Cast away -side M-
 
 妙にくぐもって聴こえる、轟音。
 広い背に、大輪の薔薇が咲く。
 まるで活動の遅回しのように緩慢に、崩れおちていく身体。

 慌てて駆け寄ろうとする。
 しかし、濡れた綿のように重い足は、動かない。
 叫ぶ声は、音を紡がない――――。

 



 
 薄あかりの中、見慣れた天井の木目に安堵する。
 びっしょりと汗をかいていた。気のせいか、夜着が重い。
 
 …………また、この夢だ。

 不安でたまらない自分の心を映しているかのような悪夢。
 何度見ても、変わらない筋書き。

 走っていこうとした。
 叫んだ。手をのばした。
 自分が盾になろうと、飛び出したりもした。
 それでも…………駄目なのだ。

 夢の最後には決まって、あの紅い華が咲く。
 墓標とするにはあまりにも淫靡なあの華。
 むせ返るようなその香りに、吐き気がする。
 あの大輪の華が、またしても彼をとらえていってしまう。

 隣で眠る寝息は、腕枕の温もりは、こんなにも確かだというのに――。

 



 一番古い記憶は、石造りの橋の上。
 父に肩車をされた高い位置から、僕はあるものをみつけた。
 
 ――父様、あれはなんて書いてあるの?
 幼い僕は、指差して尋ねた。まだ拙い、父の国の言葉で。

 父は答える。
 この橋の名と、それを架けた年月日が刻まれているのだよ、と。
 百年近く前にかけられたものなのだ……と。

 凄いねえ、と驚き、はしゃいだことだろう。普通の子供ならば。
 でも、そのとき僕は、黙りこんでしまった。

 一瞬にして、わかってしまったんだ。

 百年近く前、といったら、当然僕は生まれていない。
 僕の生まれる前から、この橋はここに在った。
 僕の生まれる前から、この世界は在った。
 壊れないかぎり、この橋はずっと、ここに在りつづけるのだろう。
 何年かして、僕が死んでしまってもずっと。

 僕が消えてしまっても、何食わぬ顔で世界は動き続けるのだろう――。

 幼くして、それに気づいてしまったのだ。


 
 やがて、曽祖父が亡くなり、葬式に参列した。
 何かがごっそりと抜け落ちてしまったような欠落感があった。
 そして、忍び寄る不安感。
 僕はまだ生きているけれど、曽祖父の今日はもうない。
 誰にでも、明日が来るとは限らないんだ。
 明日は、約束されてない。もちろん、僕にも……。

 僕が消えてしまうのは別に何とも思わないけれど、
 親しい人々が急に姿を消してしまう、
 ……切り取られてしまうのは、耐えられない。

 僕は、泣きたくなった。叫びだしたくなった。
 でも、それをしてはいけない気がした。
 幸い、これに気づいているのは僕だけらしい。
 だって、みんな笑っているもの。
 自分の明日がないかもしれないのに、笑っているもの。
 隣にいる僕も、明日はいないかもしれないのに。

 ――きっとこれは、黙ってなきゃいけないことなんだ。
 そう、思った。
 
 そして、僕も知らないふりをした。
 他の子供たちの話に混じって、馬鹿みたいに笑って、走って、はしゃいで。

 誰にも知られちゃいけない。忘れないと。
 そう、子供なりに努力したのを覚えている。
 石橋は何度も夢に現れて僕を苦しめたけれど、僕は誰にも言わなかった。

 

 そして僕は………………………………そのまま大人になった。
 

  僕という人間はきっと、あのころから変わっていないのだ。
 今は、橋の代わりに別のイメェジが、僕を苦しめている。
 僕の世界から切り取られてしまった………………二人。
 
  血の海の中、旅立って行ってしまった彼ら。 
 床に流れ出した、どちらのものとも知れない生命。 
 むせかえるような血の匂い。
 黒ずんだその色が、あの華の色と重なる。

 彼らは、明日を望まなかった。
 自らそれを切り捨て、その代わりに現在を縫いとめたのだ。
 一番幸せな時を、刹那を選びとり、その時計を壊した。

 でも僕は?
 僕たちは?

 まだ動いてしまっている僕たち二人の時間は……?

