A time for us 
夕暮れ時。
蜂蜜を溶かしこんだような、琥珀の光。

眩しい夕日を手でさえぎりながら、ふと、顔をあげる。

……見るつもりはなかったのに。

気づくと、目で追ってしまっている。
窓際の……あの後姿――。

ひとり、ため息をつく。

いったい、これで何度目だろう。我ながら未練がましい。

薔薇の巻きついた古木を見やり、苦々しい気分になる。

結局、あのころと何も変わっていない……この薔薇と同じように。

癒えることのない傷がうずくと知りつつ、ここに来てしまうのだから、困ったものだ。

 
ばさばさばさっ、

音に驚いて、思わずそちらをふり向くと。

要君だ。足元には、書類の束がちらばっている。

腕いっぱいに抱えてきたが、つまづいたか何かしてぶちまけてしまったのだろう。

風にのって飛んでいく書類を、あわてて追いかけている。

手伝おうと一歩踏み出した。

…………が。

一瞬早く、書類を拾いあげる手があった。

不器用ながら声をかけ、袖についた泥を払ってやって――。

    ――――ああ。なるほど。

帰ろう……今は、ここにいちゃいけない。

僕は、そっとその場を後にした。

 
――――――――
 
「おい。……上がるぞ」

いつものように声をかけ、土蔵の狭い階段を登った。

「やあ。いらっしゃい。土田君」

飯は……といいけてやめる。

もう日も暮れるというのに、晩飯の気配もない。……いつものことだ。

「仕方がない」

「……え?」

「栗を持ってきた。これで何か、作ってやる」

同室の秋田が、田舎からおしつけられたという栗を山ほどよこした。

一人で食べる量としては、大箱一箱は確かに多すぎる。

少し時間はかかるが、栗御飯にでもすればいいか。

…………珍しく仕事中のようだし。

紙をしいて栗を広げ、ひとつひとつ剥いていく。

すまし汁の具は、茸でいいとして。

つけあわせをどうしようか、などと考えていると。

背後に、気配を感じた。

「ねえ。……何か、手伝おうか?」

後ろから、肩に顎を乗せるようにして囁かれた。

「……うわっ!」

思わず、手にした栗を取り落とす。

「……危ないだろう!」

「あ……ごめん。脅かすつもりじゃなかったんだ……怪我は?」

「怪我は……ないが」

目に見えてしょげている。

以前も思ったが、本当に犬だな。この男は。

主人に叱られてバツの悪くなった犬のように、傍にいながら様子をうかがっている。

しかし、今日はどうもおかしい。

食事を作ってやる、というと、いつも大袈裟すぎるほどに喜ぶのに。

栗は嫌いだったか……と思ってみて、すぐに思いなおす。

確かこの間、栗の入ったあんみつを、胸焼けがするほど食べていた。

「…………どうした」

「え? 何?」

「元気がない」

「――そう?」

「俺の気のせいならいいが」

横の気配が、すすす、と移動した。

背中あわせに座り、何気なく重みを預けてくる。

……どうやら、気のせいではないらしい。

この男がこうしてなついてくるときは、何かあるのだ。

 
どうもまだ、「水を向ける」というのはよくわからない。

せめてもう少し巧く、言葉を操れればいいのだが……。

思いつかないので、そのままでいる。

背中を貸したまま、黙々と栗を剥く。

大の男が二人……さぞや奇妙な光景だろうとは思う。

だが、その時はそれが精一杯だった。

ひとときの静寂。

背中のぬくもりが、言葉以上の何かを伝えてきた……気がした。

 
「…………やっぱり、」

先に静寂を破ったのは、繁だった。

「何だ?」

「何もきかないね。君は」

「すまん。…………思いつかん」

「何が?」

「――水の向け方」

いたって真面目に答えたのに、繁は吹きだした。

「何がおかしい」

「ごめんごめん。君らしいな……って思っただけだよ」

「あいにく、こういう性分だからな」

何がそんなにおかしいのか、どうもわからない。

だが、思いきり笑ったせいで少し元気が出たようだ。

とりあえずは、よかった。

この男が柄にもなく沈んでいると、どうにも気になって仕方がない。

 
栗をすべて剥きおわり、包丁を置いて立ち上がろうとした。

そのとき。

後ろから、急にすがりつかれた。

「…………おい――!!」

邪魔をするな、と言いかけたが失敗した。

ふりかえった瞬間、唇を奪われた。

さんざん舌を絡められたすえ、ようやく離れることを許される。

と。

目の前に、会心の笑みを浮かべた繁がいた。

潤んだ唇を、これ見よがしに舌でなぞる。

細められた空色の瞳が、あからさまに誘っている。

普段はあんなにとぼけた男のくせに、この変わりよう……いつも驚かされる。

「まったく…………いい加減にしろ」

「もしいい加減にしなかったら、君、どうする?」

「……襲うぞ」

「喜んで」

「………………あのな」

まったく、この男は。

こうなってしまっては仕方がない。

透けるような、という表現そのままの色の肌に唇をおとし、そのまま滑らせていく。

吐息を洩らしつつも、その手はこちらの釦を器用に外している。

……抱いているのは、こちらなのだが。……一応。

油断がならない。うっかりすると、主導権を握られそうになる。

巧みに煽ってくる手をやんわりと封じ、

つづいて、軽口をたたく唇も封じてしまう。

吐息に熱が加わり、声に哀願が混じってくるのをみはからって……ようやく、許してやる。

こうでもしなければ、こちらがもたない。

最後に溺れさせられているのは、どうせ俺のほうなのだろうが――。

 
いつものことながら、こうして寝顔を見ているかぎり、とても歳上とは思えない。

いっそ、無邪気といえるほどの笑顔。

淡い色の髪にふちどられた頬が、かすかに上気している。

これで目を醒ますとまた、うるさいのだが……

……気づくと最近、その明るさに救われている自分がいる。

 
仕方がない……栗御飯は、明日にするか。

しっかりとつかまれた手首を見ながら、苦笑した。

 
 

END