Both sides of the story
 
  鯖の焼ける匂いと、豚汁の湯気の中に立ちながら、思う。
 今日「も」、金子が来た。

 来た、というのは語弊がある。
 俺もまた、寮からこの水川邸に来ているからだ。
 
 だが、俺には大義名分がある。
 主の水川抱月――水川繁が、みたらしだんごの包みを懐に入れ、
その染みが着物についてとれない、しかもこれが初めてではない、
という理由で、家政婦の機嫌をそこね、ここ数日来てくれない。

 その代わりにと指名されたのが俺だ。
 こうして、料理のりの字もできない繁のために、飯を作っている。
 水川「抱月」が原稿の升目を埋め、
 俺が台所で汗を流しているそのとき、一人だけ楽をしている輩がいる。

 ――金子光伸。
 水川抱月の「自称筆頭読者」で、書けたそばから原稿を読んでいる、だけ、だ。
 俺、土田憲実は、その間も、こうして鯖を焼いている……奴の分も。


 何だか、腑に落ちない。
 蒸らし終えた飯を混ぜ、焼けた鯖を皿に盛って……。
 俺は、土蔵に向かった。


 飯が出来たぞ、と呼ぶのは簡単だ。
 土蔵の梯子段の下から叫べばいい。
 だが、そこは物書きの難しいところで、筆が乗っているときに中断すると、
下手をするとその後が書けなくなるらしい。
 厄介な仕事だ、と思う。
 
 気配を消すようにして梯子段を上り、書架のかげからのぞくと、
まだ夕方だというのに薄暗い土蔵の、ゆらゆらとゆらめく蝋燭の光の中、
繁が執筆していた。

 その背中が、今は声をかけるな、と言っている。
 ひとつのことにうちこんでいる者の背中、というのは嫌いではない。
 剣道の試合は、一瞬の心の乱れが勝敗を決める。
 ああいう、瞬間風速的な集中の仕方は慣れているが、
物書きの集中というのは、また違ったたぐいのものなのだろう。

「ああ……土田。どうした」

 俺が、気にして声をかけなかったというのに、金子はすました顔で声をかけてきた。

「…………その」

「ああ、飯か」

「そうだが――」

「魚の匂いがする。今日は焼き魚か」

「おい」

「何だ。違うのか?」

「魚は魚だ。だが、俺が言いたいのは――」

 水川「抱月」の邪魔にならないのか、ということだった。
 金子というのは不思議なもので、どこの空気にも、すぐに馴染んでしまう。
 それが悪所であったら、一流の遊び人を気取るし、
 それが教室であったなら、病弱な(?)優等生を演じる。
 それは、土蔵であっても同じことだ。
 まるで、ここにずっと住んでいるかのように馴染んでいる。
 水川「抱月」の集中力に土足で踏み入っていけるのは、この男くらいかもしれない。
 いや、俺の要領が悪いだけの話か。