 僕と、彼。

 二人とも、無人島の波打ち際に取り残されたまま、途方にくれている。
 簡単には言い表せない感情……執着のようなものを抱いたまま。
 その対象は、もう二度と手の届かぬところへ消えてしまったというのに。


 
 判っている。……僕は、怖れているんだ。
 
 きな臭くなっている今の世。彼はきっと志願するだろう。
 そして、行ってしまうのだろう。
 どちらにせよ僕はきっと、この国では暮らせない。

 離れる。
 彼を見て、触れて、感じていられなくなる。
 
 そして、あの夢のように……彼も。 
 ある日突然、僕の世界から切り取られてしまうかもしれない。

 怖れている………………怖くてたまらない。


 

「――どうした」
 眠っているとばかり思っていた彼……土田君が囁いた。
 
「……………………」
 喉がひりついて、言葉が出ない。言いたいことは山ほどあるのに。


「泣くな」
 枕にしていた左腕に、そっと抱き寄せられる。
「………………泣いてないよ」
 やっと、声らしきものが出た。
「泣いてない……まだ」
「そうか」
「うん」
「ならば、泣け」

 泣きたいのは、自分も同じだろうに。
 優しさが、傷に沁みた。

 こらえきれなくなった感情が溢れる。
 僕はそのまま、涙を流しながら唇をかさねた。

 無言のまま、絡まりあう。
 夜着が肌を隔てているのすらもどかしく、互いの帯を解いて投げ捨てる。

 土田君は、僕だけを慰めるつもりなのか、内腿をすべりおりて顔を埋めてきた。
 
「…………ちょっと、待った」
「何だ」
「されるだけなのは好みじゃないって……前、言ったはずだよ」
 無理矢理に微笑んで、冗談めかす。
 要らぬところで鋭い土田君のことだから、気づいてしまったかもしれないけれど。

 彼は、どうしていいか迷ったらしく、ちょっと困った顔をした。
「……おい!」
「いいから」

 困惑する土田君を、半ば強引に仰向けにさせて……。
 彼の胴を挟むかたちで膝をつき、彼のものに舌を這わせる。

 我ながらひどく大胆な格好ではあるけれど……でも。

「これなら、君にもしてあげられる。
 僕だけされて、君は醒めてるなんて、ごめんだからね」
「まったく……」

 ため息をつきつつ、土田君はこころもち身を起こした。

「…………っ、あ!」
 ぬるりと、舌が入ってきた。そして、指。
 舌先を、くっと曲げて押し開かれる。腰が勝手にわなないた。
 
 持っていかれそうになるのを何とかこらえながら、彼の形をなぞり、唇ではさみ、
口に含んで揺らす。
「………………!」
 手で煽りながら先をちろりと舐め、軽く吸い上げる。
 土田君が、息を詰めるのがわかる。
「……いいよ。出して」
 吐息がかかるように囁く。それがきっかけになったのか、彼は一気に達した。
  ほとんどを口で受けとめ、残りはわざと顔で受けた。
 ちらり、ほんの一瞬だけふりむき、土田君に視線を送る。
 指を舐め、唇も舌で拭いながら、僕は陶然となっていた。

「あ…………っ、んん、…………!」
 土田君の手が前に回ってくる。
「……いい、よ、まだ……そこは」
 触れようとする手を押しとどめた。
「どうしてだ?」
「…………うしろ……だけで、ん! 達けそうだ、から…………アアッ!」
「………………」
 雷に打たれたようにのけぞると、僕は土田君の上に崩れた。

 乱れた息のまま体勢を変え、厚い胸に舌を這わせる。
 歯で、唇で鎖骨をなぞっても、彼はされるままになっている。
 ふと顔をあげると、目が合った。
 大きな手がのびてきて、僕の頬を包む。
 無言のまま、顔についたものを拭ってくれた。

「………………あたたかいね」
「………………掌がか」
「それもあるけど…………ね」

 君が、さ。
 掌に頬を預けながら囁くと、
「揶揄うな」
 少し照れたような声で、ぼそりと呟いた。

 君のそういうところも、好きだよ――。
 禁じられた言葉を、僕は心の中で囁いてみる。
  ――I always think of you…………You are the ONE.

「…………今何か、言ったか?」
「……え? ううん、何も」
「そうか」
「もしかしたら…………言った、かもしれないね」
「……………………」
「ねえ、土田君」
「何だ」
「ちょっと……手伝ってくれないかな」
「何をだ」

「今……僕の目の前に大きな岩があってね。
 僕ひとりの力じゃ動かせない。
 体当たりしたって駄目なんだ。僕が怪我するだけで、ね。
 悪いんだけど、力を貸してくれない?」

「どうすればいい?」
「壊して……ほしいんだ。僕を。
 ひとときでもいいから、カケラも残らないくらいに粉々にね」
「だが――」
「僕が……、泣いたって叫んだって、やめなくていいから。
 それとも、優しい君には――難しいかな?」
「……………………」
「……駄目かい?」


