Detective  ‘K’

 
ぱら、と紙をめくる。

その瞬間、青年は息をのんだ。

いや。正確には、咥えていた煙草を落としそうになった。

「………………おい!!」

呆れかえり、怒りの沸点ぎりぎりでなんとか踏みとどまっているような声。

「ん〜〜〜〜? 何? 金子君」

間の抜けた返答に、こめかみをぴくぴくさせながら平静を装う。

「……何、じゃない。
 これはいったい何のつもりだ?」

「これって?」

「わざとらしくとぼけるな! これに決まっているだろう!」

とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、そう怒鳴ると、今の今まで食い入るように
読んでいた原稿の最後の一枚を示した。

ぐい、と作者の鼻先につきつける。

そこには、墨で黒々と、こう記されてあった。

 
「ここに謹んで読者諸賢の注意を要望する」
 
「…………これがどうかした?」

この期に及んでまだ、にやにやしている。

「……俺を見くびるなよ? 水川抱月」

「え?」

「これが何なのかはもう、判っている」

「へええ?」

「笑うな!  エラリィ・クイーンの手口まで持ち出して……。
 俺への挑戦、と受けとってかまわないな?」

「さすがあ。知ってたの、君」

「当然だ。新進気鋭の探偵作家物は、一応目を通している。
 処女作は…………確か、`猫と煎餅’が出版された年だから……
 1929年か」

「`猫と煎餅’…………。君って、そんな物の覚え方してるわけ。
 さすがは自称、筆頭フアンだねえ」

「ふふん。恐れ入ったか。
水川抱月年表は寸分の狂いもなく俺の頭の中に入っている。
……いや! そんなことはどうでもいい」 

問題はこれだ、と先程の原稿を示す。

大書された先程の文句の傍らに、申し訳程度の書きつけがあった。

「要するに、ここまでで全ての鍵は提示した、後は自分で解いてみろ、という
 ことだろう」

「そのとおり。頭の回転の速い子は好きだよ」

「にやにや笑うな! 気色の悪い。
 貴様が何を企んでいるのかは知らんが……俺は全部解いたぞ」

「へええ? さっそく、ご高説うかがいましょうか」

「まず…………、犯人が広介ということは考えられない。
 犯行推定時刻までにここに到達することは、物理的に不可能だからだ」

「ふんふん」

「同じように時田も線上から消える。この男には、確固とした不在証明がある」

「うんうん」

「となると、残るは2人になるが、これは密室のトリックを暴けば簡単に絞り込める」

「ほうほう」

「新雪に残った足跡の向きと、錠の脇に残った掻き傷が…………おい!
 真面目に聞いてるのか貴様!」

「聞いてるよ。もちろん。で? 犯人は?」

「よし。……というわけで、この渡り廊下を渡って犯行に及べるのはただ一人。
 初江だけだ。……遺体を運ぶのに手を貸したのは、この書生だな」

「お見事!」

「寸分の隙もなかろう!」

「凄い凄い。さすがは、探偵小説を読みなれているだけのことはあるね」

「俺を見くびるなと言ったろう! ……続きをよこせ」

「な〜んてね。あはは。……まだお預け、だよ。名探偵君。
 ご満悦のところ悪いけど、君の推理には一番肝腎なところが抜けてる」

「そんなことを言って、実はまだ続きを書いていないんだろう!」

「そんなことないさ」

「じゃあ! 俺に当てられて慌てて直すとか!」

「そんな馬鹿な」

「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
 …………いいだろう。 明日また出直してくる」

「はいはい。楽しみに待ってるよ」

憮然として立ち去る青年を、探偵小説家は満面の笑みで見送った。
 

 
――――――――
 
やれやれ……、と抱月はため息をついた。

そして、真っ白な原稿に向かう。

――さすがは探偵小説マニアにして筆頭フアン殿、だね。
   推理もしっかりと筋が通っている。
   …………………………でもね?

愛用の万年筆を、くるりと回して、いささか意地の悪い笑い方をする。

――あの天下の名探偵、シャーロック・ホームズも、実兄マイクロフトには敵わない。
   僕も彼みたいにこうして座ったまま、謎解きをしてみせるよ。
   安楽椅子探偵ならぬ、文机探偵…………語呂がちょっと悪いけどね。

少しの間、虚空をみつめると、鼻歌交じりでさらさらと書き始めた。

――金子君。君は肝腎なことを忘れてるよ。
   確かに、本当の事件ならさっきの推理で解決だろうさ。でも、これは現実じゃない。
   虚構の事件…………それも何をかくそう、この水川抱月が書いたものなんだから。

そう。

一流の探偵小説家たるもの、結末のふたつやみっつは考えてあるものだ。

本物の事件でない限り、真実は必ずしも一つではない。

ましてや、この生来のひねくれ者にして、人の意表をつくのを何よりの楽しみとする
水川抱月が書いているのだ。

それを、青年は失念していた。

――あ、でも、一つ重要なことを当てていたね。続きを書いてない……ってとこ。
   とんだ名探偵だ。

抱月は、くすりと笑うと、喜々として謎解き部分を書き足していく。

どうやって、あの自信満々な名探偵どのを唸らせてやろうか。

どうやって、人一倍プライドの高い筆頭読者どのの度肝を抜いてやろうか。

そんな、底意地の悪いことを考えつつ。

 
END