死が迫ってきたときに、自ら「死のありかたを選ぶ権利」を持ち、そしてその権利を社会に認めてもらおうというものです。つまり、尊厳死運動とは、人権確立の運動なのです。
[リビング・ウイルを知っていますか] 日本尊厳死協会は、治る見込みのない病気にかかり、死期が迫ったときに「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)を医師に提示して、人間らしく安らかに、自然な死をとげる権利を確立する運動を展開しております。
 リビング・ウイルとは、自然な死を求めるために自発的意志で明示した「生前発効の遺言書」です。その主な内容は
 不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する
 苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい
 植物状態に陥った場合、生命維持措置をとりやめてください,というものです。

安楽死

 京都府京北町の国保京北病院で起きた“安楽死”事件。終末医療に様々な問いを投げかけたが、安楽死や尊厳死などの用語がきちんと整理されないで使われ、一般の人だけでなく医療側でも混乱が生じている。安楽死と尊厳死の違いは何か、また、違法とされるのはどんな場合かをまとめた。

安楽死と尊厳死

尊厳死は治る見込みのない病で死期が確実に迫っている場合、延命治療を行わずに自然な死を迎えること。患者本人の明確な意思のほか、医療側、家族側のすべてがその処置に納得していなければ成り立たない。日本尊厳死協会は、健康なときに尊厳死を希望することを宣言した書面「リビング・ウイル」の普及を進めている。
安楽死は生命倫理学から六つに分類。まず、医師側の行為(手段)によって消極的安楽死か積極的安楽死に分けられる。消極的安楽死は医師が栄養補給の点滴をしないで患者の死が早まるような「何もしない」場合を指し、手段は尊厳死に近い。積極的安楽死は塩化カリウムや筋弛緩しかん剤を用いるなどの積極的な手段を用いて死期を早めること。
 さらに、消極的安楽死、積極的安楽死とも患者の意思によって三つに分ける。▽患者が自発的▽自発的ではない(意思不明も含む)▽意思に反する−−だ。
 刑法学上の分類で、患者の苦痛を和らげることを主目的に副次的には死を早めうる薬を使う場合を間接的安楽死といい、東海大安楽死事件の判決では家族が患者の意思を推定し行っても許容されるとした。モルヒネや鎮静剤がこれに当たるかは難しい問題だが、薬を用い死期を早める点では積極的安楽死に通じるという考え方もある。
海外の事例

 ナチスがユダヤ人らを大量虐殺した際に「安楽死」と呼んだことから、欧米では安楽死への恐怖感が根強く、法的に安楽死を認めないのが大勢だが、現在、オランダで容認されたのを始め、変化が出ている。
 オランダでは、一九七一年の安楽死事件以来、国民的論議が高まり、九三年に埋葬法を改正。耐え難い苦痛が治療できず、患者が自由意思で決定したこと、などの要件を満たした場合に限り、医師は違法性を問われない。しかし、刑法では安楽死を禁じている。
 また、オーストラリアの北部準州で九五年に世界初の自発的な安楽死を容認する「終末期患者の権利法」ができた。アメリカではワシントンなど三州で法制化の是非を問う住民投票が行われ、九四年にオレゴン州で安楽死を合法とする法律が可決されたが、連邦裁判所が違憲判決を下し、法制化しなかった。
 これらは積極的安楽死の是非を巡る動きだが、尊厳死では、七六年のカレン裁判でニュージャージー州最高裁が持続的植物状態のカレンさん(当時二十二歳)から生命維持装置を外すことを許可。同年、末期状態では生命維持装置を使わない指示をする書面(リビング・ウイル)を前もって作成する権利を世界で初めて認めるカリフォルニア自然死法が制定された。自殺幇助(ほうじょ)については、自殺装置を開発したミシガン州の元医師が四度起訴されたが、すべて無罪評決を受けた。

 横浜地裁判決の
 「医師による積極的安楽死の4要件」
(1)耐え難い肉体的苦痛があること。 
(2)死が避けられず、その死期が迫っ 
   ていること。 
(3)肉体的苦痛を除去・緩和するため 
   の方法を尽くし、他に代替手段が 
   ないこと。 
(4)生命の短縮を承諾する患者明示の 
   意思表示があること。

日本の事例
 森鴎外が一九一六年に発表した小説高瀬舟は、病気で自殺を図った弟にとどめを刺し、遠島流刑となった喜助が高瀬川を舟で下る際の心境を通して安楽死の問題を扱った。鴎外は「高瀬舟縁起」でも「従来の道徳は苦しませて置けと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある」と書いたように日本では安楽死容認の土壌があったと言える。九二年の日本医師会生命倫理懇談会の尊厳死報告書では、特別の事情がある場合には安楽死が違法とされないという現状を維持するほかはないとした。

 安楽死はどんなときに罪に問われないか。日本では二つの判決がそれを示した。六二年の名古屋高裁判決は、激痛の父親から「殺してくれ」と懇願された息子が牛乳に農薬を入れて死なせた事件。嘱託殺人罪として被告に懲役一年、執行猶予三年を言い渡し、安楽死に必要な六条件として(1)不治の病で死が目前に迫っている(2)苦痛が激しい(3)死苦の緩和が目的(4)本人の嘱託または承諾がある(5)医師が行う(6)倫理的に妥当な方法による−−を挙げた。
 末期がん患者に医師が塩化カリウムを投与した東海大付属病院の安楽死事件では、被告を懲役二年、執行猶予二年とした九五年の横浜地裁判決で医師による積極的安楽死の四要件(表)を示すとともに、尊厳性を保った自然死のために、通常の医療行為を中止できる要件も提示した。


意志確認

 名古屋高裁判決の六要件と横浜地裁の四要件が示した患者本人の意思表示の有無は違法性を問ううえででも大きなカギだ。しかし、安楽死の意思を患者が表明できるのは意識がはっきりしているときだけ。
 本人意思が不明の場合、▽本人の意思に反する▽本人の意思に沿う、の二つのケースがある。本人の意思に反する場合は当然違法性があるが、不明ながら意思に沿っていたと推定される場合はどうだろうか。よく似たケースは判断能力のない新生児。家族が判断を代行できるのか、議論が分かれる。
 意識不明や新生児で本人意思がはっきりしていない場合、安楽死は認めないという意見が主流。しかし、はっきりしていなくても、本人の意思に反しないと推定される安楽死は他の要件を満たしたうえで認めてもいいという意見がある。

     まとめ


1)リビングウィルは、「本人の意志かどうか確認が難しい」「最後まで変更されなかったか確認不能」「家族の意志に関しては、確認を誰がどのようにするのか、合意がない」など、とても法的権利とは言い難い。
2)安楽死は、「責任能力のある本人の書面での意思表明」が決してクリアできない。法的には、禁止条項と考えた方がよい。
3)「後遺症を恐れて、治療の中止を求めた場合」、家族には、未必の故意による殺人罪の適用もある。要請に従ったとき、医師には未必の故意による殺人と、不作為による不利益行為の民事罰あり。不法な要求とされる。リビングウィル、安楽死ともに問題にならない。
4)「本人に説明がない」は、くも膜下出血の意識障害が争点になるが、判例なし。基本的には無意味。
5)モルヒネも積極的安楽死説がある。判例後の社会的影響を考慮すべき。
6)「重症で手術では助かる可能性が少ない」場合は、手術に代わる治療であって、治療の放棄ではない。慢性期手術という選択もある。