「言いたいのは、何だ。話しかけておいて考え込むな」

「もういい」

「ああ、土田君。ちょうど、きりがいいところだよ。
 てんてんてん、まる、っと。
 おや、美味しそうな匂いだね。鯖かい?」

「そうだ。冷めないうちに食え」

 ようやく、本題を繁に伝えることができた。
 俺たちは、水川家の母屋の和室で、夕餉を共にした。
 …………金子も、当然のように、そこにいる。
 
「いやあ、美味しいねえ。
 豚汁って、大根とかから水が出て、味が微妙に薄くなっちゃったりしがちだけれど、
 これは完璧だね」

「…………そうか」

 褒められて、悪い気はしない。
 
「まるで通い妻だな。多少、図体のでかい骨太な妻だが」

「あはは。
 土田君に合う丈の割烹着がなかったから、どうしようかと思ったけれど、
 まさか自分で作ってくるとはねえ」

「……悪いか」

「さすが僕が惚れぬいた男、隙がないと思ってね」

「……ふん」

「ああそうだ。金子君、今回の原稿、もうちょっとかかりそうなんだ。
 読ませてあげられるのは、たぶん明日以降だね」

「あとは、最終章の謎解き……か。
 俺の予想が当たっていればいいが。
 ここでおあずけとは、今晩眠れそうにないな」

「…………………………」

「何だ、土田。何か言いたそうだな」

「いや。何でもない」

「まったく……口下手なのはかまわんが、
 最小限の意志伝達はこころみろ。
 口から先に生まれたような、繁を見習ってだな――」

「金子、俺に言わせれば、お前もじゅうぶん口数が多い」

「違いないね。
 特に、余計なひと言が多いよねえ」

「貴様にだけは言われたくないが」

「で、土田君は、当然、泊まっていくんだよねえ?」

「…………?」

「深夜までかかりそうだからさあ……夜食要員」

「握り飯でも作っておくか?」

「あと、『人のぬくもり』要員」

「なるほどな……では、俺は退散するか」

「いや。なんなら混ざってもいいよ?
 金子君、君が下で、僕が真ん中になればいいだけの話だから」

「どさくさまぎれに、何をほざいている……」

「たまたま僕が先に、要君の下僕になって、
 金子君を薬でどうとかこうとかしたり、
 土田君を縛って上に乗っかったりした……。
 だから僕が真ん中になれば、話は早い。
 真ん中は一番、気持ちがいいしねえ」

 まるで明日の朝飯の内容を語るような軽い口ぶりで、
とんでもないことを提案しはじめる。
 このままでは、過去の武勇伝でも語りはじめるかもしれない。

「いいから、今は目先の〆切のことだけを考えろ」

「つれないねえ。
 じゃあ、この提案はまた次の機会にでも」

 次の機会などない……ことを、切に願いたい。
 俺は、夕飯を食い終えた二人を、部屋から追い出し、
皿や茶碗の片づけをはじめた。

 軽い夜食の下ごしらえをし、柱の時計を見ると、
あれからもうかなりの時間、たっていた。

 繁の原稿の進み具合が気になり、再び土蔵を訪れてみると。
 蝋燭の光のゆらめきは同じだが、主の背中が見えない。
 繁は、二つに折った座布団を枕にして、床に寝そべっていた。
 規則正しい寝息。
 
 原稿は、済んだのだろうか。
 心配になり、文机のほうに目をやると、一番上の原稿用紙に
「了」の文字が見えた。

 つまり、一本、書き終えたのだ。
 仕事を投げ出してそこに横たわっているわけではない、とわかって、
少し安心した。
 
 そして、少し、興味が湧いた。
 金子が、ああまで夢中になって読んでいる「水川抱月の小説」とやらは、
どんなものなのだろう、と。

 俺もまた、引き込まれて、「自称第二の読者」になるのか?
 そうは、とても思えない。

 そう多くもない枚数だ。
 このくらいなら、読めるだろう。
 そう思って、原稿用紙の束を手にとり、いつもは金子が陣取っている
壁際に座った。

 そして…………。
 それで…………。
 しこうして……。

 それなりの時間をかけて読み終えると、むこうを向いて寝ていたはずの
繁が、こちらを見てにやりと笑った。

「…………で?」

「………………?」

「どうだった、今回の原稿。苦労しただけあって、なかなかの出来だと
 思うんだけど」

「そうだな」

「参考までに、感想を聴かせてくれるかい?
 さらに言うなら、嬉しい感想だといいんだけれど」

「感想は…………」

「感想は?」

「皆目、わからん」

「ええ?」

「俺は、ふだん、小説などまともに読んだことがない。
 ましてや、探偵小説とは」

「つまらなかった、ってことかい?」

 繁の声が、一気に沈んだ。
 しっぽが、だらんと垂れ下がった犬のようだ。

「その……。
 使う筋肉が違う、というのか。
 俺の硬い脳味噌を、総動員して読んでみたのだが、
 謎解きどころか、犯人さえ見当がつかなかった。
 だが――」

「うん」

「流れる文章の、美しさは俺にもわかった。
 血なまぐさい話なはずなのに、不思議とそうは感じない。
 あんたに――水川……抱月に、こんな部分があるとは思わなかった」