 僕は、狡い。
 知ってるんだ。君が決して断れないこと。
 どこかに、冷たく計算している自分がいるのを感じる。
 そしてまた……自分が嫌いになる。

 土田君が起き上がり、僕と体勢をいれかえた。
 そして肩に手をかけて、僕を這わせる。
 …………ほんの一瞬、土田君が目を伏せ、辛そうにしているのが見えた。

「……………………、っふ……」
 一度、指でならして確かめ、一気に突き入ってきた。
 全ておさめて、息つく間もなく動きはじめる。
 
「…………ひ……っ、ああ……!」
 腰をとらえ、揺すられる。まるで、何かに苛立っているかのように激しく。
 抜けかけるまで腰をひいて、一気に。
「んんっ!!」
 幾度もそれを繰りかえされ、ひとりでに涙が流れる。
「…………まだ足りないよ……もっと――」
 肩を床に落とし、自ら腰を揺らす。
「もっ……と」
 うわ言のように口走る。
 畳に爪を立てた僕の片手を、土田君の手が包んだ。
 空いたほうの手が、前に回って僕に触れる。

「ん……んっ、い…………い、あ――」
 
 背に、温かいものが落ちた。そして、気配。
 土田君もまた、泣いているのかもしれない。
 そうか……だから。

「つち…………だ、くん……」
「…………?」
「いい……よ。泣いて。いまだけ……は……」
「――――」
「僕には……見えないから――――あ、……あ、あ、……も……う!」
「少し黙っていろ」
 掠れた声。
 同時に、わざと弱いところを狙った穿ちかたをしてくる。

「…………! ひ、……! …………ごめ……ん、あ……!!」
「……くっ」
 二人、ほとんど同時だった。

「もう……一度」
「………………」
 だるい身体を起こして、向きあった。
 土田君の頬の涙の痕を舌でなぞり、まぶたに口づけする。

「ね? もう一回、してくれない?」
「仕方のない奴だ」

 向きあって座って、自ら迎え入れる。
「んう、……あ――は……」
 僕を充たすには充分すぎるほどの存在感。
「辛くないか?」
「だ……いじょうぶ、…………っ、動く……よ?」
「…………!」
「んんっ、ん、ふ……!」
 僕とは違う動き方で下から貫かれ、悲鳴をあげた。
 首に腕をまわしてすがりつくと、
「ああ……ッ」
 二人の間で擦れて、なおさら辛いことになる。

 ……正直、何度したのか思い出せない。
 このあたりから、僕の記憶は途切れているからだ。
 こんなに無茶をしたのは…………あのころ以来かもしれない。
 







――――おい。


――――………………おい!!


…………呼んでる。

 ぼんやりと思っていた。すると。
 柔らかい感触。何かが口に流しこまれた。

「…………ん」
「気がついたか」

「あ、……やあ、土田君。お早う」
「悠長なことを言っている場合か!」
「え、何がさ」
「その……平気か」
「ああ。……そういうこと。
 僕なら大丈夫だよ。……さすがに……腰がたたないみたいだけど」

 苦笑すると、土田君は思ってもみない行動に出た。
 いきなり、抱きしめてきたのだ。

「…………! え?? え? どうしたんだい、いきなり」
「……あんたが」
「…………?」
「あんたが目覚めないから、……本当に、壊してしまったかと――思った」
 消え入りそうな声で言った。

 やれやれ、どこまで優しいんだろうねえ……君は。
 僕は、少々ちくちくするその頭を抱きながら囁いた。

「平気だって。本当だよ?
 なんならもう一回……するかい?」
「馬鹿をいうな!!!」

 はいはい。大人しくしてるよ。
 さすがの僕も、ちょっと無理をしすぎたからね。

 ふと見ると、畳に瓶が転がっている。さっきの、僕の気つけ代わりに使ったらしい。
 あれ、この家には酒は置いてないはずだけど、と思ってよく見てみると……。
 それは料理酒の瓶だった……道理で妙な味がしたわけだ。
 僕は苦笑した。

「何が可笑しい」
「え? ううん。何でもないよ。こっちのこと」
 何だか急に、この腕の中の存在がいとおしくなった。
「……苦しい。そろそろ放さんか」
「やだよ」
「……まったく」
 仕方のない、というように土田君がため息をついた。
 

  僕は、腕の中の温もりを感じながら思っていた。
 あの悪夢はこれからも時折、僕を苦しめるだろうけれど――。
 決して、渡さない。
 それに彼なら、何があっても戻ってくるだろう……きっと。

 僕たちは、一言では言えない奇妙な関係ではあるけれど、
 そのつながりはそう簡単に切れてしまうものではない。
 そう……思いたい。
 
 

 料理酒の瓶が、朝日を弾いて輝いている。
 
 見えない僕の手紙を入れたその瓶は、波間を漂い、届くだろうか。
 …………………………君のもとに。
 
END