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誤算だった。 資料探し――という名目で、いつものように土蔵に入りびたっていたのだが、 いささか、長居しすぎたらしい。 学生の時分は、寮が目と鼻の先だったからよかったものの、 今となってはそんな便利な宿もない。 ――最近物騒だから、気をつけてお帰り……。 帰りがけ、妙に心配そうに繁が言った。 俺を誰だと思っている、女子供じゃあるまいし。 そう怒鳴ってやったのだが。 …………が。 忠告は、あながち外れてもいなかったらしい。 「物騒」が服を着て歩いているような連中。 そういった輩は、意外と近くにいるものだ。 現に。俺の背後を……4人くらいだろうか……ぴったりとついてくる。 昔は学生服を着ているというだけでよくからまれたものだが、 ここしばらくは平穏なものだった。 盛り場に行く機会が減っただけ……といえばそれまでだが。 ともあれ、関わらないに越したことはない。 そう思ったその時。 「おい」 いきなり、後ろから肩をつかまれ、ぐいっとふり向かされた。 馬鈴薯に目鼻のついたような面相の大男。 品性のカケラすら見当たらない。 ……まったく、無礼にも程がある。 肩にかけられた、極太の毛蟹の足のような指をひきはがす。 汚れた、というようにわざとらしく肩を払い、無言で立ち去ろうとした。 「おい待て! 貴様」 「貴様に貴様などといわれる筋合いはない」 「何だと?」 「俺に用があるというのならそれなりの態度をとれ、『貴様』」 「この……」 「気安く触れるな。汚れる」 「黙れ!」 本当に鬱陶しい。 殴りかかってくるか、と思いきや、そばにいた別の男が止めた。 嫌な目つきをした、痩せぎすの男だ。 「まあまあ、ここは穏便に。 こちらとしても金子子爵のご子息に、手荒な真似はしたくはありませんから」 できるものならね――わざとらしくつけ加えた。 ほう、そうきたか。 「あいにくだが俺は、半ば勘当されているようなものだ。 仮に俺に何かあろうと、優秀すぎるほどの弟妹がいる。 親父どのはビタ一文、払わんと思うが……?」 「どうあっても屈しない、と?」 「そういうことだ。諦めろ」 「ならば、やり方を変えましょうか。 この不穏な世の中、実は大きな力をもつものが何か、ご存知ですか?」 「…………いきなり何だ?」 「風評、です。小さな醜聞が、信じられないような結果を生み出すのです。 面白いでしょう?」 「……まさか」 「おや、心あたりがある?」 男が、薄い唇の端をひきつらせて笑った。 「例えば。怪しげな異人とさる子爵の子息が、密かに通じている。 ――そう、特高にでも密告したら?」 「………………!!」 「顔色が変わりましたね。それだけではない。 こともあろうに彼は、その異人の情人だと……告げたらどうなります?」 「あいつには関係ないだろう!」 「これをきっかけに、御自分の足元が崩れるかもしれない、ということなら、 さすがの子爵も動いてくださることでしょう」 「卑劣な奴らめ」 「何とでも。取引に応じていただけなければそれまで。 あなたが、得体のしれない胡乱な異人と関係を持っているということを しかるべき筋に流せばいいだけですから」 「目的は、親父の失脚か」 「そうですね。まあ、少々の心づけをいただければ、こちらも考えますが」 馬鈴薯男が、痩せた男になにやら言った。 下卑た笑い。 嫌な予感がした。 「それと、彼への謝罪……だそうです。 這いつくばらせて謝らせる、というのも面白いですが、 それでは足りない…………愉しませろ、と」 最悪だ。 俺たちも混ぜろ、と残りの2人も加わる。 ……冗談じゃない。 折悪しく、ここは朝まで、人通りなどほとんどない路地。 横道にでも連れ込まれたら……。 「あの異人の‘女’なのでしょう? 今更、意味のない操立てなどせずに、愉しんでしまってはいかがですか?」 「………………言いたいことはそれだけか?」 「何です? 強がったところで無駄ですよ」 「それだけか、と訊いている」 「………………………………」 「もうないようだな。ならば俺から一言、言わせてもらおう」 「今更何を」 深呼吸。 「貴様らが俺のことをどう言おうが勝手だ。……だが!! あの馬鹿のことを、いいたい放題に罵っていいのは、この俺だけだ!」 顔面に、体重の乗った一発。 やせ男は鼻血を吹いて無様にふっとんだ。いい気味だ。 こうなったら、とことん暴れてやる。 こんな奴らの手にかかるなら、死んだほうがましだ。 目をまわしている痩せ男は勘定に入れないとしても、あと3人。 何とか、なりそうだ。……馬鈴薯男を除いて。 せめてここに、土田でもいれば。 力で解決するのは好かん……といいつつも何とかしてくれるだろうに。 だが、勝算がなくても、そう大人しく諦めるのは性分じゃない。 つかみかかってきた男を受け流して、背中に蹴りをいれる。 奴はそのまま、奥に積んであった酒瓶の箱に頭からつっこんだ……あと二人。 馬鈴薯でないほうが殴りかかってくるのを、すれすれで避ける。 しかし、内股を蹴られ、束の間体勢を崩した隙に、腹に一発くらった。 そのまま突き倒され、無理矢理組み敷かれてしまった。 「よし、そのまま押さえてろ!」 「放せ!!!」 両腕を封じられ、開襟の釦が飛ぶ。 「止せ! 嫌だ!」 ベルトに手がかかる。 絶対絶命、というのはこのことだろう。 飽和状態の頭が、がんがんする。 無駄な抵抗だって構わない。 舌に噛みついてやろうか、股間を蹴り上げてやろうかと考えていたとき。 |