「こんな部分って?」

「小説家の書くものとは、つまり小説家の心の一部だと聞いたことがある。
 あんたの文章は、つまりあんたは、美しいものは美しいものとして
 大切に描き出すことができる、繊細な部分があるということだ。
 それが……透けて見えた」

「あのねえ……土田君」

「なにぶん、門外漢だ。俺の言い方が気に障ったらすまん」

「気に障るどころか!
 何だい、それは。……新手の告白かい?」

 気がつくと、目の前の繁は顔を赤らめている。
 
「君はすぐ、そうやってふいうちをくらわせるんだからねえ。
 油断ならないよ……まったく」

 繁は、俺の首に腕をまわして引き寄せ、唇を重ねた。
 どうやら、俺の回答は及第点だったか、それ以外の何かに火をつけてしまったか。

「おい……夜食は」

「こんなときに、そんな無粋なことをお言いでないよ。
 夜食は、朝食にもなる。
 それより今は……僕を食べておくれ」

 舌を絡め、互いの唇を味わい、その唇を胸に落とすと、繁が息を乱した。
 粒のように尖ったそれを、片方は指の腹で、もう片方は、舌で転がす。
 
「……っ、あ、んんっ」

 少し強めに弄ってやると、身体中が鋭敏になるらしく、
象牙のようになめらかな肌に、赤みがさしてくる。

「つちだ……く……、そこはもう、いいから……!」

 手をつかんで導かれた先には、もうすでにきざした、繁のものがあった。
 腹につきそうになっているそれを、慎重につかみ、先に接吻する。

「や、ああ!」

 先をほおばりながら、茎の形を指でなぞる。
 裏を舐めあげると、繁の身体がびくりと反った。
 それをみはからって、先走りにまみれた指を後ろに滑らせる。
 
「ん、んうっ」

 淫らな音をたてながら、俺の指を締め上げるそれは、
たぶん繁自身も自覚していないであろう、奥に招きいれるような蠕動に変わっていた。
 指を増やし、中をひろげるように動かすと、繁が声をあげた。

「あ、ああ! ……ひ、ん……っ」

 いいところに当たるらしく、繁の腰が自然にゆらめいてくる。
 俺は、そこをかすめつつ、指を引き抜いた。
 
「……ん! あ……はっ……ああ!」

 指の代わりに、猛ったものを押し当てると。
 そこは、早く、と言わんばかりにひくついて、たちまちすべてを呑み込んだ。

「もっと、脚を開け」

「こう……かい? ああ! ァ! んん!」

 少し入った中で、ぐり、と当たるものがある。
 それをめがけて突くと、繁の視線は宙をさまよい、声も出ないほどの快美の波に
身を任せているように見えた。
 
「そこ、も、いい……けど、もっと」

「もっと?」

「奥……突いて……。
 つち……君の、届く、ところまで――っ、は……あああ! んん!」

 こんな奥まで挿れて、苦しくはないのだろうか、という疑問は、
繁の恍惚とした表情を見るかぎり、無用のようだった。
 俺が開拓しようとする場所は、俺の動きに合わせて、締めつけてきた。

「ああ、あ! あ、あ、あ、あ……う……」

 搾られるように締めつけられ、俺も限界を迎えた。
 繁が欲しいといった、奥のずっと奥にまで、俺の全てを注ぎこむと、
それにつられたように、繁が達した。

 一度繁の中で吐精したのに、萎えるどころか、さらに膨張してくる。
 いったん、抜き、繁に後ろを向かせて、思い切り突いた。

「ああ! また……達……く、駄目……土田、く――!」

 哀願の声は、甘さを帯びていたので、かまわずにたたきつける。
 すると、達したばかりで敏感になっていた繁がたてつづけに達した。

 そのたび、絞られるので、俺もまた、繁の中で果てる。
 上気した肩に軽く歯を立てた。
 そして、繁の前を手で強めにあおってやると、
甘い吐息を洩らして、繁が腰を自ら揺する。

 この調子では、夜食が朝食を飛び越して昼食になりかねん……。
 そう思いつつ俺は、愛しい肌に、吸い痕をつけた。

END