医学統計学についての試論
1 数学的厳密:ゲーデルと帰納法 不確実への恐怖心
誤謬への嫌悪、「真理の世界」そこでは真理が真理を生み出し、誤謬は一切排除する世界 「真理世界」の永久崩壊 物理学が単純性を脱ぎ捨てた 数学にすら保証されなかった無矛盾性 無限の扱い方、非線形性への試み 運動するものを記述する言語がない 数学的に記載すれば厳密か? 言語には本来厳密性がない
2 複雑系と因果律
物理学すら確率論的に記述すれば、不確定性から逃れられない。多因子非線形系の奇怪な振る舞い。不可逆の扱いずらさ。展開する物質、思考、モデル。「原因と結果」は関連性とは別物。関連があれば,原因か?それとも結果か? 原因でも結果でもない関連。
3 モデルと現実:ピグマリオン症候群
モデルは現実とは、程遠い。進化する思考、モデルの深化と変容。落とし穴としての、ピグマリオン。
4 「物理学、化学の科学性と医学の科学性」から「単一の手法=理論生物学」
見えないものを、どう扱うか?モデルと理論、裏づけの実験。証明の帰納性。はるか目標としての全体性。単純な決定論はもはや、科学でさえない。「精神的なものは科学的でない」論と「単純に見える事に潜むカオス」 数値化という決定論
5 過渡過程中の”真理” 嫌われる退却戦
衰え消え去ることへの積極的意味付け 退却消耗戦の幸福。全体として、受け入れる精神 真理としての有限性
6 無作為は、バイアス。対照は非対称。限りある生を、生き抜くための希望。
現実のなかで、無作為の前に作為。因子選択の恣意 因子数え上げの不可能 それは検証が必要だが、往々にして不可能。無作為の非人間性。選択こそ自由の源。
7 確率論的世界観の卑劣。
無作為データを提供する者の自由。データを収集するものの引け目。データを享受するものの卑劣。特異な例を、最大多数の原理で判断する。
8 統計学的結果の不安定
見かけ上単純であること=他の因子の結果への影響をできるだけ小さくする操作が可能。これが不可能なものを複雑系という。このような系は因子を数え上げておかないと、意識にのぼっていない因子の影響をうけて結果が変化する。数え上げがすでにされていない系は、解釈が本質的に無意味。
9 カナダ合意文書についての検討
その立場
「エビデンスに基づく乳癌治療」について、現在の到達点を示す文書。文中にも述べられている通り、エビデンスの得られている治療法は、ほんの一部ということが、見て取れる。政治的妥協(これしかないので、仕方ない)を排して、丁寧に簡潔に記載されている。このことが、統計学的な治療学と言う手法の限界も照らし出すことになっている。
無作為という手法(ネズミ講のトリック)
これは統計という考え方の基本になる。「同じようなものしか比較できない」という自明らしい考え方の正統性を保証する動作のように見える。(この点は検討を要する) 無作為は可逆な過程では、事実上サンプリングに限界がない。ところが、「人間の病気」(乳癌)のような非可逆過程では、サンプリングが有限となる。原理的に、一度無作為の手法で評価された個体はすでに「選択」されており、さらに無作為という操作は無意味となる。病気の個体数には限界がある。乳癌に限るなら、地上にある、同じような生活環境で暮す、同じような医療環境にある、人間の疾患総数はせいぜい万に達するか否かであろう。このスケールがレベル1エビデンスの上限になる。同時にほぼ数個のみ可能。10年の経過フォローアップが必要なら、10年で加わるレベル1エビデンスは数個に留まる。
同じようなものしか比較できない
モデルとして考えるなら、対照群と介入群とは介入に関連する限りで、群として同じ状態にないといけない。ところが介入に関連する因子は、生体では数え上げができていないので、どうしたら同じ状態にできるのか不可知、同じになっていると言う検証も不可能。 いくつかの要素をそろえることで、同じとはいえない。(例 線形多変数関数で一致する変数があるとき、同じ値をとると主張するようなもの) このことは、たかだか数千個の個体を集めるくらいで、克服できるだろうか? 答えは、不可知。
似たような試行は、似たような結果を生むか?
似たような試行で、結果が異なる(ときとして、数%から数十%)。この原因は、通常紙面からは読み取れない。時間が経過すれば、蓋然性も推定しにくい。念頭に上っていない因子(不顕因子)が結果に影響している可能性が高い。大雑把に言えば異なる母集団の異なる面が露呈している。このことは、病気が全くの偶然から起きるのでもなく、自明の因果の糸がしっかり繋がって生じるのでもない(どこかでサイコロを振る現実)ことを示している。因子の数をできうる限り減らす現在のような操作では限界があり、相互の関連と結果の繋がりまではとても解析できない(不可逆性を乗り越える操作は、社会的には無意味で許されない)。母集団が異なるときに、結果の不安定が不釣り合いに大きいときには、モデルの設計自体を考え直さないといけない。これ自体で切り口の悪さと結論して良い。高額の教訓。(例 食品と発癌の関連の解析)
分割と信頼性のジレンマ
メタ分析のように質的に異なる母集団を混ぜ合わせると、原因(統計学には無縁)と結果が見えにくくなる。複数混じりあうから。 分割すると集合の構成因子数が減って、信頼性が消滅する。ちょうど良い点が存在するのか?否か?は不可知。 メタ分析は各因子をなるべく狭い範囲に抑えて比較するという本来の操作に逆行している。
知識の拡大と統計の相反
本来、統計学は「足らない知識を、いいかげんな期待で、小規模に実験して見当をつけ補うという役割」にその本領がある。手軽なかわりに,いい加減。取り返しのつかないことに踏み切るときの瀬踏み。ところが、複雑な対象を前にして、統計に期待するあまり、過大な規模で計画するようになり、やがて真理までも期待するようになった。むしろ現実の生体の機構についての知識の増加=結果に繋がる因子をより多く拾い出す事、とバランスすることで、統計自体の目的、手法も適切な規模がおぼろげに、見えるのではないか。