「君たち、面白そうなことやってるね〜〜。ねえ、僕も混ぜてくれない?」 緊張感のカケラもない声が響いた。 声の主は…………言うまでもない。 助かった、と思ってしまった自分が悔しい。 「貴様というやつは!」 「ん? 何? 金子君」 何、といわれても。 「………………………………………………遅いっっ!!! とっとと助けんか!!」 「やだよ」 「何だと?」 「あの馬鹿、って言ったの、謝ってくれたら助けてあげてもいいけど?」 「そんなことを言っている場合か……というか、いつからいたんだ貴様!」 「ごめんなさいは?」 「まったく……子供か!! わかった! 謝るから!」 「謝り方が気に食わないけど、仕方ないね」 繁が動いたことで、あっけにとられていた男たちが我にかえった。 まずは、馬鈴薯男がつっこんでいく。 繁はといえば、いつものように腕組みをして呑気に笑っている。 「危ない!」 思わず叫ぶ。 あの大男に……まあ、繁も身長では負けていないが……勝てるはずがない。 勝てるはずが――――? 真っ向からつっこんでいった馬鈴薯男をすれすれでひょいと避け、 たたらを踏んでいるそのあごに、容赦ない膝蹴りをいれる。 腕は組んだまま、袖の中だ。 「せっかく手加減してあげたのに、まだ足りなかった? あ〜〜あ、あごから血が出てるよ。歯が折れたかな……ごめんね」 ケンカは、体力よりもコツだよ? 昔、さらりとそう言い放ったときは負け惜しみかと思ったけれど……。 今ならわかる。かなりの場数を踏んでいる。 急に、手首が自由になった。 大男がやられたと見た、最後の一人が向かっていったのだ。 その手には……銀に光る――! 「逃げろ!! そいつ、ナイフを……」 「おやおや……そんな危ない玩具、子供が持ってちゃいけないよ」 「馬鹿にするな!」 逆上した男がナイフを手に、突きかかる。 刺される……と思った瞬間、繁の手元で大きな布がひるがえった。 男の視界が遮られた――その一瞬で、勝負はついていた。 男の手首を、布ごとからめとり、あっという間にねじり上げていたのだ。 男の手から、ナイフが落ちる。 「そうそう。危ないから、僕が預かっておくよ。 ああ、あとそれから、悪いけど後始末、頼んでもいいかい? のびてる、君のお仲間も」 この状況で、否、と言えるはずがない。 戦意をなくした男がしぶしぶうなずくと、繁は男を放し、その頭を撫でた。 ……こいつだけは、本気で怒らせまい。 そう、本気で思った。 |
「さあて、終わったみたいだね」 呑気に伸びをしつつ、繁が言った。 「その……………………礼を言う。御蔭で助かった」 「へえ。いつもの天邪鬼が、妙に素直だねえ。 随分と、怖い思いをしたから……?」 「怖い…………だと? 誰が」 怖くはあった。だがそれは、繁が刺されるかと思ったからで――! 「うんうん。それでこそ金子君。切り替え早いねえ」 「…………………………」 「金子君?」 真正面からこちらをのぞきこみ、頭を撫でる。 この癖は、はっきり言って迷惑だ。 「触るな」 「やだね」 「まったく」 気づけば、いつもどおりのじゃれあいになっている。 |
「さてと。帰ろうか」 「待て」 「え?」 「……手を貸せ」
「怖くて腰を抜かしたのかい……とでもいいたいところだけど、違うようだね。どれ」 |
「降ろせ! この馬鹿!」
「暴れないでって……ただでさえ重いんだから」 |
「あんまり暴れると、落とすよ?」 意地の悪い囁きとともに、腕の力が抜けた。 「うわっ!」 とっさについ、首にしがみついてしまった。 同時に、何事もなかったかのように支えられる。 「な〜〜〜〜〜〜〜んてね」 「貴っっっっっっ様ああ!!」 「はいはい。今日だけは君を徹底的に甘やかしてあげることに決めたから。 大人しく、つかまっておいで。抱きついてもいいよ。さっきみたいに」 「ごめんこうむる」 |
「さすがにもう、ほねつぎ屋さん閉まっちゃっただろうねえ。 東風先生、腕はいいけど気まぐれだから」 「湿布のひとつも貼っておけばすむ」 「すじでも傷めていたらやっかいだよ。きちんと病院へお行き。 怖いならついてってあげるから」 「ガキ扱いするな!」 「あ。そうそう。ごめん、金子君」 「いきなり何だ」 「さっきの立ち回りで……君の外套に穴、あけちゃった」 「さっきの……って、ナイフのか?」 ナイフを包むようにしてとらえた布は……つまり。
「うん。今、君が敷いてる、外套」 「はいはい」 |
砂利を踏む規則正しい音を聴き、繁の腕にしぶしぶ身を預けながら、思っていた。 穴のひとつやふたつ、構うものか。 この外套に、救われたのだから。 持ってきた人間に関しては……脚立を置いてもとどかないほど高い棚にあげることにした。 |
